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「渡辺明 (棋士)」の版間の差分

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=== 20歳竜王 ===
=== 20歳竜王 ===
2004年、第17期[[竜王戦]]の4組で[[阿久津主税]]、[[橋本崇載]]、[[塚田泰明]]らを破って優勝し、本戦トーナメントに進出。本戦トーナメントでは[[森けい二|森雞二]]、[[谷川浩司]]、[[屋敷伸之]]に勝ち、挑戦者決定三番勝負では[[森下卓]]を2-0のストレートで破り、無敗の10連勝で挑戦権を得る。
2004年、第17期[[竜王戦]]の4組で[[阿久津主税]]、[[橋本崇載]]、[[塚田泰明]]らを破って優勝し、本戦トーナメントに進出。本戦トーナメントでは[[森雞二]]、[[谷川浩司]]、[[屋敷伸之]]に勝ち、挑戦者決定三番勝負では[[森下卓]]を2-0のストレートで破り、無敗の10連勝で挑戦権を得る。


そして[[森内俊之]]竜王との第17期竜王戦七番勝負でフルセットの末に勝ち、2004年12月28日、名人とともに将棋界の二大タイトルの一つである竜王位を弱冠20歳で獲得した。4組から竜王挑戦し、奪取に成功したのは[[藤井猛]]以来2人目である。また、20歳でのタイトル獲得は、屋敷(18歳・棋聖)、羽生(19歳・竜王)に次ぐ当時史上3番目の年少記録であった。なお、竜王奪取の前々日には、渡辺を追ったテレビのドキュメンタリー番組([[MBSテレビ|毎日放送]]制作・[[TBSテレビ|TBS]]系『[[情熱大陸]]』)が放送されている。
そして[[森内俊之]]竜王との第17期竜王戦七番勝負でフルセットの末に勝ち、2004年12月28日、名人とともに将棋界の二大タイトルの一つである竜王位を弱冠20歳で獲得した。4組から竜王挑戦し、奪取に成功したのは[[藤井猛]]以来2人目である。また、20歳でのタイトル獲得は、屋敷(18歳・棋聖)、羽生(19歳・竜王)に次ぐ当時史上3番目の年少記録であった。なお、竜王奪取の前々日には、渡辺を追ったテレビのドキュメンタリー番組([[MBSテレビ|毎日放送]]制作・[[TBSテレビ|TBS]]系『[[情熱大陸]]』)が放送されている。

2020年7月16日 (木) 23:04時点における版

 渡辺明 二冠(棋王・王将)
名前 渡辺明
生年月日 (1984-04-23) 1984年4月23日(40歳)
プロ入り年月日 2000年4月1日(15歳)
棋士番号 235
出身地 東京都葛飾区
師匠 所司和晴
永世称号 永世竜王・永世棋王(就位は原則引退後)
保持タイトル 二冠(棋王・王将)
段位 九段
棋士DB 渡辺明
戦績
タイトル獲得合計 25期
一般棋戦優勝回数 11回
2020年7月16日現在
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渡辺 明(わたなべ あきら、1984年4月23日 - )は、将棋棋士タイトル通算獲得数は歴代5位で、永世竜王永世棋王の資格を保持。

所司和晴門下。棋士番号235。東京都葛飾区出身。聖学院中学校・高等学校出身。

棋歴

少年時代

小学校1年生の頃、アマ五段の父に教えられ将棋を覚える。1994年、小学4年(出場時は3年)で第19回小学生将棋名人戦優勝。小学生将棋名人戦で、4年生での優勝は史上初であった(その後、複数名の例がある)。同年、所司和晴門下で奨励会を受験し、6級で入会。奨励会入会試験では木村さゆり6級(現・竹部さゆり女流)と対戦して勝利したが、この対局は互いに極端な早指しで2分で終わった。

1年で2級まで昇級し、1級で足踏みをするも、初段、二段をそれぞれ1年で通過し三段リーグ入り。中学進学時には「このまま行くと三段リーグと高校受験が被って大変なことになる」と考え、それを避けるために中高一貫校を受験しようと決意。同門の3年先輩である宮田敦史が通っており「将棋に理解がありそう」という理由で聖学院を選んだ[1]。中学・高校時代の同級生に宮澤聡(ジグザグジギー)がおり、中高の6年間ずっと隣の席だった[2]

15歳でのプロデビュー

中学3年であった2000年3月、第26回三段リーグで13勝5敗の1位となり、同年4月に15歳で四段昇段(プロ入り)。加藤一二三谷川浩司羽生善治に続く、史上4人目の中学生棋士となった[3][4][5]。なお、河口俊彦は渡辺を奨励会時代から高く評価していた[6]

2002年度の第61期順位戦C級2組で、9勝1敗の成績を挙げC級1組へ昇級。

2003年9月、第51期王座戦で、史上3番目の若さ(19歳)でタイトル挑戦者となり、棋界のトップである羽生善治に挑んだ。第3局までで渡辺の2-1で羽生をカド番に追い込んだが、そこから2連敗しタイトル獲得には至らなかった。この活躍により、将棋大賞の新人賞を受賞。第44期王位戦リーグ入り(1-4)。

20歳竜王

2004年、第17期竜王戦の4組で阿久津主税橋本崇載塚田泰明らを破って優勝し、本戦トーナメントに進出。本戦トーナメントでは森雞二谷川浩司屋敷伸之に勝ち、挑戦者決定三番勝負では森下卓を2-0のストレートで破り、無敗の10連勝で挑戦権を得る。

そして森内俊之竜王との第17期竜王戦七番勝負でフルセットの末に勝ち、2004年12月28日、名人とともに将棋界の二大タイトルの一つである竜王位を弱冠20歳で獲得した。4組から竜王挑戦し、奪取に成功したのは藤井猛以来2人目である。また、20歳でのタイトル獲得は、屋敷(18歳・棋聖)、羽生(19歳・竜王)に次ぐ当時史上3番目の年少記録であった。なお、竜王奪取の前々日には、渡辺を追ったテレビのドキュメンタリー番組(毎日放送制作・TBS系『情熱大陸』)が放送されている。

2005年11月30日、第18期竜王戦第4局で木村一基の挑戦を4勝0敗のストレートで退け初防衛、史上最年少九段(21歳7か月)となる[注 1]

第13期(2005年)銀河戦で森内を撃破し、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦で初優勝。さらに第36期(2005年度)新人王戦三番勝負で、千葉幸生を2連勝で破り優勝。この年度は41勝を挙げ、将棋大賞の優秀棋士賞(新設)と最多勝利賞を受賞。記録部門での受賞は、これが初。

第46期王位戦でリーグ入り。このときの紅組リーグでは渡辺を含む4名が3-2の同率首位となりプレーオフが開かれ、1回戦で屋敷伸之に勝利するも2回戦で先崎学に敗れ、リーグも陥落となった。

2006年3月、初めてNHK杯(2005年度)の決勝に進出。相手は丸山忠久であったが敗れる。この将棋は渡辺の先手となったが、初手は非常に珍しい▲3六歩(袖飛車戦法)であった。局後のインタビューで「決勝戦なので一発派手なことをやってやろうかと」と語った。また、63手目▲3三桂不成と捨てた手についても、「魅せてみようかと(思って)」と語る。第64期順位戦C級1組を8勝2敗でB級2組に昇級。

第19期(2006年度)竜王戦はフルセットの末、佐藤康光の挑戦を退けて防衛に成功(2006年12月21日)。藤井猛と並んで最多タイ記録となる竜王位3連覇を達成した。この竜王戦では第1、2局で連敗し、第3局も途中まで劣勢に追い込まれていたが、終盤でまるで作ったような逆転の一手(本人談、124手目△7九角)があって逆転勝ちした。これで七番勝負の流れが変わり、続く第4、5局も勝って3連勝とした。第6局では渡辺の初手▲7六歩に対し、佐藤が2手目△3二金と指し渡辺を挑発した(3二の金は、相手が振り飛車の場合には適さない位置とされるため、2手目△3二金は居飛車党の棋士に対し「振り飛車も指せるか」と挑発する意味がある)。渡辺はこの挑発に乗って不慣れな振り飛車を指して負け、勝負の行方は最終局に持ち込まれる。そして第7局で、佐藤はまたしても2手目△3二金を採用したが、今度は渡辺は挑発に乗らず矢倉(相居飛車)になり、渡辺が勝利して竜王位を防衛した。47期王位戦リーグでは紅組で4-1の成績であったが、紅組プレーオフで敗退。

2007年3月21日、大和証券杯ネット将棋の特別対局で、第16回世界コンピュータ将棋選手権優勝のBonanzaと対局し、112手で勝利。この対局の直前に渡辺は珍しく震えていたという(2007年のNHK将棋講座で講師をした際、番組中で明かした)。この年、将棋大賞の敢闘賞を受賞した。

第65期(2006年度)順位戦B級2組を10戦全勝で終え、2期連続昇級でB級1組へ昇級。

第15期(2007年)銀河戦・決勝戦で森内俊之を139手で下し、2年ぶり2回目の優勝。

同年、第48期王位戦では4-1で白組プレーオフを制し、挑戦者決定戦に進出したが、深浦康市に敗れる。

同年、第78期棋聖戦で、竜王としてようやく初めてのタイトル挑戦者となるが、佐藤康光に1-3で敗れ二冠を逃す。

一方、第20期(2007年度)竜王戦では逆に2年連続で佐藤の挑戦を受け、4-2で防衛に成功し、竜王戦の連覇新記録となる竜王位4連覇を達成。佐藤とは、互いに自分のタイトルを防衛・連覇し合う結果となった。この竜王戦第6局では前年に引き続き、後手番となった佐藤が渡辺の初手▲7六歩に対し2手目△3二金を採用。渡辺はこの竜王戦の前に、将棋世界の「イメージと読みの将棋観」の中で「この手に対しては中飛車で指せば先手がいい。今度指されたら中飛車にしますよ」と語っており、その予告通りに渡辺は飛車を中央に転回。その結果、佐藤も飛車を中央に振って相中飛車の力戦となり、最終的に渡辺が勝利した。

2008年8月24日、第2回ネット将棋・最強戦の決勝で鈴木大介を破り優勝。

初代永世竜王

2008年、第21期竜王戦七番勝負で竜王通算6期の羽生善治を挑戦者に迎え、勝者が初代永世竜王となる注目の七番勝負となった(永世竜王の条件は、連続5期または通算7期)。渡辺は第1局から3連敗したが、第4局では両者ともに入玉模様の壮絶な終盤戦を制した。続く第5局も制し、第6局では阿久津流急戦矢倉で新手[7]を繰り出して完勝。第7局も第6局に続いて渡辺が阿久津流急戦矢倉を採用したが逆転に次ぐ逆転となり、最後は1分将棋を渡辺が制して、第4局以降の4連勝で竜王戦5連覇を達成した(この最終第7局で、将棋大賞の「名局賞」を羽生とともに受賞している)。七番勝負のタイトル戦での3連敗4連勝は将棋界では初めての出来事であった(9か月後の王位戦でも深浦康市が達成)。これによって渡辺は竜王在位連続5期となり、初代永世竜王の資格を取得。現行の三段リーグ出身者として初の永世称号を得た。

渡辺が永世竜王の資格を得るまでに獲得したタイトルは竜王のみであるが、1種類のみのタイトルの獲得で永世称号を手にしたのは、名人戦以外のタイトル戦がなかった時代の木村義雄に続き2人目である。複数種タイトルがある中の1種類のみは初である。
なお、5年の間に他のタイトルを獲得せず棋界最高峰(賞金額も最多)のタイトル1つだけを獲得・5連覇して永世称号を得たケースは囲碁界にもあり、藤沢秀行棋聖戦(囲碁)において5連覇で名誉棋聖の称号を獲得している(最終的に6連覇、第1期(1977年)- 第6期)。ただし、藤沢の場合は棋聖獲得の前に名人王座の獲得歴がある。49期王位戦リーグは1-4で陥落。

2009年度の第22期竜王戦では、永世名人の資格を持つ森内俊之が挑戦者となり、タイトル戦として史上初の「永世竜王 対 永世名人」(資格者)という戦いとなったが、第4局(2009年11月25 - 26日)まで渡辺が4連勝のストレートで防衛に成功(6連覇)。そして次年度(2010年度)の第23期は、羽生善治の2年ぶりとなる挑戦を4-2で返り討ちにして竜王戦7連覇を達成、竜王7期も6期の羽生を抜いて歴代単独トップとなった。

A級昇級、竜王9連覇、三冠

2009年9月24日、第59期王将戦の二次予選決勝で勝ち、棋界随一の難関(定員7名、残留4名)である王将リーグに初めて入る。しかし、この時のリーグ戦では2-4で負け越して陥落となった。第50期王位戦リーグに復帰するも、3-2で陥落。 第68期B級1組順位戦は、渡辺(竜王)、久保利明棋王)、深浦康市(王位)という当時の3名のタイトル保持者によるA級昇級争いとなる。2010年2月5日に行われた第12回戦で深浦との直接対決を制し、順位戦初参加から10年目・B級1組3年目にして、ついにA級昇級を決める。第51期王位戦リーグでは復帰するも、3-2で陥落。

2011年1月6日、第36期棋王戦挑戦者決定戦第2局において広瀬章人王位に勝利。敗者ゾーンからの2連勝で久保への挑戦権を獲得したが、1勝3敗で奪取はならなかった。2月17日、第60期王将戦リーグ残留決定戦では三浦弘行を破り、王将リーグ初残留を決めた。7月、第59期王座戦挑戦者決定戦で久保利明を破って挑戦権を得て、9月27日、3-0のストレートで19連覇中の羽生王座を下し初の王座位を獲得。初めての二冠となり、規定により序列1位となる[8]。また、第19期銀河戦において糸谷哲郎を下して4年ぶり3回目の優勝。12月2日、第24期竜王戦で丸山忠久を4-1で下し、竜王戦8連覇を達成した。そして、渡辺が勝利した第24期竜王戦第4局で名局賞を受賞した。一方で第32回JT将棋日本シリーズで決勝戦に進出するも、羽生に敗れ準優勝。第61期王将戦リーグでは4-2で残留。

2012年、第61回NHK杯テレビ将棋トーナメントでも、渡辺自身「鬼門」と語っていた準決勝で久保をやぶったものの、決勝で4連覇を目指した羽生に147手で敗れた。第53期王位戦リーグに復帰し、5月に白組優勝(4-1)するも挑戦者決定戦で藤井猛に敗退。10月3日、第60期王座戦第4局で千日手指し直しの激戦の末、挑戦者の羽生二冠に敗北を喫し、1-3で初めてタイトルの防衛に失敗する。これに伴い、棋士序列も2位に後退した。なお、渡辺が最終的に敗れた第60期王座戦第4局で、千日手局、指し直し局共に合わせて名局賞を受賞した。11月26日、第62期王将戦リーグで羽生を破り、第55期の佐藤康光以来7期ぶりに王将リーグ全勝となり、佐藤康光王将への挑戦権を得た。11月29日、第25期竜王戦で丸山忠久を4-1で下し、竜王戦9連覇。

2013年1月7日、第38期棋王戦挑戦者決定戦で羽生善治を下し、2期ぶりの挑戦権を獲得。2月9日に、準決勝で羽生、決勝で菅井竜也を破り第6回朝日杯将棋オープン戦優勝。3月7日、第62期王将戦で佐藤康光を4-1で下し、初の王将位を獲得。同月17日のNHK杯では、羽生善治を破り、5連覇を阻止したと同時に自身初優勝を果たした。同月24日、第38期棋王戦で、郷田真隆を3-1で下し、初の棋王位を獲得。史上8人目の三冠となった。2012年度の将棋大賞で自身初の最優秀棋士賞を受賞した。

竜王失冠と復位

2013年4月26日、第84期棋聖戦挑戦者決定戦で、郷田真隆を破って挑戦権を得るも、結局1-3で羽生善治棋聖に敗れた。第26期竜王戦七番勝負では、11月29日、森内俊之名人に1-4で敗れ、竜王位失冠。歴代最長である竜王位連覇は9期でストップした。

しかし第39期棋王戦では、挑戦者の三浦弘行に3-0でストレート勝ちして、棋王戦2連覇を達成。第63期王将戦でも、挑戦者の羽生を4-3で破り、2連覇を達成した。2014年2月7日に、日本将棋連盟が発表した「2013年獲得賞金・対局料ベスト10」で、1億255万円で初の1位となり、羽生は16年ぶりに1位から陥落した。

第22期(2014年)銀河戦で、決勝戦で松尾歩を破り3年ぶり4回目の優勝。2014年11月16日に、第35回JT将棋日本シリーズ決勝戦で羽生を破り初優勝を果たした。また、第40期棋王戦では、挑戦者の羽生善治に3-0でストレート勝ちして棋王戦3連覇を達成。しかし並行して行われていた第64期王将戦では棋王を奪った郷田真隆に3-4で敗れて王将位失冠し、棋王のみの一冠に後退した。第73期A級順位戦では、渡辺明、広瀬章人久保利明行方尚史が、共に6勝3敗で並び、初のプレーオフへ進出できたが、久保に敗れて名人への挑戦権を得られず、2014年度を終えた。

2015年から始まった第1期叡王戦には参加しなかった[9]。2015年9月5日に開催された第36回JT将棋日本シリーズ2回戦で行方尚史と対局し、同棋戦史上最長の297手を記録したうえ同棋戦史上初の持将棋になったが、同日中に指し直し局が行われ渡辺が勝利した。 2015年9月14日、第28期竜王戦挑戦者決定戦で、永瀬拓矢を破り糸谷哲郎竜王への挑戦権を獲得。渡辺にとっては初めて後輩と戦うタイトル戦となったが、4-1で3期ぶりに竜王に復位して棋王と合わせて二冠となる。続く第41期棋王戦でも、挑戦者の佐藤天彦を相手に3-1で防衛して棋王戦4連覇を達成した。なお、渡辺が勝利した第41期棋王戦の最終第4局で2015年度の名局賞を受賞した。

2016年、第2期叡王戦に不参加、2期連続2回目の欠場。第29期竜王戦では、将棋ソフト不正使用疑惑によってシリーズ開幕(10月15日)の直前の10月12日に挑戦者が三浦弘行から丸山忠久に変更され[10]、12月22日、丸山を4‐3で下して防衛に成功して、竜王戦2連覇となった。

永世棋王獲得

2017年3月27日、第42期棋王戦第5局で勝ち、千田翔太の挑戦を3-2で退けて棋王を防衛し(棋王戦5連覇)、羽生善治以来22年ぶり、史上2人目の永世棋王を獲得した。永世棋王の条件は「連続5期」のみなので、他の永世称号に比べて獲得が難しい[注 2]

複数の永世称号を獲得した棋士は、大山康晴中原誠、羽生善治に続いて史上4人目。

竜王失冠とA級陥落

2017年12月4・5日の第30期竜王戦第5局で羽生善治に敗れ、1-4で竜王を失冠し、棋王のみの1冠となった。2018年3月2日、第76期順位戦A級11回戦で三浦弘行に敗れ、4勝6敗の成績となり、8期連続在位したA級からB級1組へ降級した(なお第76期A級順位戦は11人で争われたこともあり6勝4敗が6人出る稀に見る激戦、5勝5敗の深浦や三浦でさえ7位・8位だった)[11]。2017年度の成績はプロ入り以来初の負け越しとなる21勝27敗、勝率.437となった。

2018年度の復調とA級復帰

2018年3月30日の第43期棋王戦第5局で勝ち、永瀬拓矢の挑戦を3-2で退けて棋王を防衛(6連覇)。7月27日の第66期王座戦は2015年の第28期竜王戦以来約3年振りに挑戦者決定戦まで進出するが、斎藤慎太郎に敗れ挑戦はならなかった。11月18日の第39回将棋日本シリーズJTプロ公式戦決勝戦で菅井竜也を破り、二度目の優勝を果たした[12]。第68期王将戦挑戦者決定リーグでは糸谷哲郎とのプレーオフを制し久保利明への挑戦権を獲得。第77期順位戦B級1組では9連勝でクラス1位を確定させて早々のA級復帰を決めた上、残り3局も勝利して、同クラスでは第56期(1997年度)の丸山忠久以来、史上2人目の全勝昇級となった。

再び三冠へ

2019年2月16日の第12回朝日杯将棋オープン戦の公開対局では準決勝で千田翔太を破るも、決勝で藤井聡太に敗れ、優勝はならなかった。2019年2月25日の第68期王将戦で久保利明をストレートで破り、5期ぶり通算3期目の王将位を獲得した。第44期棋王戦は、2019年3月17日の第4局で勝ち、広瀬章人の挑戦を3-1で退けて7連覇を達成した。第90期棋聖戦は2019年7月9日の第4局で勝ち、豊島将之を3-1で破り自身初の棋聖位を獲得、三冠に復帰した。11月17日には第40回将棋日本シリーズJTプロ公式戦決勝戦で広瀬章人を破り、連覇(優勝は3回目)を達成。

第78期順位戦A級では7連勝でクラス1位を確定させて豊島将之名人への挑戦権を獲得するとともに、残り2局も勝利して史上4人目のA級全勝を達成、前期B級1組からの順位戦21連勝及び史上初の2期連続順位戦全勝も達成した。2020年3月17日に行われた第45期棋王戦第4局で挑戦者本田奎に勝ち、3勝1敗として棋王戦8連覇を達成[13]。同年3月25・26日の第69期王将戦第7局で挑戦者広瀬章人を破り、4勝3敗で王将位を防衛(2連覇・通算4期)、三冠を死守して2019年度を終えた[14]。第47回将棋大賞では、7年ぶり2回目となる最優秀棋士賞を受賞した[15]

第91期棋聖戦では、タイトル初挑戦となった藤井聡太に7月16日、1-3で敗れ、棋聖位を失った[16]。藤井の最年少タイトル記録更新(17歳11ヶ月での奪取)を許す結果となった。

棋風

居飛車党 (居飛車穴熊)
  • 居飛車党で、固い玉形、特に居飛車穴熊からの攻めを得意にしており、矢倉、対振り飛車、角換わりとあらゆる戦型において駒を繰り替えて『穴熊』にする戦い方を用いることが多く、特に先手番における矢倉穴熊の勝率が高い。また、少々強引でも自玉が安全なため結果的に攻めが成功する、いわゆる「Z(ゼット):絶対玉が詰まない形にして攻めまくる」と呼ばれるパターンが多く、現代的な実戦感覚に優れているとされる。
2006年第55回NHK杯戦準決勝
第155手 ▲6八金まで
(この次の一手が△3五角)
△渡辺 持駒:金
987654321 
      
      
     
       
     
     
     
      
     
  • 2006年第55回NHK杯戦準決勝第1局の三浦戦においては、純粋な金損の将棋を歩のみで手を作り、最後は角の押し売りで玉頭に垂らす1歩を入手するという決め手を放ち、大逆転勝ちしている[17]。渡辺の棋風があらゆるところにちりばめられた1局である。
  • 第21期竜王戦第1局では、挑戦者の羽生善治に得意の穴熊を採用したが、第2局以降は穴熊を敢えて採用せずに急戦将棋で飛車切りを含めた攻撃的な将棋を積極的に指して、竜王5連覇を達成した。
横歩取り8五飛からの脱却
  • 2004年の竜王奪取時までは、後手番では横歩取り8五飛を多用していたが、2005年以降は採用数が極端に減った。このことについて、本人は将棋世界の中で「横歩取りばっかり指していると進歩が無い」とコメントしているが、この他にも研究が進んで後手が勝ち辛くなってきたことが挙げられる。
  • その「棋風変更」のため、後手番の初手にはほとんど飛車先の歩を突く、現在の棋界では少数派である「居飛車正統派」となり、そのため「後手番で苦戦している」といわれていた。しかし、第21期竜王戦では後手急戦矢倉を採用し、かつ新手を繰り出すという趣向を見せ、それまで戦法の単調さに苦言を呈すことの多かった谷川浩司も「評価が大きく変わった」と絶賛した[18]
  • 第21期竜王戦第6局の後手急戦矢倉(対羽生戦)の新手で一気に完勝した。羽生善治をして「渡辺将棋は、現代の若者らしく多くのデータの中から良質のものを選び出す能力が高い。棋譜、定跡、研究、手筋などあふれかえるほどの情報量をうまく質に転換できている。」といわしめた[19]
終盤の粘りと逆転
  • 四段時代から「大山の再来」といわれるほど、終盤の逆転術に長けている。プロになった頃は谷川浩司の将棋を並べていると答えていた[20]が、谷川将棋のように最善の寄せを探求して一気に最短手で寄せるというよりは、大山将棋のような終盤の粘りと泥沼の中で逆転をみせる終盤術である。2014年のインタビュー(『渡辺明の思考: 盤上盤外問答』)では、自分の棋風の弱点への対策として、中原誠羽生善治の将棋を並べていると語る。
  • 形勢が良い時にすることとして、「じっくり考えて安全に指す」としている。反対に、形勢が悪い時にすることとしては、(1) 時間攻め (相手の持ち時間が少ない時に、早指しして相手に考える時間を与えないことでミスを誘ったり、逆にここぞという時にはじっくり考える)。(2) 局面を複雑化させる (相手が迷いそうな手を指して、相手の選択肢を増やす)……としている[21]
    2020年7月9日の棋聖戦の第3局では、最年少での初タイトル獲得が期待された藤井聡太に2連敗で追い詰められた渡辺が、終盤にこうした作戦を徹底したことで勝利を収めている。
後手ゴキゲン中飛車
  • 長らく純粋な居飛車党として活躍してきたが、竜王位を失った翌年の王位リーグ(対佐藤康光戦)において、突如後手ゴキゲン中飛車を採用し、将棋界を驚愕させた(結果は佐藤勝ち)。その直後の第63期王将戦第4局、対羽生戦においてもゴキゲン中飛車を採用するも、結果は負け。同時期に行われていた第40期棋王戦5番勝負第2局でも、三連続でゴキゲン中飛車を採用。挑戦者の三浦弘行に78手で快勝した[22]。そしてフルセットで迎えた王将戦第7局でも、後手番の渡辺はゴキゲン中飛車を用い、超速からの相穴熊戦を制し王将位初防衛を果たした。
同年3月7日の第72期順位戦A級最終局では、後手で角交換四間飛車を採用したが、佐藤康光に敗れている。
詰将棋が苦手
  • 実は若い頃は、詰将棋が大の苦手だった[23]。奨励会時代はそのため詰将棋が嫌いだったが、竜王に就位してから試しにやってみたら解けるようになっていたという[23]

人物

  • 好きな駒は飛車。
  • 「魔太郎」「魔王」という愛称がある。魔太郎の由来は藤子不二雄A作『魔太郎がくる!!』のキャラクターに似ていることであり、本人も似ていると認めている[24]
  • 竜王戦棋王戦王将戦など冬の棋戦に強いことから「冬将軍」と称される[25][26]
  • 所司門下の同門には、棋士の松尾歩宮田敦史石田直裕石井健太郎近藤誠也大橋貴洸、女流棋士の伊奈川愛菓渡辺弥生がいる[27]
  • 王将戦の勝者余興にも笑顔で応じる[28]など将棋ファンや主催者に対し、サービス精神が旺盛な棋士である。
  • 15歳でデビューして指導対局をした際にも、20代後半かと思われることがあったほど、中学生の頃から老け顔である。
  • 2004年4月の19歳のときに伊奈めぐみ(当時23歳。棋士の伊奈祐介の妹で元女流育成会員。詰将棋作家)と結婚し、同年7月に長男が生まれた。その妻のめぐみは『別冊少年マガジン』2013年6月号より、渡辺を題材とした漫画『将棋の渡辺くん』の連載を始め、漫画家としてデビューしている[29]
  • 羽生善治は、30代頃から終盤戦で勝勢になると手が激しく震えることがあるが、これが有名になったのは、2003年の王座戦第5局における渡辺との対局である。この対局の終盤で羽生は右手が震えて駒をまともに掴めなくなった。
  • タイトル戦において「おやつくらいしか楽しみがない」と公言している[30]。ただし、タイトル戦では「想像と違うものが出てきたらモチベーションが下がる」ため、チョコケーキやチーズケーキなど「味に外れがなさそうなものを手堅く選ぶ」という[31]
  • 2010年1月にアーケードで稼動された「天下一将棋会」で、実際にプレイして、このゲームを高く評価した。また、本人のインタビューもこのゲームのホームページで視聴することができる。また、天下一将棋会の続編として開発されている、天下一将棋会2のロケテストにおいて、イベントの一環である、プロ棋士対決のその一人として登場。駒落ち+多面指しというハンデにもかかわらず、全戦全勝を記録している。この情報は、本人のブログにて見ることが出来る。
  • ブログを開設しており、掲載されているgooブログにおいてはアクセスIP数ベスト10の常連となる人気である。このブログは2007年6月25日にgooブログのオフィシャルブログになった[32]。同年7月19日には管理人がつけられ、コメントの書き込みはgoo IDを持つものに限定されるようになった[33]。さらに2008年9月9日からは、コメント受け付けが停止された[34]
  • 2013年にサッカー公式審判員4級の資格を取得している。理由は「息子がサッカーを始め、(チームの中で)父兄に対し順番で手伝いの当番が回ってくるようになったため」で、実際に試合での審判を務めることもある[35]。その縁で自らもフットサルを始め、2015年に発足した日本将棋連盟フットサル部(通称:FCセンダガーヤ)では部長を務めている[36][37]。しかし2017年に更新を忘れて審判資格は失効したとのこと[38]
  • 一方で2018年頃からカーリングをやり始め、2019年現在ではカーリングの練習のためにわざわざ軽井沢まで出向くほどになっている。自らのブログにも「カーリング」のカテゴリを設け、度々練習の模様を掲載している[39]
  • 竜王に就位したばかりの頃、免状や記念扇子など、毛筆で署名・揮毫する機会が大幅に増えたのに対し、当時は書道が大の苦手だったため、将棋界の書道の達人で渡辺とは旧知の仲である石橋幸緒の指導を仰いだ。その結果、ある程度まともな字が書けるようになったが、時間が経つと元に戻ってしまった。これについて本人は「個性だから」と開き直っている[40]
  • 村山慈明戸辺誠佐藤天彦と若手時代から交流が厚い。若手時代、渡辺、村山、戸辺で「酷評三羽烏」と呼ばれ、後に佐藤が加わって「四羽烏」となった[41]
  • 戸辺誠七段の家族と子供連れで旅行することが度々あり、お互いの画像をブログやツイッターで紹介し合っている[42]

趣味・嗜好

虫が苦手
ゴキブリが怖い」と自身のブログ[43]でもコメントしている。「将棋の渡辺くん」では、家の中に「カマキリ」がいて驚く描写がある。一方でネズミでも生きていなければ平気な模様[44]
ぬいぐるみ好き
ぬいぐるみを愛好しており[45]、自宅だけでも40個以上、実家と合わせると100個以上を保有している。ぬいぐるみ好きは母親の影響という。「森熊」など棋士由来の愛称をぬいぐるみにつけたり、個々に棋力や性格の設定があり、子息とぬいぐるみ遊びをするのが楽しいと答えている[46]。2015年12月には『将棋の渡辺くん』単行本化に伴う企画として、『別冊少年マガジン』誌上で「自分自身のぬいぐるみを自ら監修して読者にプレゼント」という企画も行われた[47]
リラックマ」のような可愛いキャラクターも好きで、2016年の年賀状に自分の写真と一緒に載せた[48]。緑色のカエルをブログの文章中に書くこともある。2017年には、葉書や封書に押す住所印にパンダの絵を入れた[49]
競馬ファン
将来の夢は「馬主になること」というほどの競馬好きで、GI競走の時はテレビ中継にゲストとして呼ばれたこともある[50]。2008年竜王戦第1局はパリで行われたが、その際もサンクルー競馬場に立ち寄って馬券を購入したという。同じく競馬好きで知られる囲碁棋士高尾紳路の紹介で一口馬主になったりもしている[51]
棋士引退後は「フルタイム競馬ジジイ」になりたいとのことで、競馬雑誌のインタビューでは「現役を引退して、月曜日の朝から(前の週の)レースを全部見たりするのが、今から楽しみなんですよ」と語っている[52]。ただ妻からは「今もう隠居してるじゃん」「週休5日のくせに」と突っ込まれている[53]
その後、2016年に入ってからは「最近は、馬券を買わずに、家にいてテレビでレースを見る」楽しみ方に変わったと答えている[54]。競馬に興味がなくなったわけではなく、7月の盛岡遠征では馬券を買っており、8月もニコニコ生放送で棋士4人が大井競馬の馬券購入で競う企画に出演した。ファンに対し「競馬の話題は今後もしてほしい」と答えている[55]。12月24日には、ラジオ日本の『競馬中継スペシャル』にスペシャルパーソナリティとして出演[56]
桃鉄ファン
桃太郎電鉄シリーズが好きで、ブログでも棋士仲間や家族と遊んだ事が話題に出ている。2016年にはニコニコ生放送の「桃太郎電鉄大会」にも出場したが、他の参加者とは実力差があったので、すっかりしょげかえってしまいブログでも反省の弁を述べている。また、お正月には伊奈祐介夫妻との大貧民(大富豪)大会の勝敗が、自身もしくは妻のブログに記されていることが多い。
ヤクルトファン
プロ野球はヤクルトのファンだが、第25期竜王就位式の謝辞では、巨人のV9を超える10連覇を目指すと述べていた[注 3]。しかし、10連覇をかけた第26期竜王戦で森内俊之名人(当時)に1-4で奪われてしまった。
食の嗜好
元々「野菜が嫌い」で、それ以外にも食べ物の好き嫌いが激しかったが、結婚後は妻の教育もあり「大人しく何でも食べるようになった」とのこと。ただ今でもキュウリブロッコリーだけは食べられない[57]。辛いカレーライス寿司わさびも苦手である。一方で好きな食べ物はチョコパイマンゴープリン[58]ラーメン[59]、グラタンコロッケバーガー[60]
モーニング娘。
高校から20代前半にかけてモーニング娘。のファンだった。当時は特に「自分と同い年」との理由から石川梨華のファンで、ライブにも参加していた[61]
犬アレルギー
将棋年鑑』の棋士プロフィールで「好きな動物: 」と書かれたことがあるが、これは誤り。本人は「犬のぬいぐるみ」と書こうとしたところ、「動物ではない」との理由で妻に「のぬいぐるみ」の部分を消されてしまったとのことで、実際は犬アレルギー持ちのためむしろ犬は苦手[62]
漫画好き
大の漫画好きであり、自室の本棚は1000冊以上の漫画が並べられている一方で、パソコンで研究するため将棋関係の本は数冊しかない。音楽はほとんど聞かず、小説も滅多に読まない。映画も「生まれてから10本ぐらいしか見ていない」という[63]
メガネ
普段はフォーナインズ(999.9)の眼鏡を愛用している。しかし、本人は自分の眼鏡がどのブランドのものかを知らずに購入していたらしく、ネットでブランド名を指摘されて確認したところ本当にフォーナインズの眼鏡だったため驚いたことがある[64]

昇段履歴

  • 1994年 6級(奨励会入会)
  • 2000年4月1日 四段(プロ入り) = 史上4人目の中学生棋士
  • 2003年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 2004年10月1日 六段(竜王挑戦)
  • 2005年10月1日 七段[注 4](竜王獲得)
  • 2005年11月17日 八段[注 4](竜王1期、昇段制度改正による)
  • 2005年11月30日 九段(竜王2期、史上最年少九段[注 1]

主な成績

タイトル・永世称号

 は2024年12月現在の在位。登場・連覇の 太字 は歴代最多記録。

他の棋士との比較は、タイトル獲得記録将棋のタイトル在位者一覧を参照

タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号(備考)
竜王 04(第17期)-12, 15-16 13 11期
(歴代1位)
9
(歴代1位)
永世竜王資格
就位は原則引退後
名人 0
叡王 0
王位 0
王座 11(第59期) 3 1期 1
棋王 12(第38期)-19 9 8期
(歴代2位)
8
(歴代2位)
永世棋王資格
就位は原則引退後
王将 12(第62期)-13, 18-19 5 4期 2
棋聖 19(第90期) 4 1期
登場回数合計34回、 獲得合計25期歴代5位

(番勝負終了前は除く。2020年度棋聖失冠 まで)

将棋タイトル獲得記録
01位 099期 (138回)
2位 80期 (112回)
3位 64期 (091回)
4位 31期 (045回)
5位 27期 (057回)
6位 26期 (027回)
7位 019期 (048回)
8位 13期 (037回)
9位 12期 (025回)
10位 08期 (024回)

(番勝負実施分のみ)
08期
(05期)
(011回)
(008回)
太字*は現役棋士、(括弧の数字)はタイトル戦登場回数
(記録は 第37期竜王戦2024年度〉終了まで、番勝負終了前を除く)

一般棋戦優勝

優勝合計 11回

非公式戦

  • 近将カップ2回(2003年、2004年)
優勝合計 2回

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞

  • 第30回(2002年度) 新人賞
  • 第31回(2003年度) 敢闘賞
  • 第32回(2004年度) 殊勲賞
  • 第33回(2005年度) 優秀棋士賞、最多勝利賞
  • 第34回(2006年度) 敢闘賞
  • 第36回(2008年度) 優秀棋士賞、名局賞(第21期竜王戦第7局・対羽生善治名人)
  • 第38回(2010年度) 優秀棋士賞、最多対局賞
  • 第39回(2011年度) 優秀棋士賞、名局賞(第24期竜王戦第4局・対丸山忠久九段)
  • 第40回(2012年度) 最優秀棋士賞、名局賞(第60期王座戦第4局・対羽生善治三冠)
  • 第43回(2015年度) 優秀棋士賞、名局賞(第41期棋王戦第4局・対佐藤天彦八段)
  • 第45回(2017年度) 名局賞(第30期竜王戦第4局・対羽生善治棋聖)
  • 第46回(2018年度) 優秀棋士賞、連勝賞
  • 第47回(2019年度) 最優秀棋士賞

その他表彰

記録(歴代1位のもの)

  • 最年少九段昇段 - 21歳7か月[注 1]
  • 最速九段昇段 - 5年7か月
  • 竜王戦連覇 - 9期
  • 竜王在位 - 11期
  • 初タイトル獲得から一冠以上保持 - 15年3か月 ※継続中[注 5]
  • B級1組順位戦全勝 - 12勝全勝(2018年度・第77期)※史上2人目[注 6]
  • A級順位戦全勝 - 9勝全勝(2019年度・第78期)※史上4人目[注 7]
  • 順位戦2期連続全勝 - 21戦全勝(2018年度・第77期B級1組 - 2019年度・第78期A級)※全クラス通じて史上初

珍記録

  • 七番勝負のタイトル戦における序盤3連敗後の4連勝でのタイトル獲得(史上初、2008年12月18日 - 第21期竜王戦7局)
  • 1種類のみのタイトル獲得で永世称号(永世竜王)の資格を獲得(木村義雄(永世名人)に続き史上2人目。但し木村義雄の場合はタイトル戦自体が1つ(名人戦)しか存在しなかった。複数種ある中の1種類のみは史上初)
  • 順位戦A級在籍せずに永世称号資格獲得
  • 名人戦七番勝負出場未経験棋士のタイトル獲得期数最多(2011年9月27日 - 第59期王座戦第3局に勝ち、タイトル8期目に伴い南芳一の7期を更新)
  • 名人戦未出場で永世二冠達成(史上初)[注 8][注 9]
  • 2か月の間に昇段3回(史上初 = 2005年10月1日に七段昇段、同年11月17日に八段昇段、同年11月30日に九段昇段)- 竜王戦の昇段規定改定も伴ったため
  • 順位戦B級2組を経験せずに八段昇段(屋敷伸之に続き史上2人目、後に日浦市郎神崎健二も「達成」)
  • 七段と八段を名乗ることなく九段昇段[注 4][注 10]

出演

ラジオ

著書

書籍

ゲーム監修

  • 誰でもカンタン!渡辺明の詰め将棋(Nintendo DS用ソフト、2006年発売、マイナビ)

漫画監修

年表

  • タイトル戦の欄の氏名は対戦相手。うち、 は獲得(奪取または防衛)。 は永世位獲得。
    氏名の下は左から順に、o : 渡辺の勝ち、 x : 渡辺の負け、 j : 持将棋、 s : 千日手による日程繰り延べ(例外的措置)
  • 将棋大賞は、 : 最優秀棋士賞、 優 : 優秀棋士賞、 特別 : 特別賞、
    率 : 勝率一位賞、 勝 : 最多勝利賞、 対 : 最多対局賞、 連 : 連勝賞、
    殊勲 : 殊勲賞、 敢闘 : 敢闘賞、 新人 : 新人賞、 名局 : 名局賞、 名特 : 名局賞特別賞 
  • 賞金&対局料は、年度区切りではなく1月 - 12月の集計。単位は万円。 の年は全棋士中1位。
年度 名人
4-6月
棋聖
6-7月
王位
7-9月
王座
9-10月
竜王
10-12月
王将
1-3月
棋王
2-3月
叡王
4-6月
一般棋戦
優勝
将棋大賞 賞金&
対局料
備 考
2000 プロ入りは2000年4月1日
中学生棋士(史上4人目)
2001
2002 新人 C級1組昇級を決める
2003 羽生善治
xooxx
敢闘 1472 タイトル初挑戦 = 王座戦
2004 森内俊之
oxxooxo
殊勲 2442 20歳で初タイトル = 竜王戦
2005 木村一基
oooo
銀河 新人 優 勝 6194 B級2組昇級を決める
2006 佐藤康光
xxoooxo
敢闘 5654 B級1組昇級を決める
2007 佐藤康光
xxox
佐藤康光
oxooxo
銀河 8032
2008 羽生善治
xxxoooo
ネット 優 名局 6252 永世竜王(連続5期・史上初)
2009 森内俊之
oooo
5605 A級昇級を決める
2010 羽生善治
ooxxoo
久保利明
xoxx
優 対 6240
2011 羽生善治
ooo
丸山忠久
ooxoo
銀河 優 名局 8365 二冠 = 王座戦
2012 羽生善治
oxxsx
丸山忠久
oooxo
佐藤康光
ooxoo
郷田真隆
xooo
朝杯 NHK  名局 7197 三冠(史上8人目)= 棋王戦
2013 羽生善治
xxox
森内俊之
xxoxx
羽生善治
ooxxoxo
三浦弘行
ooo
10255
2014 郷田真隆
ooxxoxx
羽生善治
ooo
銀河 日シ 6684
2015 糸谷哲郎
xoooo
佐藤天彦
oxoo
優 名局 4577
2016 丸山忠久
[注 11]
oxxooxo
千田翔太
xoxoo
7390 永世棋王(連続5期・史上2人目)
永世二冠(史上4人目)= 棋王戦
2017 羽生善治
xxoxx
永瀬拓矢
oxoxo
名局 7534 B級1組降級へ
2018 久保利明
oooo
広瀬章人
ooxo
日シ 優 連 5119 B級1組全勝(史上2人目)でA級再昇級を決める
2019 豊島将之
xooo
広瀬章人
oxoxxoo
本田奎
oxoo
日シ 6514 A級全勝(史上4人目)で名人戦挑戦を決める
2020 豊島将之
 
藤井聡太
xxox
年度 名人
4-6月
棋聖
6-7月
王位
7-9月
王座
9-10月
竜王
10-12月
王将
1-3月
棋王
2-3月
叡王
4-6月
一般棋戦
優勝
将棋大賞 賞金&
対局料
備 考

脚注

  1. ^ a b c それ以前の九段昇段の最年少記録は、谷川浩司の21歳11か月だった。なお、谷川が名人になった当時の昇段規定では、名人位獲得当日(谷川は当時、21歳2か月)の日付での九段昇段ではなく翌年4月1日であった。したがって、仮に谷川が名人位獲得の日付で昇段していたとすれば、記録は破られていなかった。加えて、渡辺は2005年の10月1日から11月30日の僅か2か月で六段から九段まで3つ昇段したが、竜王戦の規定でのみ1年以内に2つ以上昇段できるように規定が変更されたのは、渡辺が昇段する直前のことであった。
  2. ^ ほかにも通算10期が必要とされる王将、A級在籍者以外は挑戦することも出来ない名人などがあり、単純な難易度の比較はできない。
  3. ^ 竜王戦の主催には、読売新聞社が名を連ねている。
  4. ^ a b c 六段の時に竜王位を獲得し、防衛し続けたまま九段になったため、段位として「七段」及び「八段」を名乗ったことはない。
  5. ^ 2004年12月28日の竜王獲得から継続中
  6. ^ 1997年度の丸山忠久に続く記録。
  7. ^ 1971年度の中原誠(8戦全勝)、2003年度の森内俊之、2011年度の羽生善治に続く記録。
  8. ^ 2017年3月27日 - 第42期棋王戦第5局で勝ち、棋王位連続5期獲得により永世棋王の資格を得た。永世竜王と合わせて永世二冠達成。しかし、この時点では名人戦に出場したことがなかった。
  9. ^ 永世二冠達成者は渡辺の他に大山康晴・中原誠・羽生善治の3名いるが、3名とも永世二冠を達成する前に名人戦に出場している。
  10. ^ 羽生善治も六段で初タイトル竜王獲得後、七段と八段を名乗ることなく九段に昇段したが、初タイトル翌年に竜王を失冠し「前竜王」を称した期間を有していることが、タイトル防衛で九段に昇段した渡辺と異なる。
  11. ^ 挑戦者決定三番勝負の勝者は三浦弘行であったが、三番勝負敗者の丸山が繰り上げで挑戦者になった。詳しい経緯は将棋ソフト不正使用疑惑騒動を参照のこと。

出典

  1. ^ 『将棋の渡辺くん』第2巻・p.19
  2. ^ 『将棋の渡辺くん』第3巻・pp.88 - 89
  3. ^ 渡辺明『勝負心』文藝春秋(文春新書)、2013年、著者紹介。ISBN 978-4-16-660950-5
  4. ^ 「第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負 初防衛か最年少か きょう激突」『産経新聞』(東京本社)2020年6月8日付朝刊、12版、16面、特集。
  5. ^ 新四段誕生のお知らせ *藤井聡太(史上最年少四段)・大橋貴洸”. 日本将棋連盟 (2016年9月3日). 2017年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月14日閲覧。
  6. ^ 「将棋世界」「新対局日誌」(1995年6月号)
  7. ^ 渡辺明ブログ 第21期竜王戦七番勝負第6局
  8. ^ 渡辺明ブログ 2011年10月1日
  9. ^ 渡辺明ブログ 新棋戦について。
  10. ^ http://www.shogi.or.jp/news/2016/10/29_13.html (アーカイブ)https://megalodon.jp/2016-1012-1943-43/www.shogi.or.jp/news/2016/10/29_13.html 日本将棋連盟公式サイト「第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について」2016年10月12日
  11. ^ 瀬尾淳「第76期順位戦最終局 A級 史上初の6者プレーオフに」、『将棋世界』(2018年5月号)、日本将棋連盟 pp. 56-65
  12. ^ 渡辺明棋王が2回目の優勝 将棋日本シリーズ JTプロ公式戦」『日本将棋連盟』2018年11月19日。オリジナルの2018年11月21日時点におけるアーカイブ。2018年11月21日閲覧。
  13. ^ 渡辺明棋王がタイトル防衛 第45期棋王戦五番勝負第4局”. 日本将棋連盟 (2020年3月17日). 2020年4月1日閲覧。
  14. ^ “王将戦 渡辺が寄せきり2連覇 3冠を堅持”. 毎日新聞. (2020年3月26日). https://mainichi.jp/articles/20200326/k00/00m/040/223000c 2020年4月1日閲覧。 
  15. ^ 第47回将棋大賞受賞者のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2020年4月1日). 2020年4月1日閲覧。
  16. ^ 藤井七段が渡辺棋聖に勝ち、3勝1敗で棋聖を奪取 タイトル獲得最年少記録を更新 第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第4局”. 日本将棋連盟 (2020年7月16日). 2020年7月16日閲覧。
  17. ^ NHK杯戦準決勝対三浦八段戦。
  18. ^ 『光よりも速く』光速ノート152
  19. ^ 「勝負師向き、立ち直りの早さ」 読売新聞 2005年1月24日
  20. ^ 「渡辺明五段に聞く 3年目で開眼、「プロらしい将棋」に」日経ネット 2003年6月23日
  21. ^ 別冊少年マガジン 2020年8月号「将棋の渡辺くん」より
  22. ^ “防衛へ渡辺2連勝 金沢で棋王戦第2局”. 北國新聞 (金沢市: 北國新聞社). (2014年2月23日). http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20140223105.htm 2014年2月23日閲覧。 
  23. ^ a b 『将棋の渡辺くん』3巻・p.61
  24. ^ 渡辺明ブログ 明日NHK杯戦決勝。のコメント欄参照。
  25. ^ 松本博文 (2020年3月26日). “冬将軍・渡辺明王将(35)春三月の終わりにフルセットの激闘を制して王将位防衛達成”. Yahoo!ニュース. 2020年4月8日閲覧。
  26. ^ 王将戦第1局 渡辺王将が貫禄先勝!さすが“冬将軍”広瀬八段の猛攻一蹴”. スポニチアネックス (2020年1月14日). 2020年4月8日閲覧。
  27. ^ 糸谷八段、千田六段、室谷女流二段の共通点とは?将棋界の師弟関係の魅力に迫る(ライター:直江雨続)”. 日本将棋連盟 (2017年1月5日). 2018年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月21日閲覧。
  28. ^ 「超刊スポニチ」2015年1月24日「渡辺王将連勝!あらエッサッサ~ 郷田九段の猛攻に耐えて逆転」
  29. ^ 渡辺竜王の日常を妻がマンガ化、福本伸行と渡辺の対談も - コミックナタリー・2013年5月9日
  30. ^ 妻の小言「おやつ」 2009年4月27日
  31. ^ 「オトコの別腹」 朝日新聞 8月30日夕刊
  32. ^ gooブログアクセスランキングおよびgooオフィシャルブログ一覧参照。
  33. ^ 渡辺明ブログ 管理人からのお願いに、いきさつやお願いが掲載されている。
  34. ^ 渡辺明ブログ 管理人より、コメントについて。に、いきさつや渡辺本人のコメントが掲載されている。
  35. ^ 【サッカー×将棋 特別対談】村井満Jリーグチェアマン×将棋棋士・渡辺明二冠「接近する将棋とサッカー」 - SOCCER KING・2014年8月18日
  36. ^ 将棋連盟フットサル部〜佐藤天彦八段VSサッカー元日本代表・小村徳男さん。 - いしかわごう公式ブログ・2016年2月8日
  37. ^ 日曜日の将棋連盟フットサル部「FCセンダガーヤ」。乃木坂46の伊藤かりんさんも参戦してくれました。 - いしかわごう公式ブログ・2016年5月18日
  38. ^ 渡辺明 (2017年11月12日). “将棋、マンガ、競馬。”. 2017年11月14日閲覧。
  39. ^ 「カーリング」のブログ記事一覧 - 渡辺明ブログ
  40. ^ 『将棋の渡辺くん』第1巻・p.136
  41. ^ 『将棋世界』2016年4月号「棋士に聞く本音対談」村山慈明七段×戸辺誠六段「酷評カラスの雛たちは巣立った」
  42. ^ @TobeMako|twitter(2016.8.3)、渡辺明ブログ2016.8.1)他
  43. ^ 明日の告知。 - 渡辺明ブログ
  44. ^ 『将棋の渡辺くん』第1巻・p.31
  45. ^ http://www.gruri.jp/article/2015/01060830/
  46. ^ 「渡辺明の思考」(河出書房)124~125ページほか
  47. ^ 棋士・渡辺明の日常を妻が描く「将棋の渡辺くん」1巻、渡辺のぬいぐるみ化も - コミックナタリー・2015年12月9日
  48. ^ 『別冊少年マガジン』2016年4月号「将棋の渡辺くん」
  49. ^ 『別冊少年マガジン』2017年12月号「将棋の渡辺くん」924頁
  50. ^ 中央競馬ワイド中継・スタッフの四方山話160話「渡辺竜王リターンズ!」2009年5月10日はNHKマイルカップ(GI)施行日。
  51. ^ 私の競馬はちょっと新しい 第8回 日本将棋連盟棋士 渡辺明さん - JRA-VAN
  52. ^ 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2009年4月号・pp.126 - 127
  53. ^ 『将棋の渡辺くん』第1巻・カバー裏「将来の夢」
  54. ^ 第74期名人戦第1局ニコニコ生放送など
  55. ^ 「渡辺明ブログ」(2016-05-14)ほか
  56. ^ ラジオ日本公式サイト「トピックス『渡辺竜王の有馬記念に王手!』(12月24日)」
  57. ^ 将棋の渡辺くん 第1話 - 別冊少年マガジン
  58. ^ 『将棋の渡辺くん』第1巻・pp.33 - 34、p.117、カバー裏
  59. ^ 『将棋の渡辺くん』第2巻・p.5
  60. ^ 『将棋の渡辺くん』第2巻・p.19、p.24
  61. ^ 『将棋の渡辺くん』第1巻・p.70、p.74、p.126
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  63. ^ 『将棋の渡辺くん』3巻・pp.138 - 139
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  65. ^ 渡辺明棋王、600勝(将棋栄誉賞)を達成”. 日本将棋連盟 (2019年1月9日). 2020年4月4日閲覧。
  66. ^ NHKラジオ「王手!最後のお願い」に渡辺明三冠が出演|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2020年3月21日閲覧。

関連項目

外部リンク