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田村康介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 田村康介 七段
名前 田村康介
生年月日 (1976-03-16) 1976年3月16日(48歳)
プロ入り年月日 1995年10月1日(19歳)
棋士番号 217
出身地 富山県魚津市
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 大内延介九段
段位 七段
棋士DB 田村康介
戦績
一般棋戦優勝回数 1回
2014年4月14日現在
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田村 康介(たむら こうすけ、1976年3月16日 - )は将棋棋士棋士番号は217。大内延介九段門下。富山県魚津市出身。東京都新宿区育ち[1]

棋歴

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1987年、小学6年生のとき第12回小学生将棋名人戦に出場し(東京都代表)、決勝で北浜健介を破って優勝した[2]

三段リーグには1992年度下期の第12回より参加。6期目に12勝6敗で2位の成績を収めて、19歳でプロデビュー(四段昇段)を果たす(1995年10月1日)。

プロ入り後

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1996年度は早指し将棋選手権で活躍を見せ、予選から怒涛の9連勝で決勝まで進出する(決勝戦で村山聖に敗れ準優勝)。

2000年度は竜王戦(第13期)の6組ランキング戦で優勝し、5組に昇級&本戦進出(本戦1回戦で山本真也に敗れる)。

2001年度も竜王戦(第14期)で活躍し、5組の昇級者決定戦を制して4組に昇級。年度の全成績でも33勝16敗と大きく勝ち越した(年度全体での田村の成績としては、2022年現在まで最大の勝利数である)。

2003年度は新人王戦(第34期)で決勝に進出すると、行方尚史との対決を2勝1敗で制し、優勝[3]。デビュー以来初めての一般棋戦優勝となった。

2004年度は竜王戦で開幕から3連敗を喫し、5組へ降級。2006年度にはランキング戦の準優勝により4組へ復帰。2009年度には再度5組へ降級したが、その翌年度に再び4組へ復帰。その後、2012年度には4組の昇級者決定戦を制して、自己最高となる3組へ昇級した(しかし、2014年度には連敗し再び4組に降級している)。

2015年度は王位戦(第56期)で勝ち上がり、自己初となる王位リーグ入り。リーグ戦では2連勝後の3連敗で、リーグ陥落となった。

順位戦では第60期(2001年度)にC級2組で8勝2敗の成績を挙げながらも、順位が上位の長沼洋が同勝率となったため、頭ハネで次点(4位)に終わる。第65期には2勝8敗で、自身初の降級点を喫する。しかし、以降は好調を維持し、翌々年度の第67期(2008年度)において8勝2敗で大平武洋に次ぐ2位の成績を挙げ、プロ入りから13年で初の順位戦昇級を決めた。更に第69期(2010年度)でも第7回戦の豊島将之を除く全ての対局相手から勝利を収め広瀬章人に次ぐ成績を挙げ、僅か2期でB級2組への昇級を決めた。

2016年度はB級2組の順位戦(第75期)で苦戦し、3勝7敗で降級点を喫した。

2017年度は竜王戦(第30期)で開幕から3連敗を喫し、5組へ降級となった。また、年度の全成績でも9勝18敗と大きく負け越し、デビュー以来初となる1桁の勝ち星となってしまった。

2019年度は順位戦(第78期)で再び苦戦。3勝7敗で2回目の降級点を喫し、C級1組へ降級となった。また、翌年度も順位戦での不振が続き、またもや3勝7敗で1回目の降級点を喫した。そして更に翌年度の2021年度でも苦戦し、10回戦終了時点で1勝8敗となった結果、最終局を前に2度目の降級点が確定し、C級2組へ降級となった。

人物・エピソード

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  • 棋界一の早指し。「マッハ指し」と呼ばれる。だがその棋風が裏目に出て極端な短手数で敗れることも多い。早食いとしても知られ、それらからニコニコでの将棋中継やNHK将棋フォーカスでは「マッハ田村」の異名で呼ばれる[4]
  • 上記の早指し振りを示すエピソードとして、1996年度の全日本プロ将棋トーナメントでの櫛田陽一との対局がある。終盤の70手目まで双方ノータイムの指し手が続き(それも1手3~4秒という指し手が殆ど)、記録係があまりの速さについていくことができず、対局の中断を申し入れるという異例のハプニングまで起きた(結果は櫛田勝利)[5]。田村自身は「時間だけは負けたくなかったんです」と、終局後にコメントしたとのこと。
  • 「将棋界最後の無頼派」と称された。
  • 強引な力戦形を好む。自らの戦法を解説した「けんか殺法」という著書を出している。
  • 将棋世界」誌の企画「Xは誰だ」(将棋倶楽部24上で匿名のプロ棋士が利用者を相手に平手で対局し、その棋士が誰かを当てるというもの。プロ棋士は一月ごとに交代する)の第10代担当者で、一月で297局(271勝26敗)もの対局を行い、初代X(中田功)の182局の記録を大きく上回った。また、この月は予想正解率も歴代最高の93%を記録した。
  • 漫画『キングダム』の大ファン。自宅の最寄りのコンビニエンスストアで、連載誌である週刊ヤングジャンプが店頭に並ぶのが水曜日の23:40頃のため、23:30になると急にそわそわし出すという[6]。本人曰く「連載が完結したらまとめて単行本を買うつもり」[6]

昇段履歴

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  • 1987年 : 6級 = 奨励会入会
  • 1991年 : 初段
  • 1995年10月1日 : 四段 = プロ入り
  • 2000年9月8日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝
  • 2005年6月8日 : 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝[7]
  • 2013年3月4日 : 七段(勝数規定 /六段昇段後公式戦150勝[8]

主な成績

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棋戦優勝

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将棋大賞

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  • 第31回 (2003年度) 新人賞

在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[9]
(出典)竜王戦
出典[10]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1995 54 昇段前 9 6組 -- 1-2
1996 55 C249 6-4 10 6組 -- 1-2
1997 56 C219 6-4 11 6組 -- 6-2
1998 57 C214 4-6 12 6組 -- 2-2
1999 58 C228 6-4 13 6組 0-1 5-0
2000 59 C217 7-3 14 5組 -- 6-1
2001 60 C206 8-2 15 4組 -- 1-2
2002 61 C203 6-4 16 4組 -- 4-2
2003 62 C211 7-3 17 4組 -- 0-4
2004 63 C211 6-4 18 5組 -- 3-2
2005 64 C213 5-5 19 5組 -- 4-1
2006 65 C219x 2-8 20 4組 -- 4-2
2007 66 C238* 7-3 21 4組 -- 1-2
2008 67 C207* 8-2 22 4組 -- 0-3
2009 68 C127 6-4 23 4組 -- 5-1
2010 69 C112 9-1 24 3組 -- 1-2
2011 70 B222 4-6 25 3組 -- 4-1
2012 71 B218 4-6 26 3組 -- 1-2
2013 72 B217 4-6 27 3組 -- 0-2
2014 73 B218 6-4 28 4組 -- 3-2
2015 74 B208 6-4 29 4組 -- 1-2
2016 75 B210x 3-7 30 4組 -- 0-3
2017 76 B222* 4-6 31 5組 -- 1-2
2018 77 B218* 4-6 32 5組 -- 3-2
2019 78 B216*x 3-7 33 5組 -- 4-2
2020 79 C102x 3-7 34 5組 -- 3-2
2021 80 C132*x 3-7 35 5組 -- 2-2
2022 81 C204 5-5 36 5組 -- 1-2
2023 82 C224 4-6 37 5組 -- 2-2
2024 83 C235 38 5組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

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公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1995 12 10 2 0.8333 [11]
1996 42 25 17 0.5952 [12]
1997 29 15 14 0.5172 [13]
1998 36 18 18 0.5000 [14]
1999 34 20 14 0.5882 [15]
2000 44 30 14 0.6818 [16]
1995-2000
(小計)
197 118 19
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2001 47 31 16 0.6596 [17]
2002 33 18 15 0.5455 [18]
2003 49 31 18 0.6237 [19]
2004 35 20 15 0.6327 [20]
2005 38 23 15 0.6053 [21]
2006 33 14 19 0.4242 [22]
2007 36 23 13 0.6389 [23]
2008 42 30 12 0.7143 [24]
2009 30 15 15 0.5000 [25]
2010 30 20 10 0.6667 [26]
2001-2010
(小計)
373 225 148
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2011 27 11 16 0.4074 [27]
2012 32 18 14 0.5625 [28]
2013 30 12 18 0.4000 [29]
2014 37 25 12 0.6757 [30]
2015 35 17 18 0.4857 [31]
2016 28 10 18 0.3571 [32]
2017 27 9 18 0.3333 [33]
2018 29 13 16 0.4483 [34]
2019 31 11 20 0.3548 [35]
2020 29 11 18 0.3793 [36]
2011-2020
(小計)
305 137 106
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2021 28 8 20 0.2857 [37]
2022 28 12 16 0.4286 [38]
2023 27 12 15 0.4444 [39]
2021-2023
(小計)
83 32 51
通算 958 512 446 0.5344 [40]
2023年度まで

著書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 新宿区小学生将棋大会2016結果報告|イベント|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2020年11月26日閲覧。
  2. ^ 小学生将棋名人戦歴代優勝者一覧”. www.shogi.or.jp. 2020年11月26日閲覧。
  3. ^ 田村五段、初の将棋新人王”. 2021年6月27日閲覧。
  4. ^ 将棋フォーカス「速攻!棒銀&早繰り銀」”. NHKネットクラブ (2016年8月18日). 2017年7月1日閲覧。
  5. ^ 早指しすぎて記録係が中断の申し出。田村康介七段の“マッハ指し”エピソード。持ち時間「3時間」で消費したのは?”. 2021年6月27日閲覧。
  6. ^ a b 将棋の渡辺くん』(伊奈めぐみ著、講談社)第4巻・p.133
  7. ^ 日本将棋連盟からのお知らせ(2005年6月12日時点のアーカイブ)”. web.archive.org. 2024年7月22日閲覧。
  8. ^ 田村康介六段が七段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2024年7月22日閲覧。
  9. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  10. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。
  11. ^ [1][名無しリンク]
  12. ^ [2][名無しリンク]
  13. ^ [3][名無しリンク]
  14. ^ [4][名無しリンク]
  15. ^ [5][名無しリンク]
  16. ^ [6][名無しリンク]
  17. ^ [7][名無しリンク]
  18. ^ [8][名無しリンク]
  19. ^ [9][名無しリンク]
  20. ^ [10][名無しリンク]
  21. ^ [11][名無しリンク]
  22. ^ [12][名無しリンク]
  23. ^ [13][名無しリンク]
  24. ^ [14][名無しリンク]
  25. ^ [15][名無しリンク]
  26. ^ [16][名無しリンク]
  27. ^ [17][名無しリンク]
  28. ^ [18][名無しリンク]
  29. ^ [19][名無しリンク]
  30. ^ [20][名無しリンク]
  31. ^ [21][名無しリンク]
  32. ^ [22][名無しリンク]
  33. ^ [23][名無しリンク]
  34. ^ [24][名無しリンク]
  35. ^ [25][名無しリンク]
  36. ^ [26][名無しリンク]
  37. ^ [27][名無しリンク]
  38. ^ [28][名無しリンク]
  39. ^ [29][名無しリンク]
  40. ^ [30][名無しリンク]

関連項目

[編集]

外部リンク

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