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第1期王将戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第1期 王将戦
開催期間 1951年 - 1952年3月31日
第1期王将 升田幸三(初)
王将戦
第1回第2期 >
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第1期王将戦(だい1きおうしょうせん)は、1951年度王将戦である。前回は一般棋戦として開催され、今期よりタイトル戦に格上げされた[1]

概要

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今期は前回と同様に順位戦A級上位5名によるリーグ戦で挑戦者を決定し、木村義雄名人との七番勝負が行われる。今期より七番勝負の勝者に王将位が贈られることとなった[2]。また、各1局であったリーグ戦は先後各1局の2局ずつ指されることとなった[3][4]

今期のリーグ戦出場棋士は、第6期順位戦A級1位の升田幸三八段、A級2位の大山康晴九段、A級3位の丸田祐三八段、A級4位の坂口允彦八段、A級6位の塚田正夫前名人。なお、塚田はA級5位の高柳敏夫八段が休場のため、繰り上げ出場となった[3]

挑戦者決定リーグでは升田幸三八段と塚田正夫前名人が6勝2敗で並び、挑戦者決定プレーオフが行われた。結果は升田が勝利し、挑戦権を獲得した[3]

七番勝負では5局目の時点で升田幸三八段の4勝1敗となり、三番勝ち越したため、升田が初代王将となることが決まった[3][4][5]

王将戦は「三番手直り」の指し込み制を採用していたため、第6局は木村義雄名人が香落ちで指すこととなった[4]。しかし、升田が対局を拒否したことで、升田の1年間の出場停止、理事会総辞職に発展。最終的に木村名人の裁定により、升田の復帰、理事の辞表は受理されない結果となった[3][6]

第6局は升田の不戦敗となり、第7局は平手番として行われ、升田が勝利した。最終成績は升田の5勝2敗[3]

第1期王将戦七番勝負

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対局者 第1局 第2局 第3局 第4局 第5局 第6局(香落) 第7局
1951年
12月11日・12日
1951年
12月21日・22日
1952年
1月15日・16日
1952年
1月28日・29日
1952年
2月11日・12日
1952年
2月18日・19日[注 1]
1952年
3月30日・31日
木村義雄名人 □(下手)
升田幸三八段 ■(上手) 王将位獲得

挑戦者決定プレーオフ

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プレーオフ
升田幸三八段 挑戦者
塚田正夫前名人

挑戦者決定リーグ

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順位 棋士 備考 升田 塚田 大山 坂口 丸田
升田幸三八段 6 2 プレーオフ 1勝1敗 2勝0敗 2勝0敗 1勝1敗
塚田正夫前名人 6 2 プレーオフ 1勝1敗 2勝0敗 1勝1敗 2勝0敗
大山康晴九段 3 5 0勝2敗 0勝2敗 2勝0敗 1勝1敗
坂口允彦八段 3 5 0勝2敗 1勝1敗 0勝2敗 2勝0敗
丸田祐三八段 2 6 1勝1敗 0勝2敗 1勝1敗 0勝2敗

脚注

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注釈

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  1. ^ 対局予定日[3]陣屋事件発生により対局は行われていない。

出典

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  1. ^ 「王将戦」の仕組みや特徴について|棋戦トピックス”. 日本将棋連盟 (2019年11月18日). 2021年8月14日閲覧。
  2. ^ 近代将棋 1951年9月号「きかいにゆうす 『王将位』生る-名人打倒者に贈る-」. 国会図書館デジタルコレクション. p. 94. https://dl.ndl.go.jp/pid/6046732/1/48 
  3. ^ a b c d e f g スポーツニッポン新聞社他(2021), p. 10
  4. ^ a b c 田辺(2006), pp. 77–78
  5. ^ ALSOK杯王将戦 過去の結果”. 日本将棋連盟. 2021年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月14日閲覧。
  6. ^ 田辺(2006), pp. 79–82.

参考文献

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  • スポーツニッポン新聞社毎日新聞社日本将棋連盟『王将戦 70年のあゆみ』2021年2月8日。ISBN 978-4-910319-20-9 
  • 田辺忠幸『将棋 八大棋戦秘話』河出書房新社、2006年2月16日。ISBN 4-309-26870-6 

外部リンク

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