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大友昇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 大友昇 九段
名前 大友昇
生年月日 (1931-08-06) 1931年8月6日
没年月日 (2000-08-08) 2000年8月8日(69歳没)
プロ入り年月日 1953年4月1日(21歳)
引退年月日 1972年4月1日(40歳)
棋士番号 62
出身地 宮城県仙台市
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 飯塚勘一郎八段
弟子 森雞二郷田真隆
段位 九段
棋士DB 大友昇
戦績
一般棋戦優勝回数 3回
順位戦最高クラス A級(1期)
2017年8月24日現在
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大友 昇(おおとも のぼる、1931年8月6日 - 2000年8月8日)は、将棋棋士棋士番号62。宮城県仙台市出身。飯塚勘一郎八段門下。

人物

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1950年アマ名人戦宮城県代表となった。翌1951に年二段で飯塚勘一郎門下で奨励会入り。1953年四段。

1956年、東西対抗勝継戦において、負け無しの14連勝で棋戦初優勝。B1に在籍していた1960年度の第15期順位戦で胃を患い途中休場、翌第16期順位戦も全休と1年以上のブランクを経験し、そこからB2陥落を経てB1へ復帰する。 1967年度のNHK杯戦優勝。 1968年、A級八段となり1期在籍(第23期順位戦)。ただ、この年は離婚裁判を抱えたことで将棋に力を注げなかったという[1]

1972年に引退。40歳での早い引退については、B1降級直後から十二指腸潰瘍で入退院を繰り返し、第26期順位戦まで3期地位を保つも、A級昇級前の胃病と合わせると10年以上にわたって消化器疾患に苦しめられ「こんな状態では将棋は指せない」と決めたことを理由としている[2]

1993年に将棋の日表彰により九段昇段。晩年は郷里の宮城で普及に努めていたが、2000年死去。

弟子

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棋士

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名前 四段昇段日 段位、主な活躍
森雞二 1968年4月 1日 九段、王位1期、棋聖1期、一般棋戦優勝2回、A級在籍10期
郷田真隆 1990年4月 1日 九段、王位1期、棋王1期、王将2期、棋聖2期、一般棋戦優勝7回、A級在籍13期

(2017年3月15日現在)

昇段履歴

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主な成績

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棋戦優勝

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在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[4]
(出典)竜王戦
出典[5]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1954 9 C214
1955 10 C203
1956 11 C112
1957 12 C110
1958 13 B213
1959 14 B113
1960 15 B103
1961 16 B107
1962 17 B114
1963 18 B202
1964 19 B202
1965 20 B113
1966 21 B110
1967 22 B102
1968 23 A 09
1969 24 B102
1970 25 B107
1971 26 B108
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

脚注

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  1. ^ 『将棋世界』1996年8月号
  2. ^ 清水孝晏『思い出の棋士たち』 将棋マガジン1984年4月号
  3. ^ 近代将棋』 2000年11月号、近代将棋 / 国立国会図書館デジタルコレクション、187頁https://dl.ndl.go.jp/pid/6047387/1/94 
  4. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  5. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

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外部リンク

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