竹部さゆり
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(木村さゆりから転送)
竹部さゆり 女流四段 | |
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名前 | 竹部さゆり |
旧姓 | 木村 |
生年月日 | 1978年6月4日(46歳) |
プロ入り年月日 | 1995年10月1日(17歳) |
女流棋士番号 | 19 |
出身地 | 神奈川県逗子市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 伊藤果八段 |
段位 | 女流四段 |
女流棋士DB | 竹部さゆり |
2019年1月16日現在 |
竹部 さゆり(たけべ さゆり、旧姓は木村〈きむら〉、1978年6月4日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。神奈川県逗子市出身[1](生まれは横浜市[2])。伊藤果八段門下。女流棋士番号は19(2011年3月31日までの旧番号は37)。
イベントなどでの聞き手としての人気も高く[3]、 マイペースで独自の世界観を築いていると評されている[4]。
経歴
- 小学校3年の時に将棋道場に通い始めた[5]。
- 1993年、中学生名人戦でベスト8に入り[要出典]、同年10月に奨励会に6級で入会した[2]。同年の夏頃に、女流の碓井涼子、矢内理絵子も奨励会に入会しており、「奨励会3人娘」と呼ばれていた[6]。元奨励会員の天野貴元によれば、竹部は奨励会員としては珍しく奇襲戦法を多く採用していた[7]。
- 奨励会在籍中の1995年4月に女流育成会に入会した後、同年10月に女流2級としてプロデビュー[2]。タイトル挑戦するなど1年半で女流二段にまで昇段した[2]。
- 1996年の第4期倉敷藤花戦で清水市代に挑戦したが、0-2で敗退[8][9]。
- 奨励会では最高クラスは4級まで昇級したが、1998年3月に6級に降級したのち[10]同年5月に降級点Bを喫し奨励会を退会した[11]。
- 2001年に結婚し、女流棋士としての活動名を「木村さゆり」から「竹部さゆり」に変更。
- 2002年の第7回鹿島杯で決勝三番勝負に進出したが、石橋幸緒に1-2で敗退[12]。
- 2007年3月12日から2008年3月31日まで休場した[13]。
- 2022年7月18日の第16期マイナビ女子オープン予選で野原未蘭を相手に、公式棋戦・女流棋戦において史上初となる「入玉宣言法」による敗戦を喫した[14]。野原が「宣言」を行い、連盟職員による確認を経て宣言通り野原の勝利となった(先手・野原の213手目「▲宣言」まで)[14]。その2日後にABEMAの将棋中継に出演した竹部は、当日の状況・心境について「500手まで指せば(持将棋に持って)行けるかもしれないと思って粘っていた」と語った[15]。
- 2023年3月11日にコンピュータ将棋協会の理事に就任した[16]。
昇級・昇段履歴
- 奨励会員として
- 女流棋士として
- 1995年[2](奨励会 在籍中)[11] 4月 - 女流育成会入会
- 1995年10月[2](女流棋士としてプロ入り = 奨励会と重籍) 1日 - 女流2級
- 1996年[2](第7期女流王位戦 挑決リーグ入り) 4月 1日 - 女流1級
- 1996年10月19日 - 女流初段[2](第4期倉敷藤花戦 ベスト4〈タイトル挑戦決定〉)
- 1997年[2](第4期倉敷藤花戦 タイトル挑戦) 4月 1日 - 女流二段
[11])
(1998年 5月 - 奨励会 退会主な成績
タイトル戦
- タイトル獲得:0期
- 登場回数:1回
- 倉敷藤花:1回 - 第4期(1996年度)
一般棋戦
- 優勝:0回
- 準優勝:1回
- 鹿島杯:第7回 決勝三番勝負進出(1勝2敗)
年度別成績
この節の加筆が望まれています。 |
出演
テレビ
注
- ^ “竹部さゆり|棋士データベース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2023年3月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 日本将棋連盟『平成28年版 将棋年鑑 2016』マイナビ出版、2016年8月1日、571頁。
- ^ “王位戦解説会の聞き手に竹部女流四段:中日新聞しずおかWeb”. 中日新聞Web. 2023年3月24日閲覧。
- ^ 編集部, ABEMA TIMES. “超早指し戦でも「竹部節」が炸裂 女流棋士のコメントが斜め上で視聴者「突然の昔話」「どんな比喩やねんw」 | ニュース | ABEMA TIMES | アベマタイムズ”. ABEMA TIMES. 2023年3月24日閲覧。
- ^ 竹部さゆり (2016年5月9日). “将棋を始めたきっかけ”. 女流棋士会. 2017年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月13日閲覧。
- ^ 森けい二『里見香奈 イナズマの一手』マイナビ出版、2020年11月27日、45頁。
- ^ 天野貴元『奇襲研究所 ~嬉野流編~』マイナビ出版、2015年5月23日、137頁。
- ^ “大山名人杯倉敷藤花戦 |棋戦|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2023年3月24日閲覧。
- ^
- 『近代将棋 1997年1月号』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、199頁。
- 『近代将棋 1997年2月号』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、68–69頁。
- ^ 『近代将棋 1998年5月号』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、183頁。
- ^ a b c d 『近代将棋 1998年8月号』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、181頁。
- ^ “第7回 鹿島杯女流将棋トーナメント <本戦トーナメント>”. www.shogi.or.jp. 2023年3月24日閲覧。
- ^ 「竹部さゆり女流三段休場のお知らせ|将棋ニュース」『日本将棋連盟』2007年3月12日。
- ^ a b 丸山進 (2022年7月18日). “将棋史上初か、入玉宣言法で決着 双方の玉が敵陣に…緊張の宣言”. 毎日新聞. オリジナルの2022年7月18日時点におけるアーカイブ。 2022年7月19日閲覧。
- ^ 「竹部さゆり女流四段「500手での持将棋を狙っていた」入玉宣言法の熱戦に、解説棋士「ナイスファイト!」」『ABEMA TIMES / アベマタイムズ』2022年7月20日。2024年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 竹部さゆり (2023年3月11日). “https://twitter.com/SayuriTakebe/status/1634460424853929985?s=20”. Twitter. 2023年3月19日閲覧。 “親愛なる皆様 この度コンピュータ将棋協会(CSA)の理事に就任し、大変光栄に思っております。今後は協会のビジョン実現のため、全力で努めて参ります。CSAの素晴らしい活動に貢献できることを楽しみにしております。 最後になりますが、私を理事に選出して頂いた皆様に厚くお礼申し上げます。”
- ^ 「日本将棋連盟からのお知らせ」『日本将棋連盟』。2003年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ “竹部さゆり女流三段が北尾まどか女流二段に勝ち1勝0敗に 第1期ヒューリック杯清麗戦予選|棋戦トピックス|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2019年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月16日閲覧。
- ^ “小籔千豊の将棋道場小破り | ファミリー劇場”. 小籔千豊の将棋道場小破り | ファミリー劇場. 2020年3月21日閲覧。
関連項目
外部サイト
- 日本将棋連盟 プロフィール
- たけべさゆり (@SayuriTakebe) - X(旧Twitter)
- たけべさゆり (@takebesayuri) - Instagram
- さゆり焼肉チャンネル - YouTubeチャンネル
- 旧SNS
- team遊び駒 - ウェイバックマシン(2020年8月19日アーカイブ分) 真田彩子との共有アカウント。
- たけべさゆり(@takebesayuri)[リンク切れ] - Twitter 本人公式アカウント