コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「菅義偉」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
65行目: 65行目:


2019年4月1日に、[[内閣官房長官|官房長官]]として新元号[[令和]]を発表したことから、「'''令和おじさん'''」の愛称がある<ref>{{cite web|url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-06-14/PSYTGL6TTDS001|title=知名度上昇の「令和おじさん」、期待は一時的と自己分析-菅官房長官|publisher=[[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]|date=2019-06-14|accessdate=2020-04-14}}</ref>。
2019年4月1日に、[[内閣官房長官|官房長官]]として新元号[[令和]]を発表したことから、「'''令和おじさん'''」の愛称がある<ref>{{cite web|url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-06-14/PSYTGL6TTDS001|title=知名度上昇の「令和おじさん」、期待は一時的と自己分析-菅官房長官|publisher=[[ブルームバーグ (企業)|ブルームバーグ]]|date=2019-06-14|accessdate=2020-04-14}}</ref>。

肖像画が似ていることなどから、'''戦国武将 [[真田信繁|真田幸村]]の子孫という説がある。'''


== 来歴 ==
== 来歴 ==

2020年9月26日 (土) 08:39時点における版

菅 義偉
すが よしひで
2020年9月16日
内閣総理大臣記者会見
生年月日 (1948-12-06) 1948年12月6日(75歳)
出生地 日本の旗 日本 秋田県雄勝郡秋ノ宮村
(後の旧雄勝町、現湯沢市)
出身校 法政大学法学部第一部政治学科卒業[注 1]
前職 段ボール工場作業員
建電設備株式会社社員
衆議院議員小此木彦三郎秘書
横浜市会議員
内閣官房長官
現職 衆議院議員
内閣総理大臣
自由民主党総裁
所属政党 自由民主党
小渕派古賀派→無派閥)
称号 法学士(法政大学・1973年)
配偶者 菅真理子[4]
親族 菅和三郎(父)
公式サイト すが義偉

内閣 菅義偉内閣
在任期間 2020年9月16日 - 現職
天皇 徳仁

日本の旗 第79・80・81代 内閣官房長官
内閣 第2次安倍内閣
第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣
第3次安倍第1次改造内閣
第3次安倍第2次改造内閣
第3次安倍第3次改造内閣
第4次安倍内閣
第4次安倍第1次改造内閣
第4次安倍第2次改造内閣
在任期間 2012年12月26日 - 2020年9月16日

内閣 第1次安倍内閣
在任期間 2006年9月26日 - 2007年8月27日

内閣 第4次安倍第1次改造内閣
第4次安倍第2次改造内閣
在任期間 2018年10月2日 - 2020年9月16日

選挙区 神奈川2区
当選回数 8回
在任期間 1996年10月21日 - 現職

その他の職歴
日本の旗 内閣府特命担当大臣 (地方分権改革担当)
2006年12月15日 - 2007年8月27日
横浜市会議員
1987年 - 1995年
テンプレートを表示

菅 義偉(すが よしひで、1948年昭和23年〉12月6日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)、内閣総理大臣(第99代)、自由民主党総裁(第26代)。

横浜市会議員(2期)、総務副大臣第3次小泉改造内閣)、総務大臣第7代)、内閣府特命担当大臣地方分権改革)、郵政民営化担当大臣第3代)、自由民主党幹事長代行(第2代)、内閣官房長官第79代第80代第81代)、沖縄基地負担軽減担当大臣拉致問題担当大臣などを歴任した。

2019年4月1日に、官房長官として新元号令和を発表したことから、「令和おじさん」の愛称がある[5]

肖像画が似ていることなどから、戦国武将 真田幸村の子孫という説がある。

来歴

生い立ち

秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市秋ノ宮)中央部旧国道沿いに家があったイチゴ農家に長男として生まれる[6]。現住所は神奈川県横浜市神奈川区金港町1丁目[7]。家族は父、母、姉2人、弟1人。父、菅和三郎第二次世界大戦末期、満鉄職員として当時満州国の首都だった通化市日本の降伏を迎えた。引き揚げ後、郷里の秋ノ宮で農耕に従事。「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任。2010年に93歳で死去すると、旭日単光章を叙勲されている[8]。母や叔父、叔母は元教員であり、2人の姉も高校教諭となった[9][10][11][12][13]

雄勝町立秋ノ宮小学校(現・湯沢市立雄勝小学校)卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現・湯沢市立雄勝中学校)に進学する。中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属した。後に、『フライデー』から「特に目立った成績ではなく、姉が進学した北海道教育大学を受験したが不合格となった」と報道されたが、森功の取材では菅本人は当時教員にだけはなりたくないと考えており、北海道教育大の受験はしていないと述べている。父から農業大学校への進学を勧められたが断り、高校卒業後上京する。「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京したが、秋田時代と変わらぬ日々を板橋区段ボール工場で過ごし、現実の厳しさを痛感して2ヶ月で工場を退職。その後は大学進学を志すようになり、朝は築地市場、夜は新宿の飲食店でアルバイトをして生活し[14]、上京から2年後に「授業料が最も安かった」という理由で法政大学法学部政治学科へ進学する[15][14]。なお、複数の週刊誌等で第二部(夜間学部)の出身であると報じられることがあるが、菅本人が2016年のインタビューで「メディアで二つくらい、法政の夜間卒だと書いているのがありましたが、昼です」と述べており[3]、実際には第一部(昼間)の出身である[16]。法政大在学中には警備員や新聞社、カレー屋のアルバイトで生活費と学費を稼いでいた。一方で、大学の空手道部に4年間所属し、三段の段位を取得している[14][17]1973年、大学を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社した。

横浜市会議員

1975年政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を紹介され、自由民主党で同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。以後11年にわたり秘書を務めた[9][要出典]1983年、小此木の通商産業大臣就任に伴い大臣秘書官を務める[18]

1987年神奈川県横浜市会議員選挙に西区選挙区から出馬し、初当選。その後市議を2期務めた。横浜市政に大きな影響力を持っていた小此木の死後、当選回数わずか2回にも関わらず、小此木の事実上の代役として、秘書時代に培った政財官の人脈を活かして辣腕を振るい、高秀秀信市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなど、「影の横浜市長」と呼ばれた[9]

衆議院議員

1996年第41回衆議院議員総選挙神奈川2区から自民党公認で出馬し、新進党公認・公明推薦の上田晃弘旧民主党公認の新人大出彰らを破り、初当選した[19]

1998年自由民主党総裁選挙では所属していた平成研究会会長の小渕恵三ではなく、師と仰ぐ梶山静六を支持し、同派閥を退会[20]。その後宏池会に入会した。2000年第2次森内閣不信任決議をめぐる「加藤の乱」では、加藤紘一らに同調して不信任案の採決では欠席したが、その後の加藤派分裂では親加藤派の小里派(会長:小里貞利)ではなく、反加藤グループの堀内派(会長:堀内光雄)に参加した[20]

2006年9月19日東京都渋谷区での自由民主党総裁選挙の応援演説にて参議院議員山本一太(左から1人目)、衆議院議員片山さつき(右から1人目)らと

総務副大臣

竹中平蔵総務大臣の下、総務副大臣情報通信郵政担当[21])として総務省内部統制のトップを任され、事実上人事権なども行使した[22]

総務大臣

インドネシア共和国大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ

2006年10月、NHK短波ラジオ国際放送への放送命令に定義されている放送事項に、「拉致問題」という具体的な内容を加える方針を示した。日本の放送法33条には「国際放送等の実施の命令等」という項目があり、そこには「総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命ずることができる」とある(2007年12月の放送法改正で「命令」から「要請」に変更された)。

11月10日には、放送事項に「北朝鮮による日本人拉致問題に特に留意すること」を追加する命令をNHKに出した[23]。一方で「報道の自由は守らなければならない。番組内容や放送回数を指示する訳ではない」とNHKに対して編集権の配慮も示した[23]。放送法44条には「編集権」に関して「放送番組の編集等」という項目があり、そこでは「NHKは、国際放送の放送番組の編集に当たっては、海外同胞に適切な慰安を与えるようにしなければならない」とある。また、当時海外から放送していた、短波放送しおかぜ』に対して、無線局免許状を交付し、日本国内からの放送に道を開いた(放送局の免許は全て本省決裁で、免許者は総務大臣)。

2007年に発覚した年金記録問題では、厚生労働大臣柳澤伯夫を差し置き、総務大臣の菅が検証を担当した[24]

日本郵政公社総裁生田正治と会談後、生田から総裁辞任の申し出があったことを発表した。その後、後任の日本郵政公社総裁には、三井住友銀行出身の西川善文が就任することが発表された。なお、生田自身が政府に辞任を申し入れたことはない[25][26]

2006年再チャレンジ支援議員連盟の立ち上げに参加。この議連は実質、ポスト小泉を選出する2006年自由民主党総裁選挙に、安倍晋三を擁立する原動力になった[27]。結果[要出典]、総裁選で安倍は勝利する。同年9月に発足した第1次安倍内閣では当選わずか4回で総務大臣郵政民営化担当大臣を兼務)に任命され、初入閣する。同年12月、内閣府特命担当大臣地方分権改革)の補職辞令を受けた。

2007年第21回参議院議員通常選挙敗北を受けた内閣改造では、自民党選挙対策総局長に就任した。

同年9月、安倍の首相退陣に伴い行われた2007年自由民主党総裁選挙では福田康夫を支持する宏池会の方針に反して麻生太郎を支持し、推薦人にも名前を連ねた。福田政権の下で、選挙対策総局長を格上げした選挙対策委員長古賀誠が就任すると、古賀に手腕を買われ、同副委員長として引続き衆院選対策にあたることになった。[要出典]

2009年7月、古賀が東京都議会議員選挙敗北の責任を取る形で辞任。麻生の解散予告後だったこともあり、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになる[要出典]

菅は自民党選挙対策副委員長だった2009年当時、同じ叩き上げの古賀誠・選挙対策委員長の下で、世襲制限を導入しようとした。具体的には衆院選マニフェスト(政権公約)に「3親等以内の親族らの同一選挙区からの立候補を(次期衆院選から)禁ずる」旨が明記された。しかし、党内の世襲議員から反発や抵抗を受け、なし崩し的に公約から姿を消した[28]

同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、神奈川2区で民主党三村和也の猛追を受けるも548票の僅差で三村を破り、5選(三村は比例復活)。2009年、宏池会を退会した[29]

2010年自民党国会対策副委員長及び広報本部長代理に就任。2011年自民党組織運動本部長に就任。

2012年4月、郵政民営化法改正案の採決で、賛成する党の方針に反して反対した[30]

2012年自由民主党総裁選挙に先立ち、甘利明に呼びかけて安倍晋三の総裁復帰を画策し、麻生太郎を引き入れて安倍を返り咲きさせた[31]

同年9月、安倍の自由民主党総裁就任に伴い、自民党幹事長代行に起用された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、三村を比例復活も許さずに破り6選。

内閣官房長官

2013年2月4日撮影
アメリカ合衆国通商代表マイケル・フロマンと

2012年12月、第2次安倍内閣の発足に伴い、内閣官房長官に任命される。

2013年郵政民営化の考えにそぐわないとして、日本郵政社長坂篤郎を就任わずか6か月で退任させ、顧問職からも解任した。同年に発生したアルジェリア人質事件では、防衛省の反対を押し切り、前例のない日本国政府専用機の派遣を行った[9][10]

2014年5月、内閣人事局の局長人事を主導し、局長に内定していた杉田和博に代わり加藤勝信を任命したとされる[32]。元内閣参事官高橋洋一によると、局長人事を機に官僚を統制下に置き「歴代官房長官の中でも屈指の情報収集能力」を持つようになったという[32]。同年7月、自らが出演したNHKクローズアップ現代』の放送内容について、放送後のNHKに官邸を通じて間接的に圧力をかけたと報じられたが、事実や関与を否定した[33]。さらに、同年11月には衆議院解散による第47回衆議院議員総選挙執行を安倍に進言した[34]

2016年7月7日、内閣官房長官の在職期間が1,290日となり、歴代1位の在職日数を記録した[35]

2019年4月1日総理大臣官邸にて新元号を発表

2019年4月1日、総理大臣官邸での記者会見にて同年5月1日より施行される新元号を「新しい元号は『令和』であります」と発表した。

同年5月9日-11日、官房長官となってからは初となるアメリカ合衆国訪問。初日からマイク・ポンペオ国務長官パトリック・シャナハン国防長官代行(直後に国防長官に指名)、10日にはマイク・ペンス副大統領と会談した。ドナルド・トランプ大統領との面会はなかったとはいえ、政権を動かしている実務畑の3人と会談できたことは異例の厚遇として報道されている。ニューヨークへ移動してからは、S&P グローバルバンク・オブ・アメリカを訪問し、アメリカ経済界のトップらとの交流をもったほか、国際連合本部で開かれていたシンポジウムで基調演説も行った[36]

同年6月には菅に近い自民党無派閥議員13人による政策勉強会「令和の会」が発足、同月20日に菅を招いて初会合が開かれた[37][38]

2020年7月に発売された「月刊Hanada」で安倍首相から菅について「(ポスト安倍の)有力な候補者の一人であることは間違いない」と指摘した上で「ただ、菅総理には菅官房長官がいないという問題がありますが」とも付け加えられ、官房長官としての力量評価及び菅にとって代わる官房長官候補の不在について言及したものとされた。

2020年8月29日、党総裁と内閣総理大臣の辞任を表明した安倍晋三にかわる新たな総裁を決める自民党総裁選挙に出馬する意向を党幹事長である二階俊博に伝えた[39][40][41]。後の9月2日夕方に、正式に記者会見を開き、出馬を表明した[42][43][44]

内閣総理大臣・自民党総裁

2020年9月16日、衆議院にて内閣総理大臣の指名を受ける菅

2020年9月14日自民党総裁選挙が執行され、菅が総裁に選出された。国会議員職の世襲ではない自民党総裁としては森喜朗以来であり、選挙地盤を世襲していない自民党総裁としては海部俊樹以来である。9月16日の首班指名選挙により総理大臣に指名された[45]。同日午後6時17分に内閣総理大臣任命式を終え、第99代内閣総理大臣に就任した[46]

政策

経済

  • 「私は農家の長男だが地方では農業が衰退しており集約化が必要だ。都市農業は相続税など税制で支援すべき。日本は資源のない島国。雇用をつくるのが政治家の仕事だ」として日本のTPP参加に賛成[50]
  • リーマンショックが発生した際は、「100年に1度の危機には、100年に1度の対応が必要だ」として、無利子国債の発行に賛成していた[51]。同時に、政府紙幣の発行も求めていた[52]
  • 東日本大震災からの復興に向けた財源について、増税ではなく、日本銀行による復興国債の全額買い切りオペで調達することを求める声明文の署名に参加した[53]
  • 民主党自由民主党公明党の三党間において取り決められた、社会保障と税の一体改革に関する合意(三党合意)の破棄を求める強硬派に分類されていた[54]

人物

評価

エピソード

  • 好物はパンケーキで、大の甘党である[56]
  • 酒は飲まず(いわゆる下戸)、タバコも吸わない[56]。朝に身体を動かしたり、情報収集したり、様々な人と会ったりする「朝活」を日課としている。平日は午前5時頃に起床し、柔軟運動や100回の腹筋運動の後、新聞朝刊各紙や『NHKニュースおはよう日本』でニュースを整理しながら、東京・赤坂議員宿舎から40分ほど散歩をしつつ、総理大臣官邸近くのホテルに向かう。ここで野菜果物ヨーグルトドリンクなど一汁一菜の軽い朝食をとりつつ、政治家や官僚、企業人らと話して世間の動きなどを情報収集する。外国人材の受け入れ拡大を図る出入国管理及び難民認定法改正に向け動いたのも、この場で介護業界の深刻な人手不足を聞いたことがきっかけであった[57]
  • 「安倍が最も信頼する側近の1人」とされ[58]第1次安倍内閣が閣僚のスキャンダルや問題発言などで混乱する中、存在感を増していった[59]地方分権改革推進法など19本の法案を成立させるとともに、ふるさと納税の提唱や、年金記録問題における省内委員会の設置を行うなど、閣僚のスキャンダルが続出した第1次安倍内閣にあって安定した存在感を発揮した。2012年(平成24年)の自由民主党総裁選挙に際しては早くから安倍擁立に動き、第2次安倍内閣では念願だった内閣官房長官に抜擢された[60][61]
  • 菅の先輩に当たる平沼赳夫が自民党に復党した際に、平沼の安保法案に関する賛同について評価した上で「自民党としてさまざまな問題の中で判断され、復党が認められたと思う」と述べた[62]
  • 地元の事務所の車のナンバーは「548」。これは、自民党に大逆風が吹いた2009年の総選挙の際に2位に548票差まで迫られ辛勝したことから、選挙の厳しさを忘れないため[63]
  • 問題とされた閣僚へ高まる批判に対して、落ち着いた様子での対応から「安定のガースー」、鉄壁の危機管理から「鉄壁のガースー」という俗称もある[64]。ただし、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐる問題では「異常なほどに熱くなり、冷静さを欠いた」と『産経新聞』に批判された[65][66]
  • 元号「令和」を発表したため、1989年に元号「平成」を発表した小渕恵三になぞらえ、ネット上で「令和おじさん」と呼ばれて人気となり、イベント「ニコニコ超会議2019」にも参加した[67]。また、総裁選中のニコニコ動画の討論会では、SNSを中心に「ガースー」という呼び名が定着していることを受けて「嫌な気なんか全然ないですよ。公認ですよ。」と満面の笑みで述べた。ちなみに、「ガースー」とは、日本テレビの人気番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」のネタの1つで、シリーズを手掛けているプロデューサーの菅賢治氏の愛称である[68]
  • 自著「政治家の覚悟」には“政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為”と記しているが、2017年8月8日の記者会見で朝日新聞の南彰にこれを「誰の何という本の内容か知っているか」と質された際、「知らない」と答えた[69]
  • 2019年にアメリカを訪問した際にも、米国側の警護員を牽き連れる形でニューヨーク市内で日課の散歩を行った[70]
  • 2019年11月27日の記者会見では反社会的勢力について「一義的定義は定まっていない」と答えた[71][72]

交友関係

性格

  • 平沢勝栄によると、菅は自ら表に出ることは少なく、人と話すときもあまり喋らずに聞き役に徹するタイプであるという。高校の同級生だった十文字町(現・秋田県横手市)元町長の小川健吉も、菅の父とは異なり、菅はあまり目立たない生徒で、自分の殻に閉じこもっているような印象を持っていたとする。また菅自身、自らを地味で真面目な性格で、特にパフォーマンスが苦手だという[11][10]
  • 2016年4月1日の定例記者会見において、エイプリルフールに因んだ冗談はあったのかと記者に問われた際、「私は非常に堅物で、ユーモアのない、一つ一つ着実な発言ばかり」であるとした上で、官房長官の立場もあり嘘や冗談は控えていると答えている[77][78]
  • 趣味は渓流釣りゴルフ海外旅行である[56]
  • 座右の銘は「意志あれば道あり」[56]

政治資金

所有ビルの事務所費

菅が代表を務める自民党支部と後援会が、いずれも菅本人の所有ビルに「主たる事務所」を置き、2005年分の政治資金収支報告書に計約1956万円の事務所費を計上していたことが、2007年に報じられている[79][80]塩田潮によると、この報道により、第1次安倍内閣での官房長官就任が見送られたとされている[10]

総務大臣在任時の政治資金パーティー

第1次安倍内閣の総務大臣任期中に開催したパーティによる収入約3180万円が、政治資金収支報告書に記載されていることが報じられている[81][注 3]。 菅が代表を務める政党支部が、農林水産省の補助金の交付決定を受けた横浜市南区の造園会社から2011年~2013年に計29万円の献金を受けていたことが明らかになったことが報じられている[82][注 4]。 また、同支部は2014年の衆院選公示直前、国の公共工事を受注していた横浜市の業者から15万円の献金を受けていたと報じられた[83]

白紙領収書への後日金額記入

他の国会議員の政治資金パーティーに参加した際の費用の領収書を白紙でもらい、事務所で金額を記入していた。その理由について、「パーティー主催者の了解のもと、実際の日付、宛先、金額を正確に記載した」とし、「数百人規模の出席者全員の宛先と金額を書いてもらうと、受け付けが混乱する」と述べている。

政治資金規正法を所管する高市早苗総務相は「領収書作成方法の規定はない。主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じない」との見解を示している[84]。総務省の手引では受領者側が領収書に追記するのは不適当とされている[85]

2016年10月11日、自民党は党所属の全ての国会議員に対し、領収書を出す際には金額など必要事項を事前に記載するよう、通達を行った[86][87]

所属団体、議員連盟

著書

論文

脚注

注釈

  1. ^ 週刊誌などの一部マスメディアで第二部(夜間)卒業と報じられることがあるが[1][2]2016年に菅本人がそれらの報道を否定しており、第一部(昼間)卒業であると述べている[3]
  2. ^ 産経ニュースは安倍が2位となったことについて、"「最も評価する閣僚は」と質問したためか"としている[55]
  3. ^ 大臣規範では、大規模な政治資金パーティを自粛すると定めている[81]
  4. ^ 政治資金規正法は、国から補助金交付決定の通知を受けた企業に対し、その後1年間は政党(支部を含む)や資金管理団体への政治献金を禁じている[82]

出典

  1. ^ 週刊新潮2019年9月5日号. “「カジノは許さんと菅官房長官を叱る横浜のドン」”. 2019年9月28日閲覧。
  2. ^ 「右 vs.左」から「保守vs.システム屋」へ 改元の今昔を振り返る | 「新「元号おじさん」は菅官房長官か」”. 文春オンライン (2019年3月29日). 2019年9月28日閲覧。
  3. ^ a b 松田賢弥(2016)『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』講談社文庫. p.97.
  4. ^ 「新ファーストレディー 真理子夫人の気になる素顔」”. テレビ朝日 (2020年9月15日). 2020年9月15日閲覧。
  5. ^ 知名度上昇の「令和おじさん」、期待は一時的と自己分析-菅官房長官”. ブルームバーグ (2019年6月14日). 2020年4月14日閲覧。
  6. ^ 官房長官に菅氏(湯沢市出身)就任 第2次安倍内閣秋田魁新報」2012年12月26日[リンク切れ]
  7. ^ 自由民主党神奈川県支部連合会 政治資金収支報告書(平成30年分定期公表)” (PDF). 神奈川県選挙管理委員会 (2019年11月26日). 2019年12月2日閲覧。
  8. ^ 古谷経衡 (2020年9月9日). “「菅義偉氏は苦労人」というイメージは本当か?”. Yahoo!ニュース. 2020年9月9日閲覧。
  9. ^ a b c d 「安倍官邸を操縦する男の知られざる66年――最強の官房長官・菅義偉の虚像と実像」『フライデー』2015年1月30日号
  10. ^ a b c d e 塩田潮 (2014年5月26日). “菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【1】”. PRESIDENT Online. 『PRESIDENT』2014年4月14日号. プレジデント社. 2020年9月18日閲覧。
  11. ^ a b (ジャーナリスト)山崎柊「菅義偉官房長官「政権の黒幕」研究」「文藝春秋」2013年7月号
  12. ^ 菅和三郎氏死去 菅義偉元総務相の父 47NEWS 2010年6月28日
  13. ^ 菅義偉氏 北海道教育大受験の事実はなく逃げるように上京 P1、『SAPIO』2015年10月号
  14. ^ a b c ポスト安倍の声も…「令和おじさん」菅義偉官房長官の一代記” (html). Smart FLASH (2020年9月4日). 2019年4月30日閲覧。
  15. ^ 菅義偉氏 北海道教育大受験の事実はなく逃げるように上京 P2、SAPIO 2015年10月号
  16. ^ 田崎史郎『安倍官邸の正体』(講談社現代新書)p.168にも「法政大学夜間部卒という噂があるが、これは間違いだ」との記述がある
  17. ^ 若き菅氏は空手で鍛練、法大時代の凛々しい道着姿も” (html). 日刊スポーツ (2020年9月4日). 2020年9月9日閲覧。
  18. ^ 菅義偉(すが よしひで) 時事ドットコム
  19. ^ 菅義偉・新官房長官:安倍政権誕生に尽力、議員秘書出身の苦労人 (1) ブルームバーグニュース(2012年12月26日)2014年5月20日閲覧。
  20. ^ a b “内閣官房長官 菅 義偉 -敗北で鍛えられた胆力と判断力”. プレジデントオンライン. (2013年3月15日). http://president.jp/articles/-/8822 2014年1月13日閲覧。 
  21. ^ 総務省 副大臣記者会見 平成17年11月2日
  22. ^ 塩田潮「菅 義偉・官房長官の叩き上げ人生録【2】」『PRESIDENT』2014年4月14日号
  23. ^ a b 総務大臣が「拉致問題」で NHK国際放送に「命令放送」”. NHK放送文化研究所. 2017年7月22日閲覧。
  24. ^ 「官房長官の実像」『日本経済新聞』2015年4月26日(第4面)
  25. ^ 菅義偉総務相が演じた生田正治総裁退任の「茶番劇」”. 『FACTA』 (2007年4月). 2009年7月4日閲覧。
  26. ^ 2007参院選 改革はどこへ〈2〉特定局の力 一転温存”. 『北海道新聞』 (2007年7月19日). 2009年7月4日閲覧。
  27. ^ 山口敬之『総理』
  28. ^ 菅義偉はゴルバチョフになれ――非世襲の叩き上げに期待すること”. 高橋浩祐. Yahoo!ニュース. 2020年9月7日閲覧。
  29. ^ 菅選対副委員長、古賀派を退会…河野氏支援へ『読売新聞』2009年9月16日
  30. ^ 郵政改正案が衆院通過、自民・菅義偉氏と小泉進次郎氏ら造反/神奈川神奈川新聞』2012年4月13日
  31. ^ 安倍政権を、誰が支えているのか”. NHK政治マガジン. 日本放送協会 (2019年11月27日). 2019年12月14日閲覧。
  32. ^ a b “財務官僚が怯える7月人事 増税でミスリードした幹部 官邸の胸三寸で…”. ZAKZAK (夕刊フジ). (2015年5月8日). http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150508/dms1505080830008-n1.htm 2015年5月9日閲覧。 
  33. ^ 「NHK『クローズアップ現代』を首相官邸が叱責」フライデー報道 菅官房長官は否定ハフィントン・ポスト
  34. ^ 「官房長官の実像」『日本経済新聞』2015年4月26日(第4面)
  35. ^ 菅官房長官が在職1290日、歴代1位に 福田康夫氏抜く『日本経済新聞』2016年7月7日
  36. ^ ポスト安倍は菅氏? 彼に会うためポンペオ-シャナハン-ペンス総出動”. 『中央日報』 (2019年5月13日). 2019年5月20日閲覧。
  37. ^ 菅官房長官招き「令和の会」 自民無派閥中堅らが勉強会 - 産経新聞 (2019年6月20日) 、2019年6月21日閲覧。
  38. ^ 「ポスト安倍」への基盤固め? 菅氏の「令和の会」発足 - 『朝日新聞』(2019年6月20日) 、2019年6月21日閲覧。
  39. ^ 菅氏、自民党総裁選出馬へ 二階氏に意向を伝達(2020年8月30日、毎日新聞)2020年8月30日閲覧
  40. ^ 菅長官、総裁選出馬を検討…二階氏らに「応援お願いしたい」(2020年8月30日、読売新聞)2020年8月30日閲覧
  41. ^ 菅官房長官が出馬の意向 石破氏“総裁選をすべき”(2020年8月30日、テレビ朝日)2020年8月30日閲覧
  42. ^ 菅氏、総裁選立候補を正式表明 「持てる力全て尽くす」(2020年9月2日、朝日新聞)2020年9月3日閲覧
  43. ^ 【総裁選ドキュメント】菅氏、正式に出馬表明(2020年9月2日、産経新聞)2020年9月3日閲覧
  44. ^ 安倍路線「継承、前進」 菅氏が自民総裁選出馬表明(2020年9月2日、時事通信社)
  45. ^ 菅氏を第99代首相に選出…内閣、夜に正式発足”. 読売新聞. 2020年9月16日閲覧。
  46. ^ 沖縄タイムスプラス
  47. ^ a b c d e “2012衆院選 神奈川2区 菅義偉”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A14002001001 2014年4月20日閲覧。 
  48. ^ 第154回国会 - 衆議院 - 法務委員会 - 20号 平成14年07月30日
  49. ^ 『朝日新聞』、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
  50. ^ TPPめぐる攻防激化、県内議員は民自とも賛否交錯/神奈川『神奈川新聞』2011年10月30日]
  51. ^ “無利子国債について考える”. 三菱東京UFJ銀行. (2009年4月9日). https://www.bk.mufg.jp/report/ecorevi2009/review20090409.pdf 2020年8月31日閲覧。 
  52. ^ “(2)真に実効的なマクロ経済・金融問題の解決試案”. 日本総研. (2009年4月23日). https://www.jri.co.jp/column/medium/shimbo/lunch_macro_0904/ 2020年8月31日閲覧。 
  53. ^ 小野盛司 (2011年6月16日). “増税によらない復興財源を求める声明文(No.83)”. 日本経済復活の会. http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-001f.html 2020年8月31日閲覧。 
  54. ^ “3党党首会談:3党側から安堵や評価、中小野党は酷評”. 神奈川新聞. (2012年8月9日). https://www.kanaloco.jp/article/entry-105700.html 2020年8月31日閲覧。 
  55. ^ a b “人気トップは菅長官 首相を抜く”. 産経ニュース (産経新聞社). (2014年5月19日). http://www.sankei.com/politics/news/140519/plt1405190008-n1.html 2017年7月25日閲覧。 
  56. ^ a b c d 菅義偉、彼は何を狙うのか”. 『NHK政治マガジン』 (2018年7月25日). 2020年8月31日閲覧。
  57. ^ 【仕事の現場】官房長官 菅義偉さん/朝活で現場の声聴き、政権支える『毎日新聞』朝刊別刷り・日曜くらぶ1面(2019年9月1日)2019年9月11日閲覧
  58. ^ 飾らずに裏方に徹する 総務 菅 義偉『読売新聞』2006年9月27日
  59. ^ 安倍晋三の「影の官房長官」菅義偉総務相”. NIKKEINET (2007年3月2日). 2009年7月2日閲覧。[リンク切れ]
  60. ^ a b 安倍首相を再登板させた男 菅官房長官への期待と不安」『週刊文春』2013年1月31日号、文藝春秋、2013年1月24日、2014年1月3日閲覧 
  61. ^ “安倍総理を支えた「官邸の300日」 -菅 義偉官房長官【1】”. プレジデントオンライン. (2013年12月19日). http://president.jp/articles/-/11381 2014年1月13日閲覧。 
  62. ^ 平沼赳夫氏らの復党「安保関連法案に賛成いただいた」菅官房長官”. 『産経新聞』 (2015年10月2日). 2015年10月2日閲覧。
  63. ^ “【激闘10・22衆院選】枝野氏、まさかの大接戦 選挙プランナーらが分析 首都圏全46区「当落リスト」”. 夕刊フジ. (2017年10月14日). http://www.zakzak.co.jp/soc/news/171014/soc1710140002-n2.html 2017年10月19日閲覧。 
  64. ^ 広池慶一 (2017年6月18日). l “「怪文書」で誤算 「鉄壁ガースー」決壊”. 毎日新聞. https://mainichi.jp/articles/20170618/k00/00m/010/016000c l 2019年4月15日閲覧。 
  65. ^ “冷静さ欠いた菅義偉官房長官 前川喜平前文部次官を「許せない!」 個人攻撃で問題こじれた”. 産経新聞. (2017年6月18日). http://www.sankei.com/politics/news/170618/plt1706180030-n1.html 2017年9月30日閲覧。 
  66. ^ 菅官房長官を狼狽させた東京新聞女性記者の“聞く力”『週刊ポスト』2017年6月30日号”. 2017年9月23日閲覧。
  67. ^ 「令和おじさん」に「びっくり」、官房長官(『日本経済新聞』2019年4月28日)
  68. ^ 菅新総裁選出で「ガースー黒光り内閣」がトレンド入り。「絶対に笑ってはいけない官邸」誕生か? BuzzFeed(2020.9.14.) 2020.9.16. 閲覧
  69. ^ 自著での主張も記憶にない? 菅官房長官「知らない」
  70. ^ 令和おじさん、NY散歩でパンケーキ”. 『日本経済新聞』 (2019年5月13日). 2019年5月20日閲覧。
  71. ^ 菅氏、反社会勢力「定義定まっていない」 責任明言せず 朝日新聞2019年11月27日
  72. ^ 菅長官「反社定義ない」全国企業あ然とさせたトンデモ言い訳 女性自身2019年11月28日
  73. ^ 失言桜田氏語る同期菅氏との差「何でこうなった…」 - 社会 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年9月22日閲覧。
  74. ^ a b c d e f 「幅広い意見交換、心がけ」『日本経済新聞』2015年4月26日(第4面)
  75. ^ “軽減税率 谷垣氏、埋まる外堀 官邸、参院選にらみ押し切る”. 産経新聞. (2015年12月10日). https://www.sankei.com/politics/news/151210/plt1512100012-n1.html 2019年12月8日閲覧。 
  76. ^ “【政界徒然草】軽減税率導入で菅義偉官房長官が「影の税調会長」と言われるほど圧勝したワケは…”. 産経新聞. (2015年12月19日). https://www.sankei.com/premium/news/151219/prm1512190018-n1.html 2019年12月8日閲覧。 
  77. ^ 私は堅物、ユーモアない」=菅長官 時事通信 2016年4月2日
  78. ^ 官房長官、エイプリルフールでも冗談は自制? 「私は非常に堅物なので…」『産経新聞』2016年4月2日
  79. ^ 東京新聞』2007年8月25日
  80. ^ 菅総務相の「事務所費」/所有ビルに2千万円/家賃405万円 資産形成かしんぶん赤旗』2007年8月26日
  81. ^ a b 『産経新聞』2008年9月12日
  82. ^ a b 「補助金企業献金:菅官房長官も29万円」『毎日新聞』2015年3月4日
  83. ^ “国契約業者が菅官房長官に献金 前回衆院選前、公選法抵触の疑い”. 共同通信. (2017年9月27日). http://www.47news.jp/news/2017/09/post_20170927175906.html 2017年10月2日閲覧。 
  84. ^ 菅、稲田氏 パーティーで白紙領収書 総務相「問題ない」『毎日新聞』2016年10月6日
  85. ^ “【主張】白紙の領収書 非常識がまかり通るのか(2/2ページ)”. 産経ニュース (産経新聞社). (2016年10月12日). http://www.sankei.com/politics/news/161012/plt1610120006-n2.html 2017年7月17日閲覧。 
  86. ^ “領収書に金額明記を 自民が通知”. 『日本経済新聞』. (2016年10月11日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS11H2R_R11C16A0PP8000/ 2017年7月17日閲覧。 
  87. ^ “白紙領収書 自民が運用改善策 金額記載を通達”. ニュースサイト「毎日新聞」 (毎日新聞社). (2016年10月11日). http://mainichi.jp/articles/20161012/k00/00m/010/056000c 2017年7月17日閲覧。 

外部リンク

公職
先代
安倍晋三
日本の旗 内閣総理大臣
第99代:2020年 -
次代
現職
先代
藤村修
日本の旗 内閣官房長官
第81・82・83代:2012年 -2020年
次代
加藤勝信
先代
竹中平蔵
日本の旗 総務大臣
第7代:2006年 - 2007年
次代
増田寛也
先代
創設
日本の旗 特命担当大臣地方分権改革
初代:2006年 - 2007年
次代
増田寛也
先代
今井宏
山本公一
日本の旗 総務副大臣
山崎力と共同

2005年 - 2006年
次代
大野松茂
田村憲久
先代
木村隆秀
田中和徳
木村仁
日本の旗 国土交通大臣政務官
高木陽介
森下博之と共同

2002年 - 2003年
次代
鶴保庸介
岩城光英
高木陽介
党職
先代
安倍晋三
自由民主党総裁
第26代:2020年 -
次代
現職
先代
田野瀬良太郎
自由民主党幹事長代行
第2代:2012年
次代
細田博之
先代
谷津義男
自由民主党選挙対策総局長
第2代:2007年
次代
選挙対策委員長