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加藤紀文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加藤 紀文
かとう のりふみ
内閣広報室より公表された肖像
1997年 撮影)
生年月日 (1948-12-19) 1948年12月19日
出生地 日本の旗 日本 岡山県
没年月日 (2020-05-18) 2020年5月18日(71歳没)
死没地 日本の旗 日本 岡山県倉敷市
出身校 中央大学商学部経営学科卒業
前職 中央大学正法会研究室研究員
加藤武徳岡山県知事政務秘書
所属政党 自由民主党加藤G村上派亀井派
称号 正四位
旭日重光章
親族 父・加藤武徳(第26代自治大臣
叔父・加藤六月(第10・20代農林水産大臣

選挙区 岡山県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1992年 - 2004年
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加藤 紀文(かとう のりふみ、1948年昭和23年〉12月19日 - 2020年令和2年〉5月18日)は、日本政治家参議院議員(2期)を務めた。

来歴・人物

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1971年中央大学商学部卒業し、実父・加藤武徳岡山県知事の政務秘書に就任。父の下で参議院議員公設第一秘書や自治大臣秘書官を歴任した。

父の引退に伴い、1992年第16回参議院議員通常選挙に、岡山県選挙区自由民主党公認で出馬し初当選。派閥は叔父の加藤六月が主宰する政眞会(加藤グループ)に属したが、翌1993年、叔父・六月ら加藤グループの議員が自民党を離党する際には、倉田寛之宮里松正らと共にこれに同調せず自民党に残り、その後、渡辺派に加わった。

1995年8月、村山改造内閣で同じ岡山県選出である橋本龍太郎通産相の下で通産政務次官1997年9月からは谷垣禎一科学技術庁長官の下で科学技術政務次官を務めた。

1998年第18回参議院議員通常選挙で再選。1999年村上・亀井派の旗揚げに参加。2001年1月、参院経済産業委員会初代委員長。2002年10月、同じ岡山選出の参院議員である片山虎之助総務大臣の下で総務副大臣を務めた。

2004年第20回参議院議員通常選挙一人区となった岡山県選挙区で江田五月に惨敗し、落選した。

2019年5月21日発令の春の叙勲で、旭日重光章を受章[1]

2020年5月18日、骨髄異形成症候群のため倉敷市内の病院で死去[2]。71歳没。死没日をもって正四位に叙される[3]

親族

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  • 妻との間に一男一女。
  • 竹下派所属の加藤勝信は義理の従兄弟(妻は叔父・六月の娘)。

脚注

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  1. ^ 『官報』号外第14号11P、令和元年5月21日
  2. ^ 加藤紀文・元参院議員が死去 71歳、総務副大臣など歴任:山陽新聞デジタル|さんデジ”. 山陽新聞デジタル|さんデジ. 2020年5月21日閲覧。
  3. ^ 『官報』第275号9頁 令和2年6月22日号
公職
先代
佐田玄一郎
若松謙維
日本の旗 総務副大臣
若松謙維と共同

2002年 - 2003年
次代
田端正広
山口俊一
議会
先代
成瀬守重
日本の旗 参議院経済産業委員長
2002年 -2003年
次代
保坂三蔵