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ジョハル・ドゥダエフ大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョハル・ドゥダエフ大隊
大隊の肘章
創設 2014年 (2014)
国籍  ウクライナ
忠誠 国防省
軍種 ウクライナ陸軍
兵科 大隊
兵力 数百人[1]
主な戦歴
指揮
現司令官 アダム・オスマエフロシア語版
著名な司令官 イサ・ムナエフチェチェン語版 
アミーナ・オクエバウクライナ語版 
識別
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ジョハル・ドゥダエフ国際平和維持大隊(ジョハル・ドゥダエフこくさいへいわいじだいたい、ウクライナ語: Міжнародний миротворчий батальйон імені Джохара Дудаєва)は、チェチェン・イチケリア共和国の初代大統領、ジョハル・ドゥダエフにちなんで名付けられたチェチェンの義勇兵大隊。同大隊は主にチェチェン人義勇兵で構成されており、その多くは第一次チェチェン紛争第二次チェチェン紛争イチケリア共和国側として戦った。大隊は、ウクライナ東部のデバルツェボでの戦闘で初代指導者のイサ・ムナエフが戦死した後、2015年2月1日からアダム・オスマエフの指揮下にある[2][3]。ジョハル・ドゥダエフ大隊は、ウクライナにいる2つのチェチェン義勇兵大隊の1つであり、もう1つはシェイク・マンスール大隊である。

概要

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歴史

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ドゥダエフ大隊は2014年3月初旬にデンマークで創設された。デンマークにはロシアに反対し、第二次チェチェン紛争後に移住を余儀なくされた多数のチェチェン人が居住しており、この大隊が創設されたのも欧州のコーカサス諸国からの政治移民が2006年にデンマークで設立した自由コーカサス団体によるものだった[4]。大隊の創設者で初代指導者のイサ・ムナエフ、グロズヌイの戦い(1999~2000年)の間に、イチケリアのアスラン・マスカハドフ大統領からチェチェンの首都防衛を担う軍事司令官に任命され、この戦いで彼は都市防衛中に地雷や車爆弾、待ち伏せ攻撃などの様々な市街戦術を用いた[3][5]

大隊構成

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ウクライナを侵略するロシアとの戦いに加わることを望む義勇兵は300人以上にのぼった。大隊には、チェチェン人グルジア人イングーシ人アゼルバイジャン人ウクライナ人チェルケス人の他、ヨーロッパ諸国からの義勇兵がいる。

戦争への参加

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ドゥダエフ大隊はチェチェン・イチケリア共和国の旗を使用している[6]

チェチェンの専門家は、ウクライナ東部の戦闘への参加や、教官として若き指揮官の訓練を行っている[2]

伝えられるところによると、ドゥダエフ大隊は、 2022年のロシアによるウクライナ侵攻の際にウクライナの防衛に加わり、キーウ州においてロシア軍とロシアのチェチェン民兵組織カディロフツィと戦った[7]。以後は、北東部ハルキウ州ハルキウイジューム、東部ドネツィク州バフムートを防御した[8]

有名メンバー

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  • İsa Sadıqovアゼルバイジャン語版 - ジョハル・ドゥダエフ大隊の参謀長。アゼルバイジャン軍の大佐で、元アゼルバイジャン国防副大臣(1993~1995年)、アゼルバイジャン士官連合の元代表[9]。彼の母国から指名手配されている[10]
  • セルゲイ・メルニコフ - 米市民権を持つ写真家。イチケリアの英雄勲章の保持者[9]
  • Nureddin Ismailov - 彼はカラバフ戦争中にBoz Qurd (意味:「灰色の狼」) 分隊を指揮していた[9]
  • アミーナ・オクエバ - 通称ナタリア・カミンスカヤまたはアミーナ・ムスタフィノバ。アダム・オスマエフロシア語版の妻で、ジョハル・ドゥダエフ大隊の報道官を務めた[11]

関連項目

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脚注

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  1. ^ Walker, Shaun (24 July 2015). “'We like partisan warfare.' Chechens fighting in Ukraine - on both sides”. the Guardian. 2022年7月16日閲覧。
  2. ^ a b Mamon (27 February 2015). “The Final Days of a Chechen Commander Fighting in Ukraine” (英語). The Intercept. 27 January 2020閲覧。
  3. ^ a b Walker, Shaun (24 July 2015). “'We like partisan warfare.' Chechens fighting in Ukraine - on both sides” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/world/2015/jul/24/chechens-fighting-in-ukraine-on-both-sides 27 January 2020閲覧。 
  4. ^ Fedor, Julie; Greene, Samuel; Härtel, Andre; Makarychev, Andrey; Umland, Andreas (11 October 2016) (英語). Journal of Soviet and Post-Soviet Politics and Society: 2016/2: Violence in the Post-Soviet Space. Columbia University Press. ISBN 978-3-8382-6948-1. https://books.google.com/books?id=CCHADgAAQBAJ&q=Free+Caucasus+Organization+denmark&pg=PT212 
  5. ^ Vatchagaev, Mairbek (18 July 2014). “Chechen Experience in Urban Combat Could Be of Vital Use to Ukraine”. North Caucasus Weekly (Jamestown Foundation) 15 (14). https://jamestown.org/program/chechen-experience-in-urban-combat-could-be-of-vital-use-to-ukraine-2/ 10 April 2020閲覧。. 
  6. ^ Picture”. media.worldbulletin.net. 2015年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月16日閲覧。
  7. ^ Ghaedi, Monir (24 March 2022). “Chechen and Tatar Muslims take up arms to fight for Ukraine”. Deutsche Welle. オリジナルの1 April 2022時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220401002331/https://www.dw.com/en/chechen-and-tatar-muslims-take-up-arms-to-fight-for-ukraine/a-61174375 1 April 2022閲覧。 
  8. ^ Meet the Chechens fighting Russia in Ukraine キーウ・インディペンデント
  9. ^ a b c Перевозкина, Марина (2015年3月2日). «Бригадного генерала» Мунаева сменил несостоявшийся киллер Осмаев. (ロシア語). Московский комсомолец. http://www.mk.ru/politics/2015/02/03/brigadnogo-generala-munaeva-smenil-nesostoyavshiysya-killer-osmaev-kem-on-komanduet.html 2022年7月16日閲覧。 
  10. ^ Иса Садыгов назначен начальником Штаба миротворческого батальона им Дж. (ロシア語). Chechenews. (2014年5月3日). オリジナルの2014年5月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140310031855/http://www.chechenews.com/world-news/breaking/16969-1.html 2022年7月16日閲覧。 
  11. ^ Батальон им. Дудаева возглавил чеченец, обвиняемый в покушении на Путина (ロシア語). Украинская правда. (2015年2月3日). http://www.pravda.com.ua/rus/news/2015/02/3/7057284/ 2022年7月16日閲覧。