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2018年3月17日 (土) 17:17時点における版
石原 伸晃 いしはら のぶてる | |
---|---|
生年月日 | 1957年4月19日(67歳) |
出生地 | 神奈川県逗子市 |
出身校 | 慶應義塾大学文学部都市社会学専攻 |
前職 | 日本テレビ報道局記者 |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党(石原派) |
称号 | 文学士(慶應義塾大学・1981年) |
配偶者 | 石原里紗 |
親族 |
父・石原慎太郎 母・石原典子 叔父・石原裕次郎 弟・石原良純 弟・石原宏高 弟・石原延啓 |
サイン | |
公式サイト | 衆議院議員 石原のぶてる公式ホームページ |
内閣 |
第3次安倍第1次改造内閣 第3次安倍第2次改造内閣 |
在任期間 | 2016年1月28日 - 2017年8月3日 |
内閣 | 第2次安倍内閣 |
在任期間 | 2012年12月26日 - 2014年9月3日 |
第3-4代 国土交通大臣 | |
内閣 |
第1次小泉第2次改造内閣 第2次小泉内閣 |
在任期間 | 2003年9月22日 - 2004年9月27日 |
内閣 |
第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 |
在任期間 | 2001年4月26日 - 2003年9月22日 |
選挙区 |
(旧東京4区→) 東京8区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1990年 - 現職 |
石原 伸晃(いしはら のぶてる、1957年4月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)、自民党外交再生戦略会議議長、近未来政治研究会(石原派)会長。 ニックネームは「(顔が伸びているという意味)ノビテル」、「シンタコ(石原慎太郎の子供という意味)」。
規制改革担当大臣(第1次小泉内閣・第1次小泉第1次改造内閣)、国土交通大臣(第3・4代)、衆議院法務委員長、自民党政務調査会長(第49代)、自民党幹事長(第45代)、環境大臣(第19代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)等を歴任した。
父は参議院議員(1期)、環境庁長官(第8代)、運輸大臣(第59代)、東京都知事(第14代・第15代・第16代・第17代)、衆議院議員(9期)、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問の石原慎太郎。叔父は俳優の石原裕次郎。
来歴
生い立ち
神奈川県逗子市生まれ。鎌倉市立御成小学校卒業。中学校から慶應義塾に通い、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学文学部都市社会学専攻を卒業。大学時代の部活は日本正統少林寺拳法部の主将を務めていた。大学在学中、エルマイラ大学(アメリカ合衆国ニューヨーク州エルマイラ)に9ヶ月間 短期留学した。大学卒業後、1981年、日本テレビ放送網に入社[1]。報道局に入局し、大蔵省や外務省、首相官邸等を担当した。1989年、日本テレビを退社。
政界へ
1990年、第39回衆議院議員総選挙に旧東京4区(定数5)から無所属で出馬し、自由民主党の粕谷茂に次ぐ得票数2位で初当選。当選後、自民党に入党し、安倍派に入会[要出典]。1993年の第40回衆議院議員総選挙では、新党ブームに押されるも得票数5位で再選。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、東京8区から自民党公認で出馬。後に杉並区長に転出する新進党の山田宏を約7千票差で下し、3選。1996年、第2次橋本内閣で通商産業政務次官に任命された。1998年の金融国会では、金融再生関連法案の成立に尽力し、いわゆる「政策新人類」に名を連ねる。同年、三塚派(安倍派の後身)を退会し、加藤派に入会する[要出典]。2000年の加藤の乱では、首相・森喜朗らに対する政権批判の急先鋒であり、内閣不信任決議案の採決では欠席した[要出典]。加藤の乱の後、分裂した加藤派を退会し、その後2007年までは無派閥であった[要出典]。
小泉政権
2001年、第1次小泉内閣で規制改革担当大臣に任命され、初入閣。あわせて「行政改革を推進するため行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣も兼任し、第1次小泉第1次改造内閣まで務める。2003年に発足した第1次小泉第2次改造内閣では国土交通大臣、「首都機能移転の具体化に向けた検討を推進するため行政各部の所管する事務の調整」や「観光立国を実現するための施策を円滑に推進するため行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣を兼任。国交相在任中は主に道路公団問題等に取り組み、民営化に強く反対していた道路公団総裁の藤井治芳を更迭した。2004年、第2次小泉改造内閣発足に伴い国交相を退任し、党金融調査会長に就任。2005年には、長らく古賀誠ら道路族がそのポストを占めていた党道路調査会長に就任した。
第1次安倍政権から麻生政権にかけて
2006年、総裁・安倍晋三の下で幹事長代理に就任。翌2007年の党役員人事では自民党政務調査会長に起用され、初めて党三役入りした。同年12月、山崎派に入会[要出典]。2008年、福田康夫の辞任に伴う自由民主党総裁選挙に出馬するが、得票数4位で落選した。新総裁・麻生太郎の下、再び幹事長代理に就任。2009年7月、自民党は東京都議会議員選挙で大敗。東京都連会長であった石原は、敗北の責任を取り都連会長を辞任する意向を表明したが、第45回衆議院議員総選挙が迫っていたため辞任は了承されなかった。同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、東京8区で社会民主党前職の保坂展人を破り、7選。選挙後の自由民主党総裁選挙では谷垣禎一の推薦人に名を連ねた。
谷垣体制
谷垣執行部で国民運動本部長に起用された[要出典]。また、東京都連会長に再任される。2010年4月、政権力委員会発足に伴い、本部長代理に就任。同年9月の党役員人事で、自民党幹事長に起用された。2011年の党役員人事においても幹事長に再任。2012年9月、自由民主党総裁選挙に出馬する意向を表明。尚、現職の総裁である谷垣も出馬に意欲を示していたため(最終的に出馬を辞退)、総裁を押し退ける形で出馬を強行した幹事長の石原に対しては党内から批判の声が上がり、麻生太郎は9月13日の会見で「下克上とか平成の明智光秀(という)、ありがたくない冠をこの人は当分頂くことになる。私の人生哲学には合わない」「石原氏を支援する人の神経がよく分からない」と批判した[2]。9月26日の総裁選では、1回目の投票で96票を獲得したものの得票数は5人中3位であった[3]。
第2次安倍政権以降
同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、東京8区で無所属で俳優の山本太郎らを破り、8選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で環境大臣・内閣府特命担当大臣(原子力防災)に任命された。また、近未来政治研究会を山崎拓から継承し、同会第2代会長に就任した。2014年9月の内閣改造で閣僚を退任。12月の第47回衆議院議員総選挙で9選。2016年1月28日、第3次安倍第1次改造内閣の甘利明経済財政政策担当相の辞任を受け後任の内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に就任し、併せて「経済の再生を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」や「社会保障及び税に関する改革を一体的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣も兼任した。認証時、天皇がフィリピン訪問中のため、閣僚認証式は国事行為臨時代行中の皇太子徳仁親王が行った。閣僚の認証式が臨時代行されるのは平成初[4]。同年8月3日、東京都知事選挙の党推薦候補の敗北を受けて、都連会長を辞任(後任の会長は下村博文)。2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で10選。同年11月、自民党外交再生戦略会議議長に就任。
政策
- TPPに反対[5]。
- 憲法改正に賛成[5]だが、9条の改正に反対[6]。
- アベノミクスを評価する[7]。
- 原発は日本に必要[7]。
- 村山談話・河野談話を見直すべき[7]。
- 「女性宮家」の創設に反対[5]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に反対[8]。
- 2010年2月22日の「竹島の日」記念式典に党代表として出席した[9]。
その他
- 小泉政権の主要政策の一環である道路公団民営化を任せられ脚光を浴びたが、道路族の猛攻を抑えきれず、妥協を重ねて屈したとする評価が多い[10]。これに対し石原は「最終報告には実現不可能な部分もある」とのコメントをしている[10]。
- 国土交通大臣時代、日本道路公団総裁の藤井治芳を解任した。藤井は解任取消を求めて東京地方裁判所に提訴。2006年9月6日に解任処分は相当であるとの判決が下された[11]。
- 2008年10月26日にNHKの番組に出演し、金融危機で経営不安に陥っている金融機関への資本注入を実現する金融機能強化法改正案に関して、「法律の中には銀行(「新銀行東京」と「金融危機で苦しんでいる銀行」)に区別はない」と述べ、2008年秋の世界的な金融危機とは無関係に経営が行き詰まっている新銀行東京も対象に含まれるとの見解を示した[12]。
主張
- 2011年6月14日、自民党幹事長在任時の記者会見で、福島第一原子力発電所事故後の反原発の動きについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べた[13]。
- 脳死臓器移植法の採決に際して、自身の長男が心臓の毛細血管の病気で脳に血液が回らなくなった際に、医師に「意識はなくても人工心臓を着ければ成長はする」と言われたエピソードを紹介し、「赤ちゃんだって尊厳はある。尊厳なくしては人間ではない。その時から、脳死は人の死だと思った」と発言し、脳死を尊厳死の一つとして理由づけた[14]。
河野談話
2012年9月14日、自由民主党総裁選挙の立候補者5人による共同記者会見において、河野談話について評価した上で「広義においてはそういうこと(強制連行)もあったんではないかとうかがえる文面になっている。そこに知恵があった」と述べた[15]。
尖閣諸島
2012年9月11日のテレビ朝日系『報道ステーション』にて、中国による尖閣諸島侵攻の可能性を問われ、「攻めてこない。誰も住んでいないんだから」と断言[16]。産経新聞は「国家主権に関わる領土問題について認識の甘さを露呈」と批判的に報じた[16]。
発言
原発
- 2011年6月6日放映のテレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』で、汚染土壌の保管先について「福島第一原発の『サティアン』のあるところにしか持っていけませんよ!」と発言していたと報じられた[17]。
- 2012年9月13日、TBS系のテレビ番組にて、東京電力の福島第一原発事故により汚染された土壌の保管先について「福島原発第一サティアンしかない」と発言した。オウム真理教が、教団関連施設をサティアン(サンスクリット語で「真理」)と呼称していた為、「配慮を欠く発言との批判も出かねない」と報じられた[18]。自民党参議院議員の佐藤正久はツイッターで、「石原幹事長、ちょっと言葉に気をつけた方がよい。第一原発で安全化のために酷暑の中で働いている方々はどう思うだろうか?」と述べた[17]。2012年9月13日夜、石原自身はこの失言について「福島第一原発というつもりだった。単なる言い間違えだ」と釈明した[19]。
- 2014年6月16日、官邸にて記者団に対し、東京電力の福島第一原発事故に関する除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設建設について「最後は 金目 (かねめ) でしょ」と発言した[20]。
宗教
- 2011年9月10日の青森県弘前市での講演にて、アメリカ同時多発テロ事件について「産業革命から続いた西欧文明、キリスト教支配に対するイスラム圏の反逆で、歴史の必然として起きた出来事ではないか」[21]と述べた[22]。
- イスラムと国際政治を専門とする静岡県立大学国際関係学部准教授の宮田律は「欧米とイスラム世界の衝突があったときに、『歴史の必然』なんて言ったら、対立構造は残ってしまう。自民党の幹事長たる人がそういうことを言うのは、無責任」、「政治家としての主体的な努力を、一切放棄した発言に聞こえる」、「昔から言動に軽さの目立った石原君のことですから、感覚的に深い主張もなく、『歴史の必然』なんて言ったんでしょう」と週刊朝日の取材に対して答えた[23]また、週刊朝日において、「宮田と石原は大学時代の同級生である」と報じられた[23]。
- 作家の高杉良は、自民党の「軽い政治家」の例として石原の名を挙げており、「9・11のことを『歴史の必然』などと発言しているでしょう。そんな程度の幹事長です。軽すぎますよ」と評している[24]。
その他の発言
- 2012年2月6日、スポニチに“BS朝日のテレビ番組で、胃ろう措置について「人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」と発言した”と報じられた。しかし、石原本人は、「間違いだ。しっかりとセンテンスを見ていただきたい」と2月7日の会見で反論した[25]。また、「私は人間の尊厳を重んじなければならないと絶えず言っていて、私自身もそういうこと(胃ろう措置)は夫婦の間で行わないと決めている」と述べた。厚生労働相の小宮山洋子は「病気の方、ご家族に不快な思いをさせる言葉の使い方は慎重であってほしい」と石原を批判した[25]。
- 自民党が2011年3月23日に子ども手当のつなぎ法案に反対する方針を固めた際、幹事長であった石原は「児童手当に戻しても大した混乱は起きない。子供を社会でつくろうというポル・ポト派と一緒の考えに与するわけにはいかない」と述べた[26]。
- 同年9月10日、青森県弘前市での講演で、当時経済産業大臣だった鉢呂吉雄が福島県の被災地を視察したあとの一連の発言をめぐって、「万死に値する」とした[22]。
- 2012年7月3日、民主党の内紛で停滞する国会を、「本来なら民主党が『特別委員会をいつまでにつくります』というのがあって然るべきだが、脳死ですね」と記者会見で発言した。しかし、「全く機能不全。ひどすぎる」と言い直した。だが、「患者家族の批判招く可能性がある」と報じられた[27]。
人物
父は参議院議員、環境庁長官、運輸大臣、東京都知事、日本維新の会共同代表を歴任した、石原慎太郎。慎太郎が衆議院議員(旧東京2区選出)在職中、伸晃は旧東京4区から出馬しており、慎太郎の元々の地盤であった品川区、大田区及び島嶼部を含む選挙区からの出馬経験はない。弟にタレント、気象予報士の石原良純、衆議院議員の石原宏高、画家の石原延啓がいる。父・慎太郎の旧東京2区の地盤は事実上、弟・宏高が継承した[要出典]。
週刊文春に「チャンスに打てない中軸打者」[1]、「“お坊ちゃま”特有の打たれ弱さは抜けそうにない。お坊ちゃま」と批判され[28]、党内からは「攻撃力に欠ける」との声や、「打たれ弱さ」と「のん気さ」ばかりが目立つとも指摘された[1]。
麻生太郎元首相(現副総理・財務大臣)は、当時の谷垣禎一自民党総裁を裏切った石原伸晃(谷垣自民党総裁の部下の自民党幹事長であった。)を「平成の明智光秀だ。」、「人間としてどうか」、「あんな奴を支援する人の気が知れない」と批判したことがある[29]。
2016年東京都知事選挙に立候補した山口敏夫は「伸晃はもうすぐ60歳。大臣もやってる。それが5歳や10歳の子供じゃあるまし、『父ちゃん、俺たちの担いだ候補が負けそうだから、ぜひ応援して下さい』と応援ベンチに引っ張り出した」と都連会長の手腕に疑問を呈した[30]。
信仰
新宗教・崇教真光の信者である[31]。秋季大祭の来賓の中でも石原は少年の頃、岡田光玉と岡田恵珠が自宅に訪れたエピソードを42周年秋季大祭(2001年)の祝辞にて披露した[32]。45周年秋季大祭(2004年)では自身が組み手(信徒)であることを明らかにし、組み手としての立場をメインに祝辞を述べた[33]。46周年秋季大祭(2005年)では中級に昇格したことを祝辞にて紹介している[34]。
また、2009年-2010年の間に、自身が代表を務める自民党東京都第8選挙区支部の政治資金より、「会費」の名目で崇教真光に対し計36万円以上を支出している。石原はのちに「適正に処理し報告」したと述べ、政治資金からの支出ではなく本人のポケットマネーからの支出として再計上した[35][36]。
一方、同じく新宗教である新生佛教教団を信仰し、同教団の山口市の本部や、東京都墨田区にある東京支部によく顔を出している、とも報道されており[37]、石原の政治資金パーティーにおいて、同教団からの収入が計上されている[38]。
不祥事
- 石原の政党支部が、それぞれ国交省の補助金交付が決まっていた企業から寄付を受けていたことが、2015年発覚した[40]。政治資金規正法では、補助金交付決定から1年以内の企業からの寄付を禁じている[40]。
政治資金
- 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[41]。
- パチンコメーカー奥村遊機の経営者から350万円、同じくパチンコメーカーのサミーから10万円の献金を受けている[42]。
- 東京電力や関連企業がパーティー券購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であった。議員秘書等から依頼に応じパーティー券を購入し、一回あたりの購入額を政治資金収支報告書に記載義務のない20万円以下にして東電からの資金の流れが表面化しないようにしていた[43]。
- 日本禁煙学会の調査によると、全国たばこ販売政治連盟・全国たばこ耕作者政治連盟のいずれかから2011年から2015年まで6年間で70万の資金提供を受け、自民党たばこ議連にも所属している[44]。
また、日本共産党の機関紙しんぶん赤旗には以下のように報じられた。
- 消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていた[45]。
- 日本歯科医師連盟前会長の臼田貞夫(贈賄容疑で逮捕)と関係が深く、4000万円の迂回献金を受け取っていた[46]。
- 個人献金346件について、相手(田原総一朗、杉並区議の大熊昌巳、明治大学大学院教授の青山佾など)の職業を実態に関係なく全て「団体役員」と政治資金収支報告書に記述していた。過失でなく故意ならば政治資金規正法違反(虚偽記載)の疑いがある[47]。
- 父親で都知事であった石原慎太郎の提唱で都税1000億を投入して設立された新銀行東京に対して、石原伸晃の元私設秘書が決算書類の改ざんを知りながらもブローカーの仲介を引き受け、自民党都議に口利き仲介していたことが判明している。石原伸晃事務所は「(元秘書は)既に退職しており、口利きなどについては承知していない」としている[48]。その後、慎太郎は「口利きするのは、それこそ政治家の仕事」として政治家の口利きを肯定する発言をしている[49]。
所属団体・議員連盟
- 神道政治連盟国会議員懇談会[50][39]
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[50]
- 創生「日本」[50]
- 日華議員懇談会
- 日本フィリピン友好議員連盟 (会長)[51]
- たばこと健康を考える議員連盟
- 自民党たばこ議員連盟(副会長)
- 日朝国交正常化推進議員連盟
- 政教分離を貫く会
- 憲法20条を考える会(事務局)
- 東京都軟式野球連盟(顧問)
- 衆議院日仏友好議員連盟(会長)
- 小規模企業税制確立議員連盟
略歴
- 1970年 - 鎌倉市立御成小学校卒業
- 1973年 - 慶應義塾普通部卒業
- 1976年 - 慶應義塾高等学校卒業
- 1978年 - エルマイラ大学[52](ニューヨーク州エルマイラ)留学
- 1981年 - 慶應義塾大学文学部(都市社会学専攻)卒業後、日本テレビ放送網に入社し、大蔵省・外務省・首相官邸などを担当する報道局政治部記者を務める
- 1989年 - 日本テレビを退社
- 1990年 - 第39回衆議院議員総選挙では旧東京4区から保守系無所属として立候補し、2位で初当選(同選挙区1位は自民党の粕谷茂)。この時の第一秘書は、後に民主党衆議院議員となった長島昭久。
- 1993年 - 第40回衆議院議員総選挙では自民党公認で立候補し、最下位の5位で再選。
- 1996年 - 小選挙区比例代表並立制導入後初の第41回衆議院議員総選挙に東京8区から立候補し、後に杉並区長に就任する新進党の山田宏を約7千票差で下し、3選。通商産業政務次官に就任
- 2001年 - 規制改革担当大臣に就任し、初入閣
- 2003年 - 国土交通大臣に就任(〜2004年9月)
- 2004年 - 党金融調査会長に就任
- 2005年
- 党道路調査会長に就任
- 11月 - 法務委員長に就任
- 2006年
- 9月 - 自由民主党幹事長代理に就任。党選挙対策本部副本部長、党改革実行本部長を兼務
- 2007年
- 8月 - 自由民主党政務調査会長に就任
- 12月 - 近未来政治研究会(山崎派)に入会
- 2008年
- 9月 - 自由民主党総裁選挙に立候補したが、4位で落選。51歳5ヶ月は総裁選立候補者としては歴代最年少。麻生執行部で党幹事長代理に就任
- 2009年
- 7月 - 東京都議会議員選挙での敗北の責任を取り、東京都連会長を辞任する意向を表明。しかし、第45回衆議院議員総選挙が迫っているとして、辞任は認められず
- 8月 - 第45回衆議院議員総選挙で東京8区から公明党の推薦を受け立候補し、保坂展人に圧勝し7選。自民党が下野した直後の自由民主党総裁選挙では谷垣禎一の推薦人に名を連ねた。新総裁・谷垣の下で党組織運動本部長に就任。また東京都連会長に再任
- 2010年
- 2011年
- 9月 - 自由民主党幹事長に再任
- 2012年
- 2014年
- 12月 - 第47回衆議院議員総選挙に東京8区から立候補し、9選。
- 2016年
- 2017年
- 10月 - 第48回衆議院議員総選挙に東京8区から立候補し、10選[54]。
賞
- 2001年 - 第30回ベストドレッサー賞政治・経済部門。
- 2001年 - 日本歯科医師会のベスト・スマイル・オブ・ザ・イヤー男性部門。
家族・親族
石原家
- 祖父・潔(山下汽船社員)
- 1899年(明治32年)12月生 〜 1951年(昭和26年)10月没
- 愛媛県喜多郡長浜町(現大洲市)生まれ。父・信直は警察官だった。宇和島中学 (現在の宇和島東高校)中退。14歳で山下汽船に店童として入社した。店童[55]あがりだったにもかかわらず、最後は関連会社の重役にまで出世した。
- 祖母・光子 (広島県、加藤三之助の娘)
- 1932年(昭和7年)9月生〜
- 母・典子(神奈川県、石田光治の娘)
- 1938年(昭和13年)1月生〜
- 伸晃は1988年(昭和63年)、女優・女性タレントであった田中理佐と結婚、衆議院議員選挙に初当選した1990年(平成2年)には女児が誕生した[56]。第2子として1993年(平成5年)に誕生した長男には先天性動静脈瘻があり、2度の外科手術を受けたものの生後5ヶ月で死亡した[56]。1999年(平成11年)、次男となる男児が誕生した。
- 結婚時、伸晃の母親・典子から画数の不良を指摘された田中は、自身の名前を出生名であった「理佐」から「里紗」へ改めている[56]。
その他
脚注
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- ^ “石原氏を痛烈批判=麻生氏”. ウォール・ストリート・ジャーナル. (2012年9月14日) 2012年10月1日閲覧。
- ^ “石破氏1位、党員票で圧倒=安倍氏と決選投票-自民総裁選”. 時事通信. (2012年9月26日) 2013年11月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “皇太子さまが認証式臨時代行” (日本語). ロイター. 共同通信 (トムソン・ロイター). (2016年1月28日) 2016年1月28日閲覧。
- ^ a b c “2012衆院選 比例代表 東京ブロック”. 毎日新聞. (2012年12月4日) 2014年6月11日閲覧。
- ^ http://senkyo.mainichi.jp/47shu/meikan.html?mid=A13008003003&st=tk
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- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ “島根で5度目の竹島の日 知事「世論の高揚不可欠」”. 共同通信社. 47NEWS. (2010年2月22日) 2010年11月23日閲覧。
- ^ a b “やっぱり大ウソだった「道路公団改革」の現状”. 講談社. (2003年5月14日). オリジナルの2003年6月24日時点におけるアーカイブ。 2013年11月8日閲覧。
- ^ “公団総裁解任は妥当 藤井氏の取り消し請求棄却”. 共同通信. (2006年9月6日) 2014年9月8日閲覧。
- ^ 2008年10月27日 時事通信
- ^ “反原発、「集団ヒステリー」=石原自民幹事長”. 時事通信. (2011年6月14日) 2013年11月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 1997年4月25日 読売新聞
- ^ “【自民総裁選】河野談話、靖国、尖閣で各候補の違い浮き彫り”. MSN産経ニュース. (2012年9月14日). オリジナルの2012年9月15日時点におけるアーカイブ。 2013年11月8日閲覧。
- ^ a b “【尖閣国有化】中国は「尖閣に攻めてこない」 自民・石原氏が断言”. MSN産経ニュース. (2012年9月12日). オリジナルの2012年9月12日時点におけるアーカイブ。 2013年11月8日閲覧。
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- ^ “石原伸晃氏、テレビで問題発言 福島第1原発を「サティアン」”. スポーツニッポン. (2012年9月13日) 2012年9月20日閲覧。
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- ^ https://twitter.com/kyodo_official/status/478459105804181504
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- ^ 高杉良・小宮悦子「『虚像』刊行記念特別対談――野田総理は『小泉&竹中』の負の遺産を断ち切れるか!」『週刊新潮』56巻39号、新潮社、2011年10月13日、68頁。
- ^ a b “石原伸晃氏の「エイリアン」発言 各党から批判の嵐”. スポーツニッポン. (2012年2月8日). オリジナルの2012年2月10日時点におけるアーカイブ。 2013年11月8日閲覧。
- ^ “【東日本大震災】自公、子ども手当つなぎ法案に反対へ 石原幹事長「ポルポトに与しない!」”. MSN産経ニュース. (2011年3月23日). オリジナルの2011年3月25日時点におけるアーカイブ。 2013年11月8日閲覧。
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- ^ “早くも組閣人事に色めきたつ 自民党の「気分はもう与党」”. 週刊文春. (2012年10月25日) 2014年9月8日閲覧。
- ^ 【都知事選】山口敏夫氏が石原親子を猛批判「親ばか。せがれはもっと頭が悪い」
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- ^ “石原幹事長、宗教法人に「会費」=自民支部から2年36万円—「適正に処理し報告」”. 朝日新聞. (2011年11月24日). オリジナルの2011年11月26日時点におけるアーカイブ。 2013年11月8日閲覧。
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- ^ 週刊現代 2002年12月7日号. 講談社[要ページ番号]
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- ^ [1]
- ^ “東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入”. 朝日新聞. (2012年1月8日). オリジナルの2012年1月8日時点におけるアーカイブ。 2013年11月8日閲覧。
- ^ タバコ業界からの政治献金が 受動喫煙防止の立法を妨げている -国民世論も国際的協定・趨勢も許すものではない- 子どもに無煙環境を推進協議会、日本禁煙学会理事 野上浩志
- ^ “パーティー券リストの面々”. しんぶん赤旗. (2003年9月12日) 2013年11月5日閲覧。
- ^ 2004年5月13日(木)「しんぶん赤旗」
- ^ “石原環境相への個人献金 346件すべて「団体役員」 ジャーナリスト・区議・会社社長も”. しんぶん赤旗. (2013年1月3日) 2013年11月5日閲覧。
- ^ 2008年10月18日 読売新聞
- ^ 2008年11月1日 スポーツ報知
- ^ a b c 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
- ^ http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102600588&g=pol
- ^ “Elmira College”. エルマイラ大学. 2013年11月5日閲覧。
- ^ “自由民主党役員表”. 自由民主党 (2010年9月9日). 2013年11月5日閲覧。
- ^ “選挙区 東京8区 2017 衆院選(開票速報) NHK選挙WEB”. 2017年10月23日閲覧。
- ^ 店童(てんどう)とは、海運会社独特の制度で、商店でいえば丁稚に相当し、宿舎と食事は確保してくれる代わりに、給料は一切なかった。便所掃除、社員の靴磨き、使い走り。店童は上司から命じられれば何でもやらなければならなかった。時には、質入れや、なじみの遊郭の女郎に菓子を届けることまでやらされた (『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』31頁)。
- ^ a b c 『妻の目』(石原伸晃公式ウェブサイト) 平成13年7月のエントリー、平成22年10月2日閲覧
- ^ [2]NPO法人日中国会議員書画展実行委員会
- ^ 毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録3』 p.316
関連項目
外部リンク
- 衆議院議員 石原のぶてる公式ホームページ - 公式サイト
- 石原伸晃 (ishihara.nobuteru) - Facebook
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