喜多郡
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人口13,993人、面積299.43km²、人口密度46.7人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 内子町(うちこちょう)
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 大洲市の大部分(平野町平地・平野町野田・肱川町西・肱川町予子林・河辺町河都・河辺町三嶋・河辺町川上・河辺町北平および田処の一部を除く)
- 伊予市の一部(中山町中山)
- 西予市の一部(宇和町久保)
- 内子町の一部(石畳および中野渡、吉野川、寺村、立石以東を除く)
歴史
[編集]貞観8年(866年)11月8日に宇和郡の北部が分立して成立。郡名は『日本三代実録』を初見とする。宇和郡の北部という意味の「きた」に「喜多」を当てたものと推察されている。古くは「岐多」「北」とも書かれる。
近世以降の沿革
[編集]知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 伊予大洲藩 | 2町 80村 |
大洲町[2]、長浜町[2]、柚木村、北只村[3]、松尾村、梅川村、長谷村、久保村、正信村、稲積村、野佐来村、黒木村、大竹村、菅田村、宇津村、森山村、蔵川村、大谷村、宇和川村、山鳥坂村、植松村、横山村、宮谷村、中居谷村、名荷谷村、成能村、奈良野村、弦巻村、宿間村、大久喜村、古田村、知清村、平岡村、北表村、橡谷村、大瀬村、村前村、五百木村、城廻村、内子村、河内村、論田村、立山村、川中村、袋口村、中山村、田所村、柳沢村、徳森村、田口村、中村、若宮村、五郎村、多田村、春賀村、東宇山村、八多喜村、戒川村、手成村、米津村、加屋村、大越村、上老松村、黒田村、柴村、下須戒村、櫛生村、豊茂村、穂積村、高山村、阿蔵村、大洲村、藤縄村、喜多山村、重松村、只海村、中津村、川崎村、市木村、上須戒村、今坊村、出海村 |
伊予新谷藩 | 1町 3村 |
新谷町[2]、上新谷村、下新谷村、恋木村 |
- 明治4年
- 明治5年6月23日(1872年7月28日) - 神山県の管轄となる。
- 明治6年(1873年)2月20日 - 愛媛県の管轄となる。
- 明治7年(1874年) - このころ奈良野村・弦巻村が合併して福岡村となる。(3町82村)
- 明治11年(1878年)12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、行政区画としての喜多郡が発足。郡役所が大洲町に設置。
- 明治13年(1880年) - 黒木村の一部(青島)が長浜町に編入。
- 明治15年(1882年)
- このころ上新谷村・下新谷村が合併して新谷村となる。(3町81村)
- 田処村が下浮穴郡堺村を編入。
町村制以降の沿革
[編集]- 明治22年(1889年)12月15日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足[4]。特記以外は現・大洲市。(3町33村)
- 大洲町 ← 大洲町[大洲町]、柚木村[大部分]
- 久米村 ← 阿蔵村、大洲村、高山村
- 南久米村 ← 北只村、松尾村、梅川村、長谷村、久保村、正信村、稲積村、野佐来村、黒木村、柚木村[一部]
- 菅田村 ← 菅田村、大竹村、宇津村
- 大成村 ← 成能村、森山村
- 蔵川村 ← 蔵川村、宇和川村[一部]
- 大谷村(単独村制)
- 宇和川村 ← 名荷谷村、中居谷村、宇和川村[大部分]
- 山鳥坂村 ← 山鳥坂村、宇和川村[一部]、横山村[一部]、北表村[一部]、只海村[一部]
- 奥南村 ← 川崎村、宮谷村、植松村、橡谷村、中津村、横山村[大部分]
- 御祓村 ← 北表村[大部分]、只海村[大部分](現・内子町)
- 天神村 ← 平岡村、重松村、宿間村、福岡村(現・内子町)
- 五十崎村 ← 古田村、大久喜村(現・内子町)
- 内子町 ← 内子村、知清村(現・内子町)
- 五城村 ← 五百木村、城廻村(現・内子町)
- 村前村、大瀬村(それぞれ単独村制。現・内子町)
- 立川村 ← 立山村[大部分]、川中村、河内村[一部](現・内子町)
- 満穂村 ← 袋口村、論田村、河内村[大部分]、立山村[一部](現・内子町)
- 柳沢村 ← 柳沢村、藤縄村
- 田処村(田所村が単独村制)
- 喜多山村 ← 喜多山村、恋木村
- 新谷村 ← 新谷町、新谷村
- 喜多村 ← 中村、大洲町[常盤町]、若宮村、五郎村
- 平村 ← 田口村、市木村、徳森村
- 三善村 ← 春賀村、多田村、東宇山村
- 粟津村 ← 八多喜村、米津村、手成村
- 上須戒村(単独村制)
- 柴村 ← 柴村、下須戒村[都梅・峰大越・小田際]
- 滝川村 ← 戒川村、加屋村、大越村
- 相生村 ← 穂積村、下須戒村[都梅・峰大越・小田際を除く]、上老松村[大部分]
- 豊茂村、出海村、櫛生村(それぞれ単独村制)
- 長浜町 ← 長浜町、青島[5]、上老松村[一部]
- 喜多灘村 ← 今坊村、黒田村
- 中山村が下浮穴郡中山村の一部となる。
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治32年(1899年)4月1日 - 西宇和郡平野村の所属郡が本郡に変更。(3町34村)
- 明治41年(1908年)
- 明治42年(1909年)1月1日(3町31村)
- 柳沢村・田処村が合併し、改めて柳沢村が発足。
- 山鳥坂村・奥南村が合併して河辺村が発足。
- 大正9年(1920年)5月21日 - 五十崎村が町制施行して五十崎町となる。(4町30村)
- 大正10年(1921年)11月1日 - 大成村・蔵川村が合併して大川村が発足。(4町29村)
- 大正11年(1922年)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)8月1日 - 南久米村の一部(柚山)が大洲町に編入。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和4年(1929年)12月26日 - 村前村が分割し、一部(池窪・亀井)が天神村に、一部(本村・喜田村・甲上日地・乙上日地・穂積)が大瀬村に、残部(中土・長前・北浦・深谷・下成・上成)が五城村にそれぞれ編入。(4町25村)
- 昭和9年(1934年)1月1日 - 大洲町・大洲村・久米村が合併し、改めて大洲町が発足。(4町23村)
- 昭和18年(1943年)
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 大川村が肱川村の一部(宇和川の一部)を編入。
- 昭和26年(1951年)1月1日 - 肱川村の一部(北平・川上・川崎・宮谷・横山・植松・橡谷および山鳥坂の一部)が分立して河辺村が発足。(4町22村)
- 昭和29年(1954年)9月1日(3町11村)
- 五十崎町・天神村・御祓村が合併し、改めて五十崎町が発足。
- 大洲町・平野村・南久米村・菅田村・大川村・柳沢村・新谷村・三善村・粟津村・上須戒村が合併して大洲市が発足し、郡より離脱。
- 昭和30年(1955年)
- 昭和34年(1959年)11月3日 - 肱川村が町制施行して肱川町となる。(4町1村)
- 平成17年(2005年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 38 愛媛県、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]先代 宇和郡 |
行政区の変遷 866年 - |
次代 (現存) |