浮穴郡
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郡域
[編集]現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。
- 松山市の一部(井門町、森松町、南高井町以南)
- 伊予市の一部(双海町各町・中山町出渕・中山町栗田・中山町佐礼谷・平岡・上唐川・両澤・鵜崎)
- 東温市の一部(牛渕、田窪、見奈良、南方、則之内、河之内より南西)
- 大洲市の一部(河辺町河都・河辺町三嶋・河辺町川上・河辺町北平および田処の一部)
- 西予市の一部(野村町小松・野村町大野ケ原)
- 上浮穴郡久万高原町、伊予郡砥部町の全域
- 喜多郡内子町の一部(石畳および中田渡、吉野川、寺村、立石以東)
歴史
[編集]近世以降の沿革
[編集]- 所属町村の変遷は上浮穴郡#郡発足までの沿革、下浮穴郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(103村)
- 明治4年
- 明治5年
- 明治6年(1873年)2月20日 - 全域が愛媛県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、久万町村ほか42村の区域に上浮穴郡、見奈良村ほか62村の区域に下浮穴郡がそれぞれ発足。同日浮穴郡消滅。
脚注
[編集]- ^ 大洲市田処の一部は境界線の比定が困難なため未反映。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 38 愛媛県、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]先代 ----- |
行政区の変遷 - 1878年 |
次代 上浮穴郡・下浮穴郡 |