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満穂村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みつほむら
満穂村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 新設合併
満穂村立川村・内子町・五城村大瀬村内子町
現在の自治体 内子町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
喜多郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,526
(1921年)
隣接自治体 中山町・立川村・内子町・柳沢村・下灘村(廃止時)
満穂村役場
所在地 愛媛県喜多郡満穂村大字河内
座標 北緯33度34分42秒 東経132度38分53秒 / 北緯33.57822度 東経132.64808度 / 33.57822; 132.64808座標: 北緯33度34分42秒 東経132度38分53秒 / 北緯33.57822度 東経132.64808度 / 33.57822; 132.64808
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満穂村(みつほむら)は、1955年昭和30年)まで愛媛県喜多郡にあったである。

現在の喜多郡内子町の西北、伊予市の下灘地域に接する地域にあたる。中山川の支流麓川の流域。

地理

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現在の喜多郡内子町の西北部。北は牛ノ峰、黒山など標高700から800m級の山々で伊予郡下灘村、伊予郡中山町と接する。麓川が村内を南流し、五城村へと流れている。西は柳沢村と接する。麓川にそって所々に集落が形成され、傾斜地を利用した農業が営まれている。

歴史

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藩政期

明治以降

  • 1889年(明治22年) - 町村制実施により成立。喜多郡に属す。
  • 1908年(明治41年) - 伊予郡下灘村大字石畳を編入、同村大字石畳とする。
  • 1914年(大正2年) - 一部(袋口(ふろく)字鈴木、程野、横平)を喜多郡立川村へ編入
  • 1955年(昭和30年) - (旧)内子町、五城村大瀬村、立川村との合併により、新たな内子町となる。
満穂村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)
            町村制施行時
論田   ━━┓        (明治41年9月30日境界変更)
       ┣━━━  満穂村 ━━━━━┳━━━━━┓ 
河内   ━━┫             ┃     ┃
       ┃             ┃     ┃
袋口   ━━┛        伊予郡下灘村大字石畳  ┃  (昭和30年1月1日合併)      
                           ┣━━━━ 内子町
              立川村    ━━━━━━┫     
               大瀬村    ━━━━━━┫       
              (旧)内子町 ━━━━━━┫
              五城村    ━━━━━━┛     
             
(注記)立川村ほかの合併まで、及び内子町の平成の合併の系譜については、それぞれの町村の記事を参照のこと。

地域

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発足時の袋口(ふろく)、論田(ろんでん)、河内(かわのうち)の旧3村がそのまま大字となった。後に、伊予郡下灘村から境界変更した大字石畳が加わる。内子町になって後に大字は省くようになった。 おおむね麓川の上流から、石畳、袋口、河内、論田と集落(大字)が続く。

行政

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役場は大字河内においた。

産業

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米、雑穀、栗、タバコ草等を産する。『大日本篤農家名鑑』によれば満穂村の篤農家は、「佐田都太司」のみである[1]

交通

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街道からも外れ、鉄道等はない。

出身者

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脚注

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  1. ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月17日閲覧。

関連項目

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