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2016年11月13日 (日) 03:31時点における版

藤井 孝男
ふじい たかお
生年月日 (1943-03-14) 1943年3月14日(81歳)
出生地 東京府
出身校 成城大学経済学部卒業
前職 アラビア石油従業員
政治家秘書
現職 全国治水砂防協会理事
岐阜県ラグビーフットボール協会会長
所属政党自由民主党→)
無所属→)
(自由民主党→)
たちあがれ日本→)
太陽の党→)
日本維新の会→)
次世代の党→)
(無所属→)
自由民主党
称号 経済学士(成城大学・1965年
親族 藤井丙午
公式サイト 藤井たかお

日本の旗 第73代 運輸大臣
内閣 第2次橋本改造内閣
在任期間 1997年9月11日 - 1998年7月30日

選挙区旧岐阜2区→)
岐阜4区→)
比例東海ブロック→)
(岐阜4区→)
比例東海ブロック
当選回数 5回
在任期間 1993年7月 - 2005年8月8日
2012年12月21日[1] - 2014年11月21日

選挙区 岐阜県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1981年2月1日 - 1993年6月18日
2007年7月 - 2012年12月4日
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藤井 孝男(ふじい たかお、1943年3月14日 - )は、日本政治家社団法人全国治水砂防協会理事、元社団法人日本プロテニス協会会長(名誉顧問)。

参議院議員(4期)、参議院大蔵委員長、運輸大臣第73代)、衆議院議員(5期)、衆議院議院運営委員長、衆議院予算委員長、参議院懲罰委員長たちあがれ日本太陽の党参議院代表、日本維新の会国会議員団総務会長兼選挙対策委員長、次世代の党顧問・総務会長兼選挙対策委員長などを歴任。

来歴・人物

生い立ち

1943年東京府(のちの東京都)にて、新日本製鐵副社長や参議院議員をつとめた藤井丙午三男として生まれた。岐阜県白川町出身。

1965年3月、成城大学経済学部卒業。同年4月アラビア石油株式会社入社。1971年より2年間カタール石油株式会社に出向し、アラビア半島カタール国で石油開発事業に従事。1973年、アラビア石油株式会社に復帰し、水野惣平社長秘書として勤務。

12年間のサラリーマン生活を経て、1977年に退社し父である参議院議員・丙午の秘書となる[要出典]

自民党時代

1981年、父・藤井丙午の死去により、参議院岐阜県選挙区補欠選挙に自民党新人として立候補し初当選。1986年7月の参議院議員2期目当選、第3次中曽根内閣で大蔵政務次官。1992年7月に参議院議員3期目当選を果たし、参議院自民党国会対策委員長等の要職を歴任した。1993年6月、参議院議員を辞職し、同年7月の第40回衆議院議員総選挙旧岐阜2区から鞍替え出馬、衆議院議員に当選する。以後4期連続当選。ただし、1996年小選挙区制導入後は岐阜4区で重複する同じ自民党の金子一義コスタリカ方式をとり、2000年第42回衆議院議員総選挙では比例東海ブロックから比例区のみでの立候補者として自民党の1位(単独)で当選した。

1997年9月の第2次橋本改造内閣運輸大臣に就任。衆議院議院運営委員長には、ゼネコン汚職事件で二審有罪判決懲役1年6ヶ月・追徴金1000万円)が出た中村喜四郎への議員辞職勧告決議本会議上程の採決が2001年5月18日に委員会で可否同数になった時、委員長決裁で否決とした。

予算委員長などを歴任する。2003年9月には野中広務の支援により、現職の総裁小泉純一郎の再選を阻止するため、橋本派(平成研究会)の候補として党総裁選に立候補する。しかし、橋本派では藤井の兄貴分である村岡兼造や、参議院の実力者である青木幹雄らが小泉再選を支持し、派閥が分裂、小泉に敗れた。その後の人事で金子が閣僚に就任したことは、小泉による藤井の総裁選出馬への意趣返しとも言われた[要出典]

郵政国会以降

2005年7月5日郵政国会で反対票を投じた。このため同年9月11日第44回衆議院議員総選挙では自由民主党の公認を得られず無所属で出馬。同党公認で出馬した金子に惜敗。その後自民党から正式に離党勧告処分が下り、離党する(野田聖子佐藤ゆかり金子一義古屋圭司松田岩夫の項も参照)。

2006年11月、「自由民主党に復党し、2007年参議院選挙に出馬し、参議院に鞍替えする」と報道されたが、郵政造反組復党問題に絡み現職議員以外の復党は参院選終了後まで認めないと党は決定したため、結局無所属で自民党の推薦を受けて出馬することとなった[要出典]

2人区の岐阜県選挙区の2007年改選の議員に大野つや子がいたために、自民党岐阜県連は大野を公認候補とし、藤井を推薦候補としようとしたが、同士討ちが予想されたため大野が反発[要出典]。しかし、2月に大野が2007年参議院選挙に立候補をせずに引退することを表明したため、岐阜県選挙区の与党系候補は藤井に統一された。2007年参議院選挙では、農村・山間部の保守層を中心に支持を集め、トップ当選。同年8月1日、自民党は、2007年参議院議員選挙で大敗したため欠員が生じている同党の党紀委員会の審査を経ずに、委員長・笹川尭の職権で仮復党を認めた。同年9月7日、党紀委員会で正式に復党が認められ、古巣の津島派に復帰した。2009年9月、参議院懲罰委員長に就任。

自民党離党

2010年4月8日、自民党総裁の谷垣禎一に直接会って離党届を提出し、同年4月10日に結党されたたちあがれ日本に参加、党参議院会長に就任。自民党会派を離脱したことを受けて、同年4月14日に参議院懲罰委員長を辞任した。自民党宛の離党届は同年4月27日の党紀委員会で了承された[要出典]

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙において参議院議員から鞍替えし、比例東海ブロック日本維新の会からの出馬を表明した[2]

同年12月4日、第46回衆議院議員総選挙の公示を受けて比例東海ブロックへ日本維新の会から単独立候補1位として出馬し、公職選挙法の規定により参議院議員を退職(失職)。選挙の結果、衆議院議員に当選した。維新では国会議員団総務会長兼国会議員団選挙対策委員長を務めた。なお、日本維新の会執行役員で総務会長を務めていた大阪府議会議員の東徹2013年の参議院議員選挙で当選し、参議院議員となったが、国会議員団総務会長は引き続き藤井が務めた[要出典]

2014年日本維新の会分党にともない次世代の党に参加。同党総務会長、選挙対策委員長に就任した[要出典]

同年12月14日、第47回衆議院議員総選挙に比例東海ブロックへ次世代の党から単独立候補1位として出馬したが、落選した。選挙後、太陽の党に移籍した園田博之に代わり党顧問に就任した[要出典]

自民党復党

2015年9月28日、自民党岐阜県連に復党願を提出[3]2016年3月、自民党は復党を認める方針を示した[4]。その後、3月22日に復党が了承された[5]

政策

政治資金

主な所属団体・議員連盟

脚注

  1. ^ 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号(平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)
  2. ^ 中日新聞:藤井参院議員がくら替え出馬 維新、東海比例単独で:政治(CHUNICHI Web)
  3. ^ 自民の岐阜県連が藤井氏復党容認 次世代を離党 日本経済新聞 2015年9月28日
  4. ^ 藤井孝男氏、自民党に復党へ読売新聞 2016年3月10日
  5. ^ 自民党:藤井氏と坪井氏が復党毎日新聞 2616年3月22日
  6. ^ a b c d e f g h i j 2014衆院選 東海ブロック 藤井 孝男 - 毎日新聞
  7. ^ 第174回国会 法務委員会 請願 1553号
  8. ^ IWJ Independent Web Journal 2011/11/07 TPP交渉参加に慎重な対応を求める議員集会
  9. ^ しんぶん赤旗 2003年9月12日 パーティ券リストの面々
  10. ^ http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm
  11. ^ 裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら しんぶん赤旗 2008年12月21日(2009年3月12日閲覧)
  12. ^ 西松建設献金事件:14議員らに6360万円 大半「認識なし」--04~06年計 毎日新聞 東京朝刊 2009年3月15日

関連項目

外部リンク

議会
先代
中曽根弘文
日本の旗 参議院懲罰委員長
2008年 - 2010年
次代
浅野勝人
先代
津島雄二
日本の旗 衆議院予算委員長
2002年 - 2003年
次代
笹川堯
先代
大島理森
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第58・59代:2000年 - 2002年
次代
鈴木宗男
先代
梶原清
日本の旗 参議院大蔵委員長
1989年 - 1990年
次代
大河原太一郎
公職
先代
古賀誠
日本の旗 運輸大臣
第73代:1997年 - 1998年
次代
川崎二郎
党職
先代
結成
次世代の党
総務会長兼選挙対策委員長

初代 : 2014年
次代
江口克彦(総務会長)
浜田和幸(選挙対策委員長)
先代
上野宏史(国会議員団総務会長)
水戸将史(選挙対策委員長)
日本維新の会国会議員団
総務会長兼選挙対策委員長

第2代 : 2012年 - 2014年
次代
松浪健太
先代
結成
たちあがれ日本参議院代表
初代 : 2010年 - 2012年
次代
太陽の党日本維新の会