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アラビア石油

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富士石油 > アラビア石油
アラビア石油株式会社
ARABIAN OIL COMPANY, LTD.
種類 株式会社
市場情報 非上場
東証1部 1603
1970年2月 - 2003年1月
大証1部(廃止) 1603
1970年2月 - 2003年1月
本社所在地 日本の旗 日本
140-0002
東京都品川区東品川2-5-8
天王洲パークサイドビル
設立 1958年2月10日
業種 石油・石炭製品
法人番号 8010701015635 ウィキデータを編集
代表者 代表取締役社長 菊池一夫
資本金 1億円
売上高 527億400万円(2014年3月期)
経常利益 7億9800万円(2014年3月期)
純利益 4億4100万円(2014年3月期)
純資産 204億6900万円(2014年3月期)
総資産 210億4200万円(2014年3月期)
従業員数 13名(2014年3月31日現在)
決算期 3月
主要株主 富士石油株式会社
関係する人物 山下太郎
石坂泰三
水野惣平
小林中
大滋弥嘉久
江口裕通
小長啓一
坂本吉弘
外部リンク http://www.foc.co.jp/ja/aoc.html
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アラビア石油株式会社(アラビアせきゆ、ARABIAN OIL COMPANY, LTD.)は、石油天然ガスの開発事業を主業務としていた日本企業である。現在は開発事業から事実上撤退し、クウェートからの原油購入・販売を主業務としている。 

概要

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1958年昭和33年)に「アラビア太郎」あるいは「山師太郎」などと呼ばれた山下太郎が設立した。国策油田を持とうと設立された石油業界の結束企業だった[1]。「日の丸油田」と呼ばれる日本の自主開発油田をサウジアラビアクウェートなどから獲得し、日本の自主開発油田の約50%を占める採掘を行い、石油の安定供給に貢献してきた。

大規模海底油田カフジ油田は、硫黄(いおう)含有量が多く、重質油であった。需要先と協力して排煙脱硫装置を設置するなどの努力を重ねるとともに、1971年(昭和46年)重質油の分解処理に携わるユリカ工業を設立した。

1968年(昭和43年)から1985年(昭和60年)の間、国内経常利益ベストテン企業に登場し、1974年 - 1976年(昭和49年 - 51年)、1979年 - 1980年(昭和54年 - 55年)の間、経常利益でトヨタ自動車などを抑え首位であった[1]

その後、サウジアラビアとクウェートとの石油利権協定を延長するための交渉が行われてきた。サウジアラビアとの交渉では、利権更新の条件として日本の負担による鉱山鉄道の建設・運営を求めるサウジアラビア側と、採算の問題から難色を示す日本側との交渉が難航。結局、石油利権の更新はならず、2000年(平成12年)にサウジアラビアの採掘権を失った。この結果、日量約30万バレルの権益の半分がサウジアラビアに接収されることになった。

2003年(平成15年)にはクウェートの採掘権を失った。ただし、クウェートとは2023年までの原油売買契約が結ばれている。以降はクウェートを中心にオペレーターを務める企業などに技術者を派遣する形で事業の継続を行ってきた。また同2003年(平成15年)、富士石油と経営統合し、持株会社AOCホールディングスを設立、富士石油とともにその子会社となった。

2008年(平成20年)にクウェートとの技術サービス契約が終了し、事業規模が縮小。

2012年(平成24年)12月、持株会社AOCホールディングスは、石油・天然ガスの開発・生産事業(石油上流事業、"アップストリーム")からの事実上の撤退を発表[2]

2013年(平成25年)4月1日、会社分割によりJX日鉱日石開発テクニカルサービス株式会社を設立し、石油上流事業関連の人員を承継した上で、その全株式をJX日鉱日石開発(現・JX石油開発)株式会社に譲渡した[2][3][4]

2013年(平成25年)にAOCホールディングスは富士石油株式会社となり、現在は富士石油の子会社となった。

沿革

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  • 1957年昭和32年)12月 - 日本輸出石油株式会社がサウジアラビアで採掘権を獲得。
  • 1958年(昭和33年)
    • 2月 - アラビア石油株式会社設立。日本輸出石油からサウジアラビアの利権を継承。
    • 7月 - クウェートでの採掘協定締結(発行日より44年半)。
  • 1960年(昭和35年)1月 - 大規模海底油田発見。カフジ油田(サウジアラビア)命名(2月28日公式宣言)。
  • 1961年(昭和36年)
  • 1963年(昭和38年)11月 - 新油田発見。フート油田(サウジアラビア)と命名
  • 1967年(昭和42年)
  • 1970年(昭和45年)
    • 2月 - 東京証券取引所、大阪証券取引所市場第一部に指定替え。
    • 7月 - 中立地帯陸上行政権分割。
  • 1974年(昭和49年)8月 - クウェートと60%事業参加協定締結、同年1月に遡及して実施。
  • 1981年(昭和56年)1月 - サウジアラビアと60%事業参加覚書締結、74年1月に遡及して実施
  • 1990年平成2年)6月 - ノルウェーギダ油田生産開始。
  • 1991年(平成3年)1月 - 湾岸戦争により、約4ヶ月間停止操業。
  • 1993年(平成5年)10月 - 中国南シナ海珠江口沖陸豊13-1油田生産開始。
  • 2000年(平成12年)2月 - サウジアラビアでの採掘権契約終了、2003年(平成15年)1月までアラムコ・ガルフ・オペレーションズ・カンパニーと共同操業。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月 - クウェートでの採掘権契約終了、クウェートでの技術サービス契約、原油売買契約、融資契約を締結。
    • 1月 - 持株会社AOCホールディングスを設立し、富士石油株式会社と経営統合。
    • 5月 - AOCエネルギー開発株式会社を吸収合併
  • 2004年(平成16年)
  • 2005年(平成17年)
    • 2月 - エジプト石油公社よりエジプト・アラブ共和国スエズ湾のノースウェスト・オクトーバー鉱区を落札。
    • 6月 - イラク石油省と技術協力に関する覚書を締結。
    • 7月 - エジプト政府およびエジプト石油公社と同国スエズ湾ノースウェスト・オクトーバー鉱区の石油・ガス開発に関する生産分与契約を締結。
  • 2006年(平成18年)
    • 9月 - エジプト・スエズ湾ノースウェスト・オクトーバー鉱区において試掘成功。
    • 10月 - イラク石油省と技術協力に関する覚書を更新。
  • 2008年(平成20年)
    • 1月 - クウェートでの技術サービス契約が期間満了により終了。
    • 3月 - エジプト・スエズ湾サウス・ゼイト・ベイ鉱区の権益を放棄(試掘失敗による)。
  • 2009年(平成21年)2月 - 中国の陸豊13-1油田の商業生産終了。
  • 2010年(平成22年)1月 - クウェートとの原油売買契約の規模を日量10万バーレルから4万バーレルに変更。
  • 2013年(平成25年)
    • 1月 - クウェートとの原油売買契約の規模を日量2万バーレルに変更。
    • 3月 - 資本金を1億円に減資。
    • 4月 - 会社分割によりJX日鉱日石開発テクニカルサービス株式会社を設立し、石油・天然ガスの開発・生産事業関連の人員を承継した上で、その全株式をJX日鉱日石開発株式会社に譲渡。
    • 5月 - 開発中のノルウェー領北海イメ油田の権益を持つ現地法人Norske AEDC ASをクウェイト石油公社の孫会社に売却することを発表[5]

事業所

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関連項目

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関連人物

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脚注

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  1. ^ a b 『日本の戦後まるごとデータ博物館』 監修日下公人・戦後データ編纂プロジェクト編、日本文芸社、1995年初版発行 p28 - p30
  2. ^ a b アラビア石油が新たに設立する子会社の株式譲渡に関するお知らせ - AOCホールディングス2012年12月27日
  3. ^ アラビア石油の分割子会社に関するお知らせ(開示事項の経過報告) - AOCホールディングス2013年2月8日
  4. ^ アラビア石油の子会社の株式譲渡完了に関するお知らせ(開示事項の経過報告) - AOCホールディングス2013年4月1日
  5. ^ アラビア石油の子会社(ノルウェー法人)の譲渡に関するお知らせ - AOCホールディングス2013年5月2日