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「仙台市」の版間の差分

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| 公明党仙台市議団 || style="text-align:right" | 9 ||[[公明党]]|| ◎嶋中貴志、鈴木広康、鎌田城行、小野寺利裕、小田島久美子、佐藤和子、佐々木真由美、佐藤幸雄、竹中栄雄
| 公明党仙台市議団 || style="text-align:right" | 9 ||[[公明党]]|| ◎嶋中貴志、鈴木広康、鎌田城行、小野寺利裕、小田島久美子、佐藤和子、佐々木真由美、佐藤幸雄、竹中栄雄
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| 民主フォーラム仙台 || style="text-align:right" | 9 ||[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]・[[国民民主党 (日本 2018-)|国民民主党]]|| ◎村上かずひこ、佐藤わか子、渡辺敬信、沼沢しんや、細野たかし、鈴木すみえ、郷古正太郎、貞宗けんじ、山下純
| 民主フォーラム仙台 || style="text-align:right" | 9 ||[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]・[[国民民主党 (日本 2018-)|国民民主党]]|| ◎村上かずひこ、佐藤わか子、渡辺敬信、沼沢しんや、細野たかし、鈴木すみえ、郷古正太郎、貞宗けんじ、山下純
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| 日本共産党仙台市議団 || style="text-align:right" | 6 ||[[日本共産党]]|| ◎嵯峨サダ子、ふるくぼ和子、すげの直子、庄司あかり、高見のり子、高村直也
| 日本共産党仙台市議団 || style="text-align:right" | 6 ||[[日本共産党]]|| ◎嵯峨サダ子、ふるくぼ和子、すげの直子、庄司あかり、高見のり子、高村直也
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!選挙区!!氏名!!会派名!!備考
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| rowspan="7" | [[青葉区 (仙台市)|青葉区]] (7) || 遊佐美由紀 || みやぎ県民の声 || 所属党派は[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]
| rowspan="7" | [[青葉区 (仙台市)|青葉区]] (7) || 遊佐美由紀 || みやぎ県民の声 || 所属党派は[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]
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|| 遠藤伸幸 || [[公明党]]県議団 ||
|| 遠藤伸幸 || [[公明党]]県議団 ||

2020年11月1日 (日) 09:43時点における版

せんだいし ウィキデータを編集
仙台市
ファイル:SendaiTop.png
仙台市旗 仙台市章
仙台市旗 仙台市章
1933年昭和8年)
9月5日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
市町村コード 04100-9
法人番号 8000020041009 ウィキデータを編集
面積 786.35km2
総人口 1,096,168[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 1,394人/km2
隣接自治体
市の木 ケヤキ
市の花 ハギ
市の鳥
市の虫
カッコウ
スズムシ
仙台市役所
市長 郡和子
所在地 980-8671
宮城県仙台市青葉区国分町三丁目7番1号
北緯38度16分5.6秒 東経140度52分9.9秒 / 北緯38.268222度 東経140.869417度 / 38.268222; 140.869417座標: 北緯38度16分5.6秒 東経140度52分9.9秒 / 北緯38.268222度 東経140.869417度 / 38.268222; 140.869417
地図
市庁舎位置

仙台市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

仙台市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

仙台市行政区画図

ウィキプロジェクト
仙台市5区 色分け地図

仙台市(せんだいし)は、宮城県の中部に位置する。宮城県の県庁所在地であり、東北地方唯一の政令指定都市。人口約109万人を有し、東北地方最大の都市でもある。

概要

節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力 - KML

仙台市都心部周囲には広瀬川青葉山などの自然があり、また都心部にも街路樹などの緑が多いことから、「杜の都」との雅称をもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」などのキャッチコピーも用いている。東北を代表する港湾およびサーフスポットである仙台港仙台塩釜港)が北東部に、宮城県内の純観光地の中で宿泊客数第1位を誇る秋保温泉が南西部に、宮城県内で利用者数1位を誇るスプリングバレー泉高原スキー場が北西部にある。中国では、魯迅留学した都市として知られる。

東日本等や海外(参照)の商店街イベントとして定着した七夕まつり(仙台七夕)、旧・仙台藩地域での仙台初売り、地方では困難な公的財源に頼らない大規模イルミネーションイベントのSENDAI光のページェント、「街角無料音楽祭」の定禅寺ストリートジャズフェスティバル、および、それがバリアフリー化したとっておきの音楽祭等、市民が中心となって創り上げた都市イベントを数々生み出しており、その運営ノウハウやフォーマットを市外・県外に移出する文化都市でもある。

現在の仙台市の推計人口は、東北地方の中で最も多い約110万人で、宮城県民の48.8%が居住し、秋田県山形県よりも人口が多い。その仙台市が県内総生産の55.5%、県民所得の58.3%を占めており(2013年度)[1]、「仙台一極集中」と言われることがある[2][3][4]。また、仙台都市圏広域行政圏)の推計人口は約153万人で、宮城県民の68.2%が居住する。このような集積度と東北における拠点性により、物販面では隣県に及ぶ仙台経済圏を形成している。

当市はかつての宮城郡南部と名取郡北部に市域が広がるが、両郡の東部に広がる仙台平野(狭義)は、西と北を陸前丘陵[注 1]、東を太平洋仙台湾、南を阿武隈川に囲まれる。また、同平野の北部は長町-利府線断層帯[5] を境に、北西側が洪積台地、南東側が沖積平野に分かれる[6]。当地は、畿内に端を発する山道(後に東山道に再編)と海道(後に東海道に再編)とが合一する唯一の地[注 2]であり、その合一した街道は後年、奥大道東街道と名称を変えながらも同断層帯およびそれに続く高舘丘陵[注 1]の東縁に沿って南北に通る重要な道として存在し続けた。伊達政宗による仙台開府以前の当地では、この街道沿いを中心に、同断層帯・丘陵より東側の沖積平野にある自然堤防などの微高地(以下「東方微高地」)にのみ町場が形成された[7]。「東方微高地」には、4世紀末頃に東北最大の雷神山古墳(現名取市北緯38度9分4.2秒 東経140度52分46.9秒)や県内2位の遠見塚古墳北緯38度14分17.5秒 東経140度54分52秒)が築造され、7世紀半ばの陸奥国設置後は国府とされる郡山遺跡北緯38度13分24.5秒 東経140度53分34秒[8][注 3]多賀城(現多賀城市北緯38度18分23.8秒 東経140度59分18秒[9]、さらに陸奥国分寺北緯38度15分3.3秒 東経140度54分10秒)や陸奥国分尼寺北緯38度15分6.3秒 東経140度54分34秒)など同国の重要施設も置かれた。

多賀城が11世紀前半[注 4]に国府としての機能を失うと、陸奥国府は陸奥府中の南西部にあたる現・JR岩切駅北緯38度18分3.3秒 東経140度57分15.6秒)周辺の七北田川沿い「東方微高地」に移転し、南北朝時代まで続いた[10]12世紀には陸奥国府は多賀国府とも呼ばれるようになり、国府周辺には多賀国府町(たがのこう町)と呼ばれる、陸奥国の政治・経済の中心地としての町場が戦国時代まで続いた[10][11][12]。当時のその他の町場には、原町宿場[注 5]、陸奥国分寺の門前町である国分日町国分氏小泉城下町[13]粟野氏北目城下町北緯38度13分19.2秒 東経140度53分52.5秒[14]などがあり、いずれも「東方微高地」にあった[7][15]

慶長5年12月24日1601年1月28日)より政宗は、伝統的な当地の中心地である「東方微高地」ではなく、同断層帯より西側の洪積台地に広がる広瀬川の河岸段丘上に仙台城(青葉城、北緯38度15分10.2秒 東経140度51分23秒)および仙台城下町北緯38度15分36.9秒 東経140度52分14.5秒)を建設して仙台藩62万の中心地とした[16]。城下は、南北道の奥州街道と、仙台城大手門から石巻街道塩竈街道)へとつながる東西道の大町とが交差する芭蕉の辻を商業中心とし、国分日町が移転してきた国分町[注 6][注 7]、北目城下町が移転してきた北目町[注 8][注 7]、そして伊達氏に従って移転してきた御譜代町6などの町人町を城下の街道沿いに配置した[12][15]。「東方微高地」では、小泉城および小泉城下町が政宗によって再編されて若林城北緯38度14分12.2秒 東経140度54分7.8秒)および若林城下町となったが、死後に廃城および仙台城下町に吸収合併された[12]。また、原町の宿場は石巻街道(塩竈街道)下り第一宿駅原町宿北緯38度15分52.1秒 東経140度54分1.8秒[注 5]に再編され、旧・北目城下町の西隣には奥州街道上り第一宿駅の長町宿北緯38度13分50.8秒 東経140度53分7.9秒[注 3]が設置され、それぞれ仙台城下町とコナベーションした。この結果、仙台は「2城下2宿場連接都市」の様相を呈した。またこれ以降、奥羽(東北地方)最大都市となった(参照)。旧・陸奥府中では、塩竈(現塩竈市北緯38度19分4.1秒 東経141度1分13.9秒)が仙台城下町の外港として発展し、塩竈と仙台との間に造られた運河系により物流の中継地となった蒲生(北緯38度15分33.5秒 東経141度0分28.8秒)や原町も発展した。

明治になると、東京青森のほぼ中間(双方からともに約350km)に位置する当地に、東北鎮台(→仙台鎮台→第2師団)が設置されて陸軍施設が集まり、「軍都」の側面を持ち始めた。1878年(明治11年)に仙台区となり、1882年(明治15年)に木道社が日本初の人車軌道(後に日本で2番目[17]馬車軌道に転換)を仙台 - 蒲生間に開業。1887年(明治20年)には旧制二高が創立、日本鉄道(現JR東北本線仙台駅も設置された。同駅の設置により、木道社は廃業して蒲生は中継地としての地位を失い、船運中心の江戸時代に発展した石巻塩竈から、鉄道が集積する仙台に商権が移って[18]、現在に至る「商都」の側面を手に入れた。

1889年(明治22年)4月1日市制施行。日露戦争を機に1907年(明治40年)には東北帝国大学(現・東北大学)が創立し、「学都」としての地位を確立。また、同年から大正昭和初期にかけて「五大事業[注 9]」を推進して近代都市へと脱皮し、「森の都」や「杜の都」と呼ばれるようになった。中心商業地は一番町へと移り(参照)、郊外ではかつて宮城郡役所が置かれた原町、名取郡役所が置かれた長町など隣接町村と合併して、これら新市域に工場地区を形成した。また、秋保電気鉄道日本初の旅客用地下鉄を開業した宮城電気鉄道等の沿線には行楽地が開発された。

1941年(昭和16年)、鉱工業が発達する福島県秋田県に続いて東北地方で3番目に日本銀行の支店が置かれるなど、太平洋戦争前後に中央省庁出先機関が集積する「行政都市」としての側面を得た[19]統制経済下で困窮した商工業者が満州国に渡って仙台村を拓いたり、仙台空襲により中心部が廃墟となったりした戦争が終わると、仙台駅前には大規模な闇市が生まれ、東北各地との間で鉄道を使った物資の集散もなされた(参照)。戦後占領期には戦災復興事業により、市街地に広幅員道路が縦横に建設されて現在の都心部の基盤となった。また、闇市に替わって公定価格マーケットや路上の屋台が市民生活を支える一方、宮城県に進駐した約1万人のGI向けに仙台駅北側のX橋(宮城野橋)周辺には歓楽街が誕生。X橋は日本ハードボイルド小説の嚆矢の舞台となった[20]

高度経済成長期になると、企業の支店が多く進出して第三次産業が伸長し、「札仙広福」と並び称される支店経済都市となった。また、1964年(昭和39年)の新産業都市指定を機に、都市計画区域を隣接する宮城郡泉町(1971年より泉市北緯38度19分34.9秒 東経140度52分53.8秒)・宮城町北緯38度16分7.2秒 東経140度45分50.3秒)、名取郡秋保町北緯38度15分30.1秒 東経140度40分16.9秒)に広げ[21]、さらに1970年(昭和45年)には12市町による「仙塩広域都市計画区域」が指定された[22]。すると人口集中地区 (DID) の急速な拡大とモータリゼーションが促進され、都心部の交通渋滞解決の必要から国道4号仙台バイパス沿いに工業・流通地区を新設、業者が移転して空いた国分町は歓楽街に転換していった。また仙台市地下鉄の計画も始まり、1976年(昭和51年)には仙台市電が廃止された。市電廃止は、「2城下2宿場連接都市」期における市街地の縁にあって、かつ市電と鉄道のターミナルだった北仙台・原町・長町の市内3拠点の商業中枢性を奪う結果も招いた[21]

1962年度(昭和37年度)から県内総生産で[23]1980年(昭和55年)国勢調査からは人口でも(参照)、福島県を抜いて宮城県が東北最大県となった。すると仙台市は、泉・宮城・秋保の1市2町を編入合併し、県から権限を移譲されて市制100周年の1989年平成元年)4月1日に全国で11番目となる政令指定都市に移行(参照)。この間、1982年(昭和57年)の東北新幹線開業に合わせ、仙台駅の建て替えと大規模なペデストリアンデッキを伴う駅前整備がなされ、1987年(昭和62年)の政宗ブーム地下鉄南北線開業に始まるバブル景気期には民間投資と箱物行政参照)により都心部に高層ビルが建ち並び始めた(参照)。一方で市は郊外部において、北の泉中央副都心[注 10]、南の長町副都心[注 3]、東の仙台港副都心(現みなと仙台ゆめタウン)、西の愛子副都心の4つの副都心を設定した。しかし、地下鉄沿線の泉中央・長町の両副都心やロードサイド店舗に物販・職場が郊外化する傾向が見られるようになったため市は、バブル崩壊後の1990年代後半からコンパクトシティを志向するようになり、都心部への「アクセス30分構想[24]」を進めている(参照)。

2000年代に入ると高速バス仙台 - 福島線仙台 - 山形線などにおける値下げ・増便競争、および、仙台発着便の新規開設が進み、県外からの集客力が一気に増強した。また、JR仙台駅東口側一帯[注 11]における土地区画整理事業に伴って宮城野通が開通し、その地下にJR仙石線地下新線が移転開通、東口駅前広場も完成した。そこに2004年(平成16年)、宮城球場北緯38度15分23.7秒 東経140度54分9.5秒)を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルス(チームカラーがクリムゾンレッド)が新規参入すると、都市計画用途地域赤系色に塗られる地域(赤:商業地域、橙:近隣商業地域)への県外・海外資本の投資が進み「レッドバブル」と呼ばれた[注 12]2006年(平成18年)に仙台・宮城デスティネーションキャンペーン2008年10月1日 - 12月31日)の開催が決定すると投資は郊外を含めて加速、「ミニバブル」「プチバブル」などと呼ばれる活況を呈した(参照)。しかし、リーマン・ショック後の景気後退に加え、東日本大震災で大きな被害を受けた。震災後は復興の拠点となる一方、2015年(平成27年)の地下鉄東西線の開業も重なり、様々な開発が活発化している。

地名

市名の由来

地名の語源は諸説があり、

  1. 国分氏が「千代城」と名付けたことが由来とする説。これは城の位置に千体仏があったためで、千体が転じて「千代」となった。転じた理由としては、城が千代(ちよ)に栄えるようにという願いからつけられたという説がある。その後、伊達政宗が「仙臺」(新字体で「仙台」)と改名した。
  2. アイヌ語の「セプ・ナイ(広い・川)」が「せんだい」になったのであり、広瀬川が仙台の名の由来という説。
  3. 仙台城のある川内地区を音読みで「せんだい」としたことが由来との説。また鹿児島県には川内市(せんだいし)が存在していた。(現薩摩川内市)

などが主なものであるが、1.の国分氏由来の説が一般的に信じられている。

政宗が改めた「仙臺」との表記は、中国前漢代の故事とそれを題材にした代の漢詩に由来する。

前漢の文帝老子の道を好み、黄河の支流に老子に詳しい人物がいると聞いて会いに行ったが、その男は庵にこもって出てこなかった。文帝が「大空の下に王土でないところはなく、大地の果ての浜辺まで王の臣下でない者はいない」と脅したところ、男は空中に昇り「上は天に至らず、中は人に煩わされず、下は地に住まない」と言い放った。文帝は彼が神人であることを知って乗物から降りてをなし、を求めた。文帝は首都長安の西山に台(宮殿)を建てた[25]

唐の韓翃(かんこう)の七言律詩「同題仙遊観」では、仙遊観を伝説の崑崙山(こんろんさん)の五城十二楼(ごじょうじゅうにろう)の宮殿になぞらえている。

『同題仙遊觀』

仙臺初見五城樓
風物凄凄宿雨收
山色遙連秦樹晩
砧聲近報漢宮秋
疎松影落空壇淨
細草春香小洞幽
何用別尋方外去
人間亦自有丹丘

『同じく仙遊観に題す』

仙台 初めて見る 五城楼ごじょうろう
風物 凄凄せいせいとして 宿雨しゅくう収まる
山色さんしょく 遥かに連なる 秦樹しんじゅくれ
砧声ちんせい 近く報ず 漢宮かんきゅうの秋
疎松そしょう 影落ちて 空壇くうだんきよ
細草さいそう 春香ぐわしくして 小洞しょうどうかすかなり
何ぞ用いん 別に方外ほうがいを 尋ねて去るを
人間じんかん おのずか丹丘たんきゅう有り
— (村上哲見著 「三体詩 上」
新訂中国古典選 朝日新聞社)[26]

上文の「丹丘」とは、神々の住処のこと。「仙臺」の表記は直接的にはこの『同題仙遊観』に由来するとされる[26] が、「仙遊観」の故事を含めて命名したとする見方もある[27]。故事では仙人が君主の権力を超越していることを示しているため、慶長5年9月15日1600年10月21日)の関ヶ原の戦いによって徳川家康天下人となった約3ヶ月後、仙台城の建設を開始した慶長5年12月24日1601年1月28日)になってもなお、政宗は家康の権力を超越する存在であると「仙臺」の名で示したとも言われる。戦後「仙臺」は新字体を用いて「仙台」と表記されるようになった。

異字

当項目「せんだい」の漢字表記には、「仙台」以外に下記の例が見られる。

  • 千代(伊達政宗による開府前の表記)
  • 仙臺(伊達政宗による開府から当用漢字導入までの正式表記)
  • 先代(例:『伽羅先代萩』)
  • 僊臺(例:「僊臺區及近傍村落之圖[28]」)

このうち「千代」と「仙臺」は、仙台土産の商品名などに使用される例がしばしば見られる。

「僊」は「仙」の異体字、「臺」は「台」の正字体であるため、字体による差を除くと「仙台、千代、先代」の三種が存在する。

地理

太白区愛宕山にある愛宕神社から眺めた仙台市の風景(2010年6月6日)。仙台市の中心部を南南西から見ている。
青葉区青葉山にある仙台城(青葉城)天守台から眺めた仙台市の風景(2010年5月31日)。仙台市の中心部を西南西から見ている。
名取川河口から遠望する仙台市街
駅前通
青葉通

地形

市域は、東を太平洋、北を松島丘陵、西を奥羽山脈、南を名取川と境界としている。東西方向に宮城県を貫いており、奥州街道ルートで長距離移動する際、本市を経由せずに南北に移動することは不可能である。海岸から長町-利府線断層帯までが地質的には新しい沖積平野、その西が沖積平野より少し古い堆積岩類の台地であり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩でできている。船形山、大東岳、神室岳などはいずれも50万年から150万年前に噴火した火山である。

仙台市は奥羽山脈を挟んで山形県山形市と接している。都道府県庁所在地同士が隣接する例には、他に京都市大津市福岡市佐賀市があり、経済的にも深いつながりを持つ。 また、市内には、野生ニホンザルが頭数約550匹ほど生息しているとみている。

山地

主な山

河川

主な川

湖沼

主な沼地

気候

市街地は太平洋に開けた平野部に位置し、気候区分は太平洋側気候三陸型気候区に分類される。ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候(Cfa)に分類される。

冬は海から近いことと晴天が多いため、東北地方としては温暖である。八王子市宇都宮市といった関東地方の都市よりも最低気温は高く、真冬日は稀である。東北地方の県庁所在地の中で最も降雪量が少なく、積雪が一週間以上残存することは少ない。夏は太平洋からの海風の影響で気温はあまり上昇せず、夏日にはなるが真夏日熱帯夜が少ない[29]。また、の発生回数が政令指定都市の中では抜きん出て多いが、これは海上からの「移流霧」が主要因である[30]梅雨から初夏、秋分前後には、北東からの冷たい海風により、曇りがちとなって冷え込むことがある。

年間平均気温:12.4 ℃、降水量:1254.1mm、日照時間:1796.1時間。真夏日真冬日の合計(うち真冬日1.7日)は19.6日で、都道府県庁所在地の中で最も少ない。2番目は水戸市の約33日で、東京都千代田区)の約49日と比べても非常に少ない。春から夏にかけて東風が卓越し、オホーツク海気団の冷涼湿順な海風が入り、奥羽山脈によるフェーン現象の影響を受けにくいことが要因である。冷涼な海洋性の気候で寒暖の差が少ないと言える。

仙台市仙台管区気象台、標高38.9m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 17.9
(64.2)
21.1
(70)
24.2
(75.6)
29.9
(85.8)
33.2
(91.8)
35.1
(95.2)
36.7
(98.1)
37.3
(99.1)
36.0
(96.8)
29.9
(85.8)
24.4
(75.9)
21.8
(71.2)
37.3
(99.1)
平均最高気温 °C°F 5.6
(42.1)
6.5
(43.7)
10.0
(50)
15.5
(59.9)
20.2
(68.4)
23.1
(73.6)
26.6
(79.9)
28.2
(82.8)
25.0
(77)
19.8
(67.6)
14.1
(57.4)
8.3
(46.9)
16.9
(62.4)
日平均気温 °C°F 2.0
(35.6)
2.4
(36.3)
5.5
(41.9)
10.7
(51.3)
15.6
(60.1)
19.2
(66.6)
22.9
(73.2)
24.4
(75.9)
21.2
(70.2)
15.7
(60.3)
9.8
(49.6)
4.5
(40.1)
12.8
(55)
平均最低気温 °C°F −1.3
(29.7)
−1.1
(30)
1.4
(34.5)
6.3
(43.3)
11.7
(53.1)
16.1
(61)
20.2
(68.4)
21.6
(70.9)
18.0
(64.4)
11.9
(53.4)
5.6
(42.1)
0.9
(33.6)
9.3
(48.7)
最低気温記録 °C°F −11.7
(10.9)
−11.5
(11.3)
−8.9
(16)
−5.0
(23)
−0.3
(31.5)
5.4
(41.7)
9.0
(48.2)
12.9
(55.2)
5.6
(42.1)
−0.1
(31.8)
−5.0
(23)
−10.8
(12.6)
−11.7
(10.9)
降水量 mm (inch) 42.3
(1.665)
33.9
(1.335)
74.4
(2.929)
90.2
(3.551)
110.2
(4.339)
143.7
(5.657)
178.4
(7.024)
157.8
(6.213)
192.6
(7.583)
150.6
(5.929)
58.7
(2.311)
44.1
(1.736)
1,276.7
(50.264)
降雪量 cm (inch) 21
(8.3)
18
(7.1)
11
(4.3)
1
(0.4)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
9
(3.5)
59
(23.2)
平均降水日数 (≥0.5mm) 7.6 7.2 9.1 9.2 10.2 12.3 15.5 12.7 13.0 9.6 7.4 7.9 121.7
平均降雪日数 20.6 17.1 11.2 1.7 0.1 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 1.8 13.3 65.6
湿度 66 64 61 63 70 79 83 81 78 72 68 68 71
平均月間日照時間 149.0 154.7 178.6 193.7 191.9 143.7 126.3 144.5 128.0 147.0 143.4 136.3 1,836.9
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1927年-現在)[31][32]

行政区

  区名 行政区位置 推計人口 区役所最寄駅 主な施設
1 青葉区 315,322人 仙台市地下鉄 南北線
勾当台公園駅
仙台駅, 宮城県庁, 仙台市役所, 東北大学病院, 宮城県立こども病院, 宮城県美術館
せんだいメディアテーク, 仙台国際センター, 仙台市博物館, スリーエム仙台市科学館
仙台市天文台, 仙台文学館, 仙台市戦災復興記念館, 東京エレクトロンホール宮城
日立システムズホール仙台, 仙台高等裁判所, 仙台地方裁判所, 三居沢発電所, 仙台城
大崎八幡宮, 青葉神社, 仙台東照宮, 瑞鳳殿, 国分町歓楽街, 勾当台公園, 西公園, 作並温泉
2 宮城野区 194,004人 仙石線
陸前原ノ町駅
仙台港, 国立病院機構仙台医療センター, 楽天生命パーク宮城, 弘進ゴム アスリートパーク仙台
仙台市民球場, 仙台市歴史民俗資料館, 夢メッセみやぎ, 陸上自衛隊仙台駐屯地
榴岡天満宮, 榴岡公園, 高森山公園(岩切城跡), 高砂中央公園(仙台うみの杜水族館
3 若林区 142,362人 仙台市地下鉄 東西線
薬師堂駅
仙台市農業園芸センター, 仙台市中央卸売市場, せんだい演劇工房10-BOX, 宮城刑務所
陸上自衛隊霞目駐屯地(霞目飛行場), 深沼海水浴場, 遠見塚古墳, 陸奥国分寺
4 太白区 237,089人 仙台市地下鉄 南北線
長町南駅
仙台市立病院, カメイアリーナ仙台, ゼビオアリーナ仙台, 仙台市野草園, 仙台市電保存館
たいはっくる, 地底の森ミュージアム(富沢遺跡), 仙台市縄文の森広場(山田上ノ台遺跡),愛宕神社
仙台市八木山動物公園, 三神峯公園, 太白山, 二口峡谷秋保大滝), 磊々峡, 秋保温泉
5 泉区 207,391人 仙台市地下鉄 南北線
泉中央駅
ユアテックスタジアム仙台, シェルコム仙台, スポパーク松森, 宮城県図書館
仙台銀行ホール イズミティ21, 宮城県運転免許センター, 賀茂神社, 七北田公園, 鶴ケ城公園(松森城跡)
泉ヶ岳スプリングバレー泉高原スキー場, 泉ヶ岳スキー場, オーエンス泉岳自然ふれあい館)

仙台市が政令指定都市に移行した1989年(平成元年)に、5つの行政区が置かれた。その際、旧泉市泉区とし、旧仙台市域を4分割したうえ、単独区とするには人口が少なかった旧宮城町青葉区に、同じく旧秋保町太白区に併合する区割りとされた。現在でも旧宮城町には青葉区・宮城総合支所、旧秋保町には太白区・秋保総合支所という、それぞれの地域を管轄する役所がある。青葉区には、旧宮城町域(宮城地区)を分区する構想がある(青葉区分区問題)。なお、区名選定にあたっては方角中央といった抽象名詞を極力使用しない命名がなされた。

2015年(平成27年)国勢調査による昼夜人口[33]
区名 範囲 夜間人口 昼間人口 昼夜比
仙台市 全市域 1,082,159 人 1,148,389 人 106.1 %
青葉区 都心部上杉五橋北仙台・中山・台原・折立
宮城地区 旧宮城町(愛子作並南吉成葛岡
310,183 人 412,812 人 133.1 %
宮城野区 原町・宮城野・鶴ヶ谷・岩切・小鶴・蒲生 194,825 人 216,325 人 111.0 %
若林区 卸町・古城・荒浜・新寺 133,498 人 136,302 人 102.1 %
太白区 長町南仙台・西多賀・鈎取・八木山・茂庭・生出
秋保地区 旧秋保町(秋保二口
226,855 人 187,712 人 82.7 %
泉区 旧泉市(泉中央・七北田・根白石・松陵・南光台 216,798 人 195,238 人 90.1 %

中心業務地区流通工業地区が区内にあり、六道の辻で区境を互いに接する青葉区・宮城野区・若林区の3区は昼間人口が多い(3区合計で昼夜比12万6933人増加)。一方、太白区および泉区は市が各々に長町副都心および泉中央副都心を指定しているものの昼間人口が少なく(2区合計で昼夜比6万0703人減少)、両区はベッドタウンの様相が色濃い。

各区の国勢調査人口の推移(単位:人)[34][35][36]
  青葉区
  宮城野区
  若林区
  太白区
  泉区

人口

宮城県は東北地方では最も面積が小さく、自然障壁の少ない仙台平野に県民の大半が居住するため、その中心である仙台市への一極集中がみられる[37]。平成17年国勢調査での県内人口占有率は43.43%、22年調査では44.55%、宮城県市町村別推計人口の平成23年7月1日付で45%を突破した。また、同24年1月1日付で県内人口2位の石巻市の7倍を超えた。市内の人口は65歳以上が割合を増やしているが、大学や各種専門学校が多いため(→「学都仙台」)、若年者人口の割合が大きい。

支店経済都市と言われる仙台市は、人事異動に合わせるように統計上、年度末に約2万人が流出し、年度始めにほぼ同数が流入する。近年は、3月・4月に差し引き約5,000人程度総人口が減少し、5月・6月に回復する。同様に、第2四半期末から第3四半期始めの9月・10月にも人口が減少し、11月に回復する。

2000年代になると人口の社会増(転入超過)は僅少になり、2004年(平成16年)度からは社会減(転出超過)に転じた。転出先のトップは東京都であるが、隣接する富谷市利府町名取市などでの宅地開発の進展も、転出増の背景となっている。社会減を自然増で補う形で数千人/年程度の人口増となっていたが、2011年に発生した東日本大震災により、人口動態が大幅に変化した結果、社会増が回復基調にある。2012年における仙台市の転入超過は、東京23区に次ぐ全国2番目の数値となった[38]

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、3.46%増の1,082,159人であり、増減率は県下35市町村中6位、40行政区域中7位。

仙台市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 598,950人
1975年(昭和50年) 709,326人
1980年(昭和55年) 792,036人
1985年(昭和60年) 857,335人
1990年(平成2年) 918,398人
1995年(平成7年) 971,297人
2000年(平成12年) 1,008,130人
2005年(平成17年) 1,025,098人
2010年(平成22年) 1,045,986人
2015年(平成27年) 1,082,159人
2020年(令和2年) 1,096,704人
総務省統計局 国勢調査より
国勢調査人口(単位:万人)
   仙台都市圏(広域行政推進地域)
   現・仙台市域にあたる人口
   仙台市

都市計画

定禅寺通り

都市としての仙台市は、伊達家62万石の城下町から発展したため、その名残りで都心部の道路は碁盤の目状になっているが、広瀬川河岸段丘上に立地している点や、戦災復興都市計画#仙台の戦災復興計画において広幅員の道路を縦横に通したことにより、完全な碁盤の目とはいかずやや変則的である。伊達政宗の都市計画は、後に仙台をして 「杜の都」 と呼ばしめたが、戦前までの「杜」は、都市の近代化のために失われた部分も多い。しかし、市当局や市民の努力により、都心部に限らず、多くの道路に街路樹が植えられ緑化が進んだ。また、都心を取り囲む丘陵地や水田などの開発規制を行い、同心円状に、都心・グリーンベルト・住宅地という大ロンドン計画を模した都市計画を作成した。

産業立地と都市構造

本市を含む5市4町1村からなる「仙塩広域都市計画区域[39]」(仙台都市圏[40])により都市計画がなされている。また、都心部を中心とした青葉区東北最大の超広域商圏を形成し、泉中央副都心を中心とした泉区、および、長町副都心を中心とした太白区が広域商圏を形成している[41]。市における副都心として、旧奥州街道(現国道4号)下り第一宿駅七北田宿から発達した泉中央副都心、旧奥州街道(現国道4号)上り第一宿駅・長町宿から発達した長町副都心、旧作並街道(現国道48号)下り第一宿駅・愛子宿から発達した愛子副都心、そして、仙台港副都心(みなと仙台ゆめタウン)の4つが指定されていた。しかし市は現在、「副都心」の名称を都市計画で使用しなくなり、市が主導して整備をし、広域商圏をも併せ持つ泉中央と長町が「広域拠点」、愛子が「市西部(旧宮城町)の地域中心拠点」、県が主導して整備しているみなと仙台ゆめタウンが「国際経済交流拠点」と、機能によって色分けがなされている[42]。その他の拠点として、東北大学宮城教育大学がある青葉山地区が「国際学術研究・交流拠点」とされ、広域商圏を持たない宮城野区と若林区では各区の区役所周辺が「区の生活拠点」とされている。因みに、宮城野区役所がある原町は、旧石巻街道(現国道45号)下り第一宿駅の原町宿から発展した地区で、若林区役所は伊達家養種園跡にある。その他、秋保温泉作並温泉温泉街が形成されている。

インフラ整備の状況

  • 下水道普及率 - 99.3%(平成23年度末)[43]

新興住宅地

都市軸

戦後の仙台の都市軸の変化

高度経済成長期までの都市軸は、それぞれ鉄道も並走している、旧奥州街道を踏襲した国道4号沿い(都心から南の地域)と北東の多賀城塩竈松島に向かう国道45号沿いを中心に形成された。1960年代初頭には仙台市を中心に松島町から岩沼市にかけて合併・政令指定都市移行を目指したが失敗に終わった。要因は当時の仙台市の革新市政を周辺市町の保守系首長が嫌ったため、といわれている。この時、合併調印前日に多賀城町(現・多賀城市)長が突如合併を批判し合併から離脱したため、仙塩合併は一夜にして瓦解。仙台市の政令指定都市への移行も先延ばしとなり、都市の発展が著しく遅れる結果となった。

その後、人口増を背景に市の北部から南西部にかけての丘陵地に都心を囲むように新興住宅地が造られた。これらの住宅地と中心部とを繋ぐ旧国道4号沿い(都心から北の地域)や国道286号沿いが新たに都市軸に加わった。新都市軸の北の中心である旧泉市と、西側の旧宮城町・旧秋保町を編入し、1989年に政令指定都市となる。

新都市軸では1987年仙台市地下鉄南北線が開業したことで、計画都市である北の泉中央泉区)・南の長町南太白区)では副都心化が進み、大型商業施設やマンションが林立した。

また、仙台北環状線(北環)仙台西道路の完成により、中心部から西向きの都市軸も形成された。この軸上には東北自動車道仙台宮城ICがあることから広域産業が進出し、アウトレットモール宮城県立こども病院、高等教育機関などが立地した。

東西に分けられる仙台の街

仙台駅西口側

仙台の街は、仙台駅、および東北新幹線東北本線によって大きく東西に分けられている。仙台駅の西口側は、江戸時代からの城下町・仙台の中心部があったところで、現在に至るまで中心部であり続けているが、南は広瀬川、西は青葉山、北は北山-台原の丘陵地、東は東北新幹線と、四方が囲まれており、都心部の拡大が容易ではない。そのため、バブル期に、仙台の地元企業の経済力を超えて地価暴騰が起きる懸念があったが、バブル期以前から開発されていた地下鉄南北線、とりわけ泉中央副都心および長町副都心の存在により、地価上昇圧力が泉中央や長町への都市機能の分散を推進し、暴騰は回避された。反面、デフレ期に入ると都市規模に対して疎になった都心の地価下落が止まらず、担保価値が減少した土地上の低層オフィスビルや低層住宅が、高層マンション等に取って代わり、住民の都心回帰を助長している。

仙台駅東口側

一方、仙台駅の東口側は、古くからの町並みが残る地区となっていた。特に南東側の若林区は下町の趣があり、江戸時代から続く地名が残る。この下町地域の東側に隣接していた水田地帯には、1960年代に仙台バイパスが造られ、同時に卸売り業者・流通業者・車関係などの事業所、および印刷業の工業団地などの広大な流通・工業団地が卸町・六丁の目・扇町などに造られた。業務地・工業用地の指定のみで住宅地の指定がなく、周囲の水田も国政・市政により農地指定が解除されなかったため、背景人口が増加せず、東口の商業集積を阻害してきた。90年代に入り卸を通さない「中抜き流通」が主流になると、卸町の存在意義が薄れ、規制を解除して住宅地へ転用する動きが始まり、地下鉄東西線の建設によって促進されることとなった。

また、仙石線の地下化に伴った区画整理・再開発(仙台市の土地区画整理事業一覧日本の再開発の一覧#宮城県)により、東口は街の形が大きく変貌。東口の駅前から延びる宮城野通り完成後は、通り沿いに仙台のIT企業が集中し始め、2005年(平成17年)より東北楽天ゴールデンイーグルス宮城球場を本拠地にするに到って更に開発に弾みがついた。

地下鉄東西線開通

2015年(平成27年)12月6日、仙台市地下鉄東西線:八木山動物公園駅荒井駅が開通し、仙台駅西口側と東口側の一体化を推進していくことになった。東西線の仙台駅は西口側にあるが、仙台駅東口から150m付近に宮城野通駅が設置され便宜を図っている。

北四番丁大衡線

1990年代後半より東北大学病院の東端に沿って南北に走る木町通の拡幅作業がなされ、2012年に全線開通したこの道は、北向きに輪王寺北山トンネルで通過し、桜ヶ丘泉パークタウンを貫いて大和町へと至る宮城県道264号大衡仙台線(都市計画道路北四番丁大衡線)である。この道路は、北西部の住宅地と中心部とを結ぶ幹線道路という側面の他に、この道沿いに存在する東北大学病院・東北大学医学部フィンランド健康福祉センター宮城学院女子大学宮城大学宮城県図書館・泉パークタウン内の数々の研究施設、そして仙台北部中核工業団地を結ぶ「智の回廊」として機能することも期待されており、「学都仙台」の戦略的道路となっている。

また、東北大学病院の新東病棟1階に新たに設置される高度救命救急センターへの搬送路としての役割も持ち、当道路と東北自動車道が交差する付近に泉PA/スマートICが設置されている。

一方で北山トンネル開通前から指摘はされていたが、北山トンネル開通により周辺の交通量が以前にも増して増加したため、朝夕のラッシュ時を中心に渋滞が悪化した[44]

歴史

仙台市域の仙台と他の町村

都市としての仙台の歴史は、慶長5年12月24日1601年1月28日)の伊達政宗による仙台城の建設に始まる。仙台輪之内あるいは仙台輪中と呼ばれた江戸時代の仙台の範囲は、青葉山にある仙台城とその麓・河原にあたる川内と、広瀬川対岸の台地上に作られた城下町からなる南北5キロメートル、東西4キロメートルほどの範囲で、現在の市域のごく一部である。中世には青葉山に寺がいくつかあって地方的な霊場の様相があったが、後の城下町にあたる場所は古代から中世まで人家が稀な原野だった。

しかし、現在の仙台市域に広げて歴史を眺めると、いくつもの集落や町の興隆と変遷が認められる。弥生時代からの水田遺跡である富沢遺跡南小泉遺跡の周辺は、古墳時代に入って多数の古墳が築かれた地域の中心であった。7世紀末から8世紀初めまでは郡山遺跡陸奥国の国府が置かれた。8世紀には南小泉遺跡の北隣に陸奥国分寺陸奥国分尼寺が建てられた。中世には多賀城から国府が市域北東部の岩切に移り、町が形成された。戦国時代には、国分寺から南小泉遺跡にかけて国分日町と呼ばれる町があった。他にも中世には平野部から山間の盆地まで、各地に集落や武士の館が作られた。

以降の説明では、中世に至るまで単に仙台という場合には江戸時代の仙台の範囲を指し、現在の仙台市の範囲を指す場合には特に仙台市域と呼んで区別する。江戸時代以降はそれぞれの時代の仙台をもって仙台と呼び、現在の市域と区別する。

原始・古代

仙台市域では、富沢遺跡旧石器時代焚き火跡が見つかっている。

縄文時代の遺跡としては、山田上の台遺跡に集落があり、市内各地で遺物・痕跡が残されている。当時の人々は低湿な平野を避けて丘陵に居を構えたので、丘陵が海に続く松島湾沿いに遺跡が集中し、仙台市域では少ない。

弥生時代に人々は稲作適地を求めて平野に進出し、名取川広瀬川にはさまれた富沢遺跡と、広瀬川の北で仙台の東にある南小泉遺跡で水田が営まれた。

古墳時代に入ると、富沢遺跡の周辺に一塚古墳二塚古墳兜塚古墳など中小の古墳が作られた。南小泉遺跡の周辺にも中小の古墳が作られ、4世紀末には若林区遠見塚古墳という東北地方最大級(第3位)の古墳が築かれた。第1位の雷神山古墳は名取川の南、現在の名取市内にあり、二つの巨大古墳の間に多数の中小古墳が散らばっていた。

国郡が確定したとき、仙台市域は大部分が宮城郡に、今の太白区全体と若林区南部が名取郡に属した。若林区で両郡の境は、自然な境界になりそうな広瀬川・名取川から北にはみ出て曲がりくねっているが、これは昔の広瀬川の流路の痕跡とされる。

7世紀末からしばらくの間、市の南部の郡山遺跡には陸奥国国府が置かれた。郡山遺跡の東西には東多賀神社と西多賀神社が建立され、周辺には東北地方最大級の環濠集落もあった[45]。国府は神亀元年(724年)に多賀城に移転したが、740年代か750年代に、仙台の東、南小泉遺跡の北にあたる木ノ下の地に陸奥国分寺陸奥国分尼寺が建てられた。陸奥国分寺には巨大な“七重の塔”があった。国分寺の周辺は宮城野・宮城野原と呼ばれる原野で、平安時代にはで名高い歌枕になった。

10世紀半ばに多賀城が国府機能を喪失したとき、国府は仙台市域の北東端、七北田川北岸の岩切に移転したと推定される。鎌倉・南北朝時代まで、多賀国府と呼ばれたところである。七北田川の両側に町が形成され、北岸では今の多賀城市の一部まで広がっていた。

中世から戦国時代

東北地方(奥羽)全域を支配していた奥州藤原氏源頼朝によって滅ぼされると、鎌倉時代の東北地方には頼朝の側近である伊沢家景葛西清重の両名が奥州惣奉行として置かれ、葛西氏・伊沢氏の双頭体制となった。こののち、伊沢家景は多賀城の“留守所長官”として陸奥留守職となる。伊沢家景は現利府町に定住し、26年間を利府で過ごして没した。伊沢家景の子の代から、伊沢氏は留守氏と呼ばれた。伊沢家景の子孫も、代々、陸奥留守職に就任した。こうして鎌倉時代の仙台(東北地方)は、留守氏の支配下に置かれた。

室町時代になると、室町幕府管領家・斯波氏の一族である大崎氏奥州探題を世襲し、仙台の地も大崎氏の支配下におかれた。大崎氏の本拠地は宮城県大崎市古川地区である。弥生時代より、仙台が“東北地方の政治的中心地”から遠ざかったのは、この室町時代だけである。

中世、現在の仙台市域の大部分は国分氏の支配下にあった。国分氏は現在の多賀城市や仙台市岩切などを拠点とする留守氏と、激しく対立した。しかし戦国時代に入ると、両氏とも戦国大名として台頭してきた伊達氏からたびたび養子を迎えて相手方より優位に立とうなどの努力をしたが、次第に伊達氏の隷属化に組み込まれていく。

大永2年(1522年)、伊達政宗の曽祖父・伊達稙宗は、室町幕府将軍・足利義晴から、陸奥守護職に任じられた。すでに稙宗の偉名は東北地方全土に浸透していた。子だくさんの稙宗は東北地方の有力大名と政略結婚を繰り返し、奥羽に血縁ネットワークを築き上げた。しかし、その政略結婚が原因となって、天文11年(1542年))、嫡男伊達晴宗との間に「天文の乱」が勃発した。この乱は東北地方全土に波及し、東北の戦国大名を二分する大乱となった。天文17年(1548年)、「天文の乱」は、将軍・足利義輝の和睦勧告を受けて、伊達晴宗の勝利で幕を閉じた。

伊達晴宗は将軍から奥州探題に任じられた。晴宗は息子の一人を、現利府町周辺を支配していた戦国大名・留守氏の跡取り養子とした(留守政景)。同じく晴宗は息子の一人を、現仙台市東部を支配していた戦国大名・国分氏の跡取り息子とした(国分盛重)。

伊達政宗の父・伊達輝宗も本来であれば奥州探題に任じられていたところであったが、織田信長が室町幕府を滅ぼしたため、輝宗は奥州探題になることができなかった。伊達政宗の叔父・国分盛重が政宗の下から逐電すると、国分氏の領地であった現仙台市は政宗の直轄領に組み込まれる。なお、国分氏が城主の時代の城下町の系譜を引くのが、現在の国分町である。

伊達政宗は常陸国の戦国大名・佐竹義重、および会津地方の戦国大名・蘆名氏らとの抗争に勝利し、東北地方の南半分を征服して“奥羽の覇者”となった。北条氏政親子と同盟関係にあった伊達政宗は北関東の征服を目前のものとしたが、織田信長の後継者となった豊臣秀吉に服属し、秀吉は北条氏らを滅ぼして日本統一を達成する。秀吉は政宗の領地を、先祖ゆかりの現福島県および現山形県南部および現宮城県南部から、現宮城県全域および現岩手県南部へと、北へ追いやった。これに反発した政宗は、奥羽の戦国大名・葛西氏大崎氏を扇動して葛西大崎一揆を起こす。しかしこの一揆扇動は蒲生氏郷に露見し、政宗は一揆を鎮圧する羽目になる。政宗は葛西大崎一揆を鎮圧し、秀吉の命令で居城を岩出山城に遷した。この頃から政宗は徳川家康に接近し、秀吉の死後、家康の天下取りに協力する。関ヶ原の戦いの後、慶長5年12月24日(1601年1月28日)政宗は新たな居城仙台城を築城開始すると、仙台の地に人口約5万人の城下町を築いた。その後も政宗は慶長18年(1613年)、スペイン帝国慶長遣欧使節を派遣するなど、名君として君臨した。

江戸時代

仙台の礎を築いた独眼竜伊達政宗

天正まで、現在の仙台の地は「千代(せんだい)」と呼ばれていた。慶長5年12月24日(1601年1月28日))伊達政宗青葉山仙臺城(仙台城)の縄張りを始め、城下町を開いて当地の名前を「仙臺(仙台)」と改称したことで、仙台の都市としての歴史が始まった。表高62万仙台藩は、加賀藩(102.5万石)、薩摩藩(77万石)に次ぎ、尾張藩(約62万石)と並ぶ大藩であり、城下町としての仙台も発展した。伊達政宗が来るまでは戦国大名、国分氏の居城があった。

1611年11月8日(慶長16年10月4日)に仙台を訪れたセバスティアン・ビスカイノは、仙台城から見た城下町の様子を「江戸と同じくらいの大きさだが、建物はもっと立派」と報告している。開府後も城下町は拡張を繰り返し、政宗隠居の館である若林城が完成するのと前後して、寛永年間に南東方向へ大幅に町が拡張した。さらに正保寛文年間には東照宮の造営された北東方向に、延宝年間には東部・北部方面へ町が更に拡大した。

宗門人別改制の導入により、江戸時代の仙台の町方・寺院方人口が一部記録として残っており、以下の表にまとめる。これに城下に暮らしていた武家人口を加えたものが実際の仙台の総人口ということになるが、城下在住の武家人口は不明である。但し郷士を含む仙台藩の武家人口は仙台藩の総人口の22%から26%を占めるなど(例えば1695年(元禄8年)の仙台・一関藩総人口81万9749人に対して一門・諸士・諸組・諸職人の人口は20万5916人)、武家の割合は非常に高かった。この内、女・子供を除いた仙台藩家臣団の総数は約3万5000人で、伊達家直属の家臣団が約8000から1万人を占め、残る約2万5000人は陪臣の家中士である。

江戸時代の仙台の町方・寺院方人口
元号 西暦 町方・
寺院方
合計
町方 寺院方 出典
合計 出家
寛文8年 1668年 27,702 18,493 9,209 遠藤家所蔵文書? (岩手県史)
延宝2年 1674年 29,297 20,073 9,224
貞享3年 1686年 25,055 22,501 2,554
元禄8年 1695年 25,590 22,706 2,884 631 2,253 中目覚家旧蔵文書 (宮城県史)
寛保2年 1742年 26,623 20,374 6,249 863 5,386 今泉篁洲文庫
明和9年 1772年 20,479 2,619 封内風土記
天明6年 1786年 15,617 11,610 4,007 594 3,413 今泉篁洲文庫
享和2年 1802年 17,798 13,302 4,496 652 3,840 奥陽名数
文政8年 1825年 18,444 13,749 4,695 710 3,985 今泉篁洲文庫
嘉永5年 1852年 15,408 仙台町方維新以前ノ雑事 (仙台市史)
明治2年 1869年 22,411 版籍調 (仙台市史)
明治6年 (総数) 1873年 51,998 日本地誌提要

『仙台士名元牒』記載の寛文元年(1661年)の伊達家直属の家臣団は8952人だが、1戸平均5人を仮定すると伊達家直属家臣団の武家人口は4万4000人、最盛期の仙台の総人口は7万人以上ということになる(小倉博説)[46]。この数字は多くの本で引用されているが、実際には直属の家臣団全てが城下に在住していたわけではないので、若干過大評価と考えられる。

寛文10年(1670年)の『御知行帳』と寛文年中の仙台城下絵図を比較すると、絵図に氏名が記入されている組士以上の侍の数は3746人中2522人、また城下在住とみられる卒・職人の数は4670人中3359人であり、合計5880人に1戸平均5人を仮定すると、城下在住の武家人口は2万9400人、総人口5万7000人と推定される。城下町の膨張がほぼ終結する延宝年中(1680年頃)の仙台城下絵図では、組士以上の侍の数が3288に増えている。最盛期の延宝・元禄・享保の頃には城下に暮らす武家人口は約4万人に迫り、仙台の総人口も6万人を超えていたと推定される。武家人口は町の総人口の6割を超え、また武家地の面積は町の総面積の7割を超え、「武士の都」であった。

18世紀中頃から、仙台藩の人口減少が始まる。明和9年(1772年)の『封内風土記』では侍屋敷の廃屋の記載があり、また安永年中(1780年頃)の仙台地図では組士以上の屋敷の数が3042に減少しており、18世紀中頃には城下の人口も緩やかに減少していたと思われる。天明の大飢饉を境に大幅な人口減少が起こり、仙台の町も一時は武家人口を加えても4万人台まで落ち込んだとみられる。文化年中(1810年頃)、安政年中(1856年頃)の仙府絵図では組士以上の屋敷の数がそれぞれ2325、2382で、19世紀以降幕末まで、大体5万人前後の人口で推移したと推定される。

江戸時代の仙台の都市人口は、突出した大都市であった三都江戸大坂)や10万人規模の人口を有した名古屋金沢に比べれば少ないものの、他の大藩の城下町(鹿児島広島和歌山徳島)や重要港町長崎)と並び、日本で十指に入る都会として賑わった。但しその人口は東北地方の他の城下町(秋田弘前鶴岡米沢盛岡若松などが2万人〜4万人規模)と比べて極端に突出した都市ではなかった。

また城と城下町の総面積は正保年間に10.37 km2と、名古屋(9.20 km2)や金沢(7.46 km2)をも凌ぎ、広さの上では三都に次ぐ都市規模を誇っていた[47]

幕末から明治維新まで

仙台藩は幕末に、幕府から蝦夷地警護の使命を託され、北海道に多くの領地と警衛地を有し、その面積は北海道のほぼ三分の一を占めた。

明治元年(1868年)の戊辰戦争において、仙台藩は奥羽越列藩同盟の盟主となって旧幕府側を支援した(すでに幕府は滅亡していたので、旧幕府側とは別個の勢力)。列藩同盟の政府機関である「列藩同盟公儀府」は白石市におかれた。仙台藩主伊達慶邦孝明天皇の弟である輪王寺宮(のちの北白川宮)を列藩同盟の盟主にそえた。このとき列藩同盟(同盟政府)には輪王寺宮を「東武天皇」として即位させ“仙台朝廷”をつくる計画があった。伊達慶邦は征夷大将軍になる予定であった。しかし、敗戦によりこの計画は幻と消えた。

敗戦により石高を半分以下に減らされた際、伊達一門ら仙台藩各地の領主たちは、困窮した多数の家臣団を蝦夷地北海道)へ集団移住させる決断を下した。これにより大量の知識階級(武士階級)が北海道へ流出した。仙台藩は明治新政府と共同で札幌市を開拓したほか、単独で伊達市などを開拓した。こうして仙台藩は北海道の開拓史に大きな功績を残した。

明治4年(1871年)の廃藩置県において、仙台藩は仙台県角田県登米県胆沢県の4県に分割され、現在の仙台都市圏と似た範囲で仙台県が置かれた。その後何度か境界変更を繰り返し、現在の規模になった明治5年(1872年)に宮城県と改称して、同時に仙台区が置かれた。当時の仙台区は、現在の中心部ほどの広さであった。また県の名前を旧大藩・県庁所在地由来の「仙台県」とせず、郡名由来の「宮城県」という県名に変更するように上申を出したのは初代県令(参事)の塩谷良翰であり、人心一新を旨とするものである。なお県名改称について、明治政府が朝敵側の大藩由来の県名を懲罰的に郡名に変えたとする説があるが、これは宮武外骨が昭和になって提唱し[48]司馬遼太郎によって広められた説であり[49]、実際は官軍側であっても県名に郡名を採用している例があることからも、俗説の域を出ない。一方で旧大藩名を県名に転用した大蔵省原案の内、宮城県や愛知県など18県名が後から郡名に変更されており、官軍・賊軍を問わず旧大藩の影響力をできるだけ排除しようとした明治政府の意図があるとする意見もある[50]

明治から戦前まで

1927年(昭和2年)頃の仙臺市および近郊地図

明治政府による中央集権体制下、仙台には東北地方の拠点都市として、国の出先機関の設置が進められた。また、1887年(明治20年)には旧制二高1907年(明治40年)には東北帝国大学といった高等教育機関が設けられた。

仙台藩の諸施設は接収され、明治政府によって転用された。仙台城二の丸には陸軍第二師団司令部と歩兵第三旅団司令部、現仙台国際センターには工兵第二連隊司令部、現榴岡公園には歩兵第四連隊司令部が置かれ、輜重兵第二連隊(現亀岡住宅)騎兵第二連隊第二連隊(現東華中学校の他、練兵場(仙台城三の丸)、宮城野原練兵場(現宮城野原公園総合運動場および仙台貨物ターミナル駅ヤード)および飛行場(現国立病院機構仙台医療センター、射撃場(旧警察学校〜現台原小学校)、工兵作業場(現東北大学青葉山キャンパス)偕行社(現西公園、招聘社(仙台城本丸 現宮城縣護國神社が置かれた。

第二師団が置かれて「軍都」となり、(旧制)第二高等学校が置かれて「学都」となった仙台は、殖産興業の時代に工業ではなく、これら「第二」が付く陸軍や学校の消費活動に都市経済が依存していたため「第二都市」と呼ばれた[51][注 13]

1887年(明治20年)12月、日本鉄道の上野 - 塩竈間(現:JR東北本線)が開通、それ以前には数日間を要していた仙台〜東京間の移動が、半日程度に短縮された。

1889年(明治22年)には市制が施行され、仙台区は仙台市となった。当時の人口は90,231人であり、国内第8位の規模であった。1923年(大正12年)、周辺町村との合併が初めて行われ、長町原町、南小泉地区が編入された。これ以降も仙台市は、周辺市町村との合併を繰り返した(→市域の変遷)。

20世紀初頭における仙台市政の目標は、五大事業[注 9]を内容とする都市計画事業と、商業・軍事・行政都市から工業都市への転換であった[52]1926年(大正15年)に仙台市電が開業した。

第二次世界大戦と仙台空襲

空襲で焼け野原となった仙台市街(1945年9月18日撮影)

第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月10日未明、仙台市街はアメリカ軍による戦略爆撃を受けた。B-29爆撃機123機による焼夷弾絨毯爆撃によって市内中心部は廃墟と化した。瑞鳳殿仙台城大手門といった国宝(当時)や、「杜の都」のいわれともなった江戸時代から続いていた屋敷林が焼失した。戦後に仙台空襲について仙台市民が編纂した『仙台はフェニックス』(1995年)によれば、空襲による死者は1,064人で、これに加えて空襲の犠牲者と推測される身元不明者や行方不明者などが335人いたと記す[53][54][55]

戦後の復興と高度経済成長

終戦後の9月、仙台には塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が進駐し司令部を郵便貯金ビルに設置した(12月に第9軍団に交代)。そして第11空挺師団厚木飛行場から進駐し司令部を仙台陸軍工廠に設置した。GHQが軍政組織を縮小するようになると第9軍団は1949年7月に軍政をやめて民政を使うようになり、さらに12月には民政部も廃止した。その後民政はGHQの民事局が1952年まで行った。仙台にあった陸軍は解体され、軍事施設の跡地は主に公園になった。また、東二番丁通広瀬通青葉通定禅寺通などの広幅員の道路を縦横に通し、近代都市としての基盤が造られた。これらの大通りには、「杜の都」の復興を願って多数の樹木が植えられた。これらの樹木は、後に大木に成長して「新しい杜の都」の象徴となる並木道へとなっていく。

トラック流通の需要増加と共に1966年仙台バイパスの供用が開始され、卸・流通団地の整備が図られた。1975年には東北自動車道が開通し、トラック流通・卸売りにおける東北地方の中心地の一つとなり、東北地方の経済都市としての拠点性は一層高まった。高度経済成長(第三次産業型)と支店経済の発展により、1967年には人口50万人を超える。一方で交通渋滞が深刻となり、1976年に仙台市電が廃止された。

宮城県沖地震

1978年(昭和53年)6月12日夕刻、宮城県沖を震源とする大規模地震が発生、仙台市では震度5を記録した。倒壊したブロック塀の下敷きになるなどして28名が死亡、仙台市(現在の市域相当)では住居4,385戸が全半壊したほか、電気ガス水道も最大1週間に渡って停止した。

宮城県沖地震は、日本全国の建築基準を全面的に改定させた。この建築基準が17年後の阪神・淡路大震災まで続くこととなる。

高速交通網の整備

1980年(昭和55年)、東北自動車道埼玉県浦和インターチェンジまで延伸。1982年(昭和57年)には東北新幹線大宮駅 - 盛岡駅間で開業した。これらによって、仙台市と首都圏および東北地方各地との移動は飛躍的に容易となった。この頃、新仙台駅が誕生し、仙台駅西口にペデストリアンデッキも誕生した。

バブル景気と政令指定都市への移行

1984年、保守系の石井亨が新市長となり、「仙台・青葉まつり」が1985年に再開された。また、「SENDAI光のページェント」も同年に始まった。

1987年、NHK大河ドラマ独眼竜政宗」が放送される。本作が“NHK大河ドラマ史上最高視聴率”を記録し、大量の観光客が仙台に押し寄せ、仙台七夕を初めとした既存の祭りやイベントも過去最高の入り込み客数を記録する。この年は「'87未来の東北博覧会」も開催され、地下鉄南北線も開業するなど、政令指定都市移行前夜の仙台でバブル景気が始まった。

1988年、仙台市は泉市、および宮城町秋保町を合併し、1989年に第11番目の政令指定都市になった。バブル景気の後押しもあり、全国市長会会長を務める石井のリーダーシップのもと、数々の文化施設を建設し、大規模イベントを始めるようになった。1989年には、「グリーンフェアせんだい」が泉中央副都心七北田公園で開催された。しかし、1993年、石井が宮城県知事であった本間俊太郎とともにゼネコン汚職事件で逮捕され、仙台のバブルも終焉を迎えた。

市民の台頭

バブル期の開発行政の一方で、1985年に「SENDAI光のページェント」、1991年に「定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台」が市民ボランティアの手で始まった。1994年にはプロサッカークラブ「ブランメル仙台」(後のベガルタ仙台)が誕生。1997年には仙台市泉区にホームスタジアムである仙台スタジアムが建設された。

1998年からは「みちのくYOSAKOIまつり」、2000年から「伊達ロック」、2001年から「Jazz Promenade」と「とっておきの音楽祭」など、市民ボランティアが主体となって開催する「街を舞台装置とした無料の屋外イベント」が多数開催される街へと変化した。

仙台経済圏の拡大

2000年前後から始まった東北地方の陸上交通の再編の動きの中、仙台が小売の中心地として東北地方各地から買い物客を引き付けるように変化した。

2004年にはプロ野球チームの「東北楽天ゴールデンイーグルス」が誕生。他のプロ野球チームを持つ都市との間に交流が始まる一方で、東北地方全体からの誘客力も上昇した。2005年には、プロバスケットボールの「仙台89ERS」も設立した。

東日本大震災

東日本大震災による津波の被害を受けた仙台市(2011年3月12日)

1978年の宮城県沖地震から33年後の、2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)によって、地震・津波の甚大な被害を受けることとなった。

仙台市内は震度6弱、震度6強の強い揺れに見舞われたが、政令指定都市で震度6弱以上の揺れを観測したのは、2005年の福岡県西方沖地震福岡市で震度6弱を観測して以来となる。

また、大津波が押し寄せた宮城野区若林区を中心に多くの家屋が倒壊・流失し、市内の全住宅約50万戸のうち10万戸以上が全半壊するという壊滅的な被害を受けた。仙台市内の死者数は約850人にものぼった[56]。また、この時期に物流や商業の新拠点として開発がすすめられていた仙台港後背地も甚大な被害を受けた。

震災復興計画

震災後、津波の被害を受けた地域などでは、市が主導して復興特区制度を取り入れ、新たな地域産業の開拓を今後10年間行い復興する計画がされているほか、民間企業によるものも複数計画されている。

年表

市制時代の年表

行政区域の沿革

現在の仙台都心部を含んだ北側(広瀬川上流域および中流域の北側、七北田川流域など)は宮城郡、南側(広瀬川中流域の南側と名取川流域など)は名取郡に元々所属していた[57]

市政

行政

市長

東北放送アナウンサー、元衆議院議員民進党社民党の支持、共産党自由党の支援を受けて当選した。
  • 副市長
    • 高橋新悦(2018年4月1日 -、元水道事業管理者)
    • 藤本章(2012年4月1日 -、元総務企画局長)
    • 欠員1名
歴代市長

1946年に公選による市長選出が開始される以前には、大都市行政の専門家として、もしくは中央省庁に対する発言力の確保のために、知事や長官級の大物官吏出身者を市長として据えるのが通例であった[58]戦後の市長7名については、うち2名が仙台市役所の出身者、1名は弁護士という、中央での職歴を持たない人物である。

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1-2 遠藤庸治 1889年(明治22年)5月2日 1898年(明治31年)3月7日
3 里見良顕 1898年(明治31年)4月8日 1903年(明治36年)3月13日
4 早川智寛 1903年(明治36年)4月2日 1907年(明治40年)7月1日
5 和達孚嘉 1907年(明治40年)7月2日 1910年(明治43年)7月2日
6 遠藤庸治 1910年(明治43年)12月11日 1914年(大正 3年)11月4日
7 山田揆一 1915年(大正 4年)5月25日 1919年(大正 8年)5月24日
8-9 鹿又武三郎 1919年(大正 8年)7月17日 1927年(昭和 2年)7月26日
10 山口龍之助 1927年(昭和 2年)8月13日 1930年(昭和 5年)6月7日
11-13 渋谷徳三郎 1930年(昭和 5年)8月31日 1942年(昭和17年)8月30日
14 今村武志 1942年(昭和17年)9月23日 1946年(昭和21年)5月14日
15-18 岡崎栄松 1946年(昭和21年)6月17日 1957年(昭和32年)12月17日
19-25 島野武 1958年(昭和33年)2月2日 1984年(昭和59年)11月6日
26-28 石井亨 1984年(昭和59年)12月23日 1993年(平成 5年)7月3日
29-31 藤井黎 1993年(平成 5年)8月22日 2005年(平成17年)8月21日
32 梅原克彦 2005年(平成17年)8月22日 2009年(平成21年)8月21日
33-34 奥山恵美子 2009年(平成21年)8月22日 2017年(平成29年)8月21日
35 郡和子 2017年(平成29年)8月22日 (現職)

△は在職中死去

財政

  • 当初予算規模(2017年度)
    一般会計:約5476億円
    特別会計:約3213億円
    企業会計:約2420億円
    総 計:約1兆1109億円

主な市営事業者

いずれも、出納取扱金融機関七十七銀行である。

仙台市における「公営事業」としては、ガス水道上水道)・下水道バス地下鉄病院の6つで構成されるが、公営企業としては上述の3事業者が4事業を手がけており、病院事業(仙台市立病院)と下水道事業(仙台市建設局下水道経営部)が、公営企業の形態をとっていない。

不祥事

  • 行政不服審査法違反事件 - 2013年8月7日、生活保護の審査請求書類を提出した市民に対し、職員が「行政不服審査法」の規定に反して書類の受け取りを2時間にわたり拒否、弁護士に説得され、しぶしぶ受け取る水際阻止作戦による違法事件が発生。後に厚生労働省により、同様の事例が発生しないよう、各自治体に通達を出される事態に発展した[59]
市民による監視

1991年(平成3年)10月、公文書の開示と市政情報の提供を骨子とする「仙台市情報公開条例」が施行された。

1993年(平成5年)のゼネコン汚職事件では、当時の石井享市長が収賄による有罪判決を受けることとなった。これを端緒に仙台市では、全国にさきがけて仙台市民オンブズマンが誕生することとなった。しかし、2004年(平成16年)に東北文化学園大学補助金不正受給事件が発生して副市長が辞任に至った。

議会

市議会

  • 定数:55名
  • 任期:2019年(令和元年)8月28日〜2023年(令和5年)8月27日
会派名 議席数 党派 議員名(◎は代表)
自由民主党 22 自由民主党 ◎斎藤範夫、橋本啓一、跡部薫、加藤和彦、菊地崇良、松本由男、菅原正和、佐々木心、高橋卓誠、渡辺博、赤間次彦、佐藤正昭、鈴木勇治、西澤啓文、野田譲、庄司俊充、岡部恒司、村岡貴子、千葉修平、内藤良介、田村勝、猪又隆広
公明党仙台市議団 9 公明党 ◎嶋中貴志、鈴木広康、鎌田城行、小野寺利裕、小田島久美子、佐藤和子、佐々木真由美、佐藤幸雄、竹中栄雄
民主フォーラム仙台 9 立憲民主党国民民主党 ◎村上かずひこ、佐藤わか子、渡辺敬信、沼沢しんや、細野たかし、鈴木すみえ、郷古正太郎、貞宗けんじ、山下純
日本共産党仙台市議団 6 日本共産党 ◎嵯峨サダ子、ふるくぼ和子、すげの直子、庄司あかり、高見のり子、高村直也
社民党仙台市議団 5 社会民主党 ◎辻隆一、石川建治、ひぐちのりこ、いのまた由美、小山勇朗
蒼雲の会 5 無所属 ◎安孫子雅浩、小野寺健、加藤けんいち
市民と未来のために 1 無所属 ◎伊藤ゆうた

※2019年9月2日現在。欠員0名

宮城県議会

  • 定数:24名
  • 任期:2019年(令和元年)11月13日〜2023年(令和5年)11月12日
選挙区 氏名 会派名 備考
青葉区 (7) 遊佐美由紀 みやぎ県民の声 所属党派は立憲民主党
遠藤伸幸 公明党県議団
福井崇正 自由民主党・県民会議
菅間進 無所属の会 無所属議員
吉川寛康 21世紀クラブ 無所属議員
金田基 日本共産党宮城県会議員団
中沢幸男 自由民主党・県民会議
宮城野区 (4) 石川光次郎 自由民主党・県民会議
庄子賢一 公明党県議団
大内真理 日本共産党宮城県会議員団
坂下やすこ みやぎ県民の声 所属党派は無所属
若林区 (3) 渡辺勝幸 自由民主党・県民会議
三浦ななみ みやぎ県民の声 所属党派は立憲民主党
福島かずえ 日本共産党宮城県会議員団
太白区 (5) 佐々木幸士 自由民主党・県民会議
岸田清実 社民党県議団
わたなべ拓 自由民主党・県民会議
横山のぼる 公明党県議団
石田一也 みやぎ県民の声 所属党派は無所属
泉区 (5) 小畑きみ子 みやぎ県民の声 所属党派は立憲民主党
遠藤隼人 自由民主党・県民会議
外崎浩子 自由民主党・県民会議
伊藤和博 公明党県議団
庄田圭佑 自由民主党・県民会議

※2017年11月14日現在。

衆議院

選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
宮城県第1区青葉区秋保総合支所管内を除く太白区 土井亨 自由民主党 4 選挙区
岡本章子 立憲民主党 1 比例復活
宮城県第2区宮城野区若林区泉区 秋葉賢也 自由民主党 6 選挙区
宮城県第3区
(太白区のうち秋保総合支所管内、名取市川崎町以南の宮城県域市町)
西村明宏 自由民主党 5 選挙区

統計データ

現在の市勢
  • 総人口 - 1,089,331人(2019年7月1日)
  • 世帯数 - 519,331世帯(2019年7月1日)
  • 年少(15歳未満)人口率 - 13.7%(2005年)
  • 高齢(65歳以上)人口率 - 15.8%(2005年)
  • 昼間人口 - 1,090,162人(2000年)
  • 労働力人口 - 509,211人(2000年)
  • 第一次産業就業者数 - 5,612人(2000年)
  • 第二次産業就業者数 - 82,744人(2000年)
  • 第三次産業就業者数 - 471,273人(2000年)
  • 農業産出額 - 97,40百万円(2004年)
  • 製造品出荷額等 - 771,325百万円(2004年)
  • 商業年間商品販売額 - 7,836,820百万円(2003年)
出典
  1. 総務省統計局『統計で見る市区町村のすがた2007』2007年

国家機関

内閣府
総務省
法務省
経済産業省
財務省
  • 東北財務局 - 青葉区本町三丁目3-1
  • 国税庁仙台国税局 - 青葉区本町三丁目3-1
    • 仙台北税務署 - 青葉区上杉1丁目1番1号
    • 仙台中税務署 - 若林区卸町3丁目8番5号
    • 仙台南税務署 - 太白区柳生2丁目28番2号
国土交通省
農林水産省
  • 東北農政局
    • 企画調整室 総務部 消費・安全部 生産部 経営・事業支援部 農村計画部 整備部 - 青葉区本町三丁目1番1号
    • 総務部(検査課)消費・安全部(業務課)生産部(業務管理課)統計部 - 宮城野区新田二丁目22番1号 宮城野庁舎
    • 土地改良技術事務所 - 宮城野区幸町三丁目14番1号
    • 仙台東土地改良建設事業所 - 宮城野区五輪一丁目3番20号 仙台第2法務合同庁舎4階
  • 林野庁東北森林管理局 仙台森林管理署 - 青葉区東照宮1丁目15-1
厚生労働省
  • 東北厚生局 - 青葉区花京院一丁目1-20
  • 宮城労働局 - 宮城野区鉄砲町1番地
    • 仙台労働基準監督署 - 宮城野区鉄砲町1仙台第4合同庁舎
    • 仙台公共職業安定所 - 宮城野区榴岡4-2-3仙台MTビル3〜5F
    • マザーズハローワーク青葉 - 青葉区中央2-11-1オルタス仙台ビル4F
    • ハローワークプラザ青葉 - 青葉区中央2-11-1オルタス仙台ビル4F
    • ハローワークプラザ泉 - 泉区泉中央1-7-1地下鉄泉中央駅ビル4F
    • 宮城キャリアアップハローワーク - 宮城野区榴岡1-6-30エクセレントスクエア仙台2F
    • ものづくりワークプラザ宮城 - 宮城野区榴岡1-6-30エクセレントスクエア仙台2F
    • 仙台新卒応援ハローワーク - 青葉区中央1-2-3仙台マークワン12F
防衛省

裁判所

認可法人

特殊法人

  • 日本年金機構
    • 仙台広域事務センター - 青葉区中央4-6-1
    • 仙台北年金事務所 - 青葉区宮町4-3-21
    • 仙台東年金事務所 - 宮城野区宮城野3-4-1
    • 仙台南年金事務所 - 田白区長町南1-3-1

独立行政法人

施設

公共施設

仙台市の文化機関・公共施設は、市が設置・運営しているものの他、市の外郭団体、民間が設立・運営(電力ホールなど)しているものがある。

仙台市博物館仙台市天文台などの社会教育機関は、その社会教育活動や施設を維持するために有料であるが、2002年から仙台都市圏の小中学生を対象にして発行された「どこでもパスポート」を利用すると、小中学生に限り無料で利用することができる。(一部施設は土曜日日曜日休日春休み夏休み秋休み冬休みのみ使える施設がある)

公民館の機能を持つ施設として「市民センター」を各区に設けている。

医療

救急指定病院災害拠点病院のみ記載。

青葉区
宮城野区
若林区
太白区
泉区

対外関係

姉妹都市・提携都市

日本国内・日本国外の姉妹都市を各々締結順に掲載する。仙台市は、日本国外の姉妹都市と提携して、それぞれの都市を紹介するラッピングバスを運行している。

都市外交

都市外交としては、東京都の世界大都市外交や「アジア大都市ネットワーク21」が有名であるが、仙台市の場合は、人口約1000万人の東北地方、人口約570万人の南東北の拠点都市として、人口規模が近しい北欧諸国との都市外交を進めている(北欧諸国:スウェーデン900万人、デンマーク540万人、フィンランド520万人、ノルウェー469万人など)。特にフィンランドとは、仙台市の仲介で東北福祉大学が福祉関連施設を仙台フィンランド健康福祉センター内に開設し、成果が出ている。しかし、研究開発・産業分野に限った都市外交であるため、経済全体に対するインパクトは弱く、観光面で人の交流の活発化を実現した東京のような例とはかけ離れて、小さい経済効果しか見込まれていない。 なお、北欧以外では、支倉常長関連で宮城県とローマ県セビリア市、仙台市でサッカーイタリア代表がキャンプを開いたことにより、仙台市とイタリアの間で交流が深い。

「仙台」と名の付く国際姉妹都市の施設
姉妹都市 施設名 設置年
都市 提携年 現地語(羅字転写) 日本語意訳
フランスの旗 フランス レンヌ 1967年 : Square de Sendaï[61] 仙台街区 1978年
ベラルーシの旗 ベラルーシ ミンスク 1973年 : Сэндайскі сквер[62]
(Sendajski skver)
仙台公園 2002年
中華人民共和国の旗 中国 長春市 1980年 : 仙台大街[62]
(xiāntái dàjiē)
仙台大通り 2000年
大韓民国の旗 韓国 光州広域市 2002年 : 센다이로[62]
(Sendai-ro)
仙台通り 2004年

海外

国際姉妹都市
国際友好都市
産業振興協定締結都市
交流促進協定締結都市

国内

姉妹都市

国際機関

日本国内の外国人登録数の国籍別の順位は、1位:韓国(30.8%)、2位:中国(24.7%)、3位:ブラジル(14.5%)、4位:フィリピン(10.1%)、5位:ペルー(2.8%)、6位:米国(2.5%)という順である。

仙台市は、東日本の他の大都市と同様に中国系の数の方が多く(西日本の大都市は韓国系の方が多い)、また、工業が少ないために南米出身の日系人も少ない。但し、隣接する大和町に工業団地があるため、大和町と富谷市には日系人がやや多い。なお、仙台市はロシア人の比率が札幌市に次いで多く、実数も多い。一般に、日本海に面した漁港・貿易港のある北海道や北陸地方各都市などにロシア人が多いが、沿岸漁業用の漁港しかない仙台にロシア人が多いことは特徴的である。

宮城県(北上川流域)には、正教会組織の一つである日本正教会教会が多く、日本の3大拠点(仙台・東京・京都)の1つである。

また、東北大学だけで留学生を1200人余り(留学生の家族を含まない数)を受け入れており、仙台の外国人登録数の10%以上を占めている(2005年)。東北大学は、主にアジアからの留学生受け入れに力を入れているが、「魯迅が留学していた大学」として、1998年当時中華人民共和国主席であった江沢民が来訪するほど中国国内で有名であるため、中国からの留学生がとりわけ多く(466人)、次いで韓国からの留学生が多い(190人)。また、旧帝国大学のつながりから、台湾からの留学生も多い(45人)。欧米からの留学生は、アメリカ合衆国(24人)とスウェーデン(13人)が1位2位であるが、金属材料系で世界一の研究所である金属材料研究所や、流体科学研究所などの有力研究所・講座があるため、大学間交流は盛んである。

外国人登録数

:総数10,284人(平成15年12月末) 内訳:(単位:人)

領事館

総領事館
名誉総領事館
名誉領事館
外国政府外郭団体、外国民間団体等
  • イタリアの旗 イタリア貿易振興会 仙台事務所
  • フランスの旗 仙台日仏協会・アリアンス・フランセーズ
  • 中華民国の旗 宮城華僑総会(宮城華僑会館)

経済

御岳三吉神社から見た仙台市都心部

2007年度の市内総生産は4兆2784億円であり、宮城県の51.6%を占めている[63]国内総生産(GDP)と比較すると、仙台市は世界80位以内にランクインしており、世界の過半数の国よりも経済規模が大きい。

江戸時代に東北地方最大の都市にして、日本で十指に入る人口を抱える都市となっていたが、それは、伊達氏62万石の藩内経済を背景としたものであり、藩外との経済交流を考えれば、酒田などの港湾都市の方に資本集積があったと考えられている。

明治時代になると仙台は、明治政府の中央集権体制における東北地方の拠点都市として発展することとなった。戦後においては、特に1982年の東北新幹線開通後の発展や、1989年(平成元年)の政令指定都市化前後はめざましいものがあった。

主な産業は、東北全体を商圏とする「卸売業」、仙台都市圏を中心に南東北全体に商圏を広げつつある「小売業」、および「サービス業」が中核をなす。中でも、「卸売・小売業」は仙台市だけで東北六県全体の年間販売額の40%近くを占める。また、東北地方の情報集散地としての役割も担っているため、「出版・印刷業」や「IT関連業種」などの情報関連産業も多く立地している。

仙台市は、大企業の支店の存在に経済を支えられている側面が強く、また工業も発展していないため、経済関係者の間から「支店経済都市」「支社都市」と呼ばれている。このため、地場の産業を育成することが課題となっている。

第一次産業

市西部の田園地帯

他の大都市同様、総生産額・従業者ともに全産業に占める第一次産業の割合は僅である(市内の農家数はおよそ5000戸)。しかし、は仙台の主力農産物であり、かつ、ササニシキひとめぼれなどのブランド米を産する土地柄、平野部の稲作地は都市化圧力から守られてきた。市内東部の平野や河川沿いの平地では土地改良事業が行われ、長方形型の大きな圃場が整備されて、大型農機による大規模稲作が行われている。これらの大規模圃場は、一部税金を用いて整備されているため、商業地や住宅地への転用が条例によって規制されている。

  • Google Maps の衛星写真で見ると、仙台市東部と特に七北田川沿いの農地が開発規制されているのが分かり、他の大都市との農政の違いが分かる。即ち、他の大都市が、平地にあれば同心円状、谷あいにあれば平地のほとんどが都市化している一方、仙台都市圏は、幹線道路および在来線沿い以外は農地の開発規制がされている。

このように、河川沿いの平地や東部の広大な平野部は、農地指定が解除されない限り、商業地や住宅地等に利用できないため、人口増に対応する住宅供給は、専ら仙台市都心部を取り巻く丘陵地の宅地造成によりなされた。宅地造成は、都心部に近い北西部を中心に進んだが、それでも供給不足に陥ったため、仙台市民の隣接市町への転出を促し、名取市富谷市利府町などの人口増に寄与した。

仙台市当局は、政治的に平野部の農地を守ってきた。その政治判断により、平野部や河川沿いに水田が残り、夏には風の通り道になってヒートアイランド現象を軽減し、また、西部の山々とともに都心部を取り巻くグリーンベルトとして景観の保持にも寄与している。

他方、仙台市の農地政策は「都心部以外は、平地は農地、丘陵地は住宅地」 という都市構造を助長した。そのため、住宅地が丘陵地ごとに島状分布し、都心と住宅地との間に坂道が多いため車社会を加速し、人口密度が低く、人口の割に職住が離れた非効率的都市圏を形成することになった。現在は、その非効率性はなくなっていないものの、農地指定の解除が徐々に進んで、「島」と「島」との間の平地が商業地や住宅地になりつつある。

第二次産業

工業地区は主に仙台市東部地区に分布している。主な業種は「石油化学業」、次いで「印刷・出版業」、「電気機械・器具業」、「食品加工業」など。第二次世界大戦中の燃料不足のおりには、市内の中心部に近い八木山・大年寺山などで褐炭の掘削が盛んに行われた。

第三次産業

ハピナ名掛丁入口

仙台市の産業のうち、総生産額で8割、従業員数で7割を占める。業種別では「サービス業」の伸びが顕著である。

仙台市は、南東北における物販・サービス業などの中心地となっている。一番町仙台駅周辺の2つの中心部商業地の大きな集客力と、郊外ロードサイドショップの密集により、仙台市の小売商圏は、仙台市周辺市町村の域を越えて、山形県村山地方福島県中通り北部・浜通り北部、および岩手県北上川流域南部まで広がっている。

中心商業地以外では、仙台駅東口から楽天生命パーク宮城に至る宮城野通り周辺の仙台駅東口や、泉中央長町の副都心においても集積がみられる。

主な企業

東証1部上場企業

東証2部上場企業

ジャスダック上場企業

その他仙台市に本社を置く企業

上場廃止となった企業を含む

金融機関

現在の青葉通の東端に仙台駅が設置(1887年)され、芭蕉の辻(江戸時代の仙台の中心商業地。国分町通=奥州街道、および大町=仙台城大手門前から続く道の交差点)に日本銀行仙台支店が設立(1941年)されたことにより、この2点の間の地域に金融機関が集中した。現在の仙台市の金融街は、青葉通沿いの仙台駅西口前から晩翠通辺り(東西軸)までを中心とし、途中交差する国分町通沿い(南北軸)にも立地している。

仙台市都心部には、一番町と仙台駅西口一帯の2つの極があるが、従来から、一番町は地元商店が強く、駅前は県外資本(主に東京)が強い。金融街の構成にも似た傾向があり、青葉通沿いの仙台駅前から東二番丁通交差点までの部分に都市銀行や有力地方銀行の本支店が集中立地し、それより西の一番町に近い青葉通沿いに他の地銀や第二地銀の本支店が集中立地している。また、西東北を地盤とする銀行を傘下に持つ金融持株会社フィデアホールディングスの本社は、仙台市に設けられている。

仙台市には2006年(平成18年)2月27日ローソンローソンATM)、2006年(平成18年)3月1日セブン-イレブンイトーヨーカドー仙台泉店(現在の、イトーヨーカドーアリオ仙台泉店、セブン銀行)、2006年(平成18年)3月20日ファミリーマートミニストップイーネット。ミニストップは、後にイオン銀行に入れ換え)、サークルKおよびサンクスBankTime。現在は、一部のファミリーマート店舗にも導入)に、コンビニATMが設置された。仙台市へのコンビニATMにより政令指定都市全てにコンビニATMが導入されることとなった。

仙台市内に本店を有する金融機関

七十七銀行本店

括弧内は仙台市内店舗数(2016年度。ブランチインブランチ実施の場合は、窓口の実態がある拠点数)

七十七銀行指定金融機関地方公営企業出納取扱金融機関仙台銀行仙台農業協同組合指定代理金融機関とされている。

仙台市内に支店を有する金融機関

仙台市内第1店舗目は、ほぼ上述の金融街に設置されている。2店舗目以降は、卸売り・流通企業が集中している卸町やその周辺の商業地を含めた宮城野地区(卸町、宮城野、原町、南小泉など)、県庁・市役所・国の出先機関などが集中する官庁街の二日町地区、仙台の副都心である泉中央や長町(富沢・泉崎)、その他、各金融機関の顧客層に合わせて、下町や郊外住宅地に店舗展開している。以下、支店店舗数と本社所在地を付記する。有人出張所は+で付記する(配列は統一金融機関コード順)。ただし、ローン専門拠点や中小企業向け相談拠点など、特記しているケースを除き、口座店でない店舗は含まない(口座店概念のないゆうちょ銀行は、直営店の数を示す)。

情報通信

マスメディア

テレビ局

テレビ局、および テレビ・ラジオ兼業

NHKを含めたテレビ局として5局、うちラジオ兼業局が2局ある。テレビ東京系の局は無く、テレビ東京系で制作された番組は番組販売形式で在仙の民放4局で放送されている。また、東北限定のローカルネットワーク局も存在しない(ブロックネットする番組は多い)。

表記のテレビチャンネルは、地上デジタル放送リモコンキーID

ケーブルテレビ

ケーブルテレビは以下の2局がある。技術上テレビ東京の親局・中継局ともに他の局とチャンネルが被っており、仙台市周辺での受信は極めて困難であることから、いずれもテレビ東京系の再送信は行われていない。

FMラジオ局

※ 上記の他、NHK仙台放送局が82.5MHzでFM放送を、AM局のTBCラジオ(東北放送)が93.5MHzでAM放送と同内容のサイマル放送を行っている。

コミュニティFM局(cFM)

新聞社

河北新報本社ビル(2009年(平成21年)4月

出版社

フリーペーパー

  • ぱど 仙台版(31万部)(隔週刊。関東・関西・仙台・広島・岡山・静岡・浜松の各版)
  • ホットペッパー 仙台版(リクルート社 クーポンマガジン)
  • 住宅情報タウンズ 借りる・買う(「買う」は2007年(平成19年)1月5日に創刊)
  • リビング仙台(24万部)(週刊。主婦層向け。全国の主要商圏58エリア各版)

教育

東北大学川内北キャンパス

仙台は、高等教育機関(大学短期大学高等専門学校等)に通う学生を85,000人以上抱えており、人口に対する学生比率が、政令指定都市などの中では京都市福岡市東京23区に次いで4番目に高く、仙台市の行政や地元マスメディアは「学都仙台」を自称している。また、人口に対する大学院生比率も京都市に次いで2番目に高い上、高等教育機関の教員も4,000人近く住んでおり、日本の学術を支える重要な都市の1つとなっている。しかし、東北大学においては、その入学者における地元占有率(東北大では東北地方出身者の割合)が、他の旧帝大のそれと比べて低く、また、仙台市や東北地方に十分な就職先が確保されていないため、卒業者のほとんどが他の地方(特に首都圏)に流出し、頭脳流出が激しい。また、工業基盤が薄い仙台市では、研究成果も他の地方に流出し、地場で産業化される例は極めて少ない。近年では、人材と研究成果の流出を抑えるため、産学官共同のベンチャーキャピタルが設立されたが、まだ大きなビジネスに育っていない。一方、東北学院大学宮城学院女子大学に代表される県内私立大学の入学者のほとんどは、東北地方出身者であり卒業後も仙台での就職を希望するものも多く、幅広い分野で地域の産業を支えている。

しかし、特別支援学校については、少子化と反比例する形で入学対象者が増加傾向(特別支援学級を含む特別支援教育の対象となる範囲が、法的に広がったことも起因している)にあり、とりわけ知的障害を主な教育対象とする特別支援学校の数が、県立学校では市内には、宮城県立光明支援学校1校しかなく、その学区から外れた場合は、仙台市外に位置する特別支援学校への通学を余儀なくされている現状にある[注 17]

交通

仙台国際空港
仙台駅西口
仙台駅東西自由通路
仙台駅西口バスプール

空港

仙台空港

国内線
札幌/新千歳東京/成田名古屋/中部小松大阪/伊丹大阪/関西神戸広島出雲福岡沖縄/那覇
国際線
ソウル/仁川北京/首都上海/浦東台北/桃園

鉄道

仙台市内の鉄道路線図

旅客路線

仙台駅を中心に路線が放射状に存在する。

東日本旅客鉄道(JR東日本)
  • 仙台駅

上記のうち仙石東北ラインが仙台駅・東仙台駅・岩切駅に停車する。

仙台市地下鉄

貨物路線

以下は貨物専用路線。

日本貨物鉄道(JR貨物)
  • 東北本線宮城野貨物支線
仙台臨海鉄道

バス

路線バス

仙台市営バス
宮城交通 高速バス
仙台都市圏環状自動車専用道路
仙台東部高架橋
定禅寺通
東二番丁通

バス路線は、仙台駅および仙台市地下鉄南北線の乗継指定駅に向かう系統が多数。近年は、在来線の駅前にロータリーを新設して、在来線との乗り換えを進める傾向もある。仙台市内を走るバス(市外直通便含む)として、以下のバス事業者がある。

仙台市交通局仙台市営バス
宮城交通
愛子観光バス
山交バス
  • 宮城県内では青葉区のみを営業エリアとしており、国道48号を経由する特急バス(新庄行)を運行する。路線策定の経緯から市バスの作並温泉線と競合する一般路線バスの扱いである。仙台駅から作並温泉の利用も可能であり、作並温泉地区では山交バス単独の停留所も設置されている。
タケヤ交通

いずれも乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券による区間制を採っている。

仙台市交通局と宮城交通では、バスロケーションシステムどこバス 仙台)が導入され、icscaSuicaPASMOなども共通であり、2017年9月までは並走路線においては同一の運賃設定がなされていた(同年10月以降は市バス初乗り170円区間のみ宮城交通のほうが安価、それ以外の区間では仙台市交通局のほうが安価となる)。

かつては特定駅でのバス・地下鉄の相互乗換の場合、乗継割引としてバス(地下鉄)の運賃が40円引かれる制度が存在した。現在ではicscaの乗継30ポイント制度に継承されている。

オムニバスタウン指定を受け、都心バス均一区間の120円パッ区(2018年9月30日まで100円パッ区)が設定されている。

かつてはワンコインの循環バス(カーバスくん)を試験的に走らせていたが、交通渋滞で定時運行が困難なため、長くは続かなかった。しかし定期バスにて100円で乗れる均一区間を試験的に設定した結果、好評のためにそのまま継続となった。

このほか以下の事業者も市内に乗り入れる。

  • 岩切駅と利府町内を結ぶ路線を運行する。

高速バス・特急バス

仙台駅の高速バス乗り場は、宮城交通東日本急行広瀬通JRバス東北が仙台駅東口にある(一部を除く)。

道路

仙台市とその近隣市町村には、仙台都市圏環状自動車専用道路(ぐるっ都・仙台)が整備されており、環状高速道路を中心に高規格道路が広がる。一般道においては、3環状12放射状線を骨子に道路整備が進められている。

仙台市都心部では、ほぼ碁盤の目のように道路が整備されているが、そのほとんどの道路に道路愛称および歴史的な通称が一般的に使われている。歴史的町名活用道路には、辻標や通り看板を設置している。

航路

仙台港

観光

仙台城隅櫓(2003年(平成15年)11月
大崎八幡宮社殿
秋保温泉

名所・名勝

レジャー

公園・緑地

仙台市では都市の緑化と緑地公園・森林公園に力を入れている。平成11年には、市民・事業者・行政の協働による今後の緑づくりの具体的施策を定めた「百年の杜づくり行動計画」を策定し、市街地の「緑の回廊づくり」、誕生、結婚、新築など人生の節目を記念する植樹などによって1年1万本を目標に市民による植樹を進める「市民による「100万本の森づくり」、「学校の森づくり」、「建築物の緑化助成」、小学生向け緑化啓発サイト「キッズ百年の杜」などの施策を実施している。 都心部を囲む水田地帯、広瀬川の河川敷、小さな山などを含めてグリーンベルトと見なし、条例で開発を規制している。生垣にも助成金を出している。ブロック塀を減らすことで地震対策としている面もある。これは1978年の宮城県沖地震の際、ブロック塀が崩れ、その下敷きとなり多くの犠牲者を出した反省に基づいている。

  • 都市型公園・都市緑化公園

文化・名物

観光PRにも多数の飲食店が登場しており、文化を形成する一役を担っている。こういった資料からも、食文化が発達していることが窺える。 http://wwwtb.mlit.go.jp/tohoku/ks/ks-sub05/28-2-10.pdf

仙台市内にはライブハウスクラブが存在し、アマチュア・バンドやインディーズが活動している。仙台市に拠点を置いて活動する他地方出身のセミプロバンドもおり、全国版のヒットチャートと仙台のヒットチャートとの間に違いが生じるようになった。また、アマチュア演劇も行われており、多数のアマチュア劇団が存在して活動をしている。

仙台市は文化活動、文化事業を「楽都仙台」や「劇都仙台」と標榜してバックアップし、都市の文化的魅力を高めるとともに、産学官の連携組織である仙台クリエイティブ・クラスター・コンソーシアムを設立し、芸術や文化の創造性を活かした創造的産業の振興にも力を入れている。また一方で、地元マスメディアも地元の人材活用をするようになって、バンド・タレント芸能人モデルなどのローカルタレントが増加して、隣県のメディアに進出する者も表れた。そのため、小さいながらも仙台芸能界が形成されつつある。

方言

仙台独特の方言としては仙台弁があり、福島県や東関東などと同じ無アクセントであることや、語尾の「だっちゃ」などが特徴的である。しかし、現在では高齢者を除いて共通語標準語に近い言葉が使用され、他地域から転入した人々の言葉が混じっていることも多い。ただし、語彙や表現は共通語化されていても、アクセントには元来の無アクセントの影響が残っていることが多い。

祭事・催事

主な祭事

仙台七夕祭り

最も有名かつ、観客者数の多い仙台を代表する祭りは、仙台七夕まつりである。七夕祭りは藩政時代以来の歴史を持つ祭りで、市中の商店が名誉をかけて華美を競い合い、全国でも類を見ない華麗な七夕祭りになったとされる。東北四大夏祭りの1つに数えられており、中心部商店街では、期間中200万人以上の人出がある。

主な催事

光のページェント
スポーツ関連の催事は仙台のスポーツ#恒例のスポーツイベント参照

「市民ボランティアが主体となって開催する」「街を舞台装置とした」「無料の」「屋外音楽イベント」が多いのが特色。音楽以外がメインのイベントでも、ステージが設置され、バンド演奏が行われる例が多い。秋の定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台は2日間で70万人以上、冬のSENDAI光のページェントは3週間で220万人以上の人出がある。

その他、10月1日から11月30日に行われる音楽や演劇等の公演を「仙台市芸術祭」という名称で仙台市が後援しており、2004年(平成16年)11月には勾当台公園で野外演劇祭(仙台演劇祭)も行われた。


音楽

楽団

仙台フィルハーモニー管弦楽団
クラシック音楽専用につくられた仙台市青年文化センター・コンサートホールを本拠とするプロのオーケストラ。本拠の他に、宮城県民会館やイズミティ21でも定期演奏会やコンサートを行っている。

スポーツ

仙台市に本拠を置くスポーツチーム
名称 競技種目 所属リーグ 本拠地 運営会社・団体 発足年
(移転年)
ベガルタ仙台 サッカー Jリーグ J1 ユアテックスタジアム仙台 ベガルタ仙台 1994年
東北楽天ゴールデンイーグルス 野球 日本プロ野球 パシフィック・リーグ 楽天生命パーク宮城 楽天野球団 2004年
仙台89ERS バスケットボール ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ カメイアリーナ仙台 仙台スポーツリンク 2005年
センダイガールズプロレスリング プロレスリング 宮城野区文化センター みちのくエンタテインメント 2005年
マイナビベガルタ仙台レディース サッカー 日本女子サッカー なでしこリーグ1部 ユアテックスタジアム仙台 ベガルタ仙台 2012年
ヴォスクオーレ仙台 フットサル Fリーグ カメイアリーナ仙台 ヴォスクオーレ仙台 2012年

グルメ

牛タン炭火焼き定食

仙台は三陸の魚介類は勿論、各種農作物、ブランド米「ひとめぼれ」「ササニシキ」、高級和牛牛肉「仙台牛」の産地に近く、海の幸・山の幸が集積する。近年は、仙台中央卸売市場仙台経済圏に商圏広域化し、弱体化した周辺の卸売市場の機能を肩代わりしているため、食材の集散地としての機能拡充も進んでいる。

庶民的な料理店の特色として、仙台発祥の牛タン料理の店が多く、仙台ラーメンを供する店もある。また、仙台駅駅弁の種類が日本で最も多い駅として知られる(「仙台駅#駅弁」を参照)。

旬の味覚・季節料理

仙台発祥の料理

日本酒 - 浦霞一ノ蔵など。
ビール - 麒麟麦酒の工場が仙台港にある。
ウイスキー -竹鶴政孝が創始したニッカウヰスキーは国内に二箇所の蒸留所を持っているが、その内の一箇所が仙台市青葉区、広瀬川上流の新川河畔にある宮城峡蒸溜所である。

名産

芋煮会

仙台の秋の風物詩として、芋煮会がある。芋煮会は、河原などの野外において、家族や友人、学校や職場の仲間が集まって、大鍋に汁をつくって食べる季節行事である。この習慣がある地域では、花見と同様に重要な年中行事として扱われている。10月から11月にかけて行われる。

仙台の芋煮は、里芋と豚肉を主な具として味噌で味付けする。魚やジャガイモをいれるものもある。また、参加する人数が多くなると、仙台風の芋煮の他に、牛肉・醤油味の山形風芋煮、キムチチゲ(鍋)、バーベキューや鉄板焼きなどを加えて作ることもある。芋煮のための大鍋は、スーパーやコンビニエンスストアで借りることが出来、薪も買える。シーズン中は、材料の下ごしらえがされた芋煮セットがスーパーや大学生協などで売られているので、忙しい人たちも簡単に芋煮会をすることが出来る。また、仙台近郊のキャンプ場では、全ての材料・鍋・薪が準備されていて、あとは火をおこして煮るだけの芋煮会パックというサービスもある。

発祥

大藩であった旧仙台藩や旧東北帝国大学の存在を礎にした文化・教育・工業技術・科学技術の分野に関する事項が多い。

「センダイ」と名の付く動植物

センダイハギ(千代萩、仙台萩:Thermopsis lupinoides
ムラサキセンダイハギ(紫千代萩:Baptisia australis
原産地は北米。
センダイシダレ(仙台枝垂)
センダイヤ(仙台屋:Cerasus jamasakura 'Sendaiya')、センダイヤザクラ(仙台屋桜)
仙台藩から移住してきた佐伯氏が、現・高知県高知市中須賀で始めた「仙台屋」の屋敷に植えたで、土佐藩主・山内家にも献上された[65]。周辺住民から「仙台屋の桜」と呼ばれていたが、高知県出身で「日本の植物学の父」とされる牧野富太郎が品種として命名した。センダイヤはヤマザクラの栽培品種で、葉が赤く、花は一重で5枚の花弁が付き、ソメイヨシノより数日遅く濃紅色の花を開花する。虫が付きにくいため、消毒作業による都市環境・自然環境への負荷が低い品種と考えられており、2002年(平成14年)より神奈川県横浜市では青葉区役所付近の鶴見川沿いに植樹されて桜並木を形成しつつある[66]
センダイヨシノ(仙台吉野)
坂庭清一郎が仙台市で、仙台周辺に多いヤエベニシダレ(八重紅枝垂)と、ソメイヨシノ(染井吉野)とを交配して作った八重咲きの桜の一品種(→榴岡公園)。
センダイソウ(仙台草:Saxifraga sendaica
ロシア人のカール・ヨハン・マキシモヴィッチ博士によって命名された。紀伊半島四国九州に自生し、仙台市には自生しない。
センダイゾウ(仙台象:Sinomastodon sendaicus
絶滅種。
センダイムシクイ
スズメ目ウグイス科の渡り鳥。
センダイウイルス (Sendai Virus:Sev) (Hemagglutinating virus of Japan : HVJ)
石田名香雄(元東北大学総長)らにより東北大学医学部で発見された。細胞融合を起こすウイルスとしてバイオテクノロジーの分野で重要視されている。遺伝子治療において、導入する遺伝子を目標組織の細胞に運ぶベクターとして有望視されている。

出身・関連著名人

仙台を舞台にした作品

映画

テレビドラマ

テレビアニメ

小説

ノンフィクション

紀行文・俳諧

漫画

ゲーム

楽曲

その他

かつては、宮城県内の自動車ナンバープレートの地名表示は「宮城」のみであったが、いわゆるご当地ナンバー制度により、2006年(平成18年)10月10日から「仙台」ナンバーが導入された。「仙台」ナンバーを取得できる車は、仙台市内に車庫登録をしている車となっている。また、2018年10月1日より地方版図柄入りナンバープレートが交付されるようになった。

電話番号

  • 市外局番および市内局番の変遷[67]
    • 1962年 - 1963年
      • 市外局番は「0222」で市内局番は1桁。
    • 1963年 - 1986年
      • 市外局番は「0222」で市内局番は2桁。
    • 1986年以降
      • 市外局番は「022」で市内局番は3桁。
  • 局番の変更
    • 1963年変更
      • 0222-E-FGHJ0222-2E-FGHJ(Eコードは2,3,5)・・・仙台青葉通収容局(後に、1, 4, 7が追加され、さらにDEコードの61〜69も追加されている。市外局番3桁化後は、211〜217, 711〜716, 721〜724, 726, 751〜753, 795が追加されている)
      • 0222-4-FGHJ0222-34-FGHJ・・・台原収容局(後に、3が追加され、さらにDEコードの71〜76も追加されている。市外局番3桁化後は、219, 301, 717, 718, 727, 728が追加されている)
      • 0222-6-FGHJ0222-56-FGHJ・・・榴岡収容局(後に、7が追加され、さらにDEコードの91〜93, 95〜99も追加されている。市外局番3桁化後は、742, 791, 792が追加されている)
      • 0222-8-FGHJ0222-48-FGHJ・・・長町収容局(後に、6, 7, 9が追加されている。市外局番3桁化後は、304の一部、308, 746が追加されている)
    • 1986年変更
      • 0222-DE-FGHJ022-2DE-FGHJ
  • 旧市域の電話番号の例外
    • 太白区生出地区
      • 1980年まで生出局であり旧々市外局番は「022381」で市内局番なしである
      • 仙台局との局番統合は以下のように行っている(同時に生出局から仙台局に変わり市内通話が可能になる)
        • 022381-FGHJ0222-81-FGHJ
        • 現在、022-381は、名取市の4収容局と仙台中田収容局のISDN用局番として使用復帰している。
    • 宮城野区港5丁目(JXTGエネルギー仙台製油所新仙台火力発電所などが当地にある。しかし、港1〜4丁目とは川を挟んでおり、間に橋が架かっていないことから、いったん多賀城市七ヶ浜町を経由しないといけないため、事実上飛び地となっている)
      • 1986年まで塩釜局であり旧市外局番は「02236」で市内局番1桁である(使用市内局番は29局)
      • 仙台局との局番統合は以下のように行っている(同時に塩釜局から仙台局に変わり市内通話が可能になる)
        • 02236-E-FGHJ022-36E-FGHJ
  • 市内局番3桁化後に編入された旧泉市、旧宮城町、旧秋保町の旧市外局番および旧市内局番について
    • 旧泉市(現泉区)
      • 旧市外局番は「02237」(泉局)で市内局番1桁である(使用市内局番は26局および89局)
      • 3桁前に利用されていなかった現在の(022377も、同じ旧泉市域(従来378を利用していた野村収容局)で利用。
      • 3桁によって利用可能になった現在の(022371も、同じ旧泉市域(従来372375を利用していた仙台泉収容局)で利用。その後、主に富谷市で、当収容局が管轄する地域を中心に、351-0〜2が追加されている。
      • その後、ISDN局番として、218/771/773/776772-3〜9を仙台泉収容局で、342-3〜7,772-0〜2,777を野村収容局でそれぞれ利用開始されている。
    • 旧宮城町(現・青葉区宮城地区)/旧秋保町(現・太白区秋保町地区)
      • 旧市外局番は「02239」(愛子局)で市内局番1桁である(使用市内局番は25局および79局)
      • 3桁前に利用されていなかった現在の(022396は、宮城野区の岩切収容局で利用
      • なお、ISDN用局番としては、旧宮城町では302(折立収容局を含む)と391の各一部、旧秋保町では304の一部が使われている。
      • 現在、393395397399については、一部はひかり電話用にも利用されている。
  • 仙台市内の市内局番の特徴
    • 1の位が0の局番は原則として加入電話には利用されていない
      • 1の位が0の局番はかつては無線呼び出しに使用していたため
      • 例外的に使われている1の位が0の市内局番は以下の5つである
    • 200番台の振り分けについては以下のようになっている
      • 201-209NCC系(かつては無線呼び出しの局番として使用。未使用復帰後、NCC系事業者のベライゾン ジャパンソフトバンクへ再割当)
      • 211-219…市内中心部および市内北部(218は泉区の仙台泉収容局)
      • 221-229…市内中心部(226は市内西部(折立・郷六など)、228/229は八木山地区)
      • 231-239…市内東部(233および234は市内北部)
      • 241-249…太白区(八木山および生出・秋保地区および区北端部を除く全域に見られる)
      • 251-259…市内東部
      • 261-269…市内中心部
      • 271-279…市内北部
      • 281-289…市内東部(281は太白区生出地区)
      • 291-299…市内東部(294のみ、若林区南小泉地区で、残りはすべて榴岡収容局のため、仙台駅東口方面で多く見られる)
    • 300番台の振り分けについては以下のようになっている(310-319は、岩沼MA(2013年現在、(0223)2x〜3xを使用)の将来的な枯渇対策を考慮し、現時点では欠番・未使用となっている)
      • 301-309…市内北部・南部・西部(309は多賀城市)…ほぼ、ISDN専用局番となっている
      • 341-349…黒川郡・宮城郡・ひかり電話専用など
      • 351-359…黒川郡・宮城郡(351-0〜2は、仙台泉収容局だが、富谷市(東向陽台・明石台地区)にまでまたがっている)・ひかり電話等
      • 361-369…塩竈市・多賀城市(361-2xxx369-2xxx浦戸諸島。その他369は、ひかり電話専用)
      • 371-379…泉区
      • 381-389…名取市・市内東部(389は多賀城市)
      • 391-399…旧宮城町秋保町396は宮城野区の岩切収容局)、下4桁単位でひかり電話用に使われている局番もある
    • 700番台の振り分けについては以下のようになっている。
      • 701-709NCC系(20x番台同様、かつては無線呼び出しの局番として使用。現在は、KDDI楽天コミュニケーションズへ再割り当て)
      • 711-719…市内中心部および市内北部
      • 721-729…市内中心部および市内北部
      • 731-739…かつては無線呼び出しの局番として使用。このうち、738〜739のみ再割り当てされ、ひかり電話専用局番として使用。
      • 741-749…市内南部(742は宮城野区の榴岡収容局、745NTT-C
      • 751-759…市内中心部
      • 761-769…塩竈市・利府町(764ソフトバンク765は旧KDDKDDI
      • 771-779…泉区・富谷町(774NTT-C775は旧平成電電ソフトバンク778は旧DDIKDDI
      • 781-789…名取市・市内東部(781の一部はひかり電話専用、787はKDDI)
      • 791-799…市内中心部および東部・ひかり電話専用(796〜797)・TOHKnetなど

脚注

注釈

  1. ^ a b 仙台平野を囲む陸前丘陵は、西側が青葉山丘陵高舘丘陵、北側が七北田丘陵松島丘陵
  2. ^ 山道(後に東山道に再編)と海道(後に東海道に再編)は、尾張国濃尾平野)と武蔵国関東平野南部)で近接はするものの合一しない。
  3. ^ a b c 郡山遺跡、および、同遺跡の上に形成されたと推定される北目城下町の西隣に、奥州街道上り第一宿駅の長町宿が設置された。長町宿を基礎にする旧市街とその周辺の新市街を含めたエリアが長町副都心であり、太白区役所が置かれている。
  4. ^ 貞観地震・津波からの陸奥国府多賀城の復興 (PDF)東北歴史博物館) … 終末年代は、かつては10世紀中頃と考えられていたが、近年は11世紀前半と考えられるようになった。
  5. ^ a b 石巻街道(塩竈街道)下り第一宿駅の原町宿を基礎にする旧市街とその周辺の新市街を含めたエリアに、宮城野区役所や宮城野区中央市民センターなどが集積している。
  6. ^ 仙台城下町の商業中心「芭蕉の辻」から北に連なる町
  7. ^ a b 仙台城下町の四伝馬町:国分町、北目町、新伝馬町北材木町
  8. ^ 仙台藩の一里塚の起点が設置された。
  9. ^ a b 「五大事業」とは、上水道整備、電気事業(市営電気)、市区改正市電敷設、公園設置を指す。
  10. ^ 奥州街道下り第一宿駅の七北田宿を基礎にする旧市街とその周辺の新市街を含めたエリアが泉中央副都心であり、泉区役所が置かれている。
  11. ^ 新寺小路地区、仙台駅東第一、仙台駅東第二の3つの土地区画整理事業が施行。合計面積:161.5ha
  12. ^ 仙台の商業地の最高路線価は、2005年(平成17年)1月1日付けの137万/m2バブル景気後最安値となった後、2008年(平成20年)1月1日付けの260万円/m2まで急騰した。
  13. ^ 「2」という数字が仙台市や仙台都市圏などに関連して付与された例として、第2軍管仙台鎮台1873年)、旧制二高1887年)、第二師団1888年)、第二管区海上保安本部1950年)、市外局番0222(1962年)、市外局番022(1986年)、コミュニティ放送JOZZ2(1992年) などがある。
  14. ^ 直営店扱いの拠点数のみ。イオンクレジットサービスにおける銀行代理店業務を行う拠点を除く。
  15. ^ 直営店扱いの拠点数のみ。郵便局における貯金窓口設置拠点(銀行代理店業務を行う郵便局の拠点)を除く。
  16. ^ 2009年4月以降、6:00 - 7:30、8:00 - 8:20、11:00 - 11:30、13:00 - 13:30(金曜を除く)、21:00 - 27:00(木・金曜は25:00まで)
  17. ^ 仙台市内で、知的障害を主たる教育対象とする特別支援学校としてほかにあるのは、宮城教育大学附属特別支援学校仙台市立鶴谷特別支援学校と私立でかつ高等部のみを設置した女子校であるいずみ高等支援学校の3校しか存在せず、また、この3校はもちろんのこと、仙台市の一部を学区とする市外の知的障害対象の特別支援学校2校・1室(名取利府同富谷校)は、通学生徒が校舎等の設備に対して過密状態になっているのが現状である

出典

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  6. ^ 最新の地盤情報に基づく1978年宮城県沖地震の揺れの再現 ~地盤環境に調和した地震対策の展開に向けて~ (PDF) (東北大学)
  7. ^ a b 千葉正樹、「仙台城下町誕生と堤町・通町」『東北アジア研究センター報告』 2012年 4号 p.7-22, 東北大学東北アジア研究センター
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  13. ^ 若林城関連年表(仙台市)
  14. ^ 北目城跡(仙台市)
  15. ^ a b 仙台開府四百年記念 戦国から近世へ 城・館・町 (PDF) (仙台市)
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  17. ^ せんだい市史通信 第34号 (PDF) (仙台市博物館)
  18. ^ 東北圏の概要 (PDF)国土交通省東北地方整備局東北圏広域地方計画推進室 2007年11月6日)
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  27. ^ 広瀬川(仙台市「仙台NEW 第9号」 2006年9月)
  28. ^ 1882年明治15年)刊行
  29. ^ しかし、2010年代後半以降、真夏日・猛暑日を記録することが増え、日本海側のほうが気温が低くなった。
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参考文献

関連項目

外部リンク