仙台市立東華中学校
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仙台市立東華中学校 | |
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北緯38度15分16.3秒 東経140度53分58.8秒 / 北緯38.254528度 東経140.899667度座標: 北緯38度15分16.3秒 東経140度53分58.8秒 / 北緯38.254528度 東経140.899667度 | |
過去の名称 | 仙台市立第八中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 仙台市 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
開校記念日 | 4月17日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | C104221020016 |
中学校コード | 040012 |
所在地 | 〒983-0045 |
外部リンク | 仙台市立東華中学校 |
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仙台市立東華中学校(せんだいしりつ とうかちゅうがっこう)は、宮城県仙台市宮城野区宮城野2丁目にある公立中学校。
沿革
《主な出典:[2]》
- 1947年(昭和22年)
- 1950年(昭和25年)3月 - 仙台市立東華中学校に改称。
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)4月 - 校旗制定。
- 1956年(昭和31年)8月 - 仙台市立榴岡小学校と校舎(校地)交換。所在地:仙台市宮城野町1番地[6][7][注釈 1]。
- 1965年(昭和40年) - 当時の所在地の表記:仙台市
原町南目 ()字薬師堂北1番地[10][11][12]。 - 1975年(昭和50年)
- 1989年(平成元年)4月 - 政令指定都市・区制移行により所在地の表記変更:仙台市宮城野区宮城野2丁目14番27号。同時に奨励服採用。
学区
若林区と宮城野区をまたぐ学区構成となっており、主に、仙台市立榴岡小学校、仙台市立連坊小路小学校、仙台市立東宮城野小学校、仙台市立宮城野小学校出身の生徒によって構成されている。
出身著名人
- 樋口陽一 - 憲法学者。本校の第一期生、1950年卒。
- 清野智 - JR東日本元取締役会長(現 顧問)。1963年卒。
- 稲垣潤一 - 歌手。1969年卒。
- 黒崎政男 - 哲学者、東京女子大学教授。1970年卒。
- 井戸正枝 - 政治家(元衆議院議員)。1981年卒。
- 太田敦士 - 元プロ野球選手。1993年卒。
- 佐藤真哉 - 元プロバスケットボール選手(仙台89ers所属)。1993年卒。
- 小畑裕馬 - プロサッカー選手(ベガルタ仙台所属)。2017年卒。
近隣の高等学校
脚注
注釈
出典
- ^ 「4月の予定」『かしわ』第12号、仙台市立東華中学校、2024年3月14日、2頁、 オリジナルの2024年4月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ “沿革”. 仙台市教育センター. 仙台市立東華中学校. 2024年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月9日閲覧。
- ^ 仙台市史編纂委員会 編『仙台市史 第4巻(別編 第2)』仙台市、1951年7月、184頁。NDLJP:3004951/110。
- ^ 菊地勝之助『仙台地名考――仙台市町名の由来』えんじゆ書房、1957年10月、212頁。NDLJP:3013561/122。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑』(昭和29年版)文化研究社、1954年7月、第2部 中学校 45頁。NDLJP:3041006/151。
- ^ 全国学校教育振興会 編『学校年鑑 1958年9月現在』株式会社山陽社、1958年10月、1419頁。NDLJP:9524018/722。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑』(昭和39年版)文化研究社、1964年4月、第3部 中学校 60頁。NDLJP:3043689/198。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑』(昭和29年版)文化研究社、1954年7月、第3部 小学校 80頁。NDLJP:3041006/316。
- ^ 仙台市史編纂委員会 編『仙台市史 第4巻(別編 第2)』仙台市、1951年7月、134頁。NDLJP:3004951/85。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑』(昭和40年版)文化研究社、1965年3月、第3部 中学校 60頁。NDLJP:3043690/181。
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑』(昭和42年版)文化研究社、1967年2月、第3部 中学校 60頁。NDLJP:3043692/224。
- ^ 『仙台市統計書』(昭和43年版)仙台市役所、1968年12月、188頁。NDLJP:9548611/110。
- ^ “住居表示 旧・新対照表(は~ほ)”. 仙台市. p. 388. 2024年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月9日閲覧。