三神峯公園
三神峯公園 Mikamine Park | |
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分類 | 都市公園 > 特殊公園 > 風致公園 |
所在地 | |
座標 | 北緯38度13分28.9秒 東経140度51分27.4秒 / 北緯38.224694度 東経140.857611度座標: 北緯38度13分28.9秒 東経140度51分27.4秒 / 北緯38.224694度 東経140.857611度 |
面積 | 8.1031 ha |
前身 |
仙台陸軍幼年学校 → (旧制)第二高等学校・明善寮(学生寮) |
開園 | 1967年(昭和42年) |
運営者 | 仙台市 |
設備・遊具 | 三神峯遺跡、芝生広場、四阿 |
アクセス |
仙台市営バス・宮城交通 西多賀一丁目西・三神峯公園入口バス停 |
三神峯公園(みかみねこうえん)は、宮城県仙台市太白区の三神峯という低山にある風致公園である。仙台市南部の桜の名所として知られる。
概要
[編集]三神峯公園は青葉山丘陵東南の台地に位置し、長町地区から西へ約2キロメートルほどの場所に当たる。最高点は69メートル。崖下の平地との標高差は40メートルほどである。仙台市内でもっとも多くの桜の木が植樹されており[1]、シーズン時には多くの花見客でにぎわう。
縄文時代には複数の竪穴建物が作られ、古墳時代には小さな古墳が築かれた。近代以降は仙台陸軍幼年学校、旧制の第二高等学校、東北大学に利用され、1967年に三神峯公園が設置された。
歴史
[編集]三神峯には縄文時代前期に集落があり、三神峯遺跡と呼ばれる[2]。8棟の竪穴建物の遺構が発見されたほか、多数の縄文土器や石器が出土した[3]。弥生時代の遺物は知られないが、古墳時代に3つの小さな古墳群(三神峯古墳群)が築かれ、南の崖下に富沢窯、東斜面に金山窯が置かれた[4]。
以後長らく三神峯は歴史にあらわれないが、近代に入って1937年(昭和12年)に、仙台陸軍幼年学校が場所を三神峯に定めて再建された。同校ははじめ今の宮城野区五輪一丁目に校舎を置いていたが、1924年(大正13年)に廃止されていた。幼年学校は、1945年(昭和20年)の7月10日にあった仙台空襲で被害を受け、敗戦で陸軍とともに廃止された[5]。
そのあとには、1945年より旧制の第二高等学校の校舎として利用された。1949年に二高が東北大学に併合されると、三神峯の校舎は東北大学の第一教養部の校地となった。続いて大学の学生寮の一つ、明善寮(学生寮)も建てられた。1958年(昭和33年)に校舎は青葉区川内へ移転。明善寮も青葉区上杉に移転した。
その後、キャンパスの跡地に仙台市が公園を設置することを決め、 1967年(昭和42年)三神峯公園が開園。設置時から現在まで、数次の発掘調査で、多数の縄文時代の遺物・遺構が見つかっている。公園入口には、幼年学校時代の門柱が現存する。
年表
[編集]- 縄文時代前期 - 大規模な集落を形成(三神峯遺跡)。
- 古墳時代 - 三神峯古墳群。
- 1937年(昭和12年)
- 1949年(昭和24年)
- 東北大学第一教養部富沢分校となる。
- 5月 - 明善寮建設。
- 1958年(昭和33年) - 教養部が川内校舎へ移転。
- 1967年(昭和42年)
- 1973年(昭和48年) - 三神峯遺跡第2次発掘調査。仙台市内で初めて縄文時代の竪穴建物跡を発見した。
- 1975年(昭和50年) - 三神峯遺跡第3次発掘調査。
- 1994年(平成6年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)6月26日 - 9月16日 - 三神峯遺跡第6次発掘調査。
三神峯遺跡
[編集]アクセス
[編集]- 公共交通機関
- 車
周辺
[編集]- 東北大学電子光理学研究センター
- 聖和学園高等学校三神峯キャンパス
- 仙台市立西多賀中学校
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編7(近代2)、仙台市、2009年。
- 仙台市教育委員会『三神峯遺跡 第6次発掘調査報告書』(仙台市文化財調査報告書第338集)、2009年。