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{{騎手
{{騎手
|画 = [[File:Yuichi-Fukunaga20111211.jpg|280px]]
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|説 = 国内最終騎乗後セレモニーにて<br />(2023年2月19日)
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|厩 = 栗東・[[北橋修二]](1996.3.1 - 2006.2.28)<br />栗東・フリー(2006.3.1<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=12335|title=福永祐一騎手など4騎手がフリーに|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref> - 2023.2.28)
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|区 = 平地・障害<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://www.jra.go.jp/news/201602/pdf/021102_02.pdf |title=平成28年度 騎手免許試験合格者|publisher=日本中央競馬会|date=2016-02-11|accessdate=2016-04-07}}</ref><!--28年度-->
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|重 = 201勝<ref name=zbat20210531>[https://race.sanspo.com/keiba/news/20210531/pog21053105000001-n1.html 【祐一独占手記】史上3人目のダービー連覇「シャフリヤールの力に助けられた」] - サンスポZBAT!競馬 2021年5月31日発信</ref><br />(中央160勝、地方36勝、海外5勝)
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|G1 = 45勝<ref name=zbat20210531 /><br />(中央34勝、地方6勝、海外5勝)
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|調初 = [[2023年]]|通=19497戦2636勝(中央)<br>593戦87勝(地方)<br>27戦5勝(海外)|調重=2勝(中央)|調通=116戦13勝(中央)}}
}}
'''福永 祐一''' (ふくなが ゆういち、[[1976年]][[12月9日]] - ) は[[日本中央競馬会]] (JRA) [[栗東トレーニングセンター|栗東]]所属の[[騎手]]である。[[父親|父]]は現役時代「天才」と言われた元騎手の[[福永洋一]]、妻は元フジテレビアナウンサーの[[松尾翠]]<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/08/25/kiji/K20130825006479870.html 福永 フジテレビ松尾アナと結婚「式は年内の予定」] スポーツニッポン 2013年8月25日閲覧</ref>。
'''福永 祐一'''ふくなが ゆういち、[[1976年]][[12月9日]]<ref name=column>{{Cite web|和書|date=|url=http://pr.news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=30364|title=祐言実行|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-06-19}}</ref> - [[日本中央競馬会]](JRA)[[栗東トレーニングセンター|栗東]]所属の[[騎手]]で現在は[[調教師]]である。[[父親|父]]は現役時代「天才」と呼ばれた元騎手の[[福永洋一]]<ref>『[[毎日新聞]]』1996年3月1日夕刊、7面</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/keiba/news/202212080000607.html|title=福永祐一騎手「騎手よりやりたい仕事が見つかった」「父なくしては、今の自分はない」/一問一答|publisher=日刊スポーツ|date=2022-12-08|accessdate=2022-12-08}}</ref>、叔父に元調教師の[[福永甲]]、[[福永二三雄]]、元騎手の福永尚武、[[北村卓士]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://mainichi.jp/area/news/20150425ddf035050034000c.html|title=アナにお任せ:30年目騎手のG1初勝利=毎日放送アナウンサー・美藤啓文|publisher=毎日新聞|accessdate=2015-11-08}}</ref>、義従兄に調教師の福永敏。妻は元[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[アナウンサー]]の[[松尾翠]]<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/08/25/kiji/K20130825006479870.html 福永 フジテレビ松尾アナと結婚「式は年内の予定」] スポーツニッポン 2013年8月25日閲覧</ref>。2016年7月より夫人も所属している芸能事務所の[[ホリプロ]]とマネジメント契約を結んでいる<ref>{{cite news |title=福永と川田がホリプロ所属に 菜七子との共演も |newspaper=サンケイスポーツ |date=2016-7-1 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20160701/etc16070105000002-n1.html |accessdate=2016-7-2}}</ref>。160 [[センチメートル|cm]], 52 [[キログラム|kg]]<ref>『[[サンケイスポーツ]]』2020年10月26日 1面より。</ref>。義父は[[東芝]]顧問の[[松尾幸弘]]

''以下、父である福永洋一(洋一)、叔父である福永甲(甲)、福永二三雄(二三雄)、福永尚武(尚武)と区別するため、本文中はとくに「祐一」と表記する。''


== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== 騎手デビュー前 ===
競馬学校入学時より「天才」と称された父・洋一の2世騎手ということで話題を集めていた。なお同年にデビューした騎手はJRA初の女性騎手となった[[増沢由貴子|牧原由貴子]] (当時) ら3人の女性騎手や[[双子]]の騎手として話題となる[[柴田大知]]・[[柴田未崎|未崎]]兄弟、そして後に[[テイエムオペラオー]]とのコンビで一世を風靡する[[和田竜二]]などがおり'''[[競馬学校花の12期生]]'''と言われ話題を集め、[[落馬]]事故で[[脳挫傷]]の障害を負ったために引退した[[常石勝義]]らを含めて現在でも仲が良いことで有名。
[[栗東市立金勝小学校|栗東町立金勝小学校]]を卒業<ref>{{Cite web|和書|url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20140705/etc14070504170001-n1.html|title=ユーイチ先生、母校の小学校で熱弁「輝ける場所見つけて」|date=2014-07-05|publisher=[[サンケイスポーツ]]|work=サンスポ予想王TV|accessdate=2016-04-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160419061802/http://race.sanspo.com/keiba/news/20140705/etc14070504170001-n1.html|archivedate=2016-04-19}}</ref>。[[近江兄弟社中学校・高等学校|近江兄弟社中学校]]時代は[[サッカー]]をしていた<ref name=mainichi19960302>毎日新聞 1996年3月2日 朝刊 24面</ref>。中学校二年次に騎手になることを決め、母の猛反対を説得して<ref name=mainichi19960302/>[[競馬学校]]に入学。その前年にも受験していたが、実技テスト前に骨折し、翌年に再受験<ref>『[[読売新聞]]』西部本社、1992年12月10日、夕刊、6面</ref>、[[近江兄弟社中学校・高等学校|近江兄弟社高校]]を中退し<ref>『読売新聞』1996年2月16日、朝刊、17面</ref>、12期生として競馬学校へ進む<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=26778|title=【祐一History vol.4】『個性派“12期生”たちとの競馬学校生活』|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>。同期にはJRA初の双子騎手[[柴田大知]]・[[柴田未崎]]、JRA初の女性騎手[[細江純子]]・[[増沢由貴子|牧原由貴子]]、[[和田竜二]]などがいる<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/785974|title=「また力の限りやってみたい」柴田未崎、36歳の騎手再デビュー。|publisher=Number|accessdate=2015-11-08}}</ref>。


=== 騎手時代 ===
[[1996年]][[3月2日]]の[[中京競馬場|中京競馬]]第2競走でマルブツブレベストに騎乗し堂々の初騎乗初勝利を挙げると続く第3競走でもレイベストメントで勝利し、デビュー2連勝を飾る。この年は53勝を挙げ、[[JRA賞最多勝利新人騎手]]も獲得した。
[[1996年]]、[[北橋修二]][[北橋修二#主な厩舎所属者|厩舎]]でデビュー<ref name=column/>。[[3月2日]]の[[中京競馬場|中京競馬]]第2競走でマルブツブレベストに騎乗し初騎乗初勝利を挙げると続く第3競走でもレイベストメントで勝利し、史上2人目のデビュー2連勝を飾る<ref name=sportiva>{{Cite web|和書|date=|url=http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba_fight/2012/03/02/post_39/|title=【今日は何の日?】福永祐一が初騎乗初勝利|publisher=Sportiva|accessdate=2015-11-08}}</ref><ref>毎日新聞 1996年3月4日 朝刊 21面</ref>。同日、中京11Rの[[中日新聞杯]]([[競馬の競走格付け|GIII]])で[[瀬戸口勉]]厩舎の[[オグリワン]]に騎乗、デビュー日に重賞に騎乗した唯一のJRA騎手である。11月には[[1987年]]の[[武豊]]以来となる新人50勝を達成<ref>毎日新聞 1996年11月25日 朝刊 19面</ref>。12月、第10回[[香港カップ|香港国際カップ]]のシーズグレイスで海外初騎乗(9着)<ref>{{Cite journal|和書|journal=優駿|issue=2014年10月号|pages=16}}</ref>。この年は最終的に53勝を挙げ、[[JRA賞最多勝利新人騎手]]を獲得した<ref name="sportiva" />。


[[1997年]][[7月22日]]、[[川崎競馬場]] (スパーキングナイター) で行なわれた第44回[[エンプレス杯]]でシルクフェニックスに騎乗し重賞初制覇。同年[[11月15日]]に[[キングヘイロー]]で[[東京スポーツ杯2歳ステークス|東京スポーツ杯3歳ステークス]]に勝ちJRA[[重賞]]初勝利。同馬の主戦騎手として翌の[[クラシック (競馬)|クラシック]]でもコンビを組み[[皐賞]]では2着となったが、続く[[東京優駿|東京優駿 (本ダービー) ]]では引っ掛かったキングヘイローを制御できずにいつもとは違う逃げの競馬となり14着に敗れた時は福永自身風邪で高熱をおしての騎乗だったと、武豊TVにて告白。秋初戦の[[神戸新聞杯]]からはキングヘイローの主戦は[[岡部幸雄]]行くことが発表されたが次走の[[京都新聞杯]](当時の菊花賞トライアルでは岡部が当海外に行く予定が入っていたため、再び手綱をとって2着。京都新聞杯では最後の直線で祐一の叫び声に、スペシャルウィークで馬体を併せた[[武豊]]がキングヘイローにかける気合に驚いたと言われている。しかし、最後の1冠となった[[菊花賞]]で5着、次走の[[有馬記念]]で6着に敗れたのを最後にコンビを解消した
[[1997年]][[7月22日]]、[[川崎競馬場]]スパーキングナイターで行なわれた第44回[[エンプレス杯]]でシルクフェニックスに騎乗し重賞初制覇。同年[[11月15日]]に[[キングヘイロー]]で第2回東京スポーツ杯3歳ステークス(現[[東京スポーツ杯2歳ステークス]]に勝ちJRA[[重賞]]初勝利<ref>毎日新聞 19971116朝刊 23面</ref>のキングヘイローで1998年第65回[[優駿]](日本ダービー)初騎乗


[[1999年]]の[[桜花賞]]で[[プリモディーネ]]に騎乗しJRA[[競馬の競走格付け|GI]]初勝利。しかしその翌週、中京競馬場で施行された[[小倉大賞典]] ([[マルカコマチ]]に騎乗予定) の本馬場入場の際に[[落馬]]事故で[[肋骨骨折]]、左腎臓損傷の重傷を負う。復帰し、[[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]]を自厩舎の所属馬[[エイシンプレストン]]で制した。エイシンプレトンとのコンビでは[[2001年]]の[[香港マイル]]を制し、[[2002年]]と[[2003年]]の[[イーンエリザベ2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]を連覇するなど国内・[[香港]]で活躍した
[[1999年]]の第59回[[桜花賞]]で[[プリモディーネ]]に騎乗しJRA[[競馬の競走格付け|GI]]初勝利<ref name=column/>。しかしその翌週、中京競馬場で施行された第33回[[小倉大賞典]]の本馬場入場の際に[[落馬]]事故で左腎臓摘出というけがを負う<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=27329|title=【祐一History vol.10】『自分という人間は、いい流れや大事なときにポカをする』|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=27400|title=【祐一History vol.11】『レースに勝って泣いたのは、あのときだけ』|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>7月に復帰し<ref>毎日新聞 1999年7月31日 大阪版夕刊 7面</ref>第51回朝日杯3歳ステークス(現[[朝日杯フューチュリティステークス]]を自厩舎の所属馬[[エイシンプレストン]]で制した<ref name=1999asahi>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/199906050411/|title=第51回朝日杯3歳テークス(G1)|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>


[[2005年]]は第22回[[フェブラリーステークス]]を[[メイショウボーラー]]で、第65回桜花賞と第10回[[NHKマイルカップ]]を[[ラインクラフト]]で、第66回[[優駿牝馬]]を[[シーザリオ]]で制したほか、[[フサイチリシャール]]で第57回朝日杯フューチュリティステークスを勝利した<ref name=jra2005g1>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/replay/2005/g1.html|title=重賞レース一覧 2005年|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>。またシーザリオでは同年[[7月3日]] <ref name=netkeiba20050703>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/2005A4070308/|title=アメリカンオークス|2005年07月03日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>(現地) [[アメリカ合衆国]]の[[ハリウッドパーク競馬場]]で行われた第4回[[アメリカンオークスステークス|アメリカンオークス招待ステークス]]にも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を成し遂げた<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://www.jairs.jp/contents/w_news/2008/8/4.html|title=世界の競走馬調教法(連載第1回)(アメリカ) 【その他】 - 海外競馬情報 (2008/04/18)【その他】 | 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル|publisher=ジャパン・スタッドブック・インターナショナル|accessdate=2015-11-08}}</ref>。また初の年間100勝を達成。
2003年は祐一にとって念願の牡馬クラシック制覇を成し遂げるチャンスだった。同じ[[瀬戸口勉]]厩舎所属で[[きさらぎ賞]]を含め3勝をあげていた[[ネオユニヴァース]]と、2歳王者となっていた[[エイシンチャンプ]]をお手馬としてかかえ最終的にはGI馬であったことからエイシンチャンプを選んだが結果として[[ミルコ・デムーロ]]に託されたネオユニヴァースが[[二冠馬|二冠]]を達成、祐一は最大のチャンスを逃すことになった。後に本人は「ネオユニヴァースの方が強いと思っていたが、先に依頼のあったエイシンチャンプを選んだ」と語った。


[[2006年]]の[[第31回エリザベス女王杯]]では[[フサイチパンドラ]]に騎乗<ref name=eliza2006>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/eliza/result/eliza2006.html|title=第31回 エリザベス女王杯|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>。[[カワカミプリンセス]]に1位入線<ref group="注">ゴールに馬体の先端(脚部は含まない)が到達(ゴール)」すること。</ref>を許したものの同馬は[[審議 (競馬)|審議]]の結果進路妨害で12着に[[降着制度|降着]]となり、フサイチパンドラが2着から繰り上がり優勝<ref name=eliza2006/>。これにより史上6人目、初騎乗から10年8か月10日は藤田伸二の記録を抜いて史上最速でJRA G1全5場制覇。また同年に新設された第1回[[阪神カップ]]をフサイチリシャールで制し、初代王者となった<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/replay/2006/119.html|title=第1回 阪神カップ|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>。
[[2005年]]春のGI戦線では[[武豊]]とともに大活躍し[[フェブラリーステークス]]を[[メイショウボーラー]]で、桜花賞と[[NHKマイルカップ]]を[[ラインクラフト]]で、優駿牝馬を[[シーザリオ]]で制したほか、冬には[[フサイチリシャール]]で朝日杯フューチュリティステークスを勝利した。またシーザリオでは同年[[7月3日]] (現地) [[アメリカ合衆国]]の[[ハリウッドパーク競馬場]]で行われた[[アメリカンオークスインビテーショナルステークス|アメリカンオークス招待ステークス]]にも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を成し遂げた。また自身初のJRA年間100勝以上も達成した。


[[2007年]]には、JpnI競走の優駿牝馬で[[ローブデコルテ (競走馬)|ローブデコルテ]]に騎乗し優勝<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/oaks/result/oaks2007.html|title=第68回 優駿牝馬(オークス)|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>。2001年から7年連続のGI級競走 (GI・JpnI) 勝利となった。[[11月29日]]に[[兵庫県警察]][[宝塚警察署]]から[[一日警察署長]]を委嘱され「年末特別警戒隊発隊式」に出席した<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.keibado.ne.jp/keibabook/071210/plaza.html|title=競馬ブック ニュースプラザ|publisher=ケイバブック|accessdate=2015-11-08}}</ref>。
[[2006年]]の[[エリザベス女王杯]]では[[フサイチパンドラ]]に騎乗。[[カワカミプリンセス]]に1位入線<ref>ゴールに馬体の先端 (脚部は含まない) が到達 (ゴール) すること。</ref>を許したものの同馬は審議の結果進路妨害で12着に[[降着制度|降着]]となり、フサイチパンドラが繰り上がり優勝。また同年に新設された[[阪神カップ]]をフサイチリシャールで制し、初代王者となった。


[[2008年]]も順調に勝利数を重ねた。[[9月27日]]に8811戦目で父・洋一の通算勝利数(983勝)に並んだ(洋一は5086戦目で983勝目をあげている)<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://web.archive.org/web/20081001044922/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080928-413480.html|title=祐一983勝「天才」父に1年遅れで並んだ|publisher=ニッカンスポーツ|accessdate=2015-11-08}}</ref> 。また、[[11月30日]][[京都競馬場]]で行われた12Rでオリオンスターズに騎乗し中央競馬史上23人目となるJRA通算1000勝を達成した<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-159747.html|title=福永祐一騎手、史上23人目のJRA1000勝達成(11月30日・京都)|publisher=日経ラジオ社|accessdate=2015-11-08}}</ref>。また12月6日と7日に行われた[[第22回ワールドスーパージョッキーズシリーズ]](WSJS) に、負傷した武豊騎手に代わっての出場<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-159589.html|title=【WSJS】(12月6日・7日、阪神){{~}}武豊騎手に代わり福永祐一騎手出場 |publisher=日経ラジオ社|accessdate=2015-11-08}}</ref>。しかし、順調な勝利とは裏腹にこの年はGI競走での勝利がなく、連続勝利記録は7年で途絶えた。
[[2007年]]には、JpnI競走<ref>この年から、国際グレードが付与されていない重賞競走がG~の表記からJpn~の表記に変更されている。</ref>の優駿牝馬で[[ローブデコルテ]]に騎乗し優勝。2001年から7年連続のGI級競走 (GI・JpnI) 勝利となった。[[9月9日]]には馬場入場時に騎乗していたゲットザチャンスが暴れて[[落馬]]し、その際に右腹部を蹴られ翌日の騎乗をキャンセルすることになった。[[10月6日]]に史上27人目となるJRA通算900勝を達成した。[[11月26日]]に[[兵庫県警察]][[宝塚警察署]]から[[一日警察署長]]を委嘱されたことが発表され、[[11月29日]]の「年末特別警戒隊発隊式」に出席した。


2007年の第68回優駿牝馬以来、GI競走での勝利から遠ざかっていたが、[[2010年]]の第62回[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]で1番人気に支持された[[レーヴディソール]]に騎乗し勝利<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://sports.yahoo.co.jp/sports/other/horse/2012/columndtl/201012130001-spnavi|title=ブエナビスタに続け! 無敗の2歳女王レーヴディソール=阪神JF “一流”の自覚芽生えた福永、2011年は人馬とも主役へ |publisher=スポーツナビ|accessdate=2015-11-08}}</ref>。
[[2008年]]も順調に勝利数を重ねた。[[9月27日]]には第4競走の2歳新馬戦で勝利し、8811戦目で父・洋一の通算勝利数 (983勝) に並んだ。 (洋一は5086戦目で983勝目をあげている) また、[[11月30日]]京都競馬場で行われた12Rでオリオンスターズに騎乗し中央競馬史上23人目 (現役10人目) となるJRA通算1000勝を達成した。また12月6日と7日に行われた[[ワールドスーパージョッキーズシリーズ]] (WSJS) に、負傷した武豊騎手に代わっての出場。しかし、順調な勝利とは裏腹にこの年はGI級競走での勝利がなく、連続勝利記録は7年で途絶えた。


[[2011年]]、第47回[[札幌記念]]などサマーシリーズの3レースを勝ち、[[サマーシリーズ|サマージョッキーズシリーズ]]を2位に15ポイント差で優勝<ref name=summer2011/>。また、ディープインパクト産駒で[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]の妹[[ジョワドヴィーヴル]]にて第63回阪神ジュベナイルフィリーズを連覇<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://web.archive.org/web/20160304090601/http://www.sponichi.co.jp/gamble/yomimono/jockeycoment20111211/kiji/K20111212002224850.html|title=【阪神JF】1着ジョワドヴィーヴル|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2015-11-08}}</ref>。[[岩田康誠]]との熾烈な[[リーディングジョッキー]]争いを制し、16年目で全国リーディングジョッキーとなると同時に、JRA史上初の親子での達成となった<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2011/12/29/kiji/K20111229002332700.html|title=福永JRA初の父子戴冠 騎手全国リーディング|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2015-11-08}}</ref>。
[[2009年]]11月28日の京都競馬第8レースでセレスダイナミックが1着となり、JRA通算1100勝を達成した。この年も、GI級競走での勝利はなかった。
[[JRA賞]][[最多勝利騎手]]は([[地方競馬]]での)中央・地方[[交流競走]]の勝利を含めた勝利数で上回った岩田が受賞し、福永は[[JRA賞最高勝率騎手]]を受賞した<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=61379|title=福永祐一騎手「目標は打倒・岩田康誠」/JRA賞授賞式|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>。


[[2012年]]、[[6月2日]]の第65回[[鳴尾記念]]を[[トゥザグローリー]]で勝利、さらに翌日の第62回[[安田記念]]を関東馬[[ストロングリターン]]で勝利し2005年以来の牡馬牝馬混合GIを制覇。その勢いを持って同日12Rにて行われた第17回[[ユニコーンステークス]]もストローハットで勝利し史上初の同一週3重賞勝利を達成<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://keibalab.jp/column/interview/842/?page=164|title=記念すべき第80回のダービージョッキーを目指す
2007年の優駿牝馬以来、GI級競走での勝利から遠ざかっていたが、[[2010年]]の[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]で圧倒的1番人気に支持された[[レーヴディソール]]に騎乗し勝利。およそ3年半ぶりのGI級競走<ref>GI'''級'''競走という表現にはJpnI競走も含まれているが、2010年より全ての重賞が国際競走となったのでJpnI競走の勝利は2007年の優駿牝馬が最初で最後である。</ref>勝利となった。
|publisher=競馬ラボ|accessdate=2015-11-08}}</ref>。第53回[[宝塚記念]]後、8月末までアメリカへ遠征する<ref>[https://web.archive.org/web/20120629072931/http://www.jra.go.jp/news/201206/062702.html 福永祐一騎手がアメリカへ海外渡航] JRA公式サイト 2012年6月27日 2012年8月21日閲覧</ref>。なお、第48回[[札幌記念]]で[[ダークシャドウ]]に騎乗するため、一時帰国した<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://keibalab.jp/topics/13989/?ad_code=rss|title=【札幌記念】前日オッズ/ダークシャドウが2.2倍で1番人気|publisher=競馬ラボ|accessdate=2015-11-08}}</ref>。


[[2013年]]3月、[[松尾翠]](元[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[アナウンサー]])と結婚、[[8月20日]]に婚姻届を提出した。翠の父で元[[陸上自衛隊]][[自衛官]]の[[松尾幸弘]][[中将|陸将]](現・[[東芝]]顧問)は義父にあたる。同年[[10月6日]]、第64回[[毎日王冠]]でJRA重賞100勝を達成<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://sports.yahoo.co.jp/sports/other/horse/2013/columndtl/201310060005-spnavi|title=エイシンフラッシュ秋盾連覇が見えた!福永も太鼓判「衰えはない。次も走る」 |publisher=スポーツナビ|accessdate=2015-11-08}}</ref>。[[10月20日]]、第74回[[菊花賞]]を[[エピファネイア]]で勝利し牡馬クラシック初制覇と同時に、父・洋一との親子制覇を達成した<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKA0215_Q3A021C1000000/|title=エピファネイアが優勝 福永騎手、親子で菊花賞V|publisher=日本経済新聞|accessdate=2015-11-08}}</ref>。さらに[[10月27日]]、第148回[[天皇賞(秋)]]を[[ジャスタウェイ]]で制覇し、2週連続で[[八大競走]]親子制覇を達成した<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDJ27001_X21C13A0000000/|title=5番人気ジャスタウェイが優勝 競馬の天皇賞・秋|publisher=日本経済新聞|accessdate=2015-11-08}}</ref>。菊花賞と天皇賞(秋)を同一年に連覇したのは[[1965年]]の[[栗田勝]]以来である。最終的に131勝を挙げ2011年以来となるリーディングジョッキーとなった<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.daily.co.jp/horse/2013/12/24/0006592351.shtml|title=福永131勝全国リーディング返り咲き|publisher=日本経済新聞|accessdate=2015-11-08}}</ref>。この年から始まった初代[[MVJ]]に選ばれた<ref name="column" /> ほか、中京開催で20勝し、中京開催リーディングジョッキーになった<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://web.archive.org/web/20160304221034/http://www.jra.go.jp/topics/column/racing2013/131222.html|title=中央競馬ニュース|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>。
[[2011年]]、[[札幌記念]]などサマーシリーズの3レースを勝ち、[[サマーシリーズ|サマージョッキーズシリーズ]]を2位に15ポイント差で優勝。また、[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]の妹[[ジョワドヴィーヴル]]にて[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]を連覇。[[岩田康誠]]との熾烈なリーディングジョッキー争いを制し、初の全国リーディングジョッキーとなった。
[[JRA賞]][[最多勝利騎手]]は ([[地方競馬]]での) 中央・地方[[交流競走]]の勝利を含めた勝利数で上回った岩田が受賞し、福永は[[JRA賞最高勝率騎手]]を受賞した。


[[2014年]]、[[3月29日]]の第19回ドバイデューティーフリー(現[[ドバイターフ]])をジャスタウェイで勝利<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://keibalab.jp/topics/21972/|title=【ドバイDF】福永ジャスタウェイが豪脚圧勝!父子ドバイ制覇!|publisher=競馬ラボ|accessdate=2015-11-08}}</ref>。この年は118勝を挙げるが、全国リーディング4位となった<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://keibalab.jp/topics/25589/|title=戸崎圭太騎手が自身初のJRAリーディングジョッキーに!|publisher=競馬ラボ|accessdate=2015-11-08}}</ref>。中京開催で19勝し、2年連続中京開催リーディングジョッキーになった<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://www.jra.go.jp/news/201412/122105.html|title=開催競馬場・今日の出来事 (2014/12/21)|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>。
[[2012年]]、[[6月2日]]の[[鳴尾記念]]を[[トゥザグローリー]]で勝利、さらに翌日の[[安田記念]]を[[ストロングリターン]]で勝利し2005年以来の牡馬牝馬混合GIを制覇。その勢いを持って同日に行われた[[ユニコーンステークス]]も[[ストローハット (競走馬)|ストローハット]]で勝利し史上初の同一週3重賞勝利を達成。[[宝塚記念]]後、8月末までアメリカへ遠征する<ref>[http://www.jra.go.jp/news/201206/062702.html 福永祐一騎手がアメリカへ海外渡航] JRA公式サイト 2012年6月27日 2012年8月21日閲覧</ref>。なお、[[札幌記念]]で[[ダークシャドウ]]に騎乗するため、[[8月19日]]に限り一時帰国した。


[[2015年]]は、121勝を挙げリーディング1位を走っていたが<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&year=2015&month=11&day=04&id=1561865|title=落馬骨折の福永騎手は6日手術、復帰は来年にずれ込む|publisher=ニッカンスポーツ|accessdate=2015-11-08}}</ref>、[[10月31日]]の第58回[[スワンステークス]]にて、最後の直線でテイエムタイホーが斜行、接触し落馬した<ref name=radionikkei20151031>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_7233.html|title=京都11Rの競走中止・制裁について|publisher=日経ラジオ社|accessdate=2015-11-08}}</ref>。これにより、右肩鎖関節脱臼、右鎖骨剥離骨折と診断されるが<ref name=radionikkei20151031/>、精密検査の結果、右肩のじん帯断裂、右胸骨骨折も明らかになった<ref name=hochi20151104>{{Cite web|和書|date=|url=https://web.archive.org/web/20151107015627/http://www.hochi.co.jp/horserace/20151104-OHT1T50210.html|title=落馬負傷の福永、右肩のじん帯断裂などで全治5か月と判明|publisher=スポーツ報知|accessdate=2015-11-08}}</ref>。
[[2013年]]3月、[[松尾翠]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]][[アナウンサー]])と結婚することを発表し、[[8月20日]]に婚姻届を提出した。[[10月20日]]、[[菊花賞]]で牡馬クラシック初制覇と同時に、父・福永洋一との親子制覇を達成した。さらに[[10月27日]]、[[天皇賞(秋)]]を制覇し、2週連続で[[八大競走]]を親子制覇を達成した。菊花賞と天皇賞(秋)を同一年に連覇したのは[[1965年]]の[[栗田勝]]以来である。最終的には初の[[リーディングジョッキー]]となり、父子リーディングジョッキーを達成した。


怪我後[[2016年]]は[[2月13日]]の京都競馬で復帰し、7鞍に騎乗するも、勝利にはならなかった<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2016/02/13/0008802318.shtml|title=落馬負傷の福永騎手が3カ月半ぶり実戦復帰 福永 笑顔の復帰「居場所はここ」|publisher=|accessdate=2016-02-14}}</ref> が、翌日の14日に復帰後初勝利を挙げた<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2016/02/13/0008802318.shtml|title=福永祐一 復帰後初勝利「結果残せてよかった」昨年10月に落馬|publisher=|accessdate=2016-02-14}}</ref>。
== 成績 ==

=== GI・JpnI競走勝利 ===
2016年10月16日に行われた第21回[[秋華賞]]を[[ヴィブロス]]で優勝し、JRA・G1レース通算20勝目をマークした<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=114955 ヴィブロス鮮やかに差し切りV! 姉の無念晴らしGI制覇!/秋華賞] - netkeiba.com  2016年10月16日閲覧</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【菊花賞】福永2週連続G1Vだ 3年前に制した一戦 今回は「一発狙いたい」 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=115114 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-22 |language=ja}}</ref>。

[[2017年]][[7月15日]]、中京8Rを[[キセキ (競走馬)|キセキ]]で勝利し史上8人目のJRA通算2000勝を1万5643戦目で達成<ref name=":0">{{cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/07/16/kiji/20170716s00004048008000c.html|title=福永、JRA通算2000勝!武豊に次ぐ2番目のスピード達成|publisher=Sponichi Annex|newspaper=スポーツニッポン|date=2017-07-16|accessdate=2017-07-24}}</ref>。デビューから21年4ヶ月14日、40歳7ヶ月7日での達成は、武豊に次ぐ史上2番目のスピードであった<ref name=":0" />。

[[File:Winner's ceremony 10R Tokyo Yushun (Japanese Derby) (41489504915).jpg|thumb|300px|第85回日本ダービー表彰式<br>(中央が福永祐一)]]
[[2018年]][[5月27日]]に行われた[[第85回東京優駿]](日本ダービー)を5番人気[[ワグネリアン (競走馬)|ワグネリアン]]で優勝。19回目にして初の日本ダービー制覇を達成した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2018/05/27/kiji/20180527s00004048232000c.html|title=【日本ダービー】ワグネリアンが世代6955頭の頂点!福永19度目挑戦で涙の悲願V|publisher=Sponichi Annex|newspaper=スポーツニッポン|date=2018-05-27|accessdate=2018-05-27}}</ref>。父が成し遂げられなかった福永家悲願のダービー制覇となった<ref>{{Cite web|和書|title=【日本ダービー】ユーイチ 男泣き「福永家の悲願」達成 ダービージョッキーに {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=137725 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-22 |language=ja}}</ref>。

[[2019年]][[3月24日]]、中京競馬場にて開催された第49回[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]を[[ミスターメロディ]]で勝利<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=152636&rf=related_info|title=【高松宮記念】春の短距離王はミスターメロディ! 2・3着には2桁人気馬が入線/JRAレース結果|accessdate=2019-03-25|date=2019-03-24|publisher=netkeiba.com}}</ref>。レース5日前の[[3月19日]]にはキングヘイローが他界しており、かつてのパートナーに捧げる勝利となった<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2019/03/24/kiji/20190324s00004048326000c.html 【高松宮記念】福永祐一、キングヘイローに捧ぐG1制覇「後押ししてくれた」] - スポニチ 2019年3月24日</ref>。同年12月1日の中京4Rでサヴァイヴに騎乗して1着となり、JRA年間100勝を達成し、年間100勝連続達成記録を10年とし、岡部幸雄(1990年~1998年)と武豊(1992年~2000年)が記録していた連続9年を更新<ref>{{Cite web |title=福永祐一騎手が10年連続11回目のJRA年間100勝達成/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2019/12/01/0012922590.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2024-11-03 |access-date=2024-11-03 |language=ja}}</ref>。

[[2020年]][[4月19日]]、中山競馬場で行われた[[第80回皐月賞]]を1番人気[[コントレイル (競走馬)|コントレイル]]で優勝。父・洋一との皐月賞父子勝利、史上11人目の[[クラシック (競馬)|5大クラシック]]完全制覇<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=170234|title=【皐月賞結果】コントレイルがサリオスとの一騎打ちを制し無敗の戴冠!福永Jはクラシック完全制覇!|accessdate=2020-04-19|date=2020-04-19|publisher=netkeiba.com}}</ref>、世代限定JRAGI<ref group="注">桜花賞・皐月賞・NHKマイルC・オークス<small>(優駿牝馬)</small>・日本ダービー <small>(東京優駿)</small>・秋華賞・菊花賞・朝日杯FS (←朝日杯3歳S)・阪神JF・ホープフルSの10レース(2020年時点)</ref> 完全制覇を達成した<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.sp.netkeiba.com/?pid=news_view&no=170259|title=【皐月賞・豆知識】コントレイルの福永祐一騎手は世代限定JRAGI完全制覇|accessdate=2020-04-19|date=2020-04-19|publisher=netkeiba.com}}</ref>。

2020年[[5月31日]]、[[第87回東京優駿]](日本ダービー)をコントレイルで優勝。自身2度目のダービー制覇を果たした<ref>{{Cite web|和書|title=【日本ダービー】コントレイル無観客ダービーV 福永完璧エスコート、感謝の馬上礼 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=172081 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-22 |language=ja}}</ref>。同年[[10月25日]]、京都競馬場で行われた[[第81回菊花賞]]をコントレイルで優勝、同馬とのコンビで[[中央競馬クラシック三冠]]を達成した<ref>{{Cite web|和書|title=【菊花賞結果】コントレイルが史上3頭目の無敗3冠達成! 父ディープとの父子3冠! {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=178503 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-11 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=三冠ジョッキーの称号を手に入れた福永祐一 名手ルメールとの壮絶なたたき合い「まずいなとは思いましたけど…」史上4人目のクラシック通算10勝目【菊花賞】:中日スポーツ・東京中日スポーツ |url=https://www.chunichi.co.jp/article/143041 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |accessdate=2022-03-11 |language=ja}}</ref>。43歳での達成は[[中央競馬クラシック三冠|三冠]]騎手としては最年長であった<ref>{{Cite web|和書|title=福永3冠騎手に・・・“天才”の父と武豊追い重ねた努力|極ウマ・プレミアム |url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=202010250001104&year=2020&month=10&day=26 |website=p.nikkansports.com |accessdate=2022-03-11 |language=ja}}</ref>。同年[[11月21日]]、阪神4Rで史上9人目のJRA通算18,000回騎乗を達成した<ref>{{Cite web|和書|title=福永祐一騎手、JRA通算18000回騎乗達成 {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=179822|website=netkeiba.com|accessdate=2020-11-21|language=ja}}</ref>。

[[2021年]][[1月10日]]、中京11R第55回[[シンザン記念]]を[[ピクシーナイト]]で勝利し、史上5人目のJRA通算2400勝を達成した<ref>{{Cite web|和書|title=【シンザン記念結果】ピクシーナイトが逃げ切り、モーリス産駒重賞初V {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=182236|website=netkeiba.com|accessdate=2021-01-10|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【シンザン記念】福永祐一騎手がJRA通算2400勝達成、史上5人目 {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=182254|website=netkeiba.com|accessdate=2021-01-10|language=ja}}</ref>。同年[[5月2日]]、第163回[[天皇賞(春)]]を[[ワールドプレミア (競走馬)|ワールドプレミア]]で優勝。史上2例目の天皇賞春秋親子制覇と同時に、史上4人目となるJRA重賞150勝を達成した<ref>{{Cite web|和書|title=【天皇賞・春結果】ワールドプレミアがGI・2勝目! 福永祐一騎手は洋一元騎手との親子制覇達成 {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=187313|website=netkeiba.com|accessdate=2021-05-04|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=福永祐一騎手、JRA重賞通算150勝達成 {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=187327|website=netkeiba.com|accessdate=2021-05-04|language=ja}}</ref>。同年[[5月30日]]、[[第88回東京優駿]]を[[シャフリヤール (競走馬)|シャフリヤール]]で優勝。前年のコントレイルに続く連覇達成(武豊、四位洋文に続き史上3人目)および、単独2位となる通算3勝目となった<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=【祐一独占手記】史上3人目のダービー連覇「シャフリヤールの力に助けられた」 |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20210531/pog21053105000001-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2021-05-31 |accessdate=2022-03-22 |language=ja-JP}}</ref>。また同時にJRA・G1レース通算30勝を達成した<ref name=":1" />。同年[[9月26日]]、中京4Rを[[ドライスタウト]]で勝利し、史上5人目の通算2500勝を達成した<ref>{{Cite web|和書|title=福永祐一 JRA通算2500勝達成!武豊に次ぐ史上2番目の速さ {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=193438|website=netkeiba.com|accessdate=2021-12-02|language=ja}}</ref>。[[10月3日]]、第55回[[スプリンターズステークス]]で[[ピクシーナイト]]に騎乗し優勝<ref>{{Cite web|和書|title=【スプリンターズS結果】3歳馬ピクシーナイトが突き抜けて秋のスプリント王! {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=193738 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-22 |language=ja}}</ref>して年間GI3勝目を勝ち取った。[[12月12日]]、第23回[[香港スプリント]]に前走スプリンターズステークスを制覇したピクシーナイトに騎乗し出走。レースでは後方を進んでいたが、第4コーナーに差し掛かった際前方を進んでいたアメージングスターが転倒。それに巻き込まれる形でピクシーナイトも転倒し、福永は体を投げ出された。事故後も意識ははっきりしており搬送先の病院で左鎖骨骨折と診断された<ref>{{Cite web|和書|title=【香港スプリント】福永は左鎖骨骨折、ピクシーナイトも左前脚骨折 {{!}} デイリースポーツ|url=https://news.sp.netkeiba.com/?pid=news_view&no=197261&s=09|accessdate=2021-12-12|language=ja}}</ref>。同月25日に手術を受け、翌年2月の復帰を目指しリハビリに専念<ref>{{Cite web|和書|title=福永祐一騎手2月復帰を目指す 香港で落馬骨折、25日に無事手術終了|極ウマ・プレミアム|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=202112270000160&year=2021&month=12&day=27|website=p.nikkansports.com|accessdate=2022-01-06|language=ja}}</ref>。

[[2022年]][[2月5日]]の中京競馬で復帰し3鞍に騎乗。同日のメインレースであるアルデバランステークスをスマッシングハーツ騎乗で勝利を飾った。同年10月16日阪神1R2歳未勝利でゴッドセンドに騎乗し1着となり、史上4人目のJRA通算2600勝達成<ref>{{Cite web |title=【阪神1R・2歳未勝利】福永祐一騎手がゴッドセンドで勝利し史上4人目のJRA通算2600勝 「G1のなかでも存在感を発揮したい」 |url=https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20221016-OHT1T51043.html |website=スポーツ報知 |date=2022-10-16 |access-date=2024-03-09 |language=ja}}</ref>。同年12月8日、2023年度新規調教師試験に合格したことが発表され、同時に翌年2月をもって騎手を引退することが告知された<ref>{{Cite web|和書|title=福永祐一騎手が調教師試験に合格、来年2月末で引退 ダービー3勝、JRA通算2613勝の名手 - 競馬 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/keiba/news/202212080000121.html |website=nikkansports.com |access-date=2022-12-08 |language=ja}}</ref>。3日後の12月11日、[[カペラステークス]]を[[リメイク (競走馬)|リメイク]]で勝利。これが騎手として最後のJRA重賞勝利となった。

[[2023年]]2月6日、引退式を3月4日に行うことがJRAから発表された。奇しくもこの日は、洋一の最終騎乗となった日でもある。2月9日、[[佐賀記念]]を[[バーデンヴァイラー (競走馬)|バーデンヴァイラー]]で勝利し、騎手生活最後の重賞勝利を飾った。同年2月19日、東京12Rの大島特別でゲンパチプライドに騎乗(5着)したのが日本での最後の騎乗となり、同25日(現地時間、日本時間26日未明)に行われた[[リヤドダートスプリント]]でリメイクに騎乗し3着。27年の騎手生活を終えた。最終年の騎手生活はは2か月だったため、2010年から続いていた年間100勝連続達成記録は2022年で途切れたが連続13年で最長キャリアを保持して引退<ref>{{Cite web |title=【福永祐一 実は○○なトリビア】実は年間100勝連続達成記録の保持者|テレ東スポーツ:テレ東 |url=https://www.tv-tokyo.co.jp/sports/articles/2023/03/027506.html |website=テレ東 |access-date=2024-11-03 |language=ja}}</ref>。

=== 調教師転身後 ===
[[File:Yuichi-Fukunaga with Mitsuba.jpg|thumb|チューリップ賞において、シルクハット姿で誘導馬ミツバに乗る福永祐一]]
2023年3月1日付で調教師免許が交付された。厩舎開業までの1年間は技術調教師として活動。本人によれば[[藤原英昭]]厩舎での修行を予定していたものの、当の藤原から「(所属した厩舎の)色がつくから、お前はフリーで行け」と言われてしまい所属できず、その影響で厩舎開業まで本業では無収入だった<ref name=spa240524>[https://nikkan-spa.jp/1998073 元ジョッキー福永祐一氏が語る「その後の人生」。新米調教師になって変わった金銭感覚] - 日刊SPA!・2024年5月24日</ref>。

2023年3月4日、第30回[[チューリップ賞]]で[[誘導馬]]の[[ミツバ (競走馬)|ミツバ]]に騎乗し、出走17頭を先導した。同日行われた引退式ではJRA理事長・[[後藤正幸]]などに加え、師匠である[[北橋修二]]、主戦騎手を務めたコントレイルの生産者である[[前田幸治]]、後輩の[[川田将雅]]、競馬学校同期で日本騎手クラブ副会長兼関西地区支部長の後任となる[[和田竜二]]、[[日本騎手クラブ]]会長の[[武豊]]からの花束贈呈を受けた。落馬事故以来44年ぶりに阪神競馬場に姿を見せた父・洋一と母・ 裕美子への感謝の花束を渡し、最後の挨拶では両親や北橋への感謝の言葉を涙ながらに伝えた。

[[2024年]]、厩舎を開業。同年3月9日、阪神競馬第11Rにレオノーレを出走させ、管理馬初出走。鞍上には武豊を迎え、積極的に逃げるもゴール寸前でハナ差だけ交わされ2着。初出走初勝利はならなかった<ref>{{Cite web |title=【コーラルS】福永師 武豊と夢タッグでの初陣は惜しい2着 武豊は笑顔で謝罪「どうもすいませんでした」 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=258196 |website=netkeiba |access-date=2024-04-24 |language=ja}}</ref>。同年4月7日、福島競馬8Rでマルカブリッツが1着となり、調教師としての初勝利を挙げた<ref>{{Cite web |title=福永祐一調教師が福島8Rで初勝利 結果を出すことは「簡単ではないことを日々痛感」 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=260913 |website=netkeiba |access-date=2024-04-24 |language=ja}}</ref>。4月13日アーリントンカップでチャンネルトンネルが重賞初出走で3着。同馬で5月5日のNHKマイルカップにG1初出走も6着。8月18日CBC賞をドロップオブライトが優勝し、人馬ともに重賞初制覇となった。なおCBC賞は騎手時代に2012年から2連覇しており、騎手と調教師の両方で制したことになる<ref>{{Cite web |title=【CBC賞】福永厩舎のドロップオブライトが人馬とも重賞初制覇! |url=https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20240818-OHT1T51138.html |website=UMATOKU {{!}} 馬トク - スポーツ報知' |date=2024-08-18JST15:36:00+0900 |access-date=2024-08-18 |language=ja-JP}}</ref>。

== 人物 ==
* 現在は[[競馬学校花の12期生]]の1人として語られることも多いが、その前年に[[競馬学校]]11期生の入学試験を受けている。しかし、直前に負った足の骨折で体力試験をパスできずに不合格。これにより福永は幻の11期生となったが、その後1年間[[近江兄弟社高等学校]]に通い<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.vories-spirit.jp/interview/04.html |title=輝く同窓生たち・活躍中の同窓生たち |publisher=近江兄弟社学園 同窓会 |accessdate=2015-01-04}}</ref>、翌年に再受験し合格したため、1歳年上の[[細江純子]]以外の同期生は福永より1歳年下である。
* テレビゲームマニアで、幼少の頃は[[信長の野望シリーズ]]や[[三國志シリーズ]] (どちらも[[コーエー]]) に熱中していた他、「イメージトレーニングのため」と称して『[[ジーワンジョッキー]]』シリーズ (コーエー) をプレイすることが多く、かつて主戦を務めた[[キングヘイロー]]も登場する『[[ウマ娘 プリティーダービー|ウマ娘]]』もプレイ済み<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=wWjANONWMVU 【生配信】祝勝会‼︎コントレイル&福永祐一ジョッキーおめでとう!【シャンプーハット恋さん・かまいたち山内さんも参加!】] - YouTube [[ビタミンS|お兄ちゃんネル]] 2021年12月1日</ref>。『ジーワンジョッキー』ではゲーム中に自分自身が実名で登場するため、自分の名前ではなくエディット機能を使用して父・洋一の名前でプレイしている<ref>[[東京中日スポーツ]]・2008年10月2日付 18面</ref>。
* [[工藤公康]]とも馴染みがある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/keiba/news/202302250000121.html|title=福永祐一「最後まで騎手全う」やりきったジョッキー人生、今夜ラスト騎乗/連載ラストステッキ|publisher=日刊スポーツ|date=2023-02-25|accessdate=2023-02-25}}</ref>。
* 祖父が元調教師<!-- 名前は明らかにされていない -->である[[武元唯衣]]([[櫻坂46]])とも交流があり、幼少期の武元が福永に抱きかかえてもらっている写真を武元がテレビ番組で公開したことがある<ref name="mp230104">{{cite news|url=https://mdpr.jp/news/detail/3538317 |title=櫻坂46武元唯衣、“すっぴん”で合格したオーディション秘話 競馬界との意外な繋がりも明かす |newspaper=[[モデルプレス]]|publisher=ネットネイティブ|date=2023-01-04 |accessdate=2023-03-07}}</ref>。武元の所属する櫻坂46の元キャプテンである[[菅井友香]]とは2023年9月29日より「菅井友香のウマのおケイコ〜教えて!福永先生〜」([[関西テレビ放送|カンテレ]])で共演している<ref>{{Cite web|和書|url=https://yuukasugai.com/s/ys/news/detail/10043 |title=【TV】9月29日(金)よりレギュラー番組スタート!カンテレ『菅井友香のウマのおケイコ~教えて!福永先生~』|website=菅井友香OFFICIAL WEBSITE |publisher=Seed & Flower |date=2023-09-28|accessdate=2023-10-05}}</ref>。
* 妹は引退馬の支援活動を行うTCCセラピーパーク(滋賀県栗東市)の運営に携わっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/keiba/news/202303040001359.html|title=福永祐一師が阪神競馬場で騎手引退式「最高の騎手人生でした」/一問一答|publisher=日刊スポーツ|date=2023-03-04|accessdate=2023-09-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=スポーツの今:引退競走馬を救い、人の心身を癒やす「共生」 滋賀・栗東 |url=https://mainichi.jp/articles/20231012/k00/00m/040/131000c |website=毎日新聞 |access-date=2023-10-13 |language=ja}}</ref>。
* [[八大競走]]は全8レースのうち7つを制覇しているが、二大グランプリの[[有馬記念]]だけは最後まで勝てなかった(最高は[[第67回有馬記念|2022年]]の[[ボルドグフーシュ]]で2着)。また、前述の通り技術調教師の1年間はほぼ無収入だったこともあり、調教師転身後は意図的に生活レベルを落としている。本人によれば「(騎手時代は)身体に違和感が少しでも生じるとレースに差し支えるから(飛行機では)ビジネスクラスを使っていた」が、調教師になってからは「エコノミークラスでもまったく問題ない」という。同様に宿泊するホテルのランクも下げ、移動もタクシーではなく電車を使うようになったという<ref name=spa240524 />。
* 騎手として父の名に恥じない活躍をしたので、天才二世と呼ばれる<ref>{{Cite web |title=若き福永祐一の葛藤「自分にはセンスがない」…偉大な父・洋一と比べられた“天才二世”の素顔「読書家で『水滸伝』にハマっていたことも」(島田明宏) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/856599 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2024-07-03 |language=ja}}</ref>。
* 中央のGIは31勝しているが、ウイニングランのコールは一度も呼ばれたことがない。

== GI・JpnI競走勝利 ==
[[ファイル:Winner's interview 10R Tokyo Yushun (Japanese Derby) (27522101387).jpg|サムネイル|277x277ピクセル|2018年[[第85回東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]勝利騎手インタビュー]]
(''斜字は統一GI''、'''太字は海外GI'''を指す)
(''斜字は統一GI''、'''太字は海外GI'''を指す)
* [[1999年]]
* [[1999年]]
** [[桜花賞]] - [[プリモディーネ]]
** [[桜花賞]] - [[プリモディーネ]]<ref name=column/>
** [[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]] - [[エイシンプレストン]]
** [[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]] - [[エイシンプレストン]]<ref name=1999asahi/>
* [[2001年]]
* [[2001年]]
** '''[[香港マイル]]''' - エイシンプレストン
** '''[[香港マイル]]''' - エイシンプレストン<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/2001G0121607/|title=香港マイル(G1)|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>
* [[2002年]]
* [[2002年]]
** '''[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]''' - エイシンプレストン
** '''[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]''' - エイシンプレストン<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/2002G0042108/|title=クイーンエリザベスC(G1)|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>
** ''[[JBCスプリント]]'' - [[スターリングローズ]]
** ''[[JBCスプリント]]'' - [[スターリングローズ]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200235110408/|title=第2回JBCスプリント(G1)|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>
** [[阪神ジュベナイルフィリーズ]] - [[ピースオブワールド]]
** [[阪神ジュベナイルフィリーズ]] - [[ピースオブワールド]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200209050211/|title=第54回阪神ジュベナイルF(G1)|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>
** [[朝日杯フューチュリティステークス]] - [[エイシンチャンプ]]
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* [[2003年]]
* [[2003年]]
** '''クイーンエリザベス2世カップ''' - エイシンプレストン
** '''クイーンエリザベス2世カップ''' - エイシンプレストン<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/2003G0042708/|title=クイーンエリザベスC(G1)|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>
* [[2004年]]
* [[2004年]]
** [[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]] - [[サニングデール]]
** [[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]] - [[サニングデール]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200407010811/|title=第34回高松宮記念(G1)|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>
** [[優駿牝馬]] - [[ダイワエルシエーロ]]
** [[優駿牝馬]] - [[ダイワエルシエーロ]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200405030211/|title=第65回優駿牝馬(G1)|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>
* [[2005年]]
* [[2005年]]<ref name=jra2005g1/>
** [[フェブラリーステークス]] - [[メイショウボーラー]]
** [[フェブラリーステークス]] - [[メイショウボーラー]]
** 桜花賞 - [[ラインクラフト]]
** 桜花賞 - [[ラインクラフト]]
** [[NHKマイルカップ]] - ラインクラフト
** [[NHKマイルカップ]] - ラインクラフト
** 優駿牝馬 - [[シーザリオ]]
** 優駿牝馬 - [[シーザリオ]]
** '''[[アメリカンオークス招待ステークス]]''' - シーザリオ
** '''[[アメリカンオークス招待ステークス]]''' - シーザリオ<ref name=netkeiba20050703/>
** 朝日杯フューチュリティステークス - [[フサイチリシャール]]
** 朝日杯フューチュリティステークス - [[フサイチリシャール]]
* [[2006年]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/replay/2006/g1.html|title=重賞レース一覧 2006年|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>
* [[2006年]]
** [[エリザベス女王杯]] - [[フサイチパンドラ]]
** [[エリザベス女王杯]] - [[フサイチパンドラ]](1位入線のカワカミプリンセスが最後の直線で進路妨害したため繰り上がりで優勝)
* [[2007年]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/replay/2007/g1.html|title=重賞レース一覧 2007年|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>
* [[2007年]]
** 優駿牝馬 - [[ローブデコルテ]]
** 優駿牝馬 - [[ローブデコルテ (競走馬)|ローブデコルテ]]
* [[2010年]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/replay/2010/g1.html|title=重賞レース一覧 2010年|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>
* [[2010年]]
** 阪神ジュベナイルフィリーズ - [[レーヴディソール]]
** 阪神ジュベナイルフィリーズ - [[レーヴディソール]]
* [[2011年]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/replay/2011/g1.html|title=重賞レース一覧 2011年|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>
* [[2011年]]
** 阪神ジュベナイルフィリーズ - [[ジョワドヴィーヴル]]
** 阪神ジュベナイルフィリーズ - [[ジョワドヴィーヴル]]
* [[2012年]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/replay/2012/g1.html|title=重賞レース一覧 2012年|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>
* [[2012年]]
** [[安田記念]] - [[ストロングリターン]]
** [[安田記念]] - [[ストロングリターン]]
* [[2013年]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/replay/2013/g1.html|title=重賞レース一覧 2013年|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref>
* [[2013年]]
** [[菊花賞]] - [[エピファネイア]]
** [[菊花賞]] - [[エピファネイア]]
** [[天皇賞|天皇賞・秋]] - [[ジャスタウェイ]]
** [[天皇賞]] - [[ジャスタウェイ]]
* [[2014年]]
* [[2014年]]
** '''[[ドバイデューティーフリー]]''' - ジャスタウェイ
** '''[[ドバイターフ|ドバイデューティーフリー]]''' - ジャスタウェイ<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/2014C7a00807/|title=ドバイデューティフリ(G1)|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>
*2016年<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/replay/2016/g1.html|title=重賞レース一覧 2016年|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2016-03-28}}</ref>
JRA・GI 18勝(海外GI5勝、交流1勝)
** 高松宮記念 - [[ビッグアーサー]]
** [[秋華賞]] - [[ヴィブロス]]
* [[2017年]]
** ''[[帝王賞]]'' - [[ケイティブレイブ]]
* [[2018年]]
** ''[[川崎記念]]'' - ケイティブレイブ
** [[東京優駿]] - [[ワグネリアン (競走馬)|ワグネリアン]]
** ''[[JBCクラシック]]'' - ケイティブレイブ
* [[2019年]]
** 高松宮記念 - [[ミスターメロディ]]
** 安田記念 - [[インディチャンプ]]
** [[ホープフルステークス (中央競馬)|ホープフルステークス]] - [[コントレイル (競走馬)|コントレイル]]
* [[2020年]]
** [[皐月賞]] - コントレイル
** ''[[かしわ記念]]'' - [[ワイドファラオ]]
** 東京優駿 - コントレイル
** 菊花賞 - コントレイル
* [[2021年]]
** [[天皇賞(春)]] - [[ワールドプレミア (競走馬)|ワールドプレミア]]
**東京優駿 - [[シャフリヤール (競走馬)|シャフリヤール]]
**[[スプリンターズステークス]] - [[ピクシーナイト]]
**[[ジャパンカップ]] - コントレイル
* [[2022年]]
** フェブラリーステークス - [[カフェファラオ]]
** 皐月賞 - [[ジオグリフ (競走馬)|ジオグリフ]]
** ''マイルチャンピオンシップ南部杯'' - カフェファラオ


=== 騎乗成績 ===
== 騎乗成績 ==
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!
!||日付||競馬場・開催||競走名||馬名||頭数||人気||着順
!日付
!競馬場・開催
!競走名
!馬名
!頭数
!人気
!着順
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|初騎乗・初勝利||1996年3月2日||1回中京1日3R||4歳未勝利||マルブツブレベスト||16頭||1||1着
|初騎乗・初勝利
|1996年3月2日
|1回[[中京競馬場|中京]]1日3R
|4歳未勝利
|マルブツブレベスト
|16頭
|1
|1着
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|-
|重賞初騎乗||1996年3月2日||1回中京1日11R||中日新聞杯||[[オグリワン]]||16頭||6||15着
|重賞初騎乗
|1996年3月2日
|1回中京1日11R
|[[中日新聞杯]]
|[[オグリワン]]
|16頭
|6
|15着
|-
|-
|重賞初勝利
|重賞初勝利||1997年11月15日||5回東京5日11R||東京スポーツ杯3歳S||キングヘイロー||12頭||1||1着
|1997年7月22日
|5回[[川崎競馬場|川崎]]6日目9R
|[[エンプレス杯]]
|シルクフェニックス
|7頭
|3
|1着
|-
|-
|JRA・重賞初勝利
|GI初騎乗||1996年10月20日||4回京都6日10R||秋華賞||シーズグレイス||18頭||12||6着
|1997年11月15日
|5回[[東京競馬場|東京]]5日目11R
|[[東京スポーツ杯2歳ステークス|東京スポーツ杯3歳S]]
|[[キングヘイロー]]
|12頭
|1
|1着
|-
|-
|GI初騎乗
|GI初勝利||1999年4月11日||2回阪神6日11R||桜花賞||プリモディーネ||18頭||4||1着
|1996年10月20日
|4回[[京都競馬場|京都]]6日目10R
|[[秋華賞]]
|シーズグレイス
|18頭
|12
|6着
|-
|GI初勝利
|1999年4月11日
|2回[[阪神競馬場|阪神]]6日目11R
|[[桜花賞]]
|[[プリモディーネ]]
|18頭
|4
|1着
|}
|}

{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!年度!!1着!!2着!!3着!!騎乗数!![[勝率]]!![[連対率]]!![[複勝率]]!!表彰
!年度!!1着!!2着!!3着!!騎乗数!![[勝率]]!![[連対率]]!!複勝率!!表彰<ref name=netkeibapro>{{Cite web|和書|date=|url=http://jockey.netkeiba.com/yuichiroom/?pid=profile|title=YU-ICHI ROOM 福永祐一騎手(公式)サイト - netkeiba.com -|publisher=netkeiba.com|accessdate=2015-11-08}}</ref>
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|-
|1996年||53||49||45||518||.102||.197||.284||JRA賞(最多勝利新人騎手)
|1996年||53||49||45||518||.102||.197||.284||[[JRA賞]](最多勝利新人騎手)<br>関西放送記者クラブ賞(敢闘賞
|-
|-
|1997年||62||59||56||692||.090||.175||.256||
|1997年||62||59||56||692||.090||.175||.256||
|-
|-
|1998年||52||52||55||635||.082||.164||.250||
|1998年||52||52||55||635||.082||.164||.250||[[小倉ターフ賞]]<ref name=kokura>{{PDFlink|[http://company.jra.jp/7403/press/201409/201409031501.pdf お知らせ]}}</ref>
|-
|-
|1999年||43||39||31||398||.108||.206||.284||
|1999年||43||39||31||398||.108||.206||.284||
|-
|-
|2000年||84||71||61||660||.127||.235||.327||
|2000年||84||71||61||660||.127||.235||.327||小倉ターフ賞<ref name=kokura/>
|-
|-
|2001年||81||68||69||749||.108||.199||.291||
|2001年||81||68||69||749||.108||.199||.291||
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|2002年||89||62||78||722||.123||.209||.317||JRA優秀騎手賞
|2002年||89||62||78||722||.123||.209||.317||JRA[[優秀騎手賞]](勝利度数部門・賞金獲得部門)
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|2003年||83||78||67||696||.119||.231||.328||
|2003年||83||78||67||696||.119||.231||.328||
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|2004年||96||81||96||771||.125||.230||.354||JRA優秀騎手賞
|2004年||96||81||96||771||.125||.230||.354||JRA優秀騎手賞(賞金獲得部門)<br/>小倉ターフ賞<ref name=kokura/>
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|-
|2005年||109||70||81||811||.134||.221||.321||JRA優秀騎手賞
|2005年||109||70||81||811||.134||.221||.321||JRA優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
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|2006年||88||69||87||820||.107||.191||.298||JRA優秀騎手賞
|2006年||88||69||87||820||.107||.191||.298||JRA優秀騎手賞(賞金獲得部門4位)
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|2007年||82||80||67||744||.110||.218||.308||
|2007年||82||80||67||744||.110||.218||.308||
139行目: 259行目:
|2009年||93||82||89||825||.113||.212||.320||
|2009年||93||82||89||825||.113||.212||.320||
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|-
|2010年||109||108||82||809||.135||.268||.370||
|2010年||109||108||82||809||.135||.268||.370||JRA優秀騎手賞(勝利度数部門4位・賞金獲得部門4位)<br>[[厩舎関係者表彰|関西テレビ放送賞]]<br />[[フェアプレー賞]](関西)
|-
|-
|2011年||133||98||84||824||.161||.280||.382||JRA賞(最高勝率騎手)<br> JRA優秀騎手賞(勝利度数部門2位・勝率部門1位・賞金獲得部門2位)<br />[[サマージョッキーズシリーズ]]優勝<ref name="summer2011">{{Cite web|和書|date=|url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/summer/2011_p.html|title=サマーシリーズ2011|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2015-11-08}}</ref><br />関西テレビ放送賞
|2011年||133||98||84||824||.161||.280||.382||JRA賞(最高勝率騎手)
|-
|-
|2012年||115||101||72||741||.155||.291||.389||
|2012年||115||101||72||741||.155||.291||.389||JRA優秀騎手賞(勝利度数部門5位・勝率部門2位・賞金獲得部門3位)
|-
|-
|2013年||131||103||103||844||.155||.277||.399||
|2013年||131||103||103||844||.155||.277||.399||JRA賞(最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、[[MVJ]])<br/>JRA優秀騎手賞1位<br/>関西テレビ放送賞
|-
|-
!中央||1589||1340||1307||13063||.122||.224||.324
|2014年||118||111||92||751||.157||.305||.427||
|-
|-
|2015年||121||112||75||738||.164||.316||.417||関西テレビ放送賞<ref>{{Cite web|和書|date=2015-12-27|url=https://web.archive.org/web/20151229171824/http://www.jra.go.jp/news/201512/122709.html|title=2015年度「関西テレビ放送賞」は福永 祐一騎手が受賞|publisher=日本中央競馬会|language=日本語|accessdate=2015-12-31}}</ref>、優秀騎手賞4位
!地方||63||63||73||470||.134||.268||.423
|-
|2016年||106||101||70||703||.151||.294||.394||優秀騎手賞4位
|-
|2017年||116||85||81||740||.157||.272||.381||JRA優秀騎手賞4位
|-
|2018年||103||83||84||689||.149||.270||.392||JRA優秀騎手賞5位
|-
|2019年||107||110||84||713||.150||.304||.422||JRA優秀騎手賞5位
|-
|2020年||134||91||85||698||.192||.322||.444||JRA優秀騎手賞4位
|-
|2021年||123||92||92||687||.179||.313||.447||JRA優秀騎手賞4位
|-
|2022年
|101
|72
|82
|610
|.166
|.284
|.418
|関西競馬記者クラブ賞
|-
|2023年
|18
|14
|10
|105
|.171
|.305
|.400
|
|-
!中央||2636||2211||2064||19497||.135||.249||.354
|}
|}
出典:JRA騎手名鑑(累計成績は2023年12月31日現在)


== エピソード ==
=== タイトル ===
* [[リーディングジョッキー|最多勝利]]:1回(2013年)
* 父・洋一の兄弟である伯父には競馬関係者が多い。長兄・[[福永甲|甲]]はJRAの元騎手・元調教師、次兄・[[福永二三雄|二三雄]]は大井競馬の元騎手・元調教師、三男・[[福永尚武|尚武]]は船橋競馬の元騎手である。洋一は四男。
** [[リーディングジョッキー#中央競馬|関西リーディング]]:4回(2010年、2011年、2013年、2015年)
* 母の弟である叔父にも元・騎手の[[北村卓士]]がいる。
* [[JRA賞最高勝率騎手|最高勝率]]:1回(2011年)
* 祐一の高祖父の妹と、[[徳光和夫]]の祖父の兄が結婚しており、遠い姻戚関係にある<ref>[[ドキュメンタリー]]番組『[[ファミリーヒストリー]]』 [[NHK]]、「[[徳光和夫]]」 2013年1月21日放送回。</ref>。他には[[ミッツ・マングローブ]]も遠戚になる。
* [[JRA賞最多賞金獲得騎手|最多賞金獲得]]:1回(2013年)
* 子供の頃から栗東の福永家は武家と隣同士であり、[[武豊]] (豊は厳密には[[京都市]][[伏見区]][[淀]]出身) や[[武幸四郎]]とはご近所さんの間柄だった。武豊は福永が生まれた日のことを覚えているという。
* [[MVJ]]:1回(2013年) ※初代受賞者
* 5歳の頃、父のリハビリの密着取材を続けていた[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]のディレクターに、大人になったら何になりたいか聞かれて「騎手になる」と答えた。しかし同時に「お母さんは許してくれないと思う」とも語っている。
* [[フェアプレー賞]]:1回(2010年)
* 中学は競馬関係者の子供が通う栗東中学ではなく、私立の中学へ進学、ベンツでの送り迎えだったと、武豊TVIIにて[[池添謙一]]、[[武幸四郎]]からなじられている。
* [[JRA賞最多勝利新人騎手|最多勝利新人]]、[[中央競馬関西放送記者クラブ賞|関西放送記者クラブ賞]](1996年)
* 現在は花の12期生の1人として語られることも多いが、その前年に[[競馬学校]]11期生の入学試験を受けている。しかし、直前に負った足の骨折で体力試験をパスできずに不合格。これにより福永は幻の11期生となったが、その後1年間[[近江兄弟社高等学校]]に通い、翌年に再受験し合格したため、1歳年上の[[細江純子]]以外の同期生は福永より1歳年下である。
* 父・洋一が騎手生活を絶たれた[[毎日杯]]で、[[1997年]]に祐一自らも落馬。落馬地点もほぼ一緒だったが、父と違い祐一は軽い打撲のみで済んだが、[[スポーツ新聞]]数誌が1面で落馬を報じた。
* サインには「福永雄一千」と書く。これは落馬事故で腎臓を片方摘出する大怪我 (1999年の小倉大賞典の本馬場入場時の落馬) を負って以来のことで、母親の強い勧めによるもの。
* 牝馬で大きいレースを勝つことが多いため[[嶋田功]]・[[河内洋]]・[[松永幹夫]]らに続いて「牝馬の福永」と競馬マスコミに書かれることが増えてきた。また2・3歳戦が得意で、そのことは本人も自負している。実際、2・3歳の重賞 (特に牝馬限定戦) でも上位の戦績を誇る。特に2002年は2歳馬のGI (阪神ジュベナイルフィリーズ: ピースオブワールド、朝日杯フューチュリティステークス: エイシンチャンプ) を両方とも制覇している。
* 優駿牝馬 (オークス) では2004年から4年連続連対 (3勝2着1回) という驚異的な成績を残していた。2007年の同競走を[[外国産馬]]のローブデコルテで勝利した時のTV中継での勝利インタビューで、「オークス3勝目、相性いいですね」の問いに対して「新オークス男です」と語った。
* 距離がマイル (1600m) の ([[競馬の競走格付け|GI]]) に強く、GI18勝のうち11勝を占める。
* [[小倉競馬場|小倉]]で行われる2歳オープン戦・[[フェニックス賞 (競馬)|フェニックス賞]]にも強く、2001年から2007年までで6勝2着1回という成績を残し2003年から2007年まで5連勝を記録していた (これは武豊の[[若駒ステークス]]5連勝、[[河内洋]]の[[万葉ステークス]]5連勝に並ぶ同一特別競走の最多連勝タイ記録である) 。さらに、重賞初勝利 ([[エンプレス杯]]) を挙げた時の馬がシルク'''フェニックス'''であり、このため、武豊をはじめとする仲の良い同僚ジョッキーから「ミスターフェニックス」と呼ばれている (『[[武豊TV!]]』より) 。本人曰く「フェニックス男」である ([[ABCラジオ]]・[[オン・ザ・ターフ!]]より)
* なお2007年は後述のとおり主戦を務めた前年の北橋厩舎に続き瀬戸口厩舎が解散することで (両厩舎とも夏競馬は小倉競馬場を主戦場にしていた) 、夏競馬については新潟競馬場を主戦場にする旨を仄めかし (実際にその通りにしていた) 、記録達成する意思が無いように述べていたが、[[ビーチアイドル]]の前走に騎乗した武豊が欧州遠征でフェニックス賞に騎乗出来ないために、祐一が騎乗することとなり、5連勝・7年連続連対を達成した。しかし、2008年は騎乗しなかった (新潟競馬に参戦) 。しかしこの年は[[阪神カップ]]をマルカ'''フェニックス'''で制し、フェニックス男ぶりを見せつけた。
* 2007年の[[第136回天皇賞|天皇賞・秋]]ではカンパニーに騎乗したが最後の直線で[[コスモバルク]]が左右によれたことにより不利を受けたとされ、[[地方競馬]]所属で同馬の騎手である[[五十嵐冬樹]]に対し「コスモバルクは毎回、毎回やっている。五十嵐さんはG1に乗る騎手じゃない。 (ローカルの) 福島にでも行っていればいい。勘弁してくれ。」と発言したと報道され一部で物議を醸したが、本人はこの発言を否定している。
* 逆に翌年の日本ダービーで、福永はモンテクリスエスに騎乗し1コーナーでかなりの斜行をしている。被害馬は同レース3着のブラックシェルであったが、騎乗していた武豊騎手は「1コーナーをスムーズにいければあるいは…」という談話を残している。
* テレビゲームマニアで、幼少の頃は[[信長の野望シリーズ]]や[[三國志シリーズ]] (どちらも[[コーエー]]) に熱中していた他、「イメージトレーニングのため」と称して『[[ジーワンジョッキー]]』シリーズ (コーエー) をプレイすることが多いという。『ジーワンジョッキー』ではゲーム中に自分自身が実名で登場するため、自分の名前ではなくエディット機能を使用して父・洋一の名前でプレイしている。<ref>[[東京中日スポーツ]]・2008年10月2日付 18面</ref>
* [[小学校]]時代、[[体育]]で[[縄跳び]]が苦手で、二重跳びが全くできなかった。これは2010年4月18日に[[中山競馬場|中山]] ([[皐月賞]]終了後) のファンイベントで明らかになったものだが、そのイベントで二重跳びが1回だけだが成功した。
* 2010年5月10日に高知競馬場で行われた第1回「[[福永洋一記念]]」 (父の名を冠したレースが、息子である本人の熱意によって実現) 。その表彰式にて父の洋一とともに出場し、途中感極まって本人が涙を流す場面があった。
* 2011年8月15日に盛岡競馬場で行われた日本版シャーガーカップ (騎手対抗戦) TEAM JRA VS TEAM岩手では、TEAMJRAのキャプテンを務めた。第一戦、第二戦共に2着の成績で個人優勝及びチーム優勝に貢献した。
* [[騎乗依頼仲介者]]は[[小原靖博]] ([[競馬ブック]]) 。バレットは[[坪田幸子]] (有限会社グリップのスタッフ) である。


=== 北橋・瀬戸口との関係 ===
== 騎手して評価 ==
* [[1990年代]]の評価
現在は実力のある騎手はフリー (どこの[[厩舎]]にも所属しない騎手) の立場であることが多いが、祐一は2006年2月に[[北橋修二]]が定年引退を迎えるまで北橋厩舎の所属騎手であった。厩舎所属の場合は固定給が支払われ生活がある程度保障される一方、他厩舎から有力馬の騎乗依頼を受けても所属厩舎の出走馬に優先して騎乗しなければならない場合があり不利な面も多いとされる。また、厩舎のスタッフの一員として、馬の世話や厩舎の作業など雑用もこなさなければならない。
**[[田原成貴]]はJRA所属の騎手であった当時出版した著書(『馬上の風に吹かれて 競馬場の風来坊2』)において、福永は[[武豊]]や[[横山典弘]]と比較すると、騎手としての素質をさほど持ち合わせていないと評している{{Sfn|田原|1997|p=181}}。田原は、福永の問題点として、「一生懸命、上半身を柔らかくしようとしているけど、下半身が固いから、努力だけで終わってる」と指摘している{{Sfn|田原|1997|p=181}}。また田原は、この著書を出版した1997年頃から福永の自宅へ出向き、細かい扶助から馬の動かし方まで、マンツーマンでいろいろと指導を行っていた<ref name="『あの騎乗は本気でシビれた ― 田原成貴さんとの記憶』">{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=27191 |title=『あの騎乗は本気でシビれた ― 田原成貴さんとの記憶』 |publisher=[[netkeiba.com]] |accessdate=2014-07-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=28897 |title=四位×福永 |publisher=[[netkeiba.com]] |accessdate=2015-01-13}}</ref>。福永曰く「研修生」のような状態であり、1998年皐月賞レース直後には「下手くそ!」「お前、今日のレースは勝ってたぞ」と調整ルームにて酷評されている<ref name="『あの騎乗は本気でシビれた ― 田原成貴さんとの記憶』"/>。
* [[2000年代]]の評価
**デビュー当時(2004年)[[藤岡佑介]]騎手は、福永騎手について、当時のトップジョッキーの雰囲気と比較して、"無邪気に楽しく馬に乗っている"という印象を語っている<ref>{{Cite book|和書|title=月刊『優駿』2020年10月号|publisher=中央競馬ピーアールセンター |year=2020 |page=22 }}</ref>
* [[2010年代]]の評価
**競走馬に競馬を教える手腕を評価する声があり、JRA美浦所属の調教師[[堀宣行]]、JRA栗東[[友道康夫]]厩舎所属の安田助手がインタビューで言及している<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=71079 |title=有馬記念、ダークシャドウ堀師・ムーア騎手インタビュー |publisher=[[netkeiba.com]] |accessdate=2012-12-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=115003 |title=【秋華賞】一夜明け、ヴィブロス陣営「祐一さんの“教える競馬”が結果に繋がった」 |publisher=[[netkeiba.com]] |accessdate=2016-10-17}}</ref>。
**JRA所属騎手の[[小牧太]]は、「(福永を)すごく応援してる。人間性がね、すごく好きやねん。この人が上に立って、引っ張っていってくれたらいいなぁって思う。彼はそれくらいの精神力を持っている気がするから。」「(福永は)よう考えてる、いろいろね。彼は賢いねんな。アメリカに行って、乗り方もレベルアップしたと思うよ。」<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=21981 |title=太論 |publisher=[[netkeiba.com]] |accessdate=2012-12-11}}</ref>「彼はとにかく賢いし、黙々と頑張ってる感じやね。彼自身で変わったことといえば、結婚していいパパになったことくらいでしょう。騎手クラブの仕事も一生懸命にやってくれて、ホンマに責任感の強い子やね。」<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=34084 |title=太論 |publisher=[[netkeiba.com]] |accessdate=2016-06-14}}</ref> と評価している。
**[[藤田伸二]]はJRA所属の騎手であった当時出版した著書(『騎手の一分 競馬界の真実』)において、福永の騎乗フォームについて、「おそらく体が硬い」ことが原因で騎乗時に馬と体の間にムダな隙間が生じてバランスが非常に悪く、また騎乗技術に長けた騎手に比べ体重が後ろにかかっているため懐が大きく開き、膝でバランスをとろうとして膝がガックンガックン動いてしまっている、と指摘{{sfn|藤田|2013|pp=75&ndash;76}}。加えて「勝ちにこだわった騎乗」もできておらず、「強い馬に乗せてもらっているから勝っている」に過ぎない、と評している{{sfn|藤田|2013|p=76}}。また福永自身がしばしばJRAの制裁対象となっているにもかかわらず、若手騎手に対しては安全に配慮した騎乗ができていないと調整ルームで「威圧している」とし、批判している{{sfn|藤田|2013|pp=41&ndash;42}}。ただし、藤田は現役引退後にスタートした自身のオフィシャルサイト内のコラムでは「(福永は)己の技術を知ってるからこそ、今でも先輩らに耳を傾ける人間なんだよ。だから人格って凄いよな!俺が真似出来たら、まだ現役だよ!」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinji-fujita.com/column/column_article.php?id=72 |title=Q&A質問回答 |publisher=藤田伸二オフィシャルサイト |accessdate=2016-04-06}}</ref> と人格に関しては評価をしており、レース回顧においては福永の騎乗を褒める記述も見られる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinji-fujita.com/column/column_article.php?id=303 |title=【回顧】第21回 秋華賞 (GI) |publisher=藤田伸二オフィシャルサイト |accessdate=2016-10-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinji-fujita.com/column/column_article.php?id=326 |title=G1じゃないが |publisher=藤田伸二オフィシャルサイト |accessdate=2016-11-06}}</ref>。
**JRAに所属していた元騎手の[[坂井千明]]はブログの中で、2013年[[菊花賞]]における福永([[エピファネイア]]騎乗)について、「祐一の抑え方もうまかったよ。手綱を引っ張っていても、拳は上げないで自分の重心を後ろに持っていく感じ。ハミを噛んではいても、頭が上がらないようにうまくバランスを取っていたよ。もし、頭を上げたら馬とケンカになって、抑えが利かなくなっていたと思う。」<ref>{{Cite web|和書|url=http://blog.livedoor.jp/sakai_chiaki/archives/54642758.html |title=祐一がよく我慢させた |publisher=元騎手・坂井千明の乗り役流儀 |accessdate=2013-10-21}}</ref> と評価している。
**JRA所属騎手(当時。現・JRA調教師)の[[四位洋文]]は対談において、「デビューした頃の祐一はひどかったもんなぁ(笑)。」<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=28848 |title=【特別対談】四位×福永 |publisher=[[netkeiba.com]] |accessdate=2015-01-06}}</ref> としつつも、「祐一は本当に頑張ったよ。今でも本当に頑張っている。祐一は頭がいいから、他のジョッキーに比べて自分をプロデュースする能力に長けているんだと思う。俺に祐一の頭の良さがあったら、もっとすごいジョッキーになれたのになぁ。」「無意識に自分をプロデュースできているんだろうね。だから、誰からも好かれるし、その結果、いい波がどんどんくる。」<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=28897 |title=【特別対談】四位×福永 |publisher=[[netkeiba.com]] |accessdate=2015-01-13}}</ref> と人となりを評価している。
**[[大井競馬場|大井競馬]]所属騎手の[[的場文男]]は対談において、「祐一くんの騎乗フォームなんか、本当にキレイだもんね。道中も直線も本当にキレイに乗ってくる。馬はものすごく楽だと思うよ。」<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=35843 |title=【特別対談】的場文男×福永祐一 |publisher=[[netkeiba.com]] |accessdate=2016-12-13}}</ref> と評価している。
**[[東京スポーツ]]記者[[虎石晃]]はコラムの中で、2016年8月28日朱鷺ステークス<ref>{{Cite web|和書|url=https://race.netkeiba.com/race/result.html?race_id=201604021010 |title=朱鷺ステークス(OP) 結果・払戻 | 2016年8月28日 新潟10R レース情報(JRA) - netkeiba.com |publisher=netkeiba.com |accessdate=2024-03-06}}</ref>における福永の騎乗について、「最大の衝撃は10Rのペイシャフェリスを1着に導いたこと。これはまさに神がかり。」<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hicchu.net/column/toraishi/4897/ |title=大勝はしたけれど |publisher=虎石晃コラム「トラセン日誌」 |accessdate=2016-08-29}}</ref> と評価している。また、JRA美浦所属の調教師[[中川公成]]の「あまりいいこと言わない人が多いけど、福永って上手いと思うんだけどな」との意見に対し、虎石は「G1となると、先週のような消極的な面が出てしまうけれど、平場は、先生が言う通り、上手いですよ。スタートセンスは抜群だし、往々にして勝てる位置で競馬をしてくれますから。」と答えている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hicchu.net/column/toraishi/4984/ |title=なんだかんだで |publisher=虎石晃コラム「トラセン日誌」 |accessdate=2016-10-06}}</ref>。
* [[2020年代]]の評価
**[[田原成貴]]は[[Number]]のインタビューにおいて、「まず、何度も言っている騎手の重心と馬の支点。同じ馬でも、スタートしたときや、道中、それに追うときといろいろ変わってくるのですが、祐一君は、それを瞬時にポンと合わせられる。そしてそこからあまり揺れないし、動かない。お父さんほどではないけど、すごいなと思う。あと、コントレイルで無敗の三冠を獲る前から、例えば、本質的には中距離がベストの馬に長距離でもいいパフォーマンスを発揮させるなど、馬の能力を補う乗り方ができるようになっていた。それがコントレイルとのコンビで顕著に表れたんでしょうね。もともと頭がいいんだから、それに一番大事な馬乗りが追いついたら、やっぱり無敵になりますよ。それに、いろんなタイプの馬に乗ったことで感性も磨かれましたね」<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/855959?page=4 |title=「祐一君の姿を無意識に…」名手への惜別の言葉 |publisher=田原成貴に聞く“武豊が超一流な理由”と理想のジョッキー像「結局、福永洋一さんに行き着くんです」「祐一くんの引退は寂しいね…」 |accessdate=2023-10-06}}</ref>と評価している。


== 調教師成績 ==
祐一がデビュー後所属し師事した北橋は、祐一が幼い頃から世話になり親しんでいた間柄であり、厩舎所属後の公私をわきまえた関係など現在の祐一を語る上で欠かせない人物である。
2024年3月6日付けで厩舎を開業した<ref>[https://www.jra.go.jp/news/202312/121804.html 新規開業調教師]日本中央競馬会、2023年12月18日配信・閲覧</ref>。同年3月5日付けで定年引退する[[安田隆行]]厩舎から重賞勝ち馬[[ダノンスコーピオン]]や騎手時代にコンビを組み重賞制覇を果たした[[デュアリスト]]等を引き継いだ<ref>{{Cite web |title=新規開業の福永祐一厩舎に2022年NHKマイルC優勝ダノンスコーピオン 引退調教師の管理馬が転厩 |url=https://www.sanspo.com/race/article/general/20240305-3U4LPLXF4NOFFM3W6LEG5RL4SQ/ |website=サンスポZBAT! |date=2024-03-05 |access-date=2024-03-05 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。

{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
北橋とともに関係が深い調教師は、北橋と同郷 ([[鹿児島県]]出身) の[[瀬戸口勉]]である。瀬戸口厩舎では祐一を主戦とし、祐一がデビューしたての頃からずっと起用し続けていた。GIもサニングデール・エイシンチャンプ・ラインクラフトで制覇している。
!

!日付
祐一は騎手生活を振り返る時、常々2人への尊敬と感謝の念を口にしている。しかし2006年2月に北橋が、瀬戸口も2007年2月に調教師を引退。頼りにしていた "2人の師匠" が相次いで競馬サークルから去り、同年の[[京王杯スプリングカップ]] (勝ち馬・[[エイシンドーバー]]) で同年初の重賞勝利を飾った際「サポートをしてくれる厩舎が解散になった途端勝てなくなったんでね、もうどうしようかなと思っていたんですけど (笑) うまく勝ててよかったです。もうちょっとジョッキー続けられそうです。」と語っている。
!競馬場・開催

!競走名
== 評価 ==
!馬名
JRA所属の騎手[[藤田伸二]]は福永の騎乗について、「おそらく体が硬い」とした上で、そのことが原因で騎乗時に「馬と体の間にムダな隙間が生じてバランスが非常に悪くなっている」と指摘している{{sfn|藤田|2013|p=75}}。藤田によると騎乗技術に長けた騎手は前傾姿勢をとって上半身を馬に近い位置に保ちながら騎乗することができるが、福永は体重が後ろにかかって懐が大きく開き、膝でバランスをとろうとして「膝がガックンガックン動いてしまう」ことのある騎乗フォームである{{sfn|藤田|2013|pp=75&ndash;76}}。さらに福永には「勝ちにこだわった騎乗」もできておらず、「強い馬に乗せてもらっているから勝っている」に過ぎない騎手であると評している{{sfn|藤田|2013|p=76}}。また藤田は福永の、自身も安全に配慮した騎乗が十分にできずしばしばJRAによる制裁の対象となっているにもかかわらず若手の騎手に対しては安全に配慮した騎乗ができていないと[[ジョッキールーム]]で「威圧」する姿勢を批判している{{sfn|藤田|2013|pp=41&ndash;42}}。
!頭数
!人気
!着順
|-
|初出走
|2024年3月9日
|1回阪神5日11R
|コーラルステークス
|レオノーレ
|16頭
|2
|2着
|-
|初勝利
|2024年4月7日
|1回[[福島競馬場|福島]]2日8R
|4歳以上1勝クラス
|マルカブリッツ
|16頭
|4
|1着
|-
|重賞初出走
|2024年4月13日
|2回阪神7日11R
|[[アーリントンカップ]]
|チャンネルトンネル
|16頭
|4
|3着
|-
|重賞初勝利
|2024年8月18日
|2回中京4日11R
|[[CBC賞]]
|[[ドロップオブライト]]
|18頭
|6
|1着
|-
|GI初出走
|2024年5月5日
|2回東京6日11R
|[[NHKマイルカップ]]
|チャンネルトンネル
|18頭
|12
|6着
|-
|GI初勝利
|
|
|
|
|
|
|
|}


== テレビ・ラジオ ==
=== 主な管理馬 ===
* [[ドロップオブライト]](2024年[[CBC賞]])
* [[武豊TV!]] ([[フジテレビONE|フジテレビ739]])
* [[ランフォーヴァウ]](2024年[[デイリー杯2歳ステークス]])
*: 準レギュラー的にゲスト出演。
* [[ダノンスコーピオン]]
* [[サタうま!]] ([[関西テレビ放送|関西テレビ]])
* [[デュアリスト]]
*: 栗東取材の際、しばしば出演。しかし最近は出演頻度が低い。
* [[ロンドンハーツ]] ([[テレビ朝日]])
*: 「ラブトレイン~いらない女は途中下車~」に出演
* [[ウチくる!?]] (2001年[[4月8日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])
*: 武豊がゲストの回に出演
* [[クイズ$ミリオネア]] (2003年[[4月3日]]、フジテレビ)
* [[情熱大陸]] (2005年[[11月13日]]、[[毎日放送]])
*: なかなか勝てなくて落ち込んでいたときに[[SURFACE]]の『[[なにしてんの]]』を聞いて立ち直ったと話しており、大事なレースの前には聞いている。
* [[トップランナー]] (2005年[[11月27日]]、[[日本放送協会|NHK]])
*: 競馬騎手としては3人目の同番組出演。
* [[バラエティー生活笑百科]] (2006年[[4月22日]]、[[日本放送協会|NHK]])
* [[うまッチ!]] (2006年[[7月2日|7月2]]・[[7月9日|9日]]、フジテレビ)
*: 自身も『うまッチ!』を視聴している事が判明した。
* [[ナンだ!?|NANDA!?]] (2006年[[9月22日|9月22]]・[[9月29日|29日]]、テレビ朝日)
*: 「武豊ってナンだ!?」で武と共に出演。
* [[日立 世界・ふしぎ発見!]] (2007年[[5月12日]]、[[TBSテレビ|TBS]])
*[http://www.bs-j.co.jp/bangumi/html/201205262100_22234.html ジョッキー福永祐一の挑戦 ~越えろ! ユウイチ~] (2012年[[5月26日]]、[[BSジャパン]])
*:JRAリーディングを獲得後、次の目標は[[日本ダービー]]に焦点を充てた特別番組。岩田と対談コーナーもあり、結果的にこの年のダービーは[[ディープブリランテ]]騎乗の岩田が制覇。
* [[MBSタイガースライブ]] (2012年[[9月13日]]、毎日放送ラジオ)
*: [[阪神甲子園球場]]で行なわれた[[阪神タイガース]]対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦の中継ゲスト。
* ドラマ「GI DREAM」- [[2013年]][[2月2日]] (本人役)


== 雑誌 ==
== 雑誌 ==
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*「福永祐一」 ([[和田絵衣子]]撮影。[[講談社]]、1997年) ISBN 9784062084307
*「福永祐一」 ([[和田絵衣子]]撮影。[[講談社]]、1997年) ISBN 9784062084307


== 脚注 ==
== 脚注・出典 ==
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<references/>


== 参考文献 ==
=== 参考文献 ===
* {{Cite book|和書|author=伸二|year=2013|title=騎手一分 競馬真実 |publisher=[[講談社]]|series=講談社現代新書2210|isbn=978-4-06-288210-1|ref={{SfnRef|田|2013}}}}
* {{Cite book|和書|author=田原成貴|year=1997|title=馬上風に吹かれて 競馬風来坊2|publisher=マガジン・マガジン|isbn=978-4-914967-15-4|ref={{SfnRef|田|1997}}}}
* {{Cite book|和書|author=藤田伸二|year=2013|title=騎手の一分 競馬界の真実|publisher=[[講談社]]|series=講談社現代新書2210|isbn=978-4-06-288210-1|ref={{SfnRef|藤田|2013}}}}

=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[騎手一覧]]
*[[騎手一覧]]
* [[中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧]]
*[[中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧]]
*[[滋賀県出身の人物一覧]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Yuichi Fukunaga}}
* [http://www.j-grip.com/jockey/fukunaga/ 福永祐一 | 競馬騎手の公式サイト | TEAM GRIP (チームグリップ) ] (福永祐一公式)
* [https://www.horipro.co.jp/fukunagayuichi/ 福永祐一 | 競馬騎手の公式サイト | ホリプロ ]
* [https://jockey.netkeiba.com/yuichiroom/?pid=profile YU-ICHI ROOM 福永祐一騎手(公式)サイト - netkeiba.com - ]
* {{Twitter|yuichi_fukunaga|福永祐一}} - 2011年1月2日より開始。
* {{Twitter|yuichi_fukunaga|福永祐一}} - 2011年1月2日より開始。
* [http://www.thankshorseproject.com/ Thanks Horse Project(サンクスホースプロジェクト)]


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2024年12月9日 (月) 05:50時点における最新版

福永祐一
国内最終騎乗後セレモニーにて
(2023年2月19日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県栗太郡栗東町
(現栗東市
生年月日 (1976-12-09) 1976年12月9日(48歳)
身長 160.0 cm
体重 51.0 kg[1]
血液型 B型[2]
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 栗東・北橋修二(1996.3.1 - 2006.2.28)
栗東・フリー(2006.3.1[3] - 2023.2.28)
初免許年 1996年
免許区分 平地・障害[4]
騎手引退日 2023年2月28日
重賞勝利 201勝[5]
(中央160勝、地方36勝、海外5勝)
G1級勝利 45勝[5]
(中央34勝、地方6勝、海外5勝)
通算勝利 19497戦2636勝(中央)
593戦87勝(地方)
27戦5勝(海外)
調教師情報
初免許年 2023年
重賞勝利 2勝(中央)
通算勝利 116戦13勝(中央)
経歴
所属 栗東トレーニングセンター
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福永 祐一(ふくなが ゆういち、1976年12月9日[6] - )は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の元騎手で現在は調教師である。は現役時代「天才」と呼ばれた元騎手の福永洋一[7][8]、叔父に元調教師の福永甲福永二三雄、元騎手の福永尚武、北村卓士[9]、義従兄に調教師の福永敏。妻は元フジテレビアナウンサー松尾翠[10]。2016年7月より夫人も所属している芸能事務所のホリプロとマネジメント契約を結んでいる[11]。160 cm, 52 kg[12]。義父は東芝顧問の松尾幸弘

以下、父である福永洋一(洋一)、叔父である福永甲(甲)、福永二三雄(二三雄)、福永尚武(尚武)と区別するため、本文中はとくに「祐一」と表記する。

来歴

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騎手デビュー前

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栗東町立金勝小学校を卒業[13]近江兄弟社中学校時代はサッカーをしていた[14]。中学校二年次に騎手になることを決め、母の猛反対を説得して[14]競馬学校に入学。その前年にも受験していたが、実技テスト前に骨折し、翌年に再受験[15]近江兄弟社高校を中退し[16]、12期生として競馬学校へ進む[17]。同期にはJRA初の双子騎手柴田大知柴田未崎、JRA初の女性騎手細江純子牧原由貴子和田竜二などがいる[18]

騎手時代

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1996年北橋修二厩舎でデビュー[6]3月2日中京競馬第2競走でマルブツブレベストに騎乗し初騎乗初勝利を挙げると続く第3競走でもレイベストメントで勝利し、史上2人目のデビュー2連勝を飾る[19][20]。同日、中京11Rの中日新聞杯GIII)で瀬戸口勉厩舎のオグリワンに騎乗、デビュー日に重賞に騎乗した唯一のJRA騎手である。11月には1987年武豊以来となる新人50勝を達成[21]。12月、第10回香港国際カップのシーズグレイスで海外初騎乗(9着)[22]。この年は最終的に53勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を獲得した[19]

1997年7月22日川崎競馬場(スパーキングナイター)で行なわれた第44回エンプレス杯でシルクフェニックスに騎乗し重賞初制覇。同年11月15日キングヘイローで第2回東京スポーツ杯3歳ステークス(現東京スポーツ杯2歳ステークス)に勝ちJRA重賞初勝利[23]。そのキングヘイローで1998年、第65回東京優駿(日本ダービー)初騎乗。

1999年の第59回桜花賞プリモディーネに騎乗しJRAGI初勝利[6]。しかしその翌週、中京競馬場で施行された第33回小倉大賞典の本馬場入場の際に落馬事故で左腎臓摘出というけがを負う[24][25]。7月に復帰し[26]、第51回朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を自厩舎の所属馬エイシンプレストンで制した[27]

2005年は第22回フェブラリーステークスメイショウボーラーで、第65回桜花賞と第10回NHKマイルカップラインクラフトで、第66回優駿牝馬シーザリオで制したほか、フサイチリシャールで第57回朝日杯フューチュリティステークスを勝利した[28]。またシーザリオでは同年7月3日 [29](現地) アメリカ合衆国ハリウッドパーク競馬場で行われた第4回アメリカンオークス招待ステークスにも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を成し遂げた[30]。また初の年間100勝を達成。

2006年第31回エリザベス女王杯ではフサイチパンドラに騎乗[31]カワカミプリンセスに1位入線[注 1]を許したものの同馬は審議の結果進路妨害で12着に降着となり、フサイチパンドラが2着から繰り上がり優勝[31]。これにより史上6人目、初騎乗から10年8か月10日は藤田伸二の記録を抜いて史上最速でJRA G1全5場制覇。また同年に新設された第1回阪神カップをフサイチリシャールで制し、初代王者となった[32]

2007年には、JpnI競走の優駿牝馬でローブデコルテに騎乗し優勝[33]。2001年から7年連続のGI級競走 (GI・JpnI) 勝利となった。11月29日兵庫県警察宝塚警察署から一日警察署長を委嘱され「年末特別警戒隊発隊式」に出席した[34]

2008年も順調に勝利数を重ねた。9月27日に8811戦目で父・洋一の通算勝利数(983勝)に並んだ(洋一は5086戦目で983勝目をあげている)[35] 。また、11月30日京都競馬場で行われた12Rでオリオンスターズに騎乗し中央競馬史上23人目となるJRA通算1000勝を達成した[36]。また12月6日と7日に行われた第22回ワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS) に、負傷した武豊騎手に代わっての出場[37]。しかし、順調な勝利とは裏腹にこの年はGI競走での勝利がなく、連続勝利記録は7年で途絶えた。

2007年の第68回優駿牝馬以来、GI競走での勝利から遠ざかっていたが、2010年の第62回阪神ジュベナイルフィリーズで1番人気に支持されたレーヴディソールに騎乗し勝利[38]

2011年、第47回札幌記念などサマーシリーズの3レースを勝ち、サマージョッキーズシリーズを2位に15ポイント差で優勝[39]。また、ディープインパクト産駒でブエナビスタの妹ジョワドヴィーヴルにて第63回阪神ジュベナイルフィリーズを連覇[40]岩田康誠との熾烈なリーディングジョッキー争いを制し、16年目で全国リーディングジョッキーとなると同時に、JRA史上初の親子での達成となった[41]JRA賞最多勝利騎手は(地方競馬での)中央・地方交流競走の勝利を含めた勝利数で上回った岩田が受賞し、福永はJRA賞最高勝率騎手を受賞した[42]

2012年6月2日の第65回鳴尾記念トゥザグローリーで勝利、さらに翌日の第62回安田記念を関東馬ストロングリターンで勝利し2005年以来の牡馬牝馬混合GIを制覇。その勢いを持って同日12Rにて行われた第17回ユニコーンステークスもストローハットで勝利し史上初の同一週3重賞勝利を達成[43]。第53回宝塚記念後、8月末までアメリカへ遠征する[44]。なお、第48回札幌記念ダークシャドウに騎乗するため、一時帰国した[45]

2013年3月、松尾翠(元フジテレビアナウンサー)と結婚、8月20日に婚姻届を提出した。翠の父で元陸上自衛隊自衛官松尾幸弘陸将(現・東芝顧問)は義父にあたる。同年10月6日、第64回毎日王冠でJRA重賞100勝を達成[46]10月20日、第74回菊花賞エピファネイアで勝利し牡馬クラシック初制覇と同時に、父・洋一との親子制覇を達成した[47]。さらに10月27日、第148回天皇賞(秋)ジャスタウェイで制覇し、2週連続で八大競走親子制覇を達成した[48]。菊花賞と天皇賞(秋)を同一年に連覇したのは1965年栗田勝以来である。最終的に131勝を挙げ2011年以来となるリーディングジョッキーとなった[49]。この年から始まった初代MVJに選ばれた[6] ほか、中京開催で20勝し、中京開催リーディングジョッキーになった[50]

2014年3月29日の第19回ドバイデューティーフリー(現ドバイターフ)をジャスタウェイで勝利[51]。この年は118勝を挙げるが、全国リーディング4位となった[52]。中京開催で19勝し、2年連続中京開催リーディングジョッキーになった[53]

2015年は、121勝を挙げリーディング1位を走っていたが[54]10月31日の第58回スワンステークスにて、最後の直線でテイエムタイホーが斜行、接触し落馬した[55]。これにより、右肩鎖関節脱臼、右鎖骨剥離骨折と診断されるが[55]、精密検査の結果、右肩のじん帯断裂、右胸骨骨折も明らかになった[56]

怪我後2016年2月13日の京都競馬で復帰し、7鞍に騎乗するも、勝利にはならなかった[57] が、翌日の14日に復帰後初勝利を挙げた[58]

2016年10月16日に行われた第21回秋華賞ヴィブロスで優勝し、JRA・G1レース通算20勝目をマークした[59][60]

2017年7月15日、中京8Rをキセキで勝利し史上8人目のJRA通算2000勝を1万5643戦目で達成[61]。デビューから21年4ヶ月14日、40歳7ヶ月7日での達成は、武豊に次ぐ史上2番目のスピードであった[61]

第85回日本ダービー表彰式
(中央が福永祐一)

2018年5月27日に行われた第85回東京優駿(日本ダービー)を5番人気ワグネリアンで優勝。19回目にして初の日本ダービー制覇を達成した[62]。父が成し遂げられなかった福永家悲願のダービー制覇となった[63]

2019年3月24日、中京競馬場にて開催された第49回高松宮記念ミスターメロディで勝利[64]。レース5日前の3月19日にはキングヘイローが他界しており、かつてのパートナーに捧げる勝利となった[65]。同年12月1日の中京4Rでサヴァイヴに騎乗して1着となり、JRA年間100勝を達成し、年間100勝連続達成記録を10年とし、岡部幸雄(1990年~1998年)と武豊(1992年~2000年)が記録していた連続9年を更新[66]

2020年4月19日、中山競馬場で行われた第80回皐月賞を1番人気コントレイルで優勝。父・洋一との皐月賞父子勝利、史上11人目の5大クラシック完全制覇[67]、世代限定JRAGI[注 2] 完全制覇を達成した[68]

2020年5月31日第87回東京優駿(日本ダービー)をコントレイルで優勝。自身2度目のダービー制覇を果たした[69]。同年10月25日、京都競馬場で行われた第81回菊花賞をコントレイルで優勝、同馬とのコンビで中央競馬クラシック三冠を達成した[70][71]。43歳での達成は三冠騎手としては最年長であった[72]。同年11月21日、阪神4Rで史上9人目のJRA通算18,000回騎乗を達成した[73]

2021年1月10日、中京11R第55回シンザン記念ピクシーナイトで勝利し、史上5人目のJRA通算2400勝を達成した[74][75]。同年5月2日、第163回天皇賞(春)ワールドプレミアで優勝。史上2例目の天皇賞春秋親子制覇と同時に、史上4人目となるJRA重賞150勝を達成した[76][77]。同年5月30日第88回東京優駿シャフリヤールで優勝。前年のコントレイルに続く連覇達成(武豊、四位洋文に続き史上3人目)および、単独2位となる通算3勝目となった[78]。また同時にJRA・G1レース通算30勝を達成した[78]。同年9月26日、中京4Rをドライスタウトで勝利し、史上5人目の通算2500勝を達成した[79]10月3日、第55回スプリンターズステークスピクシーナイトに騎乗し優勝[80]して年間GI3勝目を勝ち取った。12月12日、第23回香港スプリントに前走スプリンターズステークスを制覇したピクシーナイトに騎乗し出走。レースでは後方を進んでいたが、第4コーナーに差し掛かった際前方を進んでいたアメージングスターが転倒。それに巻き込まれる形でピクシーナイトも転倒し、福永は体を投げ出された。事故後も意識ははっきりしており搬送先の病院で左鎖骨骨折と診断された[81]。同月25日に手術を受け、翌年2月の復帰を目指しリハビリに専念[82]

2022年2月5日の中京競馬で復帰し3鞍に騎乗。同日のメインレースであるアルデバランステークスをスマッシングハーツ騎乗で勝利を飾った。同年10月16日阪神1R2歳未勝利でゴッドセンドに騎乗し1着となり、史上4人目のJRA通算2600勝達成[83]。同年12月8日、2023年度新規調教師試験に合格したことが発表され、同時に翌年2月をもって騎手を引退することが告知された[84]。3日後の12月11日、カペラステークスリメイクで勝利。これが騎手として最後のJRA重賞勝利となった。

2023年2月6日、引退式を3月4日に行うことがJRAから発表された。奇しくもこの日は、洋一の最終騎乗となった日でもある。2月9日、佐賀記念バーデンヴァイラーで勝利し、騎手生活最後の重賞勝利を飾った。同年2月19日、東京12Rの大島特別でゲンパチプライドに騎乗(5着)したのが日本での最後の騎乗となり、同25日(現地時間、日本時間26日未明)に行われたリヤドダートスプリントでリメイクに騎乗し3着。27年の騎手生活を終えた。最終年の騎手生活はは2か月だったため、2010年から続いていた年間100勝連続達成記録は2022年で途切れたが連続13年で最長キャリアを保持して引退[85]

調教師転身後

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チューリップ賞において、シルクハット姿で誘導馬ミツバに乗る福永祐一

2023年3月1日付で調教師免許が交付された。厩舎開業までの1年間は技術調教師として活動。本人によれば藤原英昭厩舎での修行を予定していたものの、当の藤原から「(所属した厩舎の)色がつくから、お前はフリーで行け」と言われてしまい所属できず、その影響で厩舎開業まで本業では無収入だった[86]

2023年3月4日、第30回チューリップ賞誘導馬ミツバに騎乗し、出走17頭を先導した。同日行われた引退式ではJRA理事長・後藤正幸などに加え、師匠である北橋修二、主戦騎手を務めたコントレイルの生産者である前田幸治、後輩の川田将雅、競馬学校同期で日本騎手クラブ副会長兼関西地区支部長の後任となる和田竜二日本騎手クラブ会長の武豊からの花束贈呈を受けた。落馬事故以来44年ぶりに阪神競馬場に姿を見せた父・洋一と母・ 裕美子への感謝の花束を渡し、最後の挨拶では両親や北橋への感謝の言葉を涙ながらに伝えた。

2024年、厩舎を開業。同年3月9日、阪神競馬第11Rにレオノーレを出走させ、管理馬初出走。鞍上には武豊を迎え、積極的に逃げるもゴール寸前でハナ差だけ交わされ2着。初出走初勝利はならなかった[87]。同年4月7日、福島競馬8Rでマルカブリッツが1着となり、調教師としての初勝利を挙げた[88]。4月13日アーリントンカップでチャンネルトンネルが重賞初出走で3着。同馬で5月5日のNHKマイルカップにG1初出走も6着。8月18日CBC賞をドロップオブライトが優勝し、人馬ともに重賞初制覇となった。なおCBC賞は騎手時代に2012年から2連覇しており、騎手と調教師の両方で制したことになる[89]

人物

[編集]
  • 現在は競馬学校花の12期生の1人として語られることも多いが、その前年に競馬学校11期生の入学試験を受けている。しかし、直前に負った足の骨折で体力試験をパスできずに不合格。これにより福永は幻の11期生となったが、その後1年間近江兄弟社高等学校に通い[90]、翌年に再受験し合格したため、1歳年上の細江純子以外の同期生は福永より1歳年下である。
  • テレビゲームマニアで、幼少の頃は信長の野望シリーズ三國志シリーズ (どちらもコーエー) に熱中していた他、「イメージトレーニングのため」と称して『ジーワンジョッキー』シリーズ (コーエー) をプレイすることが多く、かつて主戦を務めたキングヘイローも登場する『ウマ娘』もプレイ済み[91]。『ジーワンジョッキー』ではゲーム中に自分自身が実名で登場するため、自分の名前ではなくエディット機能を使用して父・洋一の名前でプレイしている[92]
  • 工藤公康とも馴染みがある[93]
  • 祖父が元調教師である武元唯衣櫻坂46)とも交流があり、幼少期の武元が福永に抱きかかえてもらっている写真を武元がテレビ番組で公開したことがある[94]。武元の所属する櫻坂46の元キャプテンである菅井友香とは2023年9月29日より「菅井友香のウマのおケイコ〜教えて!福永先生〜」(カンテレ)で共演している[95]
  • 妹は引退馬の支援活動を行うTCCセラピーパーク(滋賀県栗東市)の運営に携わっている[96][97]
  • 八大競走は全8レースのうち7つを制覇しているが、二大グランプリの有馬記念だけは最後まで勝てなかった(最高は2022年ボルドグフーシュで2着)。また、前述の通り技術調教師の1年間はほぼ無収入だったこともあり、調教師転身後は意図的に生活レベルを落としている。本人によれば「(騎手時代は)身体に違和感が少しでも生じるとレースに差し支えるから(飛行機では)ビジネスクラスを使っていた」が、調教師になってからは「エコノミークラスでもまったく問題ない」という。同様に宿泊するホテルのランクも下げ、移動もタクシーではなく電車を使うようになったという[86]
  • 騎手として父の名に恥じない活躍をしたので、天才二世と呼ばれる[98]
  • 中央のGIは31勝しているが、ウイニングランのコールは一度も呼ばれたことがない。

GI・JpnI競走勝利

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2018年東京優駿(日本ダービー)勝利騎手インタビュー

斜字は統一GI太字は海外GIを指す)

騎乗成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗・初勝利 1996年3月2日 1回中京1日目3R 4歳未勝利 マルブツブレベスト 16頭 1 1着
重賞初騎乗 1996年3月2日 1回中京1日目11R 中日新聞杯 オグリワン 16頭 6 15着
重賞初勝利 1997年7月22日 5回川崎6日目9R エンプレス杯 シルクフェニックス 7頭 3 1着
JRA・重賞初勝利 1997年11月15日 5回東京5日目11R 東京スポーツ杯3歳S キングヘイロー 12頭 1 1着
GI初騎乗 1996年10月20日 4回京都6日目10R 秋華賞 シーズグレイス 18頭 12 6着
GI初勝利 1999年4月11日 2回阪神6日目11R 桜花賞 プリモディーネ 18頭 4 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 表彰[2]
1996年 53 49 45 518 .102 .197 .284 JRA賞(最多勝利新人騎手)
関西放送記者クラブ賞(敢闘賞)
1997年 62 59 56 692 .090 .175 .256
1998年 52 52 55 635 .082 .164 .250 小倉ターフ賞[115]
1999年 43 39 31 398 .108 .206 .284
2000年 84 71 61 660 .127 .235 .327 小倉ターフ賞[115]
2001年 81 68 69 749 .108 .199 .291
2002年 89 62 78 722 .123 .209 .317 JRA優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門)
2003年 83 78 67 696 .119 .231 .328
2004年 96 81 96 771 .125 .230 .354 JRA優秀騎手賞(賞金獲得部門)
小倉ターフ賞[115]
2005年 109 70 81 811 .134 .221 .321 JRA優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
2006年 88 69 87 820 .107 .191 .298 JRA優秀騎手賞(賞金獲得部門4位)
2007年 82 80 67 744 .110 .218 .308
2008年 86 70 86 804 .107 .194 .301
2009年 93 82 89 825 .113 .212 .320
2010年 109 108 82 809 .135 .268 .370 JRA優秀騎手賞(勝利度数部門4位・賞金獲得部門4位)
関西テレビ放送賞
フェアプレー賞(関西)
2011年 133 98 84 824 .161 .280 .382 JRA賞(最高勝率騎手)
JRA優秀騎手賞(勝利度数部門2位・勝率部門1位・賞金獲得部門2位)
サマージョッキーズシリーズ優勝[39]
関西テレビ放送賞
2012年 115 101 72 741 .155 .291 .389 JRA優秀騎手賞(勝利度数部門5位・勝率部門2位・賞金獲得部門3位)
2013年 131 103 103 844 .155 .277 .399 JRA賞(最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手、MVJ
JRA優秀騎手賞1位
関西テレビ放送賞
2014年 118 111 92 751 .157 .305 .427
2015年 121 112 75 738 .164 .316 .417 関西テレビ放送賞[116]、優秀騎手賞4位
2016年 106 101 70 703 .151 .294 .394 優秀騎手賞4位
2017年 116 85 81 740 .157 .272 .381 JRA優秀騎手賞4位
2018年 103 83 84 689 .149 .270 .392 JRA優秀騎手賞5位
2019年 107 110 84 713 .150 .304 .422 JRA優秀騎手賞5位
2020年 134 91 85 698 .192 .322 .444 JRA優秀騎手賞4位
2021年 123 92 92 687 .179 .313 .447 JRA優秀騎手賞4位
2022年 101 72 82 610 .166 .284 .418 関西競馬記者クラブ賞
2023年 18 14 10 105 .171 .305 .400
中央 2636 2211 2064 19497 .135 .249 .354

出典:JRA騎手名鑑(累計成績は2023年12月31日現在)

タイトル

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騎手としての評価

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  • 1990年代の評価
    • 田原成貴はJRA所属の騎手であった当時出版した著書(『馬上の風に吹かれて 競馬場の風来坊2』)において、福永は武豊横山典弘と比較すると、騎手としての素質をさほど持ち合わせていないと評している[117]。田原は、福永の問題点として、「一生懸命、上半身を柔らかくしようとしているけど、下半身が固いから、努力だけで終わってる」と指摘している[117]。また田原は、この著書を出版した1997年頃から福永の自宅へ出向き、細かい扶助から馬の動かし方まで、マンツーマンでいろいろと指導を行っていた[118][119]。福永曰く「研修生」のような状態であり、1998年皐月賞レース直後には「下手くそ!」「お前、今日のレースは勝ってたぞ」と調整ルームにて酷評されている[118]
  • 2000年代の評価
    • デビュー当時(2004年)藤岡佑介騎手は、福永騎手について、当時のトップジョッキーの雰囲気と比較して、"無邪気に楽しく馬に乗っている"という印象を語っている[120]
  • 2010年代の評価
    • 競走馬に競馬を教える手腕を評価する声があり、JRA美浦所属の調教師堀宣行、JRA栗東友道康夫厩舎所属の安田助手がインタビューで言及している[121][122]
    • JRA所属騎手の小牧太は、「(福永を)すごく応援してる。人間性がね、すごく好きやねん。この人が上に立って、引っ張っていってくれたらいいなぁって思う。彼はそれくらいの精神力を持っている気がするから。」「(福永は)よう考えてる、いろいろね。彼は賢いねんな。アメリカに行って、乗り方もレベルアップしたと思うよ。」[123]「彼はとにかく賢いし、黙々と頑張ってる感じやね。彼自身で変わったことといえば、結婚していいパパになったことくらいでしょう。騎手クラブの仕事も一生懸命にやってくれて、ホンマに責任感の強い子やね。」[124] と評価している。
    • 藤田伸二はJRA所属の騎手であった当時出版した著書(『騎手の一分 競馬界の真実』)において、福永の騎乗フォームについて、「おそらく体が硬い」ことが原因で騎乗時に馬と体の間にムダな隙間が生じてバランスが非常に悪く、また騎乗技術に長けた騎手に比べ体重が後ろにかかっているため懐が大きく開き、膝でバランスをとろうとして膝がガックンガックン動いてしまっている、と指摘[125]。加えて「勝ちにこだわった騎乗」もできておらず、「強い馬に乗せてもらっているから勝っている」に過ぎない、と評している[126]。また福永自身がしばしばJRAの制裁対象となっているにもかかわらず、若手騎手に対しては安全に配慮した騎乗ができていないと調整ルームで「威圧している」とし、批判している[127]。ただし、藤田は現役引退後にスタートした自身のオフィシャルサイト内のコラムでは「(福永は)己の技術を知ってるからこそ、今でも先輩らに耳を傾ける人間なんだよ。だから人格って凄いよな!俺が真似出来たら、まだ現役だよ!」[128] と人格に関しては評価をしており、レース回顧においては福永の騎乗を褒める記述も見られる[129][130]
    • JRAに所属していた元騎手の坂井千明はブログの中で、2013年菊花賞における福永(エピファネイア騎乗)について、「祐一の抑え方もうまかったよ。手綱を引っ張っていても、拳は上げないで自分の重心を後ろに持っていく感じ。ハミを噛んではいても、頭が上がらないようにうまくバランスを取っていたよ。もし、頭を上げたら馬とケンカになって、抑えが利かなくなっていたと思う。」[131] と評価している。
    • JRA所属騎手(当時。現・JRA調教師)の四位洋文は対談において、「デビューした頃の祐一はひどかったもんなぁ(笑)。」[132] としつつも、「祐一は本当に頑張ったよ。今でも本当に頑張っている。祐一は頭がいいから、他のジョッキーに比べて自分をプロデュースする能力に長けているんだと思う。俺に祐一の頭の良さがあったら、もっとすごいジョッキーになれたのになぁ。」「無意識に自分をプロデュースできているんだろうね。だから、誰からも好かれるし、その結果、いい波がどんどんくる。」[133] と人となりを評価している。
    • 大井競馬所属騎手の的場文男は対談において、「祐一くんの騎乗フォームなんか、本当にキレイだもんね。道中も直線も本当にキレイに乗ってくる。馬はものすごく楽だと思うよ。」[134] と評価している。
    • 東京スポーツ記者虎石晃はコラムの中で、2016年8月28日朱鷺ステークス[135]における福永の騎乗について、「最大の衝撃は10Rのペイシャフェリスを1着に導いたこと。これはまさに神がかり。」[136] と評価している。また、JRA美浦所属の調教師中川公成の「あまりいいこと言わない人が多いけど、福永って上手いと思うんだけどな」との意見に対し、虎石は「G1となると、先週のような消極的な面が出てしまうけれど、平場は、先生が言う通り、上手いですよ。スタートセンスは抜群だし、往々にして勝てる位置で競馬をしてくれますから。」と答えている[137]
  • 2020年代の評価
    • 田原成貴Numberのインタビューにおいて、「まず、何度も言っている騎手の重心と馬の支点。同じ馬でも、スタートしたときや、道中、それに追うときといろいろ変わってくるのですが、祐一君は、それを瞬時にポンと合わせられる。そしてそこからあまり揺れないし、動かない。お父さんほどではないけど、すごいなと思う。あと、コントレイルで無敗の三冠を獲る前から、例えば、本質的には中距離がベストの馬に長距離でもいいパフォーマンスを発揮させるなど、馬の能力を補う乗り方ができるようになっていた。それがコントレイルとのコンビで顕著に表れたんでしょうね。もともと頭がいいんだから、それに一番大事な馬乗りが追いついたら、やっぱり無敵になりますよ。それに、いろんなタイプの馬に乗ったことで感性も磨かれましたね」[138]と評価している。

調教師成績

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2024年3月6日付けで厩舎を開業した[139]。同年3月5日付けで定年引退する安田隆行厩舎から重賞勝ち馬ダノンスコーピオンや騎手時代にコンビを組み重賞制覇を果たしたデュアリスト等を引き継いだ[140]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2024年3月9日 1回阪神5日11R コーラルステークス レオノーレ 16頭 2 2着
初勝利 2024年4月7日 1回福島2日8R 4歳以上1勝クラス マルカブリッツ 16頭 4 1着
重賞初出走 2024年4月13日 2回阪神7日11R アーリントンカップ チャンネルトンネル 16頭 4 3着
重賞初勝利 2024年8月18日 2回中京4日11R CBC賞 ドロップオブライト 18頭 6 1着
GI初出走 2024年5月5日 2回東京6日11R NHKマイルカップ チャンネルトンネル 18頭 12 6着
GI初勝利

主な管理馬

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雑誌

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  • 週刊プレイボーイ「競馬の神髄」 (2代目執筆者) →「福永祐一のリーディング一直線」 (いずれも連載終了)

写真集

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脚注・出典

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参考文献

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  • 田原成貴『馬上の風に吹かれて 競馬場の風来坊2』マガジン・マガジン、1997年。ISBN 978-4-914967-15-4 
  • 藤田伸二『騎手の一分 競馬界の真実』講談社〈講談社現代新書2210〉、2013年。ISBN 978-4-06-288210-1 

注釈

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  1. ^ ゴールに馬体の先端(脚部は含まない)が到達(ゴール)」すること。
  2. ^ 桜花賞・皐月賞・NHKマイルC・オークス(優駿牝馬)・日本ダービー (東京優駿)・秋華賞・菊花賞・朝日杯FS (←朝日杯3歳S)・阪神JF・ホープフルSの10レース(2020年時点)

出典

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関連項目

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外部リンク

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