横山典弘
横山典弘 | |
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第91回東京優駿(日本ダービー)優勝時 (2024年5月26日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都府中市 |
生年月日 | 1968年2月23日(56歳) |
身長 | 163.0cm |
体重 | 49.0kg |
血液型 | O型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA・美浦トレーニングセンター |
所属厩舎 | フリー |
初免許年 | 1986年 |
免許区分 | 平地[1] |
重賞勝利 | 218勝(中央186勝、地方32勝) |
G1級勝利 | 33勝(中央27勝、地方6勝) |
通算勝利 |
21220戦2938勝(中央) 287戦53勝(地方) |
経歴 | |
所属 |
石栗龍雄(美浦) →フリー |
横山 典弘(よこやま のりひろ、1968年2月23日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手。美浦トレーニングセンター所属で現在はフリー。
来歴
[編集]父は元JRA騎手の横山富雄、兄も元JRA騎手の横山賀一(ただしJRAの騎手免許は典弘のほうが先に取得している)。長男の横山和生、三男の横山武史はともにJRA騎手。さらに叔父に元JRA調教師の奥平真治がおり、身内に競馬関係者が多数存在するなかで育つ。そのほか、義弟(妹の夫)に元JRA騎手・JRA調教師の菊沢隆徳が、甥にJRA騎手の菊沢一樹がいる。
なお、競馬新聞ではデビュー当時は横山雄一と、現在は横山琉人(横山義行の息子)および息子の和生、武史と区別するため、横山典と表記されている。
1986年3月1日、中山競馬第2競走でデビュー(リキアイシンプウに騎乗し12頭立ての3着)。初勝利は同年4月29日の東京競馬第12競走のキオイゴッド。デビュー年は8勝と奮わなかったが、翌年は31勝(障害競走1勝も含む)を挙げる。3年目の1988年にはウインターステークスでソダカザンに騎乗し重賞初制覇。
1990年にはキョウエイタップでエリザベス女王杯を制し初めてのGIタイトルを獲得。1991年にはメジロライアンとのコンビで宝塚記念を制する。その後も着実に勝ち星を積み重ね、1995年には自身初の年間130勝を達成。初めての関東リーディングジョッキーとなる。この年のマイルチャンピオンシップではトロットサンダーに騎乗し3つ目のGIタイトルを獲得。また、12月のワールドスーパージョッキーズシリーズで4戦中3勝という離れ業を見せ初出場にして優勝を成し遂げる[2]。
1996年は同年に引退した小島太に代わりサクラローレルの主戦騎手となり、同馬で天皇賞(春)、有馬記念を勝利。他にもトロットサンダーで安田記念を制したほか、砂の女王と呼ばれたホクトベガの鞍上を務め川崎記念(2勝)、フェブラリーステークス(当時はGII)、帝王賞などの地方交流ダート重賞を制した。
1997年はドバイワールドカップでホクトベガに騎乗したが、落馬して競走中止。同馬は予後不良となってしまう。しかし同年の秋、タイキシャトルとのコンビでスワンステークスとマイルチャンピオンシップを制した。これは主戦騎手の岡部幸雄が、同じ厩舎のシンコウキングとのコンビでスワンSとマイルCSに出走するための代打騎乗であった。
1998年にはセイウンスカイとのコンビで皐月賞、菊花賞を逃げ切ったほか、秋に騎乗停止処分を受けた武豊の代わりにエアグルーヴに騎乗した(エリザベス女王杯はメジロドーベル(吉田豊)の3着、ジャパンカップはエルコンドルパサー(蛯名正義)の2着)。
以後はブラックホークとのコンビでスプリンターズステークスと安田記念に勝利し、シンボリインディでNHKマイルカップを、メジロベイリーで朝日杯3歳ステークス(2000年)を制した。2004年には天皇賞(春)においてイングランディーレに騎乗し、単勝10番人気の低評価ながら大逃げを打ち、2着に7馬身差をつけ勝利する。
2005年11月5日には東京競馬の第2競走で通算1600勝を達成すると、第7競走まで6連勝し、JRAの連続施行競走連続勝利の新記録を達成した。なお、この日の騎乗馬はすべて3着以内で馬券に絡んでいる[3]。
2007年、10月26日に発表されたJRA競馬学校騎手課程27期生の合格者の中に和生が含まれていることが明らかになった。11月17日には東京スポーツ杯2歳ステークスをフサイチアソートに騎乗して制し、この勝利と同時に4年連続、自身8度目となるJRA年間100勝を達成した[4]。
2008年は、6月15日の第25回エプソムカップ(サンライズマックス)で、この年の重賞6勝目を記録。これがJRA重賞競走通算100勝目となるメモリアル勝利ともなった[5]。
2009年2月7日の小倉大賞典をサンライズマックスで制覇。これにより新潟競馬場を残し、JRA全10競馬場重賞制覇に王手を掛けた[6]。
同年3月1日の中山記念をカンパニーで連覇を果たすと翌週の3月7日にはアーバニティでオーシャンステークスを制覇。さらにその翌日もロジユニヴァースで弥生賞を制覇。その翌週の中山牝馬ステークスではトップハンデを背負った桜花賞馬キストゥヘヴンに騎乗、このレースで引退、繁殖入りが決まっていた同馬を勝利に導き有終の美を飾らせる。横山典弘は自身初の4連続の重賞勝利となった[7][8]。
同年5月31日の日本ダービーをロジユニヴァースで勝利、デビュー24年目、15回目のダービー挑戦にして悲願のダービー制覇を達成し、ついにダービージョッキーの称号を手にした[9]。なお、美浦所属の騎手によるダービー勝利は1997年の大西直宏以来12年ぶりのことである。また、2006年12月の大西の引退以来、美浦所属のダービージョッキーが不在という、美浦所属騎手の暗黒時代が続いていたが、横山がそれにひとまずのピリオドを打つことともなった[10][11][注 1]。
同年7月18日、札幌競馬場第12競走の3歳以上500万下でスギノブレイドに騎乗し、勝利。史上5人目となる2000勝を達成した[12][13]。
同年の11月1日の天皇賞(秋)ではカンパニーとともにGI制覇を果たし、横山は秋の天皇賞20年連続20回目の挑戦にして初の勝利を果たした。8歳馬による平地競走のGI競走制覇はJRAでは史上初となり、2008年の中山記念からコンビを組んでいた横山自身も「人間の想像を超えた馬。」とカンパニーを称えた。その後、カンパニーの引退レースとなったマイルチャンピオンシップでも1番人気に応え勝利した[14]。
12月にはワールドスーパージョッキーズシリーズで、1995年以来自身2度目の優勝を果たす[15]。有馬記念では二冠牝馬ブエナビスタの騎乗を任され、初騎乗で今までと違う騎乗を求められていた横山は今まで見せたことのない先行策に出るが惜しくも2着となった[16][17]。
2009年の横山は2年連続となる重賞二桁勝利、日本ダービーを含めた3つのGI制覇、2000勝達成、ワールドスーパージョッキーズシリーズ優勝などの顕著な活躍が認められ、2009年度の東京競馬記者クラブ賞特別賞を受賞した[18]。
2010年には、4週連続重賞勝ち(京成杯・エイシンフラッシュ、アメリカジョッキークラブカップ・ネヴァブション、東京新聞杯・レッドスパーダ、シルクロードステークス・アルティマトゥーレ)を記録した[19]。その後も早いペースで重賞勝利を積み重ねていき、5月16日のG1レースヴィクトリアマイルで2010年の重賞10勝目を挙げ、2008年から3年連続となる重賞二桁勝利を果たした。なお、過去最速は1998年10月11日にセイウンスカイで勝利した京都大賞典での10勝目だったため、約5か月速い上半期での重賞二桁勝利となった。さらに翌週のG1優駿牝馬でも1着同着ながら勝利したが、この勝利は優駿牝馬史上初となる父子騎手制覇(父の横山富雄は1978年の第39回優駿牝馬をファイブホープで制覇)でもあった。同年9月26日の中山競馬場第3競走で落馬負傷し頚髄損傷、頭蓋骨骨折の重傷を負い、当初は騎手生命の危機にさらされていたが[20]、1か月後の10月27日には美浦トレーニングセンターに姿を現し、当日対面した武豊が自身のホームページで「ジャパンカップあたりでは馬に乗っていそう」と述べるほどの回復を見せ[21]、11月13日に復帰を果たした。こうしたアクシデントなどによる長期間のブランクに見舞われながらも、この年は120勝を挙げ、自身初の中央競馬全国リーディングジョッキーに輝いたものの、JRA賞最多勝利騎手の受賞は内田博幸に譲る結果となった。これは、地方競馬との指定交流競走を含めた場合、内田が125勝、横山が121勝となったためである。JRA賞はJRA賞最高勝率騎手を受賞した[22]。JRAのみの算出では勝利数・勝率・最多賞金獲得3部門で1位となっており[23]、2013年のルール改定が適用されていればJRA賞騎手大賞の対象となった。
2013年の夏競馬は、例年騎乗していた北海道シリーズではなく福島、新潟で騎乗。夏の福島開催ではリーディングに輝いた[24]。
2014年は7年ぶりの台覧競馬となった5月の日本ダービーで、ワンアンドオンリーに騎乗して自身二度目の制覇を達成。ワンアンドオンリーの父は2004年のダービーで自身が騎乗して2着に敗れたハーツクライであり(優勝馬はキングカメハメハ)、その父と同じく橋口弘次郎調教師の管理馬で、同師は通算20回目の挑戦で初のダービー制覇を果たした[25]。台覧に訪れた当時皇太子の徳仁(現・第126代天皇)と横山、ワンアンドオンリーとその馬主である前田幸治は誕生日が同じである[26]。
同年10月11日、新設された重賞第1回いちょうステークスをクラリティスカイで勝利し、史上3人目となるJRA通算2500勝を達成[27]。なお重賞いちょうステークスは第1回のみで名称変更されたため唯一の勝利ジョッキーとなる。
同年12月6日、第48回ステイヤーズステークスで、デスペラードに騎乗し、同レース連覇を達成。同レース現役最多記録をさらに伸ばし、歴代2位タイの5勝目となる[28]。
2015年10月10日いちょうステークスから名称変更された第1回サウジアラビアロイヤルカップをブレイブスマッシュで制し[29]、2年連続で第1回となる同重賞レースの優勝ジョッキーという珍しい記録を達成。
2016年9月4日、第52回新潟記念をアデイインザライフで勝利。これで安田富男元騎手、武豊騎手、藤田伸二元騎手に次いで、中央競馬史上4人目のJRA全10場重賞制覇を達成。30年6か月4日での達成は、安田富男元騎手を上回る最長キャリアでの達成である[30]。
2017年7月30日、第65回クイーンステークスをアエロリットで勝利。これにより、現行のJRA北海道重賞8競走[注 2]を完全制覇。史上初の快挙[注 3]となった[31]。
正式には美浦所属であるが、2021年10月から昆貢の誘いを受ける形で事実上栗東トレーニングセンターを拠点に移し、騎乗を続けている[32][33]。
2023年9月2日、札幌2歳ステークスでのパワーホールに騎乗し2着であったが息子の武史が1着となり、重賞レースでの騎手の親子によるワンツーはグレード制導入後では初[34]。9月9日には紫苑ステークスをモリアーナで制し、柴田善臣の持っていたJRA重賞最年長勝利記録を更新する。なお2着は息子の武史で2週続けての重賞レースでの騎手の親子ワンツーとなる[35]。
2024年1月14日、京成杯をダノンデサイルで優勝し、自身が持つJRA重賞最年長勝利記録を55歳10カ月に更新した[36]。なお2着は息子の武史でJRA史上3回目の重賞レースでの騎手の親子ワンツーとなる[37]。さらに2月25日には中山記念をマテンロウスカイで制し、最年長記録を56歳3日に更新する[38]とともに、中山記念を6勝として、自身が持つ同レースの歴代最多勝利記録も更新[39]。
同年3月10日、中京7Rの4歳以上1勝クラスをアイルシャインで勝利し、歴代2位の岡部幸雄(2943勝)まであと1とした[40]。その後同馬で同年5月4日に行われた京都12Rの4歳上2勝クラスを勝利し、歴代2位の岡部幸雄とタイとなった[41]。更にその翌日の5月5日に行われた新潟8Rの4歳上1勝クラスをハワイアンタイムで勝利し、岡部幸雄を超える歴代2位の通算2944勝を記録した[42]。
同年5月26日、第91回東京優駿をダノンデサイルで制覇。武豊の持っていたGI並びに東京優駿の最年長勝利記録を更新した[43]。
なお、本節における脚注のないレース結果や騎乗馬、勝利数の情報については、JRAホームページ(データファイル)、および競馬四季報1986年冬号~2015年秋号(~2000年:関東版/関西版、2001年~:全国版)の情報に基づいている。
成績表
[編集]本節は、JRAホームページ(データファイル)、および競馬四季報1986年冬号~2015年秋号(~2000年:関東版/関西版、2001年~:全国版)の情報に基づく。
年 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1986年 | 8 | 9 | 15 | 123 | .065 | .138 | |
1987年 | 31 | 26 | 30 | 273 | .114 | .209 | |
1988年 | 26 | 24 | 29 | 232 | .112 | .216 | |
1989年 | 49 | 50 | 46 | 377 | .130 | .263 | |
1990年 | 73 | 51 | 58 | 499 | .146 | .248 | 優秀騎手賞(賞金獲得部門) |
1991年 | 54 | 63 | 45 | 501 | .108 | .234 | |
1992年 | 64 | 55 | 56 | 536 | .119 | .222 | 優秀騎手賞(勝利度数部門) |
1993年 | 64 | 57 | 46 | 539 | .119 | .224 | |
1994年 | 75 | 77 | 74 | 628 | .119 | .242 | |
1995年 | 130 | 109 | 86 | 744 | .175 | .321 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) 関東リーディング ワールドスーパージョッキーズシリーズ優勝 |
1996年 | 126 | 96 | 87 | 703 | .179 | .316 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) |
1997年 | 94 | 88 | 59 | 646 | .146 | .282 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門) |
1998年 | 104 | 71 | 90 | 658 | .158 | .266 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) フェアプレー賞(関東) |
1999年 | 92 | 92 | 82 | 733 | .126 | .251 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門) |
2000年 | 101 | 84 | 79 | 706 | .143 | .262 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) 通算1000勝達成 |
2001年 | 97 | 122 | 94 | 750 | .129 | .292 | 優秀騎手賞(賞金獲得部門) |
2002年 | 93 | 69 | 56 | 594 | .157 | .273 | 優秀騎手賞(勝率部門) |
2003年 | 90 | 96 | 62 | 734 | .123 | .253 | 優秀騎手賞(賞金獲得部門) |
2004年 | 116 | 95 | 74 | 748 | .155 | .282 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) フェアプレー賞(関東) |
2005年 | 134 | 103 | 89 | 770 | .174 | .308 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) 関東リーディング(2回目) |
2006年 | 113 | 87 | 61 | 660 | .171 | .303 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門) 関東リーディング(3回目) |
2007年 | 106 | 87 | 76 | 704 | .151 | .274 | 優秀騎手賞(勝率部門) |
2008年 | 95 | 71 | 68 | 685 | .139 | .242 | 優秀騎手賞(勝率部門・賞金獲得部門) 重賞100勝達成(史上5人目) |
2009年 | 106 | 97 | 86 | 723 | .147 | .281 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) フェアプレー賞(関東)日本ダービー初制覇 ワールドスーパージョッキーズシリーズ優勝(2回目) 通算2000勝達成(史上5人目) 日本ダービー初制覇 |
2010年 | 120 | 73 | 56 | 594 | .202 | .325 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門) JRA賞(最高勝率騎手) 全国リーディング(JRAでの成績のみ) |
2011年 | 95 | 76 | 67 | 648 | .147 | .264 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門) |
2012年 | 112 | 82 | 62 | 621 | .180 | .312 | JRA賞(最高勝率騎手) |
2013年 | 83 | 72 | 63 | 670 | .124 | .231 | |
2014年 | 76 | 66 | 69 | 644 | .118 | .220 | 通算2500勝(史上3人目) 日本ダービー2勝目 |
2015年 | 57 | 54 | 55 | 565 | .101 | .196 | |
2016年 | 54 | 45 | 45 | 529 | .102 | .187 | JRA全10場重賞制覇達成 |
2017年 | 45 | 39 | 36 | 435 | .103 | .193 | フェアプレー賞(関東) |
2018年 | 49 | 39 | 33 | 442 | .111 | .199 | |
2019年 | 43 | 35 | 39 | 394 | .109 | .198 | |
2020年 | 63 | 45 | 36 | 421 | .150 | .257 | |
2021年 | 26 | 31 | 29 | 253 | .103 | .225 | |
2022年 | 36 | 45 | 28 | 391 | .092 | .207 | フェアプレー賞(関東) |
2023年 | 36 | 28 | 39 | 334 | .108 | .192 | |
中央 | 2936 | 2509 | 2205 | 21207 | .138 | .257 |
※通算勝利数には障害競走1勝を含む。2023年12月31日現在。
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1986年3月1日 | 2回中山3日2R | 4歳未勝利 | リキアイシンプウ | 12頭 | 2 | 3着 |
初勝利 | 1986年4月29日 | 2回東京4日12R | 5歳上900万円下 | キオイゴット | 10頭 | 7 | 1着 |
重賞初騎乗 | 1986年8月17日 | 1回函館6日9R | 函館記念 | キオイゴット | 11頭 | 11 | 11着 |
重賞初勝利 | 1988年12月4日 | 3回中京4日11R | ウインターS | ソダカザン | 15頭 | 4 | 1着 |
GI初騎乗 | 1988年4月17日 | 3回東京8日10R | 皐月賞 | メイブレーブ | 18頭 | 15 | 失格 |
GI初勝利 | 1990年11月11日 | 4回京都4日10R | エリザベス女王杯 | キョウエイタップ | 18頭 | 8 | 1着 |
受賞歴
[編集]GI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)
[編集](カッコ内は騎乗馬名。また斜字は交流GI、太字は海外GIを指す)
- 1990年
- 1991年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- マイルチャンピオンシップ(タイキシャトル)
- マイルチャンピオンシップ南部杯(タイキシャーロック)
- 1998年
- 皐月賞(セイウンスカイ)
- 菊花賞(セイウンスカイ)
- 阪神3歳牝馬ステークス(スティンガー)
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 安田記念(ブラックホーク)
- 2004年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- ジャパンダートダービー(グレープブランデー)
- 2012年
- ヴィクトリアマイル(ホエールキャプチャ)
- 2014年
- 2015年
- 2017年
- 2018年
- 2024年
JRA28勝・交流6勝(2018年JBCレディスクラシックをJRAで計算に含めた値。<交流GIに算入した場合、JRA27勝・交流7勝>)
※JRAホームページ上にJBCレディスクラシック勝利の記載が有り、JRA競馬場(京都)の為、JRAでの勝利扱いが妥当と思われる。
GI騎乗に関する記録
[編集]- 自身のGI初騎乗となったのが1988年の皐月賞(このときは東京競馬場での開催)で、メイブレーブに騎乗したが進路妨害で7位入線も失格・騎乗停止となった。このとき、武豊騎乗の15位入線マイネルフリッセも進路妨害で失格・騎乗停止となり、GI級競走では異例の複数頭の失格となった。当時は降着制度が導入されておらず、競走中止馬がなくても進路妨害で失格となるケースがあった[47]。
- G1初勝利を挙げた1990年のエリザベス女王杯で、喜びのあまりゴール前にガッツポーズを見せてしまい、あとで裁決委員より戒告処分を受ける。このレースの実況を担当した杉本清は、「ゴールに入る前から横山典弘ガッツポーズ!」と伝えている[48]。
- イングランディーレでの天皇賞(春)[49]やセイウンスカイでの菊花賞[50]など京都競馬場の長距離GIで優れた実績を残しており、ゴールドシップに騎乗して臨んだ2015年天皇賞(春)では最後方から淀の坂の手前で超ロングスパートをかける「非常識さ」[51]で勝利を飾っている[52][53][注 4]。
- GIで2着になることが多い。GI2着は通算57回(JRAでは48回)。NHKマイルカップとエリザベス女王杯では2着を5回も経験している。菊花賞では2003年から2006年にかけて4年連続2着という記録を残している[54]。
- 桜花賞にはなぜか縁がなく、1991年の初騎乗から優勝はもちろん2着もない(最高位3着が3回)。2024年現在、八大競走のうち、制していないのは桜花賞のみである。なお父の横山富雄は1973年の桜花賞をニットウチドリで制している[55]。
エピソード
[編集]- かつては競馬場以外のマスメディアにはあまり姿を見せず、一時期はJRAの機関広報誌『優駿』以外の競馬雑誌に登場することも少ない人物であった。
- 騎手デビュー後、平地・障害免許を取得しており、実際に障害競走にも騎乗した経験がある。障害戦成績は12戦1勝[56]。後年、障害免許は返上している。
- 「ノリが吹いたら切れ」という格言が競馬ファンの間にあり、概して有力馬の騎乗機会を得てレース前にマスコミ陣に対して多弁になった場合、そのレースでは敗れる傾向があるとされる[要出典]。2009年の皐月賞で1番人気ロジユニヴァースで14着に敗戦した後「僕が吹いたから負けたんですかね」という発言もあった[57]。
- ホクトベガが競走中止・予後不良となったドバイワールドカップから帰国後、ショックで自殺も考えるほど追い詰められていた。しかし、応援してくれるファンや関係者の言葉が思いとどまらせてくれたという[要出典]。
- 2006年の天皇賞(春)でディープインパクトに敗れたレース後には「(騎乗馬リンカーンの)生まれた時代が悪かった」との言葉を残す[58]。
- 重賞を制した際、ランフランコ・デットーリのように馬上からジャンプして降りるパフォーマンスを見せている[59]。
- スープカレーが好きであり[60]、同期の松永幹夫とともに、競馬サークル内にスープカレーを広めたのも横山である。
- 岡部幸雄の騎手引退に伴うセレモニーで同騎手を神輿に乗せてパドックを周回することを発案した[61]。
- 岡部の引退後、好物であった酒を断っていたが、『サラブレ』2008年9月号掲載の四位との対談において、酒はまた飲み始めたとコメントしている。
- 2007年4月に東京競馬場で行われたジョッキーマスターズで、後藤浩輝騎手、細江純子元騎手とともに誘導馬の騎手を務める[62]。
- 騎手では柴田善臣、武豊と親しい。また、競馬学校からの友人で同期の松永幹夫調教師に初勝利(2007年3月25日、中京競馬第7競走でアグネススピリッツに騎乗)をプレゼントした[63]。
- 岩田康誠が尊敬している人物として真っ先に名前を挙げるのがこの横山である[64]。
- 長らく自動車免許を取得せず、2001年のGO!JRAジョッキーキャンペーンの「愛車」欄には「セイウンスカイ」と記載されていた。自宅から美浦トレーニングセンターへは自転車通勤をしていたが、2013年に自動車免許を取得した[65]。
- 中山記念とは非常に相性が良く、1996年にサクラローレルで初勝利を挙げて以来、2024年までに歴代最多となる6勝を挙げている。このため、メディアからは「中山記念男」の愛称をつけられている[38]。
テレビ出演
[編集]- 驚きももの木20世紀(1999年4月16日) - ホクトベガの特集の回にVTR出演した。
- サタうま(2008年12月6日)
- 武豊TV!II(2009年7月9日)
- DREAM競馬(2009年11月8日)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2009年東京優駿終了時点で、中央競馬における現役のダービージョッキーは藤田伸二、武豊、角田晃一、安藤勝己、石橋守、四位洋文、横山典弘の7人である[11]。
- ^ 札幌記念(1965~)、函館記念(1965~)、札幌2歳ステークス(1966~)、函館2歳ステークス(1969~)、函館スプリントステークス(1994~)、エルムステークス(1996~)、クイーンステークス(北海道開催は2000~)、キーンランドカップ(2006~)の8競走
- ^ ただし、柴田政人元騎手が1988年のタマツバキ記念制覇により当時施行されていた6重賞(札幌記念・函館記念・札幌3歳S・函館3歳S・セイユウ記念・タマツバキ記念)の完全制覇を達成している(同騎手は以降の新設重賞は勝利していない)
- ^ なお京都競馬場の3コーナー手前の通称「淀の坂」でスパートを掛ける行為は、2012年の菊花賞において内田博幸が同馬に騎乗していた際にも行われている。
出典
[編集]- ^ “平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月7日閲覧。
- ^ ワールドスーパージョッキーズシリーズ1987-2008(JRAホームページ内)
- ^ JRAホームページ 年度別全成績 2005年第5回東京(pdfファイル)
- ^ ラジオNIKKEI 横山典弘騎手がJRA年間100勝達成
- ^ 横山典弘騎手が重賞100勝を達成[リンク切れ]
- ^ 横山典が全10場重賞Vに王手/小倉大賞典
- ^ 関係者をうならせたベテラン横山典の妙技/トレセン発秘話
- ^ ラジオNIKKEI 【中山牝馬S(GIII)】(中山)~キストゥヘヴン 有終V
- ^ JRAホームページ 過去GI成績 第76回 東京優駿(日本ダービー)
- ^ 競馬情報のJRA-VANトップ>競馬かわらVAN(リレーコラム)>第47回 ロジユニヴァースの宿命
- ^ a b 競馬ブックweb 日本ダービーアラカルト
- ^ ラジオNIKKEI 横山典弘騎手、JRA通算2000勝達成!
- ^ 日刊スポーツ 横山典家族の前で2000勝「60歳まで現役」
- ^ 朝日新聞デジタル 「熟年の星」といわれたカンパニー
- ^ ワールドスーパージョッキーズシリーズ騎乗馬一覧・結果(JRAホームページ内)
- ^ 日刊スポーツ ブエナに横典!オークス後未勝利で新風
- ^ JRAホームページ 過去GI成績>第54回 有馬記念
- ^ 内田騎手に東京競馬記者クラブ賞(nikkansports.com)
- ^ スポニチANEX 【シルクロードS】横山典トゥーレで4週連続重賞V
- ^ 日刊スポーツ 横山典頭蓋骨骨折の重傷だった
- ^ 武豊オフィシャルサイト 日記・コラム(2010年10月28日)
- ^ ラジオNIKKEI 2010年度JRA賞発表~年度代表馬はブエナビスタ
- ^ JRAホームページ 2010年度 リーディングジョッキー(全国)【勝利度数順】
- ^ 福永騎手が中京リーディング、福島リーディングは横山典騎手(netkeiba.com)
- ^ 『優駿』2014年7月号、pp.24-27
- ^ [1] - 産経ニュース
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- ^ “【サウジアラビアRC】ブレイブスマッシュが接戦制し重賞初∨ - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年1月14日閲覧。
- ^ 【新潟記念】アデイ大外強襲V!横山典全10場重賞制覇[リンク切れ]
- ^ 【クイーンS】GI馬の貫禄!アエロリット古馬を圧“逃”
- ^ 横山典弘騎手 絶好調ウラに栗東で単身赴任と「アンチ外厩」の意地 - FRIDAYデジタル 2022年3月8日
- ^ ケイバ熱盛ブログ「横山ノリさんの“なるほど”な話」(12月18日)/ケイバ熱盛ブログ - デイリースポーツ online 2021年12月18日
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- ^ 松田直樹. “今週も横山親子ワンツー!父典弘のモリアーナが息子武史のヒップホップソウルを捉える/紫苑S - 競馬 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年1月14日閲覧。
- ^ “【京成杯】ダノンデサイルV!!55歳10カ月の横山典弘、JRA重賞史上最年長勝利 2着は息子の武史 - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年1月14日閲覧。
- ^ “京成杯&日経新春杯はレア記録がズラリ! 「3度目の親子ワンツー」に「関東騎手34年ぶり制覇」”. 東スポ競馬 (2024年1月14日). 2024年1月14日閲覧。
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- ^ “56歳3日“中山記念男”横山典弘またJRA最年長重賞V更新!マテンロウスカイ導く/中山記念|極ウマ・プレミアム”. p.nikkansports.com. 2024年2月25日閲覧。
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- ^ 内海裕介 (27 May 2024). "【日本ダービー】ダノンデサイルが7906頭の頂点に 横山典騎手はGI最年長V". サンケイスポーツ. 産経デジタル. 2024年5月27日閲覧。
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- ^ 競馬四季報関東版 1988年秋号
- ^ 杉本清,1995年.『三冠へ向かって視界よし―杉本清・競馬名実況100選』日本文芸社
- ^ サラブnet 【天皇賞・春】伏兵イングランディーレが優勝
- ^ JRA Video interactive 灰色の魔術師 セイウンスカイ
- ^ Sportsnavi 横山典ゴールドシップ常識外れの春の盾V
- ^ 競馬TIMES ゴールドシップと横山典弘、天皇賞春のロングスパートに隠された“思惑”とは?
- ^ THE HUFFINGTON POST
- ^ JRAホームページ レース結果より
- ^ JRAホームページ レース結果 および 騎手データ>や行>横山典弘 より
- ^ JRAホームページ データファイル>騎手>名鑑>や行>横山典弘より
- ^ スポニチANNEX なぜだ…ロジユニヴァース大惨敗/皐月賞
- ^ デイリースポーツ 競馬・レース > 06プレイバック > 天皇賞(春)
- ^ スポニチANNEX 【NHKマイルC】クラリティスカイ 父クロフネに続く史上初父子制覇
- ^ 競馬ラボ クイーンSはこの3頭に注目!
- ^ 『岡部幸雄全史 : ありがとう38年』 産業経済新聞社、2005年
- ^ netkeiba.com ジョッキーマスターズ、河内洋騎手が優勝
- ^ ラジオNIKKEI 松永幹夫調教師がJRA初勝利!
- ^ 競馬ラボ 競馬コラム>ザ・インタビュー>【岩田康誠騎手】岩田康誠騎手インタビュー
- ^ エキサイトニュース レース観戦がおもしろくなる競馬裏ネタ(2)「主要騎手の“禁”プロフィール その1」
参考文献
[編集]- JRAホームページデータファイル>騎手データ>騎手名鑑>や行>横山典弘
- 『競馬四季報関東版』(1986年冬号~2000年秋号)株式会社ケイバブック
- 『競馬四季報関西版』(1986年冬号~2000年秋号)株式会社ケイバブック
- 『競馬四季報全国版』(2001年冬号~2015年秋号)株式会社ケイバブック
関連項目
[編集]- 中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧
- 函館市 - 2010年6月15日付ではこだて観光大使に任命(横山 典弘騎手が「はこだて観光大使」に!)。
- 板倉真由子 - 妹弟子
- 騎手一覧