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関口宏

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

せきぐち ひろし
関口 宏
本名 関口 宏
生年月日 (1943-07-13) 1943年7月13日(81歳)
出身地 日本の旗 日本東京都世田谷区
身長 170 cm
血液型 A型
職業 司会者タレント俳優作詞家
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1963年 -
活動内容 テレビドラマ
配偶者 西田佐知子(歌手、女優)
著名な家族 佐野周二(父)
関口知宏(長男)
佐野守(末弟)
笹本寅(義伯父)
事務所 三桂
公式サイト プロフィール
主な作品
スター千一夜
クイズ100人に聞きました
歌謡ドッキリ大放送
わくわく動物ランド
テレビあっとランダム
サンデーモーニング
知ってるつもり?!
関口宏の東京フレンドパークII
どーする?!TVタックル
ミュージックステーション
関口宏の報道30時間テレビ
報道の日
受賞
日本作詩大賞作品賞
第23回橋田賞特別賞
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関口 宏(せきぐち ひろし、1943年〈昭和18年〉7月13日[1] - )は、日本司会者タレント俳優、ニュースキャスター作詞家芸能プロモーター、経営者。

芸能事務所三桂代表。身長170cm、体重68kg、血液型A型。東京都港区在住[2]。佐野周二の長男[3]

父は俳優の佐野周二、異母弟は元俳優の佐野守。妻は元歌手の西田佐知子、息子は俳優、タレント関口知宏。祖父・関口亀次郎(関口紺三)は国会議事堂の建設に携わった鳶職だった。高校の同級生に俳優の林隆三がいた。

来歴

1943年7月13日、東京都で生まれる[4]。 当時佐野は出征中だったので連隊長が命名した[5]。 1944年、母を腸チフスでなくす[6]、1歳の時だった[7]。 1945年8月15日、次姉聖子を腸チフスで亡くす[8]。 1946年12月[6]、父が再婚するもまもなく祖母が死去[9]。 この頃、異母弟[10]・進も死去[11]立教小学校、立教中学校(現:立教池袋中学校)、立教高等学校(現:立教新座高等学校)を経て、1966年(昭和41年)に立教大学法学部[4]を卒業。 学生時代はハワイアンバンドを組んでいた[12]

1960年代

1963年(昭和38年)7月、NETテレビ(現:テレビ朝日)日本映画名作ドラマお嬢さんカンパイ![13]でドラマデビュー[4]し、父・佐野周二や佐田啓二らと共演した。

1965年四つの恋の物語吉永小百合の相手役として映画初出演[4]

1966年(昭和41年)、TBSヤング720』の司会を同年輩で後に交友を深める松山英太郎1991年没)、竹脇無我2011年没)とともに担当した。 これ以降、ヤング720→お昼に会いましょう→男じゃないか(もしくはおむすびコロリン)→マキちゃん日記ステージ101(司会番組であればここから)→日清世界クイズ→スター千一夜クイズ100人に聞きましたサンデーモーニングと、2024年に至るまで常にテレビでレギュラー番組を持ち続けている。

1970年代

1970年(昭和45年)NHK総合テレビ音楽番組ステージ101』の初代司会者として1月10日の第一回から9月26日まで出演。4月にフジテレビの『スター千一夜』にて、関口が初めて司会を務める。

1970年6月(1970年6月21日放送[14])に『ラブラブショー』(フジテレビ)で歌手の西田佐知子と知り合い、1971年3月16日にホテル・オークラで婚約発表し[3]し24日結婚[15]・世田谷の三一教会で挙式[16]。牧師は関口の中学時代の教師だった[16]

1971年(昭和46年)からは『スター千一夜』で本格的に司会を担当する。この頃は石淵事務所に所属していた[17]

1972年、長男・智宏(後の関口知宏)が誕生、佐野周二が名付け親となった[18]

1973年 世田谷用賀にマイホームを建てる[19]

1975年(昭和50年)以降は長年の盟友である石坂浩二と並ぶメイン司会者として定着。

1976年(昭和51年)2月、「関口宏事務所」(現:三桂)を設立[20]

1977年(昭和52年)、小柳ルミ子の『星の砂』の作詞(作曲は出門英)で日本作詩大賞作品賞を受賞[21]

1979年(昭和54年)4月、『クイズ100人に聞きました』が放送開始したことを契機に、8年間担当した『スター千一夜』の司会を坂本九に譲って降板。それ以降TBSテレビでの活動が顕著となった。

1980年代

本業である俳優業の傍らタレント業、司会業、キャスター業での活躍が目立つようになる。

1983年(昭和58年)、『わくわく動物ランド』が放送開始。10年以上にわたり司会を務めた。

1985年(昭和60年)、TBSのドラマ『うちの子にかぎって…パート2』(第2話)で、田村正和横山やすし(2人とも関口宏と同学年)と共演した。俳優の田村正和とは1966年(昭和41年)放送のドラマ「記念樹」以来の共演で、横山やすしとは最初で最後の共演でもあった。

1987年(昭和62年)には『サンデーモーニング』(TBSテレビ制作、放送開始当初は『関口宏のサンデーモーニング』)など、後に長寿番組となる番組がスタート。この頃には出演番組の視聴率が合計で100%を超え、「視聴率男」の異名を取った。大橋巨泉は、関口宏の司会者としての素質を評価していたと言われる。 絶頂期の1989年10月には『クイズ100人に聞きました』、『サンデーモーニング』、『わくわく動物ランド』、『テレビあっとランダム』、『知ってるつもり?!』、『TVタックル』、『ギミア・ぶれいく』と7本の人気番組の司会格として活躍していた。

1990年〜2000年代

上述の『クイズ100人に聞きました』(1979年4月〜1992年9月)、『ムーブ関口宏の東京フレンドパーク』(1992年10月〜1993年9月)、『関口宏のPAPAパラダイス』(1993年10月〜1994年3月)、『東京フレンドパークII』(1994年4月〜2011年3月)、『世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー』(2011年4月〜、同年10月より水曜日20時台に移動)と2011年(平成23年)9月まで約30年間に渡り、TBSテレビの月曜日19時台を支えていた(ただし、『東京フレンドパークII』はTBSの番組改編のため2009年(平成21年)4月から2010年(平成22年)3月までは木曜日20時台に移動していた)。

日本テレビ調査の「好きなタレント・歌手」では1987年に24位[22]、88年9位[22]、1990年は10位(久米宏・とんねるずと同率)を記録した[23]。 NHKの好きなタレント調査では、1995年に11位、96年に15位であった[24]

1991年、12月6日夜に開かれた「森繫久弥さん文化勲章受章おめでとう!祝う会」では森繫ファミリーとして竹脇無我らとともに介添え役となった[25]

2005年(平成17年)の春にTBSテレビが開始した『朝ズバッ!』の総合司会の候補にみのもんたと共に挙がり、先に打診された関口が断り、次に打診されたみのが受諾したという経緯がある[26]。ちなみにみのは大学の後輩である。

2010年代

徹子の部屋』(1979年、テレビ朝日)にゲスト出演した後、トーク番組へのゲスト出演がほとんどなかったが、2011年(平成23年)11月5日放送分の『サワコの朝』(MBS・TBS共同制作)にゲスト出演。その後、2012年6月に『徹子の部屋』と『大沢悠里のゆうゆうワイド』に出演している(いずれも2012年6月29日放送分)。また、2016年2月5日放送にも久々に『大沢悠里のゆうゆうワイド』に出演している。

2012年(平成24年)9月以降は地上波におけるレギュラー番組は『サンデーモーニング』のみとなっている。なお、BS-TBSでは2010年4月から継続して紀行・ドキュメンタリー番組の司会を務めている(『関口宏のザ・ベストセレクション』→『関口宏の昭和青春グラフィティ』→『関口宏の風に吹かれて』→『関口宏の人生の詩』→『関口宏ニッポン風土記』)。

2013年(平成25年)7月21日、選挙特別番組『夏の決戦!参院選2013 ニッポンどこへ行く!』で初めて選挙特番のメインキャスター担当。「家でビールを飲みながら見るものだと思っていた」とこれまで選挙特番への出演依頼を断っていたが、今回は「自分の年齢もあるし、1回くらい経験しておいた方がいいかなと思って」オファーを引き受けたという[27]

同年11月20日「森繫久彌さんの生誕100年をお祝いする会」の司会を中村メイコとともに務めた[28]

2014年(平成26年)、元テレビ朝日会長の君和田正夫と共にウェブサイト「独立メディア塾」を開設。以後、関口自身も定期的にコラムを投稿している。

2015年(平成27年)、第23回橋田賞特別賞を受賞[29][30]

2020年代

2021年2月5日、『徹子の部屋』に出演[31][32]
2024年3月31日、36年6か月間総合司会を務めていたサンデーモーニングを勇退。サンデーモーニングは4月から膳場貴子を新たな総合司会として迎え継続される。 5月31日ギャラクシー賞志賀信夫賞を受賞[33]

人物

趣味

明治乳業への入社

1978年12月25日付で明治乳業は非常勤嘱託として翌1月から長期大型広告作戦のCMスターとして起用する関口を一年間の期間で入社させた、社内レポートを広告にするというやり方で明治乳業側も「どうせPRをやってもらうなら、社員になってもらったほうがよい」としている[34]。 入社前に関口(関口は明治乳業内で候補者1位だった)を口説くのは九割九分方無理であろうと誰もがみていたが、「前々から、明治乳業には好感をもっていたんですよ」という関口は長男の智宏のための乳製品選びのさい、妻に対して「明治のにしなさい」とズバリいったらしく、結局入社することになった[35]

交友関係

  • 山田邦子が芸能界に入る際、反対していた山田の父を懸命に説得し、最終的に認められたと言う逸話がある(そのため、山田にとって関口は恩人としている)。後にドラマ『野々村病院物語』で共演している。山田は芸能界デビュー前に『クイズ100人に聞きました』に家族で挑戦したが予選で敗退。その後、BS-TBS『関口宏の風に吹かれて』の「浅草に吹くエンターテイメントの風 今昔物語」(2012年10月30日・前編、2012年11月6日・後編)で共演している。

エピソード

  • 前述の通り姉と弟が夭折したため、毎朝仏壇に手を合わせている[11]
  • 10歳の頃、自宅にテレビが置かれたことは一大事件だったと述べている[36]
  • 父・佐野周二は芸能人との結婚は反対だったが[37]、西田佐知子が芸能人だと知らなかったので、「そんなトシになったのか」と驚きつつお互い好きならと認め、[38]「自分の意志で結婚して幸せになるのが一番だ」と背中を押した[39]、婚約期間は8日だった[38]
  • 自身の生業を常に「テレビ屋」と表現している[40]
  • 「テレビ屋の最強かつ最大の敵は…自らを守ろうとする恐怖心」としている[41]
  • 東京を離れた暮らしをしたことがなく、若い頃は東京出身者であることを誇りに思い、地方の仕事から東京駅に帰ってきて「ほっ!」としたこともあったというが、年を重ねる後に若い頃には気がつかなかった、その土地その土地の人々の暮らし向きに、同じ日本人でありながら知らなかった面白い話が沢山あることに驚かされ、元気なうちにもっと知っておきたいと思うようになったといい、そのことが『ニッポン風土記』のオファーを引き受ける理由となった[40]
  • 1985年頃に購入した世田谷区の自宅に長らく住んでいたが、現在は港区にあるタワーマンションに夫婦で転居している。世田谷区の自宅は解体済で、土地も売却されている[2](実際には2009年時点で港区在住であった[1]。)
  • 趣味はゴルフ[1]
  • 75歳で自動車の運転免許を返納した[42]
  • ナンシー関は関口宏は魂胆のある男とし全ての行動はその魂胆によって演出されていると評した[43]
  • 松山英太郎が結婚の橋渡し役となったが関口が付き合わなかったら死ぬと西田に吹き込んだという[44]
  • 西田は関口が家に帰るとほとんどしゃべらないと評している[44]
  • 笹本寅の妻つるは父の姉にあたる[45]
  • 父・佐野周二はふぐが大好物で関口が子供のころは冬になると家族で人形町のフグ料理店に行ったが好きではなかった、酒が飲めるようになってから大好物になったと回想している[46]
  • 「神田かるちゃー倶楽部・明神塾」の講師だったことがある[47]

出演番組

テレビ

NHK

ラジオ

舞台

映画

『恋のハイウェイ』 (1967年)

CM

作詞

著書

  • 『人間これでいいのかな』(1984年、フレーベル館
  • 『ALOHA AGAIN』(2003年4月5日[12]、アーティストハウスパブリッシャーズ) - 浅井慎平と共同で制作したハワイアン音楽CD&本、25曲入り楽譜付き[12]
  • 『テレビ屋独白』(2012年、文藝春秋、初めての著書としている[41]
  • 『関口宏・保阪正康のもう一度!近現代史 明治のニッポン』(2020年、講談社
  • 『関口宏・保阪正康のもう一度!近現代史 戦争の時代へ』(2021年、講談社)
  • 『関口宏・保阪正康のもう一度!近現代史 帝国日本の過ち』(2022年、講談社)

参考文献

  • 『日本映画俳優全集・男優編』キネマ旬報社、増刊1979年10月23日号。 

関連項目

脚注

  1. ^ a b c 人事興信録第45版せ一九
  2. ^ a b 関口宏 闘病妻のために決断した“世田谷御殿”解体売却女性自身(2021年2月22日閲覧)
  3. ^ a b 毎日新聞1971年3月17日17面「西田佐知子さんと関口宏さんが婚約」
  4. ^ a b c d e f g h キネマ旬報1979増刊号、302頁
  5. ^ キネマ旬報1957年10月上旬号91頁「映画人と家庭」
  6. ^ a b キネマ旬報1979増刊号、250~251頁
  7. ^ 週刊平凡1971年6月10日号46~47頁「関口宏の弟・関口守がデビュー」
  8. ^ 「キネマ旬報」1960年8月72頁「次女の死」佐野周二著
  9. ^ 主婦と生活1965年2月号「押しかけ亭主とわが家の皇后」166~167ページ
  10. ^ 主婦と生活1965年2月号「押しかけ亭主とわが家の皇后」168~169ページ
  11. ^ a b 週刊娯楽よみうり1956年8月17日号4~5頁「佐野周二さん一家」
  12. ^ a b c d 読売新聞2003年4月7日夕刊12面
  13. ^ お嬢さんカンパイ - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. 2014年10月29日閲覧。
  14. ^ 同日付毎日新聞東京版縮刷ラテ欄
  15. ^ 週刊平凡1971年4月15日号60~61頁
  16. ^ a b 週刊明星1971年4月4日号42~43頁「西田佐知子の結婚に佐野周二が異例の発言」
  17. ^ 週刊平凡1971年7月1日号46~47頁「結婚スクープ」
  18. ^ 週刊平凡1972年12月21日号170~171頁
  19. ^ 週刊明星1973年12月16日号27頁
  20. ^ https://www.sankeipro.co.jp/about/
  21. ^ 第10回 日本作詩大賞(2020年4月22日閲覧)
  22. ^ a b 読売新聞1988年9月27日夕刊15面「日本テレビの人気タレント調査 さんま4年連続1位 温子、ゆう子が急上昇
  23. ^ 読売新聞1990年9月7日夕刊9面「人気タレント 男性は緒方拳 女性は浅野ゆう子がトップ/日本テレビ系で調査」
  24. ^ 毎日新聞1997年1月17日朝刊24面「TV・芸能ウェーブ」
  25. ^ 毎日新聞1991年12月8日朝刊21面「森繫久弥の文化勲章おめでとう!祝う会開く」
  26. ^ <担当放送作家として語る>『みのもんたの朝ズバッ!』はこうして誕生し、こうして解体した②[全6回],BLOGS,2014年9月8日
  27. ^ 関口宏 選挙特番で初司会!膳場貴子キャスターらと共演 Sponichi Annex 2013年7月8日
  28. ^ 読売新聞2013年12月13日29面「文化」
  29. ^ 杏が橋田賞新人賞を受賞 スポーツ報知{
  30. ^ 読売新聞2015年4月4日37面
  31. ^ 2021年2月5日
  32. ^ “黒柳徹子「徹子の部屋」45年続いた理由明かす 「ありがたかった」”. (2021年2月5日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/02/05/kiji/20210205s00041000325000c.html 2021年2月5日閲覧。 
  33. ^ 読売新聞2024年6月1日27面
  34. ^ 毎日新聞1978年12月26日朝刊6ページ
  35. ^ 宣伝会議1980年3月号p150~153「史上初のタレント入社、一年目の中間報告 塩沢茂著
  36. ^ 徹子の部屋』2021年2月5日放送分
  37. ^ 週刊明星1971年4月4日号42頁
  38. ^ a b 婦人生活社1971年5月号180~181頁
  39. ^ 週刊明星1971年4月4日号42~43頁
  40. ^ a b ニッポンを知りたい 独立メディア塾
  41. ^ a b 読売新聞2012年8月19日15面「著者来店」
  42. ^ 関口宏 75歳で免許返納「進駐軍のジープに憧れた」60年のドライバー人生を“卒業””. スポニチアネックス (2021年2月5日). 2021年2月5日閲覧。
  43. ^ 週刊文春1997年11月13日号64頁
  44. ^ a b 週刊明星1974年4月7日56~61頁「スター夫婦対談」
  45. ^ 「eg」、経済産業調査会、1991年4月号16~17頁「E・エコー」
  46. ^ 読売新聞1990年12月18日夕刊15面「郷味津々」
  47. ^ 読売新聞2006年6月8日34面「都民」
  48. ^ 読売新聞1988年1月9日夕刊6面
  49. ^ 読売新聞1988年4月9日夕刊6面
  50. ^ a b c d e f 関口宏 - オリコンTV出演情報
  51. ^ 読売新聞1992年4月15日夕刊11面「視聴率の現場」
  52. ^ 読売新聞2006年10月26日夕刊17面
  53. ^ 読売新聞2011年3月31日22面「試写室」
  54. ^ a b 読売新聞西部朝刊2015年5月27日31面「長崎」
  55. ^ a b 読売新聞西部朝刊2017年3月22日32面「長崎」
  56. ^ 番組案内”. 長崎国際テレビ. 2018年3月19日閲覧。
  57. ^ a b 読売新聞西部朝刊2018年1月24日26面「長崎」
  58. ^ 週間番組表・7月14日(日)”. 長崎国際テレビ. 2019年10月13日閲覧。
  59. ^ a b 読売新聞西部朝刊2019年10月16日35面「長崎」
  60. ^ 読売新聞1995年10月5日夕刊7面
  61. ^ 関口宏がBS朝日初の冠番組をスタート!舞台は世界でも稀有な雑誌図書館「大宅壮一文庫」。149年分の日本の雑誌から、当時の“生の情報”を紹介。超貴重な雑誌が続々登場! 雑誌を通して開く、記憶の扉‼”. PR TIMES (2024年9月27日). 2024年11月30日閲覧。
  62. ^ 『毎日新聞 縮刷版』毎日新聞社、1983年12月24日、798頁。 番組広告
  63. ^ 読売新聞1992年12月4日夕刊15面
  64. ^ 毎日新聞1992年11月29日21頁芸能面「湾岸戦争で、世界戦史上初の女性将校捕虜となったコーナム少佐が体験語る」
  65. ^ 読売新聞1995年8月1日夕刊9面
  66. ^ 読売新聞2000年12月27日夕刊7面
  67. ^ 読売新聞2008年2月13日40面「試写室」
  68. ^ 読売新聞2008年9月24日夕刊16面
  69. ^ 読売新聞2008年10月31日夕刊13面
  70. ^ 読売新聞2010年11月30日夕刊11面「BSデジタルあす10歳」
  71. ^ <読売新聞東京版2012年7月24日40面「BS試写室」
  72. ^ 読売新聞2018年8月3日夕刊8面
  73. ^ 読売新聞2022年8月1日夕刊7面
  74. ^ BSー TBS 4月から新作ドラマ枠 『IP戦略の一環』ー”. スポニチ. 2022年3月10日閲覧。
  75. ^ 読売新聞2024年8月8日23面
  76. ^ メディアリテラシー”. テレ東・BSテレ東 7ch(公式). 2024年10月6日閲覧。
  77. ^ テレビ最大の謎 “視聴者” に迫る!! テレビ東京 2010 年度メディアリテラシー特番” (PDF). テレ東・BSテレ東 7ch(公式). テレビ東京 広報局 宣伝部 (2011年2月24日). 2024年10月6日閲覧。
  78. ^ 読売新聞2004年3月26日夕刊17面
  79. ^ 読売新聞1986年12月15日夕刊13面
  80. ^ 読売新聞1990年6月23日夕刊10面「芸能」「アリーナ席 平井菜水 異色のビブラート」

外部リンク