笠井信輔
かさい しんすけ 笠井 信輔 | |
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第30回東京国際映画祭にて(2017年10月) | |
プロフィール | |
本名 | 同じ |
出身地 | 日本・東京都世田谷区 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1963年4月12日(61歳) |
血液型 | A型(Rh-) |
最終学歴 | 早稲田大学商学部 |
所属事務所 | オールラウンド |
職歴 |
元フジテレビアナウンサー 編成制作局アナウンス室専任部長(情報統括担当) |
活動期間 |
1987年 - 2019年(フジテレビ所属) 2019年 - (フリー) |
ジャンル | 情報・報道 |
配偶者 | 茅原ますみ |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
『おはよう!ナイスデイ』 『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』 『情報プレゼンター とくダネ!』 『男おばさん』などなど |
笠井 信輔(かさい しんすけ、1963年(昭和38年)4月12日[1] - )は、日本のフリーアナウンサー。元フジテレビエグゼクティブアナウンサー。 オールラウンド所属。
来歴
[編集]人形劇団「太郎座」の座員から市役所勤めの公務員となった人物を父に、主婦となった女性を母に、東京都世田谷区で誕生。祖父は劇作家・脚本家の阿木翁助。母方の伯父に東宝の演劇プロデューサーがいる。信輔誕生の1年後(1964年)および6年後(1969年)に2人の弟が誕生し、男3人兄弟の長男となる。町田市の公団住宅で17年間家族と暮らす。
町田市立本町田東小学校(児童会長)、町田市立薬師中学校(生徒会副会長、生徒会長)、東京都立狛江高等学校(同校では放送委員となり、文化祭のクイズ大会で司会を担当)、1浪をし早稲田大学商学部入学。大学時代は放送研究会とスキークラブの両方に所属[2]、大学時代にアナウンス学校に通う。3年生の時にTBS『ぴったし カン・カン』でアルバイトスタッフとして働いていた。就活時に、TBSでは男性の募集がなかったため、フジテレビ・日本テレビ・テレビ朝日に応募したが、日テレとテレ朝は不合格で、フジテレビは合格。
- 職務経歴
1987年、フジテレビにアナウンサーとして入社。毎年7月に放送されている『FNS27時間テレビ』の「提供読み」[注 1]を、記念すべき第1期生として、同期の塩原恒夫とともに務めた。
1988年4月4日からは、午後の情報番組『タイム3』で須田哲夫などとともに総合司会を担当。1994年9月30日の『タイムアングル』終了まで6年半出演した。
1997年3月31日から、夕方の報道番組『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』メインキャスターを笹栗実根(報道局記者)と担当。
1998年3月30日からは、午前の情報番組『ナイスデイ』で榊原るみとともに総合司会として出演した。
1999年から2019年9月まで『ナイスデイ』の後番組『情報プレゼンター とくダネ!』のサブ司会兼メインアシスタント・ニュースデスクを歴任し、2007年7月から2019年9月までアナウンス室専任部長(情報担当部長)を務めた。また、フジテレビのホームページおよび携帯サイド内の「アナウンスマガジン」の編集長でもあった。東日本大震災の際には民放関係者として最初に被災地入りし、生レポートを行なった。のちに当時の様子、またあまりの惨状にPTSDを患ったことなどをルポルタージュにまとめた。
『とくダネ!』の中の1コーナー「とくダネ!TIMES」(のち「得もり」)を担当していた。「得もり」となってからはスタジオ登場の前に副調整室で最初の話題を出す。季節を問わず常にベストを着用。後輩の伊藤利尋がサブ司会に就任するまで、総合司会の小倉智昭の休暇時は代理総合司会をしていた。
2015年9月16日、声帯ポリープの除去のため、一時休養と発表される[4]。9月28日放送の『とくダネ!』で復帰[5]。
2019年7月30日、同年9月30日付けでフジテレビを退職しフリーアナウンサーに転身する、と伝えられた[6]。同年9月30日を以てフジテレビを退職[7]。同年10月1日より芸能事務所オールラウンド(『とくダネ!』で総合司会を務める小倉智昭などがいる)に所属し、フリーアナウンサーとしての活動を開始。
2019年12月18日、悪性リンパ腫に罹患していることを所属事務所を通じて公表[8]。19日、『とくダネ!』の生放送に出演し、病名が「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」であることや、公表に至った心情などについて語った[9]。21日、ブログを開設。病状や闘病生活について綴った[10][11]。
その後は活動を休止しブログで闘病について綴っていたが、治療は順調に進み、2020年5月1日に退院[12]。自宅療養に入りながらも、15日に退院後初めての仕事として文化放送のラジオ番組『くにまるジャパン 極』に出演し、活動を再開した[13]。
2020年6月5日、主治医から悪性リンパ腫が完全寛解したと伝えられたことをブログで報告[14][15]。
2020年7月31日、白血球の数値が安定したため普通に働いてよいことを主治医から告げられたとブログで報告し、活動を本格的に再開[16]。
2020年10月ころから放送されているアフラックのCMに出演。CMの内容は、コロナ禍の中、同CMキャラクターをつとめる櫻井翔とリモートで対談を行い、自身のがん闘病体験を語り、がん保険が役立つことを視聴者に訴求する、というもの[17]。
人物・パーソナルデータ
[編集]趣味・特技はスキー(1級)、カラオケ、(映画、ビデオ、宝塚歌劇)鑑賞、パソコン通信。ミステリー小説を愛読し,推理作家・折原一のファンであるとのこと。さらには自称オタクを公言し、宝塚歌劇団や最新ハリウッド映画[18]、また、かつての同僚ならびに上司でもあり、現在はフリーアナウンサー・鉄道文化人に転身した堺正幸や、のちに共演を果たした福澤朗と同様に鉄道に詳しく[19]、親子2代で鉄道が好き[20]で、もしアナウンサーになっていなかったら車掌になりたかった[21]と語るほどの鉄道ファンでもある。あるいは映画会社の宣伝士になりたかったとも発言している。映画に関しては、新作のハリウッド映画だけで年間130本以上を鑑賞する、といい[22]、仕事でもフジテレビクラブ会員限定イベント「笠井信輔のシネマン坊トークショー」(年2回程度開催)の司会を務めるほか、「お台場冒険王」内のイベント「The Movie King お台場映画王2005」ではゼネラルプロデューサーに就任した。軽部と同じく名実ともにフジテレビのナンバーワンシネフィル(映画狂)を自称しており、軽部とともにフジテレビが東宝とともに経営するCSチャンネル「日本映画専門チャンネル」に出演している。『ゴジラ2000 ミレニアム』『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』『UDON』では本人役で登場し、シネフィルならではの芝居を披露している。
フジテレビの先輩の軽部真一と公私ともに仲が良く、「男おばさん」とのコンビを組んでいる/いた。
フジテレビアナウンサー時代は毎朝3時半に出社していた。[注 2]
- 家族
妻は元テレビ東京アナウンサーの茅原ますみ。3人の息子。漫画『鉄子の旅』(小学館)では息子のユウくん、はるボンとともに出演している(単行本第3巻に収録)。
- 身体データ(個人情報)
身長は170cm、体重は([いつ?]かつて健康時に)62kg(だった)。血液型はA型(Rhマイナス)。
出演
[編集]テレビ番組
[編集]- フジテレビアナウンサー時代
バラエティ番組・その他
- CS男おばさんL
- CSローカルサンデー
- 笑っていいとも!(入社初期、時期不明) - 「テレフォンショッキング」テレフォンアナ
- ビデオの王様(1990年4月 - 9月)
- ビデオの女王様シリーズ(1990年10月 - 1992年3月)
- ネプリーグ (2005年2月15日-)
- 銀幕会議2(2006年5月 - 2008年3月) - 顧問
- 男おばさん(不明 - 2008年3月)
- 男おばさん特盛(不明 - 2008年3月)
- 子育てれび
- 男おばさん 燃えろ!デジタル部(2008年4月6日 - 2010年9月5日) - 副部長
- 男おばさん+(ブラス)(フジテレビONE・TWO)
- アナマガ増刊号
- Cafe du Cinema(石川テレビ、不定期出演)
- 男おばさん ワンツーネクスト
- CS日本映画レトロスペクティブ
報道・情報・ワイドショー番組
期間 | 番組名 | 役職 | 担当日 | |
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1987年10月3日 | 1988年3月27日 | FNNスーパータイム | スポーツキャスター | 休日 |
1988年4月4日 | 1993年9月30日 | タイム3 | 司会 | 平日 |
1990年4月12日 | 1990年9月 | 今夜は好奇心! | 木曜日 | |
1990年10月 | 1994年9月12日 | 月曜日 | ||
1993年10月1日 | 1994年9月30日 | タイムアングル | 平日 | |
1994年10月3日 | 1995年3月31日 | となりのパパイヤ | コーナー進行役 | |
1995年4月3日 | 1997年3月28日 | めざましテレビ | コーナーレポーター | |
1995年9月29日 | 3時ヨこい! | コーナーキャスター | ||
1996年4月6日 | 1996年9月28日 | THE WEEK | 司会 | 土曜日 |
1997年3月31日 | 1998年3月27日 | FNNニュース555 ザ・ヒューマン | キャスター | 平日 |
1998年3月30日 | 1999年3月31日 | ナイスデイ | 司会 | |
1999年4月1日 | 2019年9月27日 | 情報プレゼンター とくダネ! | 司会兼ニュースデスク→ニュースデスク | |
2003年2月4日 | 2003年9月23日 | とくダネ!発 GO-ガイ! | 司会 | 火曜日 |
2003年10月17日 | 2004年2月27日 | 金曜日 | ||
2018年4月6日 | 2019年9月27日 | バイキング | コーナー進行役(13時台) |
テレビドラマ
[編集]- ちびまる子ちゃん スペシャルドラマ版(2006年・2013年) - 戸川先生 役
- まるまるちびまる子ちゃん(2007年 - 2008年)
- スミレ刑事の花咲く事件簿 epsode 0(2011年3月27日、フジテレビTWO) - 警官 役
- CHANGE(2008年) - かどくら衆議院議員役
- 長生き競争!(2008年、東海テレビ制作)
テレビアニメ
[編集]フリー以降
[編集]- 土曜スペシャル 鉄道沿線ひたすら歩き旅6 福島・磐越西線 郡山~会津(テレビ東京、2019年12月7日)
- 徹子の部屋(テレビ朝日、2019年12月20日)[25]
- Changeの瞬間 〜がんサバイバーストーリー〜(2021年1月31日 - 2月7日、朝日放送ラジオ)[26][27]
- 東日本大震災から10年 あの日、僕は... (とちぎテレビ、2021年3月10日)
- ひるおび!(2021年4月 - 、TBSテレビ) - 金曜コメンテーター
- そこまで言って委員会NP(2021年4月 - 、読売テレビ)- パネリスト(不定期出演)
- おはリナ!(2024年10月 - 、TOKYO MX) - 月曜コメンテーター
映画
[編集]- ガメラ3 邪神覚醒(1999年) - 渋谷で逃げ惑う人 役
- ゴジラシリーズ
- ゴジラ2000 ミレニアム(1999年) - 円盤襲来現場リポーター 役[1]
- ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年) - お台場の避難民 役[1]
- ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年) - ニュース速報アナウンサー 役[1]
- ゴジラ×メカゴジラ(2002年) - 八景島シーパラダイスの避難民 役[1]
- ゴジラ-1.0(2023年11月3日) - 爆風を浴びる男、ラジオのアナウンサー 役 (二役)[28][29]
- ONE PIECE(2000年) - ダニー 役
- 交渉人 真下正義(2005年) - 本人役(男おばさんとして)
- UDON(2006年)- 本人役
- ゲゲゲの鬼太郎(2007年) - 男おばさん 役
- 少林少女(2008年)
- 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望(2012年) - ニュースキャスター 役
- 万引き家族(2018年) - ニュースキャスター 役
- キネマの神様(2021年)
- 春の香り(2025年公開予定)[30]
吹き替え
[編集]- 101匹わんちゃんII パッチのはじめての冒険(2002年) - ラース 役
- モンスター・ヴァース
- ゴジラvsコング(2021年) - ギラーミン(ランス・レディック) 役[31]
- ゴジラxコング 新たなる帝国(2024年) - TVキャスター 役[32]
舞台
[編集]CM
[編集]- アフラック生命保険 生きるためのがん保険Days1 ALL-in「櫻井さんの取材ノート 笠井さん がんになった時の不安」篇 / 「櫻井さんの取材ノート 笠井さん がん治療の選択肢」篇(2020年10月5日 - )[34][35]
漫画
[編集]- 鉄子の旅
- 第3巻 第21旅 親子で楽しむ伊豆の旅 - 本人が息子2人(ユウくん、はるボン)とともに出演
- 第4巻 第32旅 横見浩彦・日本全駅下車達成!! - 本人が『とくダネ!』の取材で出演
- 第5巻 第38旅 レッドアローでの攻防
- 第5巻 第39旅 絵日記で綴る秩父鉄道の旅 - 本人は名前が出るのみだが(実際は同行)、家族4人(妻ますみ、ユウくん、はるボン、すずくん)と、ユウくんの友人で鉄の師匠でもあるコウちゃんが出演
著書
[編集]- 『僕はしゃべるために被災地(ここ)へ来た』産経新聞出版、2011年11月。ISBN 978-4819111447。
- 『増補版 僕はしゃべるために被災地(ここ)へ来た』新潮社、2016年3月。ISBN 978-4101202914。
- 『生きる力 ―引き算の縁と足し算の縁―』KADOKAWA、2020年11月。ISBN 978-4041099995。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 野村宏平、冬門稔弐「4月11日 / 4月12日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、104頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- ^ 新企画【オヤジンセイ】笠井信輔〜後編〜「電車好きおしゃべり少年が幸運にもアナウンサーに」 - フジテレビュー!!、2019年10月9日
- ^ [1]
- ^ “フジ笠井信輔アナ『とくダネ!』一時休養 声帯ポリープ手術で”. ORICON (2015年9月16日). 2015年9月16日閲覧。
- ^ “声帯ポリープ手術のフジ笠井信輔アナ「とくダネ!」復帰”. Sponichi Annex (2015年9月28日). 2015年9月28日閲覧。
- ^ “笠井信輔アナ、フリー転身! 9月末にフジ退社 「とくダネ!」卒業”. SANSPO.COM. (2019年7月30日) 2019年7月30日閲覧。
- ^ 新企画【オヤジンセイ】笠井信輔〜前編〜「フリーは甘くない、でも退路を断たねば説得力ない」 - フジテレビュー!!、2019年10月8日
- ^ “笠井信輔アナ 悪性リンパ腫で療養 事務所が発表 19日「とくダネ」で自ら説明へ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年12月18日) 2019年12月18日閲覧。
- ^ “笠井信輔アナ、がんは全身に散らばっている状況「生存率は7割程度」”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2019年12月19日) 2019年12月19日閲覧。
- ^ “笠井アナ、悪性リンパ腫は「予後の悪いタイプ」 開設ブログで説明”. マイナビニュース (マイナビ). (2019年12月22日) 2020年10月2日閲覧。
- ^ “ブログ始めます。”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2019年12月21日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ “退院の夜、やっぱりブログ書きます!”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2020年5月1日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ “退院の夜、やっぱりブログ書きます!”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2020年5月14日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ “完全寛解!”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2020年6月5日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ “笠井アナ「完全寛解」報告 悪性リンパ腫で闘病”. マイナビニュース (マイナビ). (2020年6月5日) 2020年10月2日閲覧。
- ^ “嬉しい!ご報告”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」 (2020年7月31日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ [2]
- ^ フジテレビ主催のイベント「お台場学園」出演者プロフィール(「趣味」の項目で、ハリウッド映画:鑑賞や舞台鑑賞(特にミュージカル とりわけ 宝塚歌劇団好き)が趣味として紹介されている)
- ^ マイコミジャーナルの「夏休みファミリーフェスティバル 大鉄道博 Supported by タカラトミー」(2009年8月1日からグランドプリンスホテル新高輪で開催された)開会式を伝える記事(記事中で「鉄道ファンで知られるフジテレビの笠井信輔アナウンサー」と紹介されている。)
- ^ 「何もない日も、〇〇〇はある!」 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」より。
- ^ 【オヤジンセイ】笠井信輔〜後編〜「電車好きおしゃべり少年が幸運にもアナウンサーに」より。
- ^ フジテレビの「アナルームニュース」(2005年8月2日号)(冒頭部分で言及されている。)
- ^ “[https://instagrammernews.com/category/male_celebrity/announcer ANNOUNCER アナウンサー(男性芸能人)のインスタグラム]”. 2022年6月24日閲覧。
- ^ 「ちびまる子ちゃん」スタッフ一同が追悼、担任役の笠井アナが代読 - SANSPO.COM
- ^ 笠井アナ、20日「徹子の部屋」に出演 収録前に病名発覚、病気にも触れる デイリースポーツ、2019年12月19日
- ^ 笠井信輔 (2021年2月6日). “見るラジオ ❣️”. 笠井信輔オフィシャルブログ. Amebaブログ. 2023年3月21日閲覧。
- ^ “ラジオ「Changeの瞬間~がんサバイバーストーリー」好評放送中 【随時更新】”. 日本対がん協会. 2023年5月8日閲覧。
- ^ “笠井信輔『ゴジラ映画出演、6本目に‼️ #泣きゴジラ』”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」Powered by Ameba. 2023年12月16日閲覧。
- ^ “笠井信輔『「ゴジラ− 1.0 」出演裏話❶声の出演編』”. 笠井信輔オフィシャルブログ「笠井TIMES ~人生プラマイゼロがちょうどいい~」Powered by Ameba. 2023年12月16日閲覧。
- ^ “IMP.佐藤新が映画「春の香り」に出演、「この作品が届くことを祈っています」”. 映画ナタリー. ナターシャ (2024年8月7日). 2024年8月7日閲覧。
- ^ “笠井信輔アナがハリウッドデビュー!? 「ゴジラvsコング」日本語吹き替えキャストに決定”. 映画.com. 2021年4月2日閲覧。
- ^ “尾上松也、宮野真守、鈴木もぐら、真矢ミキら「ゴジラxコング」吹替キャスト14名発表”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2024年4月4日) 2024年4月4日閲覧。
- ^ “横内正が主演・上演台本・演出担う「リア王2024」に杉江大志・櫻井圭登ら”. ステージナタリー. ナターシャ (2024年6月14日). 2024年6月15日閲覧。
- ^ “櫻井翔、アフラック新CMでフリーアナウンサー・笠井信輔にリモートインタビュー”. BARKS. (2020年9月28日) 2020年10月19日閲覧。
- ^ 笠井信輔 - オリコンCM出演情報
外部リンク
[編集]- 笠井信輔 - オールラウンド(所属事務所)
- 笠井TIMES 人生プラマイゼロがちょうどいい -Amebaブログ(2019.12.22〜)
- 笠井信輔official (@shinsuke.kasai) - Instagram
期間 | メインキャスター | スポーツキャスター | お天気 キャスター | |||||||||
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アンカーマン | アシスタント | 進行 | アシスタント | |||||||||
月 - 金曜日 | 土 - 日曜日 | 月 - 木曜日 | 金曜日 | 土 - 日曜日 | 月 - 水曜日 | 木・金曜日 | 土 - 日曜日 | 月 - 金曜日 | 月 - 金曜日 | 土 - 日曜日 | ||
1984年10月1日 | 1985年3月29日 | 逸見政孝1・2 | なし | 幸田シャーミン3 | なし | 河村保彦1 | 江本孟紀 | なし | なし | (下記参照) | なし | |
1985年4月1日 | 1986年3月30日 | 陣内誠4 | 城ヶ崎祐子 | 長田渚左 | 森末慎二5 | 川端健嗣 | 逸見政孝 | (メインが兼務) | ||||
1986年3月31日 | 1986年9月28日 | 三宅正治 | ||||||||||
1986年9月29日 | 1987年3月31日 | 山中秀樹4 | ||||||||||
1987年4月1日 | 1987年9月30日 | 幸田シャーミン3 | 野間脩平 | 永麻理 | ||||||||
1987年10月1日 | 1988年3月31日 | 野間脩平 | 安藤優子 | 笠井信輔 | ||||||||
1988年4月1日 | 1988年7月9日 | 黒岩祐治 | 安藤優子3 | 小田多恵子 | 筒井櫻子 | |||||||
1988年7月10日 | 1989年4月2日 | 塩原恒夫 | ||||||||||
1989年4月3日 | 1989年9月30日 | 上田昭夫 | 有賀さつき | 上田昭夫 | ||||||||
1989年10月1日 | 1990年7月1日 | 木幡美子 | ||||||||||
1990年7月2日 | 1990年9月30日 | 八木亜希子6 | 吉田伸男 | |||||||||
1990年10月6日 | 1991年3月31日 | 田代尚子 | ||||||||||
1991年4月1日 | 1992年3月31日 | 黒岩祐治 | 小林穂波 | 松井みどり | 黒岩祐治 | |||||||
1992年4月1日 | 1993年9月26日 | 露木茂7 | 山中秀樹8 | 吉崎典子9 | 大坪千夏 | 安藤優子 | ||||||
1993年9月27日 | 1994年3月31日 | 近藤サト | 佐藤里佳 | 岩谷忠幸 | ||||||||
1994年4月1日 | 1994年9月30日 | 松山香織3 | 上田昭夫 | 中井美穂 | ||||||||
1994年10月1日 | 1995年10月1日 | 山形斉子 | 岩谷忠幸10 | |||||||||
1995年10月2日 | 1995年12月3日 | 菊間千乃 | 八木沼純子10 | |||||||||
1995年12月4日 | 1996年3月31日 | 濱田典子 | ||||||||||
1996年4月6日 | 1997年3月30日 | 富永美樹10 | ||||||||||
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期間 | タイトル名 | 放送時間 | 総合司会 | アシスタント | 芸能デスク | ||
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男性 | 女性 | ||||||
1988年4月4日 | 1989年3月31日 | タイム3 | 15:00 - 15:55 | 須田哲夫 | 笠井信輔1・2 | 岩瀬惠子 | 前田忠明 |
1989年4月3日 | 1993年9月30日 | なし | |||||
1993年10月1日 | 1994年9月30日 | タイムアングル | 14:00 - 15:25 | 大坪千夏 | |||
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期間 | 放送時間(JST) | 総合司会 | 芸能デスク | |||
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1982.4.1 | 1983.2.7 | 月曜 - 金曜 8:30 - 9:55(85分) | 須田哲夫 | 荒川強啓 | 田丸美寿々 | 前田忠明1 |
1983.2.8 | 1983.3.25 | (不在) | ||||
1983.3.28 | 1984.9.28 | 山田美也子 | ||||
1984.10.1 | 1985.3.29 | |||||
1985.4.1 | 1987.3.27 | 桑原征平2 | ||||
1987.3.30 | 1991.3.29 | 向坂樹興 | 吉崎典子3 | |||
1991.4.1 | 1993.3.31 | 川端健嗣 | 八木亜希子 | |||
1993.4.1 | 1994.3.31 | 川端健嗣 | 軽部真一 | 小島奈津子 | ||
1994.4.1 | 1994.9.30 | 月曜 - 金曜 8:00 - 9:55(115分) | 生島ヒロシ | 大林典子4 | ||
1994.10.3 | 1995.9.29 | 月曜 - 金曜 8:30 - 9:55(85分) | ||||
1995.10.2 | 1998.3.27 | 向坂樹興 | 柴田光太郎 | |||
1998.3.30 | 1998.10.2 | 笠井信輔1 | 榊原るみ | |||
1998.10.5 | 1999.3.31 | 月曜 - 金曜 8:25 - 9:55(90分) | ||||
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