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知藩事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

知藩事(ちはんじ)は、明治時代初期に置かれた地方行政官の名称。県令(今日の都道府県知事)の前身にあたる。藩名を冠す場合には◯◯藩知事(◯◯はんちじ)と語順が入れ替わる(→「知藩事と藩知事」節を参照)。

解説

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明治2年6月17日1869年7月25日)、版籍奉還により領地・領民を朝廷に返還した旧藩主274名が任命されて成立した。これにより府藩県三治制という体制が確立した。

その職務は、徴税・賦役・生産力向上などの経済、刑罰・賞与などの司法、軍事、教育、戸籍調査など多岐に亘るものだった。

知藩事は従来の藩主に認められていた世襲がそのまま認められ、独自の軍隊・司法組織などを持つことが認められていた。その一方で、知藩事の家禄は藩の実収石高の十分の一と定められて藩財政から切り離され、藩の職制・禄制・兵制は中央政府が定めた規定に従うこととされており、藩の内情についても強く監督されていた。

しかし、当時の藩領は天領および寺社領が複雑に入り組んでおり、多数の飛び地が存在したため、年貢の徴収は非効率的であった。そのため、国家財政の安定化を行なって明治新政府の中央集権を確立させる必要があった。このような事情に伴い、明治4年7月14日1871年8月29日)に廃藩置県が実施され、知藩事全員が失職して華族となり、その役目を終えた。

知藩事と藩知事

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官名だけを単独で用いる場合は「知藩事」である。例えば、廃藩置県の詔書(明治4年(1871年))には「新ニ知藩事ヲ命シ」とある。

これに対して、藩名と結合させて用いる場合は「何々藩知事」とする。例えば、太政官から蜂須賀茂韶に対して出された文書(明治3年(1870年))の宛名には「蜂須賀徳島藩知事」とある[1]

知藩事の一覧

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交代理由の特記なしは版籍奉還と同時に就任。太字は任知藩事と同日に改称した藩。藩の移転・改称・廃止については府藩県三治制の項を参照。

就任年月日 知藩事 交代理由
明治2年6月17日1869年7月25日 仙台藩 伊達宗基
白石藩 南部利恭
久保田藩 佐竹義堯
米沢藩 上杉茂憲
水戸藩 徳川昭武
佐倉藩 堀田正倫
前橋藩 松平直克
新発田藩 溝口直正
高田藩 榊原政敬
富山藩 前田利同
金沢藩 前田慶寧
大聖寺藩 前田利鬯
福井藩 松平茂昭
小浜藩 酒井忠禄
大垣藩 戸田氏共
府中藩[2] 徳川家達
名古屋藩 徳川義宜
津藩 藤堂高猷
彦根藩 井伊直憲
淀藩 稲葉正邦
郡山藩 柳沢保申
姫路藩 酒井忠邦
和歌山藩 徳川茂承
鳥取藩 池田慶徳
松江藩 松平定安
津山藩 松平慶倫
岡山藩 池田章政
福山藩 阿部正桓
広島藩 浅野長勲
山口藩 毛利元徳
高松藩 松平頼聰
松山藩 久松勝成
宇和島藩 伊達宗徳
高知藩 山内豊範
香春藩 小笠原忠忱
福岡藩 黒田長知
久留米藩 有馬頼咸
佐賀藩 鍋島直大
熊本藩 細川韶邦
鹿児島藩 島津忠義
明治2年6月19日(1869年7月27日 三春藩 秋田映季
棚倉藩 阿部正功
二本松藩 丹羽長裕
新庄藩 戸沢正実
笠間藩 牧野貞寧
土浦藩 土屋挙直
古河藩 土井利与
柴山藩 太田資美
菊間藩 水野忠敬
鶴舞藩 井上正直
館林藩 秋元礼朝
高崎藩 大河内輝照
小田原藩 大久保忠良
丸岡藩 有馬道純
上田藩 松平忠礼
松本藩 松平光則
郡上藩 青山幸宜
豊橋藩 大河内信古
岡崎藩 本多忠直
西尾藩 松平乗秩
亀山藩 石川成之
膳所藩 本多康穣
岸和田藩 岡部長職
亀岡藩 松平信正
篠山藩 青山忠敏
宮津藩 松平宗武
明石藩 松平直致
龍野藩 脇坂安斐
丸亀藩 京極朗徹
大洲藩 加藤泰秋
中津藩 奥平昌邁
臼杵藩 稲葉久通
岡藩 中川久昭
秋月藩 黒田長徳
府中藩[3] 宗義達
唐津藩 小笠原長国
平戸藩 松浦詮
島原藩 松平忠和
延岡藩 内藤政挙
飫肥藩 伊東祐帰
明治2年6月20日(1869年7月28日 一関藩 田村崇顕
上山藩 松平信安
関宿藩 久世広業
久留里藩 黒田直養
長尾藩 本多正訥
烏山藩 大久保忠順
壬生藩 鳥居忠宝
安中藩 板倉勝殷
沼田藩 土岐頼知
村松藩 堀直弘
大野藩 土井利恒
鯖江藩 間部詮道
高島藩 諏訪忠礼
高遠藩 内藤頼直
岩村藩 松平乗命
加納藩 永井尚服
高須藩 松平義勇
重原藩 板倉勝達
犬山藩 成瀬正肥
鳥羽藩 稲垣長敬
水口藩 加藤明実
高槻藩 永井直諒
尼崎藩 桜井忠興
三田藩 九鬼隆義
高取藩 植村家壺
園部藩 小出英尚
福知山藩 朽木為綱
舞鶴藩 牧野弼成
出石藩 仙石久利
田辺藩 安藤直裕
新宮藩 水野忠幹
広瀬藩 松平直巳
足守藩 木下利恭
西条藩 松平頼英
今治藩 久松定法
吉田藩 伊達宗敬
杵築藩 松平親貴
日出藩 木下俊愿
高鍋藩 秋月種殷
佐土原藩 島津忠寛
明治2年6月22日(1869年7月30日 八戸藩 南部信順
中村藩 相馬誠胤
泉藩 本多忠伸
守山藩 松平頼升
本荘藩 六郷政鑑
亀田藩 岩城隆彰
矢島藩 生駒親敬
松嶺藩 酒井忠匡
天童藩 織田寿重丸
松岡藩 中山信徴
下館藩 石川総管
石岡藩 松平頼策
谷田部藩 細川興貫
結城藩 水野勝寛
飯野藩 保科正益
佐貫藩 阿部正恒
黒羽藩 大関増勤
佐野藩 堀田正頌
伊勢崎藩 酒井忠彰
小幡藩 松平忠恕
岩槻藩 大岡忠貫
長岡藩 牧野忠毅
与板藩 井伊直安
勝山藩 小笠原長守
竜岡藩 大給乗謨
飯山藩 本多助寵
今尾藩 竹腰正旧
挙母藩 内藤文成
刈谷藩 土井利教
西大路藩 市橋長義
大溝藩 分部光貞
綾部藩 九鬼隆備
柏原藩 織田信親
豊岡藩 京極高厚
赤穂藩 森忠儀
勝山藩[4] 三浦顕次
庭瀬藩 板倉勝弘
新見藩 関長克
府内藩 大給近説
佐伯藩 毛利高謙
人吉藩 相良頼基
明治2年6月23日(1869年7月31日 湯長谷藩 内藤政憲
長瀞藩 米津政敏
牛久藩 山口弘達
志筑藩 本堂親久
多古藩 久松勝行
一宮藩 加納久宜
鶴牧藩 水野忠順
勝山藩[5] 酒井忠美
大田原藩 大田原一清
吹上藩 有馬氏弘
足利藩 戸田忠行
七日市藩 前田利豁
金沢藩[6] 米倉昌言
荻野山中藩 大久保教義
三根山藩[7] 牧野忠泰
岩村田藩 内藤正誠
須坂藩 堀直明
飯田藩 堀親広
苗木藩 遠山友禄
田原藩 三宅康保
半原藩 安部信発
西端藩 本多忠鵬
菰野藩 土方雄永
神戸藩 本多忠貫
宮川藩 堀田正養
山上藩 稲垣太祥
三上藩 遠藤胤城
麻田藩 青木重義
伯太藩 渡辺章綱
小泉藩 片桐貞篤
田原本藩 平野長裕
村岡藩 山名義済
山家藩 谷衛滋
三草藩 丹羽氏中
三日月藩 森俊滋
岡田藩 伊東長トシ[8]
成羽藩 山崎治祇
森藩 久留島通靖
福江藩 五島盛徳
明治2年6月24日(1869年8月1日 館藩 松前兼広
弘前藩 津軽承昭
七戸藩 南部信方
宍戸藩 松平頼位
下妻藩 井上正巳
麻生藩 新庄直敬
生実藩 森川俊方
高岡藩 井上正順
小見川藩 内田正学
大多喜藩 大河内正質
桜井藩 滝脇信敏
小久保藩 田沼意尊
館山藩 稲葉正善
花房藩 西尾忠篤
宇都宮藩 戸田忠友
吉井藩 吉井信謹
川越藩 松平康載
村上藩 内藤信美
三日市藩 柳沢徳忠
黒川藩 柳沢光邦
椎谷藩 堀之美
清崎藩 松平直静
敦賀藩 酒井忠経
松代藩 真田幸民
高富藩 本庄道美
西大平藩 大岡忠敬
長島藩 増山正同
狭山藩 北条氏恭
丹南藩 高木正坦
柳生藩 柳生俊益
柳本藩 織田信及
芝村藩 織田長易
櫛羅藩 永井直哉
峰山藩 京極高陳
小野藩 一柳末徳
林田藩 建部政世
山崎藩 本多忠明
安志藩 小笠原貞孚
母里藩 松平直哉
津和野藩 亀井茲監
鶴田藩 松平武聰
浅尾藩 蒔田広孝
徳島藩 蜂須賀茂韶
多度津藩 京極高典
小松藩 一柳頼紹
千束藩 小笠原貞正
柳河藩 立花鑑寛
三池藩 立花種恭
大村藩 大村純熈
明治2年6月25日(1869年8月2日 高徳藩 戸田忠綱
堀江藩 大沢基寿
久居藩 藤堂高邦
鴨方藩 池田政保
岩国藩 吉川経健
徳山藩 毛利元蕃
清末藩 毛利元純
府中藩[9] 毛利元敏
新谷藩 加藤泰令
蓮池藩 鍋島直紀
小城藩 鍋島直虎
鹿島藩 鍋島直彬
明治2年6月29日(1869年8月6日 山形藩 水野忠弘
明治2年7月14日(1869年8月21日 小松藩 一柳頼明 先代の死去
明治2年7月19日(1869年8月26日 天童藩 織田信敏 先代が幼少のため
明治2年7月22日(1869年8月29日 鶴岡藩 酒井忠宝
明治2年7月25日(1869年9月1日 喜連川藩 喜連川聡氏[10]
明治2年7月27日(1869年9月3日 高須藩 松平義生 先代の隠居
明治2年8月2日(1869年9月7日 七日市藩 前田利昭 先代の隠居
守山藩 松平頼之 先代の隠居
明治2年8月13日(1869年9月18日 黒石藩 津軽承叙
明治2年8月14日(1869年9月19日 飯山藩 本多助実 先代の死去
明治2年8月19日(1869年9月24日 磐城平藩 安藤信勇
忍藩 松平忠敬
明治2年8月(1869年9月) 多古藩 久松勝慈 先代の死去
明治2年9月20日(1869年10月24日 桑名藩 松平定教
明治2年9月23日(1869年10月27日 岡藩 中川久成 先代の隠居
明治2年10月23日(1869年11月26日 野村藩 戸田氏良
明治2年11月2日(1869年12月4日 高梁藩 板倉勝弼
明治2年11月18日(1869年12月20日 丹南藩 高木正善 先代の隠居
明治2年12月7日1870年1月8日 小諸藩 牧野康済
明治3年1月12日(1870年2月12日 生坂藩 池田政礼
明治3年1月28日(1870年2月28日 出石藩 仙石政固 先代の隠居
明治3年2月22日(1870年3月23日 小久保藩 田沼意斉 先代の死去
明治3年2月24日(1870年3月25日 岩崎藩 佐竹義理
明治3年10月25日(1870年11月18日 仙台藩 伊達宗敦 先代が幼少のため
明治3年4月12日(1870年5月12日 大溝藩 分部光謙 先代の死去
明治3年5月8日(1870年6月6日 熊本藩 細川護久 先代の隠居
明治3年5月15日(1870年6月13日 斗南藩 松平容大
明治3年8月2日(1870年8月28日 福本藩 池田徳潤
明治3年8月17日(1870年9月12日 前橋藩 松平直方 先代の隠居
明治3年9月17日(1870年10月11日 小浜藩 酒井忠経 鞠山藩の編入にともない前鞠山藩知事より転任
菰野藩 土方雄志 先代の隠居
明治3年9月25日(1870年10月19日 壬生藩 鳥居忠文 先代の隠居
明治3年12月14日1871年2月3日 長尾藩 本多正憲 先代の隠居
明治4年1月4日(1871年2月22日 松山藩 松平定昭 先代の隠居
明治4年2月11日(1871年3月31日 村岡藩 山名義路 先代の隠居
明治4年4月10日(1871年5月28日 成羽藩 山崎治敏 先代の隠居
明治4年6月28日(1871年8月14日 津藩 藤堂高潔 先代の隠居
明治4年7月2日(1871年8月17日 福岡藩 有栖川宮熾仁親王 先代が偽札事件で罷免されたため
明治4年(1871年) 鳥取藩 池田輝知 先代の隠居

脚注

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  1. ^ 「稲田騒動で徳島藩主に謹慎命令 徳島市内、太政官の文書発見」 徳島新聞 2005年2月15日付
  2. ^ 駿河国明治2年8月7日1869年9月12日)に静岡藩に改称。
  3. ^ 対馬国。明治2年8月7日(1869年9月12日)に厳原藩に改称。
  4. ^ 美作国。明治2年7月4日(1869年8月11日)に真島藩に改称。
  5. ^ 安房国。明治2年6月23日(1869年7月31日)に加知山藩に改称。
  6. ^ 武蔵国。明治2年6月27日(1869年8月4日)に六浦藩に改称。
  7. ^ 越後国。明治2年10月29日(1869年11月22日)に峰岡藩に改称。
  8. ^ トシは卆+百+千の合字。
  9. ^ 長門国。明治2年8月7日(1869年9月12日)に豊浦藩に改称。
  10. ^ 太政官日誌』に該当記事なし。

関連項目

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