毛利元純
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毛利元純 | |
時代 | 江戸時代後期(幕末) - 明治時代 |
生誕 | 天保3年11月6日(1832年11月27日) |
死没 | 明治8年(1875年)3月12日 |
改名 | 銀三郎(幼名)、元純 |
墓所 | 山口県下関市清末の高林寺 |
官位 | 従五位下、讃岐守、贈従三位 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 長門清末藩主 |
氏族 | 木下氏→毛利氏 |
父母 |
父:木下俊敦、母:河瀬氏 養父:毛利元承 |
兄弟 | 木下俊方、元純、木下俊程、木下俊愿 |
妻 |
正室:毛利斉熙の娘・天妙院 継室:毛利熙頼の娘・万佐子 |
子 |
元忠、娘(国司純行室)、 娘(毛利徹之室のち佐々木竜円室)、 娘(吉川経健正室のち新田忠純室) |
毛利 元純(もうり もとずみ)は、長門国清末藩第8代(最後)の藩主。
生涯
[編集]天保3年(1832年)11月6日、豊後日出藩主・木下俊敦の四男として江戸で生まれる。嘉永2年(1849年)に第7代藩主・元承が早世したため、その養子となって嘉永3年(1850年)3月5日に跡を継いだ。嘉永4年(1851年)に叙任している。
幕末期は、本家の長州藩主毛利敬親の代理(名代)として働くことが多く、慶応2年(1866年)の第2次長州征伐では、大村益次郎と協力して石見浜田藩の軍勢を打ち破っている。明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官された。
明治8年(1875年)3月12日に死去した。享年44。明治24年(1891年)に従三位を追贈された。