毛利就将
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毛利 就将(もうり なりまさ、延享3年(1746年) - 寛政9年7月16日(1797年8月8日))は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の7代当主。
父は毛利元直。正室は右田毛利広定の娘。子に毛利包詮、細川義弘(長府藩家老)。養子に毛利就兼。幼名は虎槌。通称は伊豆。
生涯
[編集]延享3年(1746年)、一門家老毛利元直の長男として生まれる。宝暦3年(1753年)、父の死去により家督を相続する。宝暦10年(1760年)、藩主世子に岩之允(毛利治親)が定められた際に、反対派の一門家老宍戸広周、毛利元連が処罰され、就将も同心との嫌疑を受けて家老の出頭を求められる。宝暦13年(1763年)、開作(干拓)による加増で知行1万855石となる。安永2年(1773年)、隠居して家督を養子の就兼に譲る。寛政9年(1797年)7月16日没。享年52。
参考文献
[編集]- 石川卓美著「防長歴史用語辞典」