毛利房晁
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明6年(1786年) |
死没 | 天保15年7月27日(1844年9月9日) |
改名 | 房衆(初名)→房晁 |
別名 | 少輔一郎(通称) |
主君 | 毛利斉房→斉熙→斉元 |
藩 | 長州藩一門家老 |
氏族 | 厚狭毛利家 |
父母 | 父:毛利就宣 |
兄弟 | 房良、房嘉、房謙 |
子 | 元美、親民 |
毛利 房晁(もうり ふさあき)は、長州藩一門家老である厚狭毛利家の第9代当主。長州藩主の毛利斉房より偏諱の授与を受けて初め房衆(ふさひろ)、のち房晁と名乗る。
生涯
[編集]天明6年(1786年)、長州藩家老毛利就宣の子として生まれる。享和2年(1802年)父と共に郷校朝陽館を設立し、儒学者市川玄翠を招く。文化元年(1804年)、父の死去により家督を相続する。文政9年(1826年)、藩政改革のために人事の刷新を密議したことを罪に問われ、逼塞処分となり、隠居して家督を嫡男の元美に譲った。天保15年(1844年)7月27日死去。享年59。
参考文献
[編集]- 『山陽町史』