毛利元良
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毛利元良 もうり もとよし | |
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『貴族院要覽』より | |
生年月日 | 1897年8月20日 |
没年月日 | 1957年5月31日(59歳没) |
出身校 | 学習院高等科修了 |
所属政党 | 公正会 |
称号 | 正四位 |
配偶者 | 毛利鏉子 |
親族 |
伯父・毛利元昭(貴族院議員) 伯父・小早川四郎(貴族院議員) 伯父・松平康荘(貴族院議員) 伯父・徳川厚(貴族院議員) 叔父・西園寺八郎(貴族院議員) 叔父・三条公美(貴族院議員) 叔父・松平慶民(宮内大臣) 叔父・徳川義親(貴族院議員) 祖父・毛利元徳(貴族院議員) 祖父・松平春嶽(大蔵卿) 父・毛利五郎(貴族院議員) 義父・鍋島直虎(貴族院議員) 従兄・松平康昌(貴族院議員) 従兄・徳川喜翰(貴族院議員) 従弟・毛利元道(貴族院議員) 従弟・西園寺公一(参議院議員) 従弟・大木喜福(貴族院議員) |
在任期間 | 1943年5月6日 - 1947年5月2日 |
毛利 元良(もうり もとよし、1897年〈明治30年〉8月20日[1] - 1957年〈昭和32年〉5月31日[1][2])は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。位階は正四位[3]。
経歴
[編集]男爵・毛利五郎の長男として生まれる[1][4]。父の死去に伴い家督を継承し、1926年(大正15年)2月1日、男爵を襲爵した[1][4][5]。
学習院高等科を修了し、第八高等学校で学んだ[2][4]。1924年(大正13年)逓信省電気試験所嘱託となる[2]。その後、国際観光局嘱託、情報局嘱託などを務めた[2]。その他、朝鮮鉄道、朝鮮放送協会で勤務した[2]。
1943年(昭和18年)5月6日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 毛利五郎 |
男爵 (萩)毛利家(分家)第2代 1926年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |