コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

毛利元良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
毛利元良
もうり もとよし
『貴族院要覽』より
生年月日 1897年8月20日
没年月日 (1957-05-31) 1957年5月31日(59歳没)
出身校 学習院高等科修了
所属政党 公正会
称号 正四位
配偶者 毛利鏉子
親族 伯父・毛利元昭(貴族院議員)
伯父・小早川四郎(貴族院議員)
伯父・松平康荘(貴族院議員)
伯父・徳川厚(貴族院議員)
叔父・西園寺八郎(貴族院議員)
叔父・三条公美(貴族院議員)
叔父・松平慶民(宮内大臣)
叔父・徳川義親(貴族院議員)
祖父・毛利元徳(貴族院議員)
祖父・松平春嶽(大蔵卿)
父・毛利五郎(貴族院議員)
義父・鍋島直虎(貴族院議員)
従兄・松平康昌(貴族院議員)
従兄・徳川喜翰(貴族院議員)
従弟・毛利元道(貴族院議員)
従弟・西園寺公一(参議院議員)
従弟・大木喜福(貴族院議員)

在任期間 1943年5月6日 - 1947年5月2日
テンプレートを表示

毛利 元良(もうり もとよし、1897年明治30年〉8月20日[1] - 1957年昭和32年〉5月31日[1][2])は、大正から昭和期の政治家華族貴族院男爵議員位階正四位[3]

経歴

[編集]

男爵毛利五郎の長男として生まれる[1][4]。父の死去に伴い家督を継承し、1926年(大正15年)2月1日、男爵を襲爵した[1][4][5]

学習院高等科を修了し、第八高等学校で学んだ[2][4]1924年(大正13年)逓信省電気試験所嘱託となる[2]。その後、国際観光局嘱託、情報局嘱託などを務めた[2]。その他、朝鮮鉄道朝鮮放送協会で勤務した[2]

1943年(昭和18年)5月6日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

親族

[編集]
  • 妻:鏉子(としこ、鍋島直虎三女)[1]
  • 長男:元維(日本航空機長)[1]
  • 孫 : 富浦元公演(音楽家)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』723頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』86頁。
  3. ^ 火曜会所属・公正会所属貴族院議員録 87コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』モ4頁。
  5. ^ 『官報』第4030号、大正15年2月2日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、51頁。
  7. ^ 『官報』第4893号、昭和18年5月8日。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
毛利五郎
男爵
毛利家(分家)第2代
1926年 - 1947年
次代
華族制度廃止