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谷衛滋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
谷 衛滋
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文化14年2月2日1817年3月19日
死没 明治8年(1875年4月6日
官位 従五位下大膳亮
幕府 江戸幕府
主君 徳川家定家茂慶喜
丹波山家藩
氏族 石岡松平家→谷氏
父母 松平頼説谷衛弼
兄弟 松平頼縄中山信守松平頼功
有馬広衆衛滋知久頼匡、信、
松平頼善室、本堂親道正室ら
谷衛弼養女)
寿衛島智雄養女、山口某室、本多某室、大関増勤
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谷 衛滋(たに もりしげ)は、丹波国山家藩の第13代(最後)の藩主。

生涯

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常陸国府中藩松平頼説の五男。安政2年12月28日(1856年)、山家藩の先代藩主谷衛弼の死去に際し、末期養子として家督を相続する。安政4年12月15日(1858年)、従五位下・大膳正に叙任する。慶応4年(1868年)1月19日、上洛し、1月25日、明治天皇に拝謁する。西園寺公望が指揮する山陰道鎮撫軍に恭順した。明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還知藩事に就任した。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県で免官となる。

明治7年(1875年)4月6日、59歳で死去した。

系譜

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脚注

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  1. ^ 山口荘吉『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  2. ^ 二十銀行山口荘吉『財界の実力』
  3. ^ 湯長谷藩は丹波国に飛地領があった。
当主
先代
谷衛弼
山家藩谷家
1856年 - 1875年?
次代
谷寿衛