一柳頼明
表示
一柳頼明 | |
時代 | 江戸時代後期 - 大正時代 |
生誕 | 安政5年7月15日(1858年8月23日)[1] |
死没 | 大正9年(1920年)1月16日[1] |
改名 | 絃次郎(幼名)、頼明 |
別名 | 頼朗 |
戒名 | 幽松軒殿大勇宗義大居士 |
墓所 | 愛媛県西条市の仏心寺山 |
官位 | 従五位下 |
主君 | 明治天皇 |
藩 | 伊予小松藩主 |
氏族 | 一柳氏 |
父母 | 一柳頼紹、原田氏 |
兄弟 | 栄子、頼明、紹念ら |
妻 | 一柳氏、武田サダ長女カク[2] |
一柳 頼明(ひとつやなぎ よりあき)は、伊予国小松藩第9代(最後)の藩主(知藩事)。
生涯
[編集]安政5年(1858年)7月15日、第8代藩主・一柳頼紹の三男として生まれる。母は側室の原田氏。
慶応4年(1868年)2月、病気の父の代理として上洛する。同年4月、帰藩する。明治2年(1869年)12月7日、父の死去にともない、家督を相続する。同時に従五位となり、知藩事に就任した。2年後の明治4年(1871年)、廃藩置県に伴って免官された。
明治7年(1874年)6月に隠居し[1]、弟の紹念(つぐむね)に家督を譲った。
頼明は明治18年(1885年)に一柳子爵家から分家[1]。大正9年(1920年)1月16日に63歳で死去した。
系譜
[編集]- 父:一柳頼紹(1822年 - 1869年)
- 母:原田氏
- 先妻:一柳氏
- 後妻:カク - 武田サダ長女
頼明から家督を譲られた弟の紹念(万延元年(1860年)10月12日 - 昭和4年(1929年)3月12日)は、明治17年(1884年)、華族令施行により子爵に叙せられる。
紹念は大正3年(1914年)に隠居し、養子の直徳(なおえ、伊達宗徳七男)が家督を継承した。直徳の子・直俊(なおとし)の代で華族制度廃止を迎える。
参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)
脚注
[編集]外部リンク
[編集]当主 | ||
---|---|---|
先代 一柳頼紹 |
小松一柳家 1869年 - 1874年 |
次代 一柳紹念 |