森川俊方
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 嘉永3年(1850年)1月 |
死没 | 明治10年(1877年)11月7日 |
別名 | 伝吉郎(幼名)、俊方 |
墓所 | 目黒区の祐天寺 |
官位 | 従五位下、内膳正 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下総生実藩主 |
氏族 | 酒井氏→森川氏 |
父母 | 父:酒井忠方、養父:森川俊徳 |
兄弟 | 酒井忠良、俊方 |
妻 | 正室:牧野節成の五女 |
子 | 恒(長男) |
森川 俊方(もりかわ としかた)は、下総生実藩の第12代(最後)の藩主。
嘉永3年(1850年)1月、出羽松山藩の第6代藩主酒井忠方の六男として生まれる。文久2年(1862年)12月16日、生実藩の第11代藩主森川俊徳が死去したため、その末期養子となって家督を継いだ。12月23日、将軍徳川家茂に拝謁する。12月28日、従五位下・内膳正に叙位・任官する。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、2月に家臣を上京させて新政府に恭順を誓い、4月16日に上洛した。閏4月29日に帰国の許可を得た。10月7日に東京に入り、12月には市中取締役を務めている。明治2年(1869年)6月24日の版籍奉還で生実藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免職された。
明治10年(1877年)11月7日に死去した。享年28。
系譜
[編集]父母
正室
- 牧野鈺子 ー 牧野節成の五女
子女
- 森川恒(長男)