森川俊常
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄10年12月8日(1698年1月19日) |
死没 | 享保19年7月1日(1734年7月30日) |
別名 |
堀場又三郎(幼名)、俊常 →重紹、重基(別名) |
戒名 | 功全院忠林玄心 |
墓所 | 千葉県千葉市中央区の重俊院 |
官位 | 従五位下、内膳正 |
幕府 | 江戸幕府 大番頭 |
藩 | 下総生実藩主 |
氏族 | 森川氏 |
父母 | 父:森川俊胤、母:放雲院 |
兄弟 | (長男)、俊常、重能 |
妻 | 側室:嶺松院 |
子 |
以智(森川俊令正室)、娘(森川俊因室)、 娘(内藤正芳室)、養子:俊令 |
森川 俊常(もりかわ としつね)は、下総生実藩の第5代藩主。
生涯
[編集]元禄10年(1697年)12月8日、第4代藩主・森川俊胤の次男として生まれる。庶子だったために家督相続から外されていたが、兄が早世し、弟ながら正室の子であるため嫡男であった重能も享保元年(1716年)に早世したことにより、同年に父より世子に指名された。享保元年(1716年)7月22日に従五位下・内膳正に叙位・任官する。この頃の名乗りは「森川重基」。
享保9年(1724年)12月1日、江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の世子である徳川家重が元服した際、「重」の字を避けるために父(重令から俊胤)と共に名を「俊常」に改名した。享保17年(1732年)閏5月11日に父が病気により隠居したため家督を継ぎ、8月9日に大番頭に任じられる。享保18年(1733年)8月5日に大坂城番に任じられる。享保19年(1734年)7月1日に父に先立って死去した。享年38。
系譜
[編集]父母
- 森川俊胤(父)
- 放雲院 ー 側室(母)
側室
- 嶺松院
子女
養子