森忠儀
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森忠儀 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 嘉永3年4月24日(1850年6月4日) |
死没 | 明治18年(1885年)10月15日 |
改名 | 扇松丸(幼名)、忠儀 |
墓所 | 兵庫県赤穂市の花岳寺 |
官位 | 従五位下・越後守、子爵 |
主君 | 明治天皇 |
藩 | 播磨赤穂藩主 |
氏族 | 森氏 |
父母 |
森忠徳、酒井忠嗣娘 森忠典 |
兄弟 | 忠弘、忠典、忠儀、四男、森某養女 |
妻 | 松平斉韶娘 |
子 | 忠恕 |
森 忠儀(もり ただのり)は、播磨国赤穂藩第12代(最後)の藩主。赤穂藩森家18代。
略歴
[編集]嘉永3年(1850年)4月24日、10代藩主・森忠徳の三男として生まれる。慶応4年(1868年)3月19日、同母兄で11代藩主の森忠典が隠居したため、その養子として家督を継ぎ、従五位下・越後守に叙位・任官する。戊辰戦争では新政府に与して姫路藩攻撃に参加した。
明治2年(1869年)6月22日、版籍奉還により赤穂藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官された。明治17年(1884年)7月8日、華族令により子爵に叙せられた。明治18年(1885年)10月15日に死去した。享年36。
系譜
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (赤穂)森家初代 1884年 - 1885年 |
次代 森忠恕 |
当主 | ||
先代 森忠典 |
美濃森家(宗家) 1868年 - 1885年 |
次代 森忠恕 |