コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊達宗基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達宗基
伊達宗基
時代 江戸時代後期 - 大正時代
生誕 慶応2年7月15日1866年8月24日
死没 大正6年(1917年1月27日
改名 建千代麿、亀三郎(幼名)→宗基
別名 榴岡、鶴城(
墓所 仙台市大年寺
主君 明治天皇
陸奥仙台藩主→仙台藩知事
氏族 伊達氏
父母 父:伊達慶邦、母:松岡時良の娘・道子
兄弟 斐姫、婉姫、禎丸、宗基、松五郎、邦宗、某、徳六郎
正室:松浦詮の三女・都子
恵以子(上野正雄夫人)
養子:邦宗
テンプレートを表示

伊達 宗基(だて むねもと)は、江戸時代末期大名明治時代から大正時代華族位階爵位従二位伯爵

伊達宗家の第30代当主で、仙台藩第14代(最後の)藩主、同藩初代知藩事幼名建千代麿亀三郎榴岡鶴城

生涯

[編集]

第13代藩主・伊達慶邦の四男。母は仙台藩士・松岡時良の娘・道子(お勝の方)。正室松浦詮の三女・都子。

慶応4年(1868年)、父・慶邦が奥羽越列藩同盟の盟主になったために罰された。のち家督を譲られて藩主に就いたものの、新政府により62万石の所領を28万石に減封される。実高はもっと低く10万石程度であったために伊達家は伯爵となる。明治2年(1869年)の版籍奉還後、仙台知藩事となり、北海道紗那地方の支配も命ぜられた。

しかし幼少であり、本来なら慶邦の跡を継ぐのは養子・宗敦であったため、明治3年(1870年)に謹慎を解かれた宗敦に知藩事を譲った。廃藩置県後、明治17年(1884年)に伯爵となる。

明治34年(1901年)、明治天皇仙台巡幸の際、伊達家に伝わる鶴丸を献上。

大正6年(1917年)に52歳で死去。従二位を追贈される。伊達伯爵家は弟の邦宗(慶邦の七男)が継いだ。

栄典

[編集]

家族

[編集]

偏諱を受けた人物

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
  2. ^ 『官報』第699号「官庁彙報 - 褒賞」1885年10月28日。
  3. ^ 『官報』第1598号「彙報 - 褒賞」1888年10月25日。
  4. ^ 『官報』第2244号「叙任及辞令」1890年12月19日。
  5. ^ 『官報』第2604号「彙報 - 褒賞」1892年3月9日。
  6. ^ 『官報』第2881号「彙報 - 褒賞」1893年2月8日。
  7. ^ 『官報』第3117号「彙報 - 褒賞」1893年11月17日。
  8. ^ 『官報』第3229号「彙報 - 褒賞」1894年4月9日。
  9. ^ 『官報』第3447号「叙任及辞令」1894年12月22日。
  10. ^ 『官報』第3566号「彙報 - 褒賞」1895年5月22日。
  11. ^ 『官報』第4200号「彙報 - 褒賞」1897年7月3日。
  12. ^ 『官報』第4492号「彙報 - 褒賞」1898年6月22日。
  13. ^ 『官報』第4551号「彙報 - 褒賞」1898年8月30日。
  14. ^ 『官報』第4813号「彙報 - 褒賞」1899年7月18日。
  15. ^ 『官報』第5507号「彙報 - 褒賞」1901年11月9日。
  16. ^ 『官報』第6135号「叙任及辞令」1903年12月12日。
  17. ^ 『官報』第6723号「彙報 - 褒賞」1905年11月27日。
  18. ^ 『官報』第8193号「彙報 - 褒賞」1910年10月11日。
  19. ^ 『官報』第8197号「彙報 - 褒賞」1910年10月15日。
  20. ^ 『官報』第103号「彙報 - 褒賞」1912年12月3日。
  21. ^ 『官報』第109号「彙報 - 褒賞」1912年12月10日。
  22. ^ 『官報』第8552号「叙任及辞令」1911年12月21日。
  23. ^ 『官報』第276号「彙報 - 褒賞」1913年7月1日。
  24. ^ 『官報』第487号「彙報 - 褒賞」1914年3月16日。
  25. ^ 『官報』第1144号「彙報 - 褒賞」1916年5月26日。
  26. ^ 『官報』第1346号「叙任及辞令」1917年1月30日。
日本の爵位
先代
創設
伯爵
仙台伊達家初代
1884年 - 1917年
次代
伊達邦宗