伊達基
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伊達 基(だて もとい、1877年(明治10年)5月7日[1][2] - 1928年(昭和3年)1月13日[2])は、日本の北海道華族(男爵)[1][3]。正四位[3]。
人物
[編集]伊達家は伊達政宗の曽祖父稙宗第三子実元の後裔である[3]。その子成実より10数世を経て邦実に至る[3]。邦実は仙台藩内で亘理3万石を領す[3]。その養子邦成は戊辰戦争敗北で領地を100分の1以下とされ、困窮した家臣団を連れて北海道で開拓事業を始める。北海道開拓御用掛、有珠紋鼈学校長等を歴任し男爵となる[3]。
基は邦成の三男である[1][3]。1904年12月28日に襲爵する[1][2][3][4]。1905年、叙正五位[5]。1912年、叙従四位[6]。住所は北海道有珠郡伊達村[1][3](現伊達市)。
家族・親族
[編集]- 伊達家
- 父・邦成[1][3]
- 母・トヨ(1852年 - 1926年、伊達邦実の長女)[1][2]
- 妻・昌(1881年 - 1954年、宮城、石川邦光三女、石川小膳の妹)[1][2][3]
- 男・成勲(1906年 - 1932年)[1][2]
- 二女・敦子(1910年 - ?、廉夫の妻)[1][2]
- 養孫・廉夫(1907年 - 1987年、成勲養子、加藤泰秋六男)[2]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第4版』た138頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、67頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第7版』た190頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
- ^ 『官報 1904年12月29日』官報 第6451号 891頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
- ^ 『官報 1905年1月11日』官報 第6457号 196頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
- ^ 『官報 1912年1月22日』官報 第8574号 317頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 大蔵省印刷局編『官報 1904年12月29日』日本マイクロ写真、1904年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1905年1月11日』日本マイクロ写真、1905年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1912年1月22日』日本マイクロ写真、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 伊達邦成 |
男爵 (亘理)伊達家2代 1904年 - 1928年 |
次代 伊達成勲 |