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伊達基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊達 基(だて もとい、1877年明治10年)5月7日[1][2] - 1928年昭和3年)1月13日[2])は、日本の北海道華族男爵[1][3]正四位[3]

人物

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伊達家は伊達政宗の曽祖父稙宗第三子実元の後裔である[3]。その子成実より10数世を経て邦実に至る[3]。邦実は仙台藩内で亘理3万石を領す[3]。その養子邦成は戊辰戦争敗北で領地を100分の1以下とされ、困窮した家臣団を連れて北海道で開拓事業を始める。北海道開拓御用掛、有珠紋鼈学校長等を歴任し男爵となる[3]

基は邦成の三男である[1][3]1904年12月28日に襲爵する[1][2][3][4]1905年、叙正五位[5]1912年、叙従四位[6]。住所は北海道有珠郡伊達村[1][3](現伊達市)。

家族・親族

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伊達家

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第4版』た138頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、67頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第7版』た190頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
  4. ^ 『官報 1904年12月29日』官報 第6451号 891頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
  5. ^ 『官報 1905年1月11日』官報 第6457号 196頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
  6. ^ 『官報 1912年1月22日』官報 第8574号 317頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。

参考文献

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  • 大蔵省印刷局編『官報 1904年12月29日』日本マイクロ写真、1904年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1905年1月11日』日本マイクロ写真、1905年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1912年1月22日』日本マイクロ写真、1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
伊達邦成
男爵
(亘理)伊達家2代
1904年 - 1928年
次代
伊達成勲