伊達邦教
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時代 | 幕末 |
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生誕 | 天保12年(1841年) |
死没 | 明治2年5月2日(1869年6月11日) |
別名 | 藤三郎、筑前 |
墓所 | 養雲寺(宮城県登米市) |
主君 | 伊達慶邦 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達邦寧 |
子 | 基寧、寧永(岩出山伊達邦直の娘婿) |
伊達 邦教(だて くにのり、1841年(天保12年) - 1869年(明治2年))は、幕末の仙台藩一門第五席・登米伊達家第13代当主。
生涯
[編集]天保12年(1841年)、登米伊達家第12代当主・伊達邦寧の子として生まれる。幼名は藤三郎。のち元服の際に伊達慶邦から偏諱を賜り、邦教と名乗る。
天保14年(1843年)3月、父邦寧の死去により家督を相続し登米邑主となる。安政4年(1857年)登米伊達家に仕える医師羽生玄栄(凌雲)を京に遣わし情勢を探らせた。慶応4年(1868年)戊辰戦争の際に、御霊櫃口の先鋒を務めた。戊辰戦争の敗戦で仙台藩が減封を受け、長年治めた登米領を没収された。
明治2年(1869年)5月2日、死去。享年29。跡目を嫡男の基寧(もとやす、「基」の字は慶邦の子・伊達宗基から偏諱を賜ったもの)が継いだ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『仙台人名大辞書』