伊達村幸
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 安永6年(1777年) |
死没 | 享和3年11月9日(1803年12月22日) |
別名 | 辰之輔、式部 |
主君 | 伊達重村→斉村→周宗 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達村良 |
兄弟 | 田村村資、村幸、宗充 |
妻 | 正室:伊達重村の娘灌子 |
子 | 養子:宗充 |
伊達 村幸(だて むらゆき)は、江戸時代中期の仙台藩一門第五席・登米伊達家第10代当主。
生涯
[編集]安永6年(1777年)、登米伊達家第9代当主・伊達村良の次男として生まれる。幼名は辰之輔。兄の村資は庶子であったため、この翌年に伯父・村隆が当主の一関藩田村氏を継ぎ、これによって辰之輔が嫡子となった。
天明6年(1787年)12月、父・村良の死去により家督相続し、登米邑主となる。従兄で仙台藩主の伊達重村より偏諱を賜って村幸に改名。
寛政8年(1796年)7月、新たに藩主となった重村の次男・伊達斉村が就任6年目にして死去した際に、世子周宗の補佐を託される。寛政9年(1797年)、農民が蜂起し仙台城下に迫った際に、奉行(家老)中村景貞が、大番頭石田準直(のりなお)に大小砲を用いて鎮圧するよう命じた。村幸は、領民に兵器を用いる愚を説いて、これを阻止した。寛政12年(1800年)9月、先々代藩主重村公女灌子と結婚。
享和3年(1803年)11月9日、死去。享年27。家督は実弟の幸充(宗充)が相続した。正室灌子(順孝院)は落飾し、文政4年(1821年)7月24日、35歳で没した。
偏諱を与えた人物
[編集]- 伊達幸充(実弟、次代当主、のち宗充に改名)
参考文献
[編集]- 『仙台人名大辞書』
- 『東北産業経済史 仙台藩』