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伊達村倫 (登米伊達家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達村倫
時代 江戸時代中期
生誕 正徳5年(1715年
死没 寛保2年7月25日1742年8月25日
改名 羊之助(幼名)、村倫
別名 相模、近江(通称
主君 伊達吉村
陸奥仙台藩
氏族 登米伊達家
父母 伊達村和、清心院
伊達村永
兄弟 村詮、卯三郎、三沢村清、駒五郎、村倫、しほ、律道
伊達村景娘・
村勝村良
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伊達 村倫(だて むらとも)は、江戸時代中期の陸奥国仙台藩一門第五席・登米伊達家7代当主。

生涯

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正徳5年(1715年)、元中津山藩主・伊達村和の子として誕生した。幼名は中村羊之助

享保9年(1724年)、登米伊達家6代当主・伊達村永の死去により、その家督を相続し登米邑主となる。享保10年(1725年)1月、仙台藩5代藩主・伊達吉村の加冠で元服し、偏諱を受け村倫と名乗る。

日置流射術を氏家豊寿に、柳生新陰流刀術を丹野了幻に、高麗流八条家馬術を佐伯次芳に、正伝流兵術を家臣羽田景道に、それぞれ学んだ。

享保20年(1735年)10月、藩主嗣子・宗村と8代将軍・徳川吉宗の養女利根姫の婚礼の際の使者を務める。

寛保2年(1742年)7月25日死去。享年28。家督は養子の村勝が継いだ。

出典

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  • 『伊達族譜』