伊達五郎吉
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永15年(1638年) |
死没 | 正保元年8月19日(1644年9月19日) |
戒名 | 広山源心 |
墓所 | 宮城県仙台市の金剛宝山輪王寺 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 登米伊達家 |
父母 |
伊達忠宗、長田忠重娘・瑞昌院 白石宗貞 |
兄弟 |
鍋姫、虎千代丸、光宗、田村宗良、 五郎吉、宗倫、綱宗、宗規、宗房、 飯坂宗章 |
妻 | 白石宗貞長女・龍雲院 |
伊達 五郎吉(だて ごろきち)は、江戸時代前期の陸奥国仙台藩一門第五席・登米伊達家3代当主。
生涯
[編集]寛永15年(1638年)、仙台藩2代藩主・伊達忠宗の四男として仙台城にて誕生。第5子であるため五郎吉と名付けられた。
寛永17年(1640年)、登米邑主・白石宗勝(宗貞)の養子となって家督を相続する。寛永20年(1643年)、先々代・宗直の例に倣って忠宗より伊達の氏を賜る。
正保元年(1644年)8月19日、仙台城二ノ丸で病死した。享年7。家督は同母弟の辰之助(宗倫)が相続した。
参考文献
[編集]- 『伊達氏治家記録』