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伊達宗充

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達 宗充
時代 江戸時代
生誕 天明7年(1787年
死没 天保14年6月11日1843年7月8日
改名 秀之助(幼名)→幸充(初名)→宗充
別名 宗清(別名)
通称: 右京、民部、右近、式部、長門
主君 伊達周宗斉宗斉義斉邦
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達村良
兄弟 田村村資村幸宗充
正室:常子姫(片倉村典の娘)
子:斉邦邦寧、大立目充宣
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伊達 宗充(だて むねみつ)は、江戸時代後期の陸奥仙台藩一門第五席・登米伊達家第11代当主。仙台藩第12代藩主伊達斉邦の実父。

生涯

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天明7年(1787年)、登米伊達家第9代当主・伊達村良の四男として生まれる。幼名は秀之助

享和3年(1803年)11月、兄・村幸の死去により家督相続し登米邑主となる。村幸より1字取って幸充(ゆきみつ)とする。のちに仙台藩主・伊達周宗より偏諱を賜い宗充に改名。

民生に心を配り、小島、赤生津村で開墾事業や、北上川迫川の堤防の修築を行う。

文化9年(1812年)9月、藩主・斉宗(周宗弟)帰国許可の謝使として江戸に出府する。

文政10年(1827年)1月25日、長男幸五郎(斉邦)が藩主・斉義の婿養子となる。

天保14年(1843年)6月11日、死去。享年57。

参考文献

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  • 『仙台人名大辞書』
  • 『東北産業経済史 仙台藩』