伊達宗充
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 天明7年(1787年) |
死没 | 天保14年6月11日(1843年7月8日) |
改名 | 秀之助(幼名)→幸充(初名)→宗充 |
別名 |
宗清(別名) 通称: 右京、民部、右近、式部、長門 |
主君 | 伊達周宗→斉宗→斉義→斉邦 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達村良 |
兄弟 | 田村村資、村幸、宗充 |
妻 | 正室:常子姫(片倉村典の娘) |
子 | 子:斉邦、邦寧、大立目充宣 |
伊達 宗充(だて むねみつ)は、江戸時代後期の陸奥仙台藩一門第五席・登米伊達家第11代当主。仙台藩第12代藩主伊達斉邦の実父。
生涯
[編集]天明7年(1787年)、登米伊達家第9代当主・伊達村良の四男として生まれる。幼名は秀之助。
享和3年(1803年)11月、兄・村幸の死去により家督相続し登米邑主となる。村幸より1字取って名を幸充(ゆきみつ)とする。のちに仙台藩主・伊達周宗より偏諱を賜い宗充に改名。
民生に心を配り、小島、赤生津村で開墾事業や、北上川、迫川の堤防の修築を行う。
文化9年(1812年)9月、藩主・斉宗(周宗弟)帰国許可の謝使として江戸に出府する。
文政10年(1827年)1月25日、長男幸五郎(斉邦)が藩主・斉義の婿養子となる。
参考文献
[編集]- 『仙台人名大辞書』
- 『東北産業経済史 仙台藩』