伊達宗規 (岩谷堂伊達家)
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永21年10月20日(1644年11月19日)[1] |
死没 | 貞享2年2月10日(1685年3月14日) |
改名 | 藤松丸(幼名)→宗規 |
別名 | 左兵衛 |
主君 | 伊達忠宗→綱宗→綱村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 |
父:伊達忠宗、母:ふさ(三田村又右衛門娘) 養父:伊達国隆 |
兄弟 |
虎千代丸、光宗、田村宗良、五郎吉、宗倫、綱宗、宗規、宗房、飯坂宗章、 鍋姫(立花忠茂継室、徳川秀忠養女) |
妻 |
正室:伊達国隆娘 継室:伊達宗実娘 |
子 | 村隆 |
伊達 宗規(だて むねのり)は、江戸時代前期の武士。陸奥国仙台藩一門第二席・岩谷堂伊達家3代当主。
生涯
[編集]寛永21年(1644年)、仙台藩2代藩主・伊達忠宗の七男として生まれる。母は側室三田村氏で、同母兄に田村宗良がいる。
正保4年(1647年)5月、一門の陸奥栗原郡清水邑主・伊達国隆の婿養子となる。慶安元年(1648年)9月、養父・国隆の死去により家督と知行1200石を相続する。幼いため引き続き仙台城中で養育された。承応2年(1653年)230石の加増を受ける。翌承応3年(1654年)2月、父・忠宗の加冠で元服、一文字拝領して宗規と名乗る。万治2年(1659年)、兄で仙台藩3代藩主となった綱宗より江刺郡岩谷堂に加増転封され、知行3000石となる。これ以降、代々岩谷堂を本拠としたため岩谷堂伊達家と称される。天和3年(1683年)新田を賜り知行4230石となる。
貞享2年(1685年)2月10日、死去。享年42。家督は嫡男・藤徳(村隆)が相続した。
脚注
[編集]- ^ 『仙台人名大辞書』(仙台人名大辞書刊行会、1933年)p.19
参考文献
[編集]- 『伊達世臣家譜』
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