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伊達宗規 (岩谷堂伊達家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達宗規
時代 江戸時代前期
生誕 寛永21年10月20日1644年11月19日[1]
死没 貞享2年2月10日1685年3月14日
改名 藤松丸(幼名)→宗規
別名 左兵衛
主君 伊達忠宗綱宗綱村
陸奥仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達忠宗、母:ふさ(三田村又右衛門娘)
養父:伊達国隆
兄弟 虎千代丸、光宗田村宗良五郎吉宗倫綱宗宗規宗房飯坂宗章
鍋姫(立花忠茂継室、徳川秀忠養女)
正室:伊達国隆娘
継室:伊達宗実
村隆
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伊達 宗規(だて むねのり)は、江戸時代前期の武士陸奥国仙台藩一門第二席・岩谷堂伊達家3代当主。

生涯

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寛永21年(1644年)、仙台藩2代藩主・伊達忠宗の七男として生まれる。母は側室三田村氏で、同母兄に田村宗良がいる。

正保4年(1647年)5月、一門の陸奥栗原郡清水邑主・伊達国隆の婿養子となる。慶安元年(1648年)9月、養父・国隆の死去により家督と知行1200石を相続する。幼いため引き続き仙台城中で養育された。承応2年(1653年)230石の加増を受ける。翌承応3年(1654年)2月、父・忠宗の加冠で元服、一文字拝領して宗規と名乗る。万治2年(1659年)、兄で仙台藩3代藩主となった綱宗より江刺郡岩谷堂に加増転封され、知行3000石となる。これ以降、代々岩谷堂を本拠としたため岩谷堂伊達家と称される。天和3年(1683年)新田を賜り知行4230石となる。

貞享2年(1685年)2月10日、死去。享年42。家督は嫡男・藤徳(村隆)が相続した。

脚注

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  1. ^ 『仙台人名大辞書』(仙台人名大辞書刊行会、1933年)p.19

参考文献

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  • 『伊達世臣家譜』
先代
伊達国隆
岩谷堂伊達家
第3代: 1648年 - 1685年
次代
伊達村隆