片桐貞篤
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片桐 貞篤(かたぎり さだあつ、天保12年9月19日(1841年11月2日) - 明治16年(1883年)6月26日)は、大和小泉藩の第12代(最後)の藩主。
松平頼功(常陸府中藩主・松平頼縄の弟)の長男。正室は第8代藩主・片桐貞信の娘、継室は栗原某の娘。子は貞健(長男)。官位は従五位下、主膳正。弟に越前福井藩家老となった本多副元がいる。
文久2年(1862年)、先代藩主の貞利が死去したために、貞信の娘の入婿となって家督を継いだ。このとき、貞篤は貞利の養嗣子になったとも、先々代の貞照の養子として跡を継いだとも言われている。幕末期の動乱の中では天誅組の変鎮圧などで功を挙げた。明治元年(1868年)、戊辰戦争では新政府側に与して京都の守備を担った。