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片桐貞照

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

片桐 貞照(かたぎり さだてる、天保10年5月9日1839年6月19日) - 文久2年5月24日1862年6月21日))は、大和国小泉藩の第10代藩主

第8代藩主・片桐貞信の四男[1]通称は助作。官職石見守[1]。正室は内藤正義の娘。

天保14年(1843年)8月21日、兄で先代藩主の貞中が嗣子なく死去したため、その跡を継いだ[1]安政2年(1855年)8月15日、将軍徳川家定御目見する。安政3年12月26日(1857年)、従五位下・石見守に叙任する。万延元年(1860年)3月11日、桜田門外の変の発生より、日比谷門番を解任、差控を命じられる。文久元年(1861年)10月7日、桜田門外の変に際し日比谷門の警備にあたっていた藩士、足軽を処分する。

文久2年(1862年)5月24日、死去した[1]

嗣子がなく、本庄道美の二男・貞利を養子に迎えたが、同年10月29日に死去した[1]。貞利も嗣子がなかったため、同年12月、松平頼功(松平頼縄の弟)の長男が片桐貞篤として跡を継いだ[1]。貞利は藩主としての在職期間が短く、叙任も無かったため、11代藩主として数えない[1]

脚注

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参考文献

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  • 柳沢文庫専門委員会 編『大和郡山市史』大和郡山市役所、1966年7月20日。NDLJP:3014315 (要登録)