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池田輝知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池田輝知

池田 輝知(いけだ てるとも、万延元年12月21日1861年1月31日) - 明治23年(1890年4月30日)は、因州池田家第15代当主。最後の藩主池田慶徳の次男。妻は鍋島直正[1]の娘・幸子。子は亨子(二女、池田仲博正室)、嚴子(三女、南部利淳正室)。

略歴

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明治8年(1875年)5月27日、父・慶徳の隠居により家督を継ぎ、13代当主となる。岸本辰雄(旧鳥取藩士)らが創設した明治法律学校の後援者となる[2]。明治17年(1884年)7月、華族令により侯爵を授与された。同年司法省法学校を卒業[3]

明治23年(1890年)に死去した。30歳。男子がなかったため、叔父にあたる徳川慶喜(15代将軍)の五男・池田仲博(輝知の従弟)を婿養子に迎え、跡を継がせた。

墓所は鳥取県鳥取市立川町の大雲院にあり、神号は池田輝知命という。

栄典

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脚注

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  1. ^ 鳥取藩主池田治道の外孫。
  2. ^ 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、学校法人明治大学、1992年、91頁
  3. ^ 東京帝国大学 『東京帝国大学一覧 従明治三十年至三十一年』 1912年、473頁
  4. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。

外部リンク

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日本の爵位
先代
叙爵
侯爵
鳥取池田家初代
1884年 - 1890年
次代
池田仲博
当主
先代
池田慶徳
鳥取藩池田家
15代
1875年 - 1890年
次代
池田仲博