池田政保
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池田 政保(いけだ まさやす、元治元年12月10日(1865年1月7日) - 昭和14年(1939年)2月10日)は、備中国鴨方藩の第10代(最後)の藩主、子爵。
略伝
[編集]第9代鴨方藩主で岡山藩の第10代藩主となった池田章政(政詮)の次男。最初の妻は池田慶政の娘、2度目の妻は戸田氏良の娘。養子に池田政鋹(弟・詮政の次男)。官位は従五位。幼名は満次郎。
慶応4年(1868年)3月15日、父・章政が宗家の岡山藩主を継承したため、その跡を受けて幼くして鴨方藩主となる。明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官され、9月に東京へ移った。明治17年(1884年)7月には華族令により子爵となる。
昭和14年(1939年)2月10日、満74歳で死去した。法名は高雲院。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 『太政官日誌』明治6年、第157号
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (鴨方)池田家初代 1884年 - 1939年 |
次代 池田政鋹 |