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[[1979年]]に発売された「[[カサブランカ・ダンディ]]」ではウイスキーを口にふくんで霧のように吹く演出が大きな話題となり、同曲で[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]の歌番組「[[ザ・ベストテン]]」で前年のダーリングにつぎ1位を獲得したが、[[西城秀樹]]の28枚目のシングル「[[YOUNG MAN (Y.M.C.A.)]]」大ヒット中だったため同曲での1位獲得は1週のみとなり、ザ・ベストテンでの1位獲得は同曲で最後となった。
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「[[OH! ギャル]]」では当時日本ではまだ珍しい、[[マニキュア]]を爪に施し、[[マレーネ・ディートリヒ]]をオマージュしたメイクをした。タバコを吸うシーンも見られた。


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[[1980年]]1月1日に発売された「[[TOKIO (沢田研二の曲)|TOKIO]]」では、電飾が施されたスーツを身に纏い、スタジオ全体が隠れてしまうほどの巨大な[[パラシュート]]を背負って歌唱する奇抜なパフォーマンスが大きな話題を呼んだ。

2021年12月31日 (金) 01:25時点における版

沢田 研二
出生名 澤田 研二(読み同じ)
生誕
出身地 日本の旗 日本京都府京都市
学歴 京都府立鴨沂高等学校中退
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1967年 -
レーベル
事務所
共同作業者
公式サイト 沢田研二公式サイト

沢田 研二(さわだ けんじ、1948年6月25日 - )は、日本歌手俳優作詞・作曲家ザ・タイガースPYGボーカル(PYGは萩原健一とのツインボーカル)。両親の実家がある鳥取県鳥取市生まれで京都府京都市育ち。本名:澤田 研二(読み同じ)。ニックネームはジュリー(由来は沢田本人が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったため)[4]。妻は田中裕子。前妻は伊藤エミ。身長171cm。血液型A型。

1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期から最前線で活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録(1982年から1991年までの9年間は歴代1位の座を保つ[5]。アルバムも合わせた総売上は約1,572万枚)。ザ・タイガースPYG時代も含めたシングルの総売上は1,668万枚に上る。

来歴

生い立ち

1948年6月25日、両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現:鳥取市津ノ井)で出生[6]。戸籍上の名前では、“研”という文字の右下に点がある。当時、父親が舞鶴市内の火薬研究所の取引先に勤務しており、二番目の子だったため「研二」と命名された[7]、この他に妹がいる[8]。京都市立第三錦林小学校、同・岡崎中学校卒業後、1964年4月、京都府立鴨沂高等学校入学、後に同校を中退。

なお、同じ高校の同学年に女優の大信田礼子がいた。少年時代はプロ野球選手に憧れ、選手では川上哲治藤尾茂が好きだった。中学では野球部のキャプテンを務め、ポジションは一塁手。京都市大会で4位になり、京都府大会に進出したが、ここで負けたことで野球選手の夢は諦めたという[9]。高校では空手部に所属[9]

デビュー前・ファニーズ期

京都のダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイトをしている時にサンダースに声をかけられ、17歳の沢田はローディーボーカリストになった。そのステージを見たサリーとプレイボーイズサリー(岸部修三=現・岸部一徳)からリード・ボーカルとして誘われ、翌年の元日に沢田はサリーとプレイボーイズに正式加入、グループ名は「ファニーズ」と改めた。

ファニーズは、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」に出演した際に、上条英男、スパイダクション(現・田辺エージェンシー)、そして共演したロック歌手の内田裕也からも声をかけられた。しかし具体的な話が進まなかったため、当時リーダーであった瞳みのるが東京・代々木上原の内田裕也宅を訪ね、瞳の熱意の甲斐あってメンバー全員が渡辺プロと契約。上京後、ザ・ヒットパレードのプロデューサーであったすぎやまこういちによって、テレビ番組の出演直前に「ザ・タイガース」と新たに名付けられる[10])。この時、内田に『沢ノ井謙』と言う芸名を勧められたが、沢田は本名でやりたいと拒否している[4]

ザ・タイガース期

1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」で人気が爆発し、続く「モナリザの微笑」、そして「君だけに愛を」で一気にグループ・サウンズ (GS) の頂点へと躍り出る。とりわけ端整な容姿を持った沢田は、貴公子的存在として10代の少女や20代の女性を中心に熱狂的な人気を獲得した。

1968年8月12日にザ・タイガース後楽園球場で開催した「真夏の夜の祭典」は、日本で初めてのスタジアムコンサート[11]。なお、ソロとしてのスタジアムコンサートは田園コロシアム(ザ・タイガース、PYGとしても開催)、大阪スタヂアムナゴヤ球場横浜スタジアム東京ドーム京セラドーム大阪で開催している。

1969年3月1日、アメリカの音楽雑誌の中でも歴史が長く、最も権威ある音楽雑誌の一つ『ローリング・ストーン[12] (Vol.28) の表紙に登場。日本版が刊行される前の同誌において、日本人が表紙を飾ったのは、これが最初で最後だった。

1971年1月24日、日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」でグループは解散した。

PYG期

ザ・タイガースの解散後、沢田は1971年2月1日、新たなバンド・PYGに参加する。英米で結成されたクリームやブラインド・フェイスのようなスーパー・グループで、ザ・スパイダースから井上堯之大野克夫ザ・テンプターズから萩原健一大口広司、ザ・タイガースから沢田と岸部修三という6人のメンバーによって結成された。このバンドは沢田と萩原によるツインボーカルで、井上、大野、岸部ら作詞や作曲、演奏ができる技巧派が揃い、本格的なニューロックを目指した[13]

しかし、日本ではまだ反体制のジャンルとされていたロックを、当時最大手の芸能事務所だった渡辺プロダクションの所属ミュージシャンが演奏することに対し、「商業主義」「芸能界が創り出したもの」として、コンサートではPYGにトマトや空き缶を投げつける聴衆もいた[14]

ソロ活動 - 全盛期

1971年11月1日発売のシングル「君をのせて」でソロデビューしたが、オリコン週間チャートでの最高位は23位、累計売上は10万枚だった。GSの先輩であったザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦プロデュースの下、長く音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートであった。

1972年3月11日発売の「許されない愛」がオリコン最高位4位を記録し、ソロとして初のオリコントップ10入りを果たした。一方、PYGのもう1人のボーカルである萩原健一の俳優活動が本格化してPYGは実質的に形骸化、他のメンバーは沢田のバックバンド 井上堯之バンドとして活動していくことになった。またテレビドラマ「太陽にほえろ!」第20話に犯人役でゲスト出演し、マカロニ刑事の萩原健一に撃たれ死ぬ役を演じた。(番組の企画段階では殿下役としてキャスティングされていた[15]。)

1973年4月21日発売の「危険なふたり」が大ヒットし、ソロ初のオリコン1位を獲得、第4回日本歌謡大賞を受賞(歌謡大賞歴代最高視聴率の47.4%を記録)し、ソロとしての人気を確固たるものとした。この作品以降、斬新なファッションが確立されることになった。翌1974年には「追憶」が2曲目のオリコン1位を獲得した。同年7月21日、日比谷野外音楽堂でのコンサートを皮切りに「Julie Rock'nTour」と題し日本で初めての全国ツアーを行った(16都市34公演)[16]。以降も2019年まで毎年、全国ツアーを決行した。(2020年は疫病の蔓延により全公演が中止。2021年から再開している。)

1975年1月にはシングル「愛の逃亡者 THE FUGITIVE」でイギリス、「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE」(日本語版「巴里にひとり」)でフランスに進出。フランスでは週間ラジオチャートでトップ4に入るヒットとなった[17]。さらに20万枚のヒットとなり、フランスのゴールデンディスク賞を日本人として初めて受賞する。以降、1978年にかけてフランス、イギリス、ドイツ、ベルギー等でシングル盤を発売した。また、1974年にハワイ、1977年・1978年にグアム、1979年にシンガポール、1980年・1982年に香港でそれぞれコンサートを開催している。

1975年6月4日、7年間の交際を経てザ・ピーナッツ伊藤エミ(当時34歳)と結婚[18]。同年7月20日、比叡山延暦寺で結婚式を行った。同日に開催した比叡山フリーコンサートにおいて夫婦揃ってステージに上がり、ファンに対して結婚報告を行った。二人の間には後に長男が生まれている[19]

1975年8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は5週連続オリコン1位、シングルセールスが90万枚を超え、ソロにおける最大のヒット曲となった。同曲は、沢田との仕事を熱望していた久世光彦が渡辺プロダクションに企画書を持ち込んだ3億円事件をテーマに製作されたTBSドラマ「悪魔のようなあいつ」の挿入歌として使用され大ヒットとなった。主演の沢田が歌う劇中歌でもあった。なお、共演した岸部修三はこのドラマの放映開始から間もなく井上堯之バンドを脱退、後に岸部一徳と改名し俳優の道を進んだ。

1975年12月、沢田は東京駅新幹線ホームにて出迎えの女性ファンの行動をなじった同駅職員に頭突きを加え、書類送検される。

1976年5月、沢田は新幹線の車内で乗客とトラブルを起こし、暴行事件を起こす(いもジュリー事件)。 こちらは被害者が示談より、沢田に対する書類送検は行われたものの起訴猶予以下が相当とされ、不起訴処分となった。この影響で沢田は1ヶ月間謹慎した。

同年9月に久世光彦(小谷夏名義)作詞、沢田作曲の「コバルトの季節の中で」を発売。同12月、武道館で初のコンサート。この年、NHK紅白歌合戦、賞レースは暴行事件の影響で全て辞退した。

1977年5月に発売された「勝手にしやがれ」は、オリコン週間チャート1位を獲得。5週にわたって1位を獲得した。この曲で、第19回日本レコード大賞を受賞。受賞シーンでは、萩原健一や岸部一徳などのザ・タイガース・PYG時代からの仲間が駆けつけた(レコード大賞で歴代最高視聴率の50.8%も記録)。その他第8回日本歌謡大賞(視聴率46.3%)など、同年の主要な賞レースを独占した。

ヴィジュアル路線へ

1974年の「Julie Rock'nTour」でインディアンのようなチークをしたり、1975年の比叡山フリーコンサートでブルーのラメ入りのアイシャドウをするなど化粧はステージでは行っていたが、お茶の間に流れる一般のテレビ番組では控えていた。しかし沢田はこれまでの意識を変え、1977年の「さよならをいう気もない」では金色のキャミソールを着て歌唱した。以降、ヴィジュアルを重視したスタイルをエスカレートさせていく[20]

1978年に発売された「サムライ」では、刺青風の模様が施されたシースルーの上にナチスのロゴが入った軍服を羽織り、同年1月30日放送の夜のヒットスタジオではスタジオに畳を敷き詰め歌唱した。「LOVE (抱きしめたい)」ではスタジオに雨を降らせ、血で染まった包帯を手に巻くなど、前述のようにヴィジュアルはどんどん奇抜な方向に進んでいった[21]

同年発売の「ダーリング」では、日本有線大賞を受賞し沢田自身5曲目のオリコン1位を獲得した。「LOVE (抱きしめたい)」は第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。 同年の第29回NHK紅白歌合戦では、ロック・ポップス歌手として初めての大トリをつとめる(対抗の女性歌手は山口百恵)。この1978年を例にとると、年間のテレビ出演700本以上、ラジオ300本、取材300本、地方公演100日に上った。 この年のシングルの売上は、「サムライ」52万枚、「LOVE(抱きしめたい)」48万枚、「ダーリング」44万枚であり、様々な大ヒット作を世に送った。

1979年に発売された「カサブランカ・ダンディ」ではウイスキーを口にふくんで霧のように吹く演出が大きな話題となり、同曲でTBS系列の歌番組「ザ・ベストテン」で前年のダーリングにつぎ1位を獲得したが、西城秀樹の28枚目のシングル「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」大ヒット中だったため同曲での1位獲得は1週のみとなり、ザ・ベストテンでの1位獲得は同曲で最後となった。

OH! ギャル」では当時日本ではまだ珍しい、マニキュアを爪に施し、マレーネ・ディートリヒをオマージュしたメイクをした。タバコを吸うシーンも見られた。

1980年1月1日に発売された「TOKIO」では、電飾が施されたスーツを身に纏い、スタジオ全体が隠れてしまうほどの巨大なパラシュートを背負って歌唱する奇抜なパフォーマンスが大きな話題を呼んだ。

同年の「恋のバッド・チューニング」では青や金色のカラーコンタクトを装着するパフォーマンスをみせた。井上堯之バンドのリーダー井上堯之は、グラマラスなコスチュームに走る沢田についていけず、井上堯之バンドは80年1月24日に解散した。沢田は同年4月に胃潰瘍で1ヶ月間入院した。

ス・ト・リ・ッ・パ・ー」では、沢田自身作曲のシングルとしては最高の36万枚のセールスを記録。「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」は、ザ・ベストテンで最高位3位、オリコンで最高位6位を記録した。同曲でオリコントップテン以内ランクイン、ザ・ベストテンへの出演は最後となった。

ソロ活動と並行して1981年1月、ザ・タイガースが瞳みのるを除くメンバーで10年ぶりに再結成。GS時代に縁のあった日劇が取り壊されることとなり、最後の日劇ウエスタンカーニバルに出演するためだったが、これを契機に同年秋、「ザ・タイガース同窓会」と銘打った企画で11年ぶりにシングル「十年ロマンス」を発売、翌年に発売された2枚目となるシングル「色つきの女でいてくれよ」は約42万枚を売り上げる大ヒットを記録した。また、武道館を含む全国ツアーも行った。

第34回NHK紅白歌合戦では、アダム&ジ・アンツ風ジャングル・ビートの「晴れのちBLUE BOY」で金杯を獲得。軍服サーチライトを装着したコスチュームで登場した。

俳優としては1979年に公開された映画太陽を盗んだ男』で原子爆弾を作る理科教師を演じ、第4回報知映画賞でグランプリにあたる作品賞と主演男優賞を受賞、キネマ旬報読者選定邦画ベストテン第1位に選ばれた。日本アカデミー賞では主演男優賞にノミネートされた。1981年に天草四郎役で主演した映画『魔界転生』は、観客動員数200万人、配給収入10億5千万円を記録した[22]

渡辺プロから独立

1985年1月からの半年間の休養を経て、沢田はデビュー以来所属してきた渡辺プロダクションから独立。株式会社ココロを設立し、レコード会社ポリドールから東芝EMIに移籍した。

同年6月に自叙伝『我が名は、ジュリー』玉村豊男編 / 中央公論社)を刊行。8月発売の移籍第1弾の作品は、沢田自身が作詞・作曲したシングル「灰とダイヤモンド」。新たなバックバンドとしてチト河内を中心にCO-CóLOを結成。アルバムでは「架空のオペラ」をリリース。

1985年に日米合作映画「Mishima: A Life In Four Chapters」(日本未公開)で劇中劇「鏡子の家」に出演、カンヌ映画祭緒形拳らと共に出席。同作品は芸術貢献賞を受賞。

1987年1月、伊藤エミに慰謝料18億1,800万円を支払い、離婚[18]1986年8月から伊藤と別居していた沢田は、1982年の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演した田中裕子と不倫関係にあった[18]。田中とは1989年11月に出雲大社で再婚することとなる[18]。1987年3月に京都公演中のステージから転落し、左肘骨折・肋骨打撲で1ヶ月間入院。

1986年の「CO-CóLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜」をはじめとしたCO-CóLOの3部作は、沢田の作詞した作品を技巧派のバンドメンバーがダークなメロディラインで曲を作った。音楽関係者の評価は変わらず高かったが、当時のミュージックシーンには受け入れられなかった。1988年、3年間活動を共にしCO-CóLOは解散。

1989年EXOTICSのメンバーだった吉田建をプロデューサーに迎え、村上'ポンタ'秀一を加えて新バンドJAZZ MASTERを結成し、アルバムでは「彼は眠れない」を発表。同年、10年間に渡って継続する音楽劇 ACTシリーズがスタート。横浜アリーナで行われたタイガースメモリアルクラブバンドのコンサートに参加した。同年末の「第40回NHK紅白歌合戦」ではシングル「DOWN」の他、ザ・タイガースとしても出場し、「花の首飾り」と「君だけに愛を」のヒットメドレーを披露した。同番組の出場者としては初めて同一回で2度出場した。1991年、デビュー25周年を記念してCD化されていなかった旧譜が東芝EMIより発売。25周年にちなみ、NHK-BS2では5日間計25時間の特集番組「美しき時代の偶像」が放送された。

1992年から、「懐メロ歌手ではない現役の歌手だから」という理由で、沢田は音楽番組での過去の映像の放映を許可しなくなる(2001年以降は解禁している)。

1994年、「HELLO」で5年ぶりに紅白歌合戦に出場。1995年、沢田は「これからは、自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていきたい」とセルフ・プロデュースを宣言し、23年ぶりのセルフ・プロデュースアルバム「sur←」を発表した。以降、現在に至るまで一貫して沢田自身がアルバムのプロデュースを手掛けている。

1997年には岸部一徳森本太郎とともにユニット"TEA FOR THREE"を結成し、「君を真実に愛せなくては他の何も続けられない」を発表。

1980〜90年代にかけて俳優としてはNHKの連続テレビ小説はね駒」や大河ドラマ「山河燃ゆ」「琉球の風」、映画「カポネ大いに泣く」「夢二」ほか、フジテレビ「プロ野球ニュース」の準レギュラーとして出演した。

2000年以降

2001年、過去の映像の放映を解禁。同時にテレビの音楽番組に復帰し、フジテレビ「新常識クイズ!目からウロコ」の司会も担当するなど積極的なメディア露出を行ったが、「テレビはもう自分の居場所ではなかった」として翌年からは再びテレビ露出をセーブ。

2002年、自主レコードレーベルとなるJULIE LABELを設立。このレーベルからリリースされた沢田のオリジナル・アルバムには、目玉焼きやホットケーキといった独特のパッケージ・デザインが施されている。

2005年には、ポリドール在籍時代のアルバム21タイトルと3枚のベスト・アルバムのリマスター盤が相次いで再発売され、そのうちベスト盤「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」がオリコンの邦楽アルバムTOP50にランクインした。

2008年、還暦を記念して、初の二大ドームコンサート人間60年・ジュリー祭りを開催し、東京ドーム京セラドーム大阪両日で5万4,000人を集めた。このうち、数曲において1000人のコーラス隊を従え、約6時間半でフルコーラス80曲を歌いきるという圧巻のステージを敢行。このコンサートは、第21回ミュージック・ペンクラブ音楽賞のコンサート・パフォーマンス賞を受賞。

2010年、長年プロデューサーだった加瀬邦彦とともにザ・ワイルド・ワンズと組んで『ジュリー with ザ・ワイルドワンズ』を結成[23]。シングル『渚でシャララ』、アルバム『JULIE with THE WILD ONES』を発表し、全国ツアーを行った[24]。第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞コンサート・パフォーマンス賞「JULIE with THE WILD ONES LIVE “僕達ほとんどいいんじゃあない”」 受賞。

2011年、長年交流を絶っていた元ザ・タイガースの瞳みのるが40年ぶりに芸能界に復帰。岸部一徳、森本太郎らタイガースのメンバーと共に、全国33都市38公演に及ぶ沢田の全国ツアー「沢田研二 LIVE 2011~2012」にゲストとして帯同した。ツアー最終日の2012年1月24日、会場となった日本武道館には岸部四郎も参加し、1971年1月24日で解散した時のメンバーが再集結したメモリアルコンサートとなった。第24回ミュージック・ペンクラブ音楽賞コンサート・パフォーマンス賞「沢田研二Live2011-2012ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳」受賞。

2012年3月11日、前年の同日に起こった東日本大震災被災地への祈りを込めたミニアルバム「3月8日の雲」を発表した。以降、毎年3月11日に「祈り」をテーマにした新曲を発表している。

2013年12月3日、44年ぶりとなるオリジナルメンバーによるザ・タイガースのコンサートを日本武道館において行った[25]。12月27日のツアーファイナルは、東京ドームに45,000人を動員。この時も岸部四郎が登場し、初めて6人によるザ・タイガース全員の集結が実現した。

2017年7月16日、自身の芸能生活50周年を記念した全国ツアー「沢田研二 50周年記念LIVE 2017-2018」をNHKホール公演を皮切りにスタート。50周年にちなんで往年のヒット曲から最新の楽曲まで50曲をワンコーラスずつ歌った。

2018年7月から2019年2月にかけて、アリーナクラス10公演を含む全67公演に及ぶ大規模な古希記念ライブツアー「沢田研二 70YEARS LIVE 『OLD GUYS ROCK』」を開催した。なお、当該ツアー中、10月17日に予定されていたさいたまスーパーアリーナでの公演が観客が少ないことを理由に開演直前になって、急遽中止になるというトラブルが発生した。このトラブルは各メディアで大々的に取り上げられ騒動に発展、翌18日に沢田は自宅近くの公園で取材に応じ謝罪した[26][27]。今ツアーから、サポートメンバーはギタリストの柴山和彦のみでギター1本で演奏するという体制となっていた(2021年まで[注釈 1])。

新型コロナウイルス感染症蔓延に伴う影響

2020年、全27公演の全国ツアーが予定されていたが、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止の為、全公演が中止となった。また、同年3月発売のシングル「Help! Help! Help! Help!」がオリコン週間シングルランキングで20位となり、「灰とダイヤモンド」以来35年ぶりのTOP20入りとなった。

同年5月、映画『キネマの神様』(2021年公開)で、新型コロナウイルス感染症による肺炎で急逝した志村けんの代役として菅田将暉とダブル主演する事が明かされた。沢田の映画出演は『幸福のスイッチ』以来15年ぶり[28]

同年12月、新型コロナウイルス感染症の収束が見えない現状を踏まえ、ファンクラブ「澤會」を解散すると公式サイトで発表した。

2021年、ソロ活動50周年を記念したライブ「沢田研二 2021 ソロ活動50周年LIVE『BALLADE』」を前半3公演、後半12公演の計15公演の全国ツアーを敢行した。ほとんどバラード調の楽曲で構成し、マスクの着用、検温、歓声歓談の禁止など、新型コロナウイルス感染症の感染対策を万全に施した厳戒態勢で開催された。

同年11月、永年京都市の文化の向上に多大な功労をしたとして、「京都市文化功労者」として表彰された。[29]

エピソード

  • 2000年11月、雑誌『日経エンタテインメント!』誌上での特集「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」において、第2位に沢田が選出された(第1位は美空ひばり[30]
  • 2003年、HMVによる日本史上最高のトップポップスアーティスト100にて17位に選ばれた[31]
  • 朴一は著書「僕たちのヒーローはみんな在日だった…芸能・スポーツ界のKパワー」で、イニシャルながらも沢田のことを在日韓国・朝鮮人であると虚偽の決めつけ記事を掲載した。沢田が過去に「李花幻(いいかげん)」というペンネームで作詞・作曲していたことも誤解を招くきっかけとなった。これに対し沢田は、著書「我が名は、ジュリー」(中央公論社)に戸籍謄本のコピーを掲載し、日本国籍であると記しており、朴の主張は誤りである。
  • 独立後のコンサートでは、1985年以降の楽曲をメインに、4~5曲ほどのヒット曲を織り交ぜる形で歌っている(2008年の還暦を記念したドーム公演「人間60年・ジュリー祭り」や、2017年のデビュー50周年ツアー等、キャリアを総括するコンサートでは、一部例外もある)。
  • 父親は戦前、衣笠貞之助の付き人をしていた。
  • 普段は関西弁である。
  • 歌唱時マイクは基本的に左手で持つ。
  • ザ・タイガース時代に運転免許の取得を試み、挫折したが、1979年に主演した映画『太陽を盗んだ男』で運転シーンがあったため、このシーンのために仕事の合間を縫って上北沢自動車学校に通い取得した。

楽曲

カバー

ディスコグラフィ

シングル

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 1971年11月1日 君をのせて
2 1972年3月10日 許されない愛
3 1972年6月25日 あなただけでいい
4 1972年9月20日 死んでもいい
5 1973年1月1日 あなたへの愛
6 1973年4月21日 危険なふたり 初のオリコン1位を獲得
7 1973年8月11日 胸いっぱいの悲しみ
8 1973年11月21日 魅せられた夜
9 1974年3月21日 恋は邪魔もの
10 1974年7月10日 追憶
11 1974年11月21日 愛の逃亡者 THE FUGITIVE
- 1975年01月20日※ MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE 巴里にひとり』のフランス語バージョン
※フランスでの発売日
フランスの旗 フランススイスの旗 スイスカナダの旗 カナダ オーストリアギリシャの旗 ギリシャ ノルウェーベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
- 1975年01月21日※ THE FUGITIVE ※イギリスでの発売日 イギリスの旗 イギリスオーストラリアの旗 オーストラリアシンガポールの旗 シンガポールニュージーランドの旗 ニュージーランド香港の旗 香港
12 1975年3月1日 白い部屋
- 1975年5月20日※ ATTENDS MOI ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランスカナダの旗 カナダベルギーの旗 ベルギースイスの旗 スイススペインの旗 スペインオランダの旗 オランダ
13 1975年5月21日 巴里にひとり
14 1975年8月21日 時の過ぎゆくままに 最大のヒット曲
- 1975年10月15日※ FOU DE TOI ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランスベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
15 1976年1月21日 立ちどまるなふりむくな
16 1976年5月1日 ウィンクでさよなら
- 1976年5月15日※ ELLE ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランスベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
- 1976年5月15日 WHEN THE LIGHT WENT OUT イギリスでのみリリース イギリスの旗 イギリス
17 1976年9月10日 コバルトの季節の中で
18 1977年2月1日 さよならをいう気もない
- 1977年2月21日 JULIE LOVE フランスでのみリリース フランスの旗 フランス
19 1977年5月21日 勝手にしやがれ 日本レコード大賞受賞曲
- 1977年7月30日 MEMORIES 西ドイツでの先行リリース ドイツの旗 ドイツ
20 1977年8月10日 MEMORIES
21 1977年9月5日 憎みきれないろくでなし
- 1977年※ TU AS CHANGE ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランス
- 1977年10月10日※ ROCK'NROLL CHILD ※西ドイツでの発売日 ドイツの旗 ドイツベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
22 1978年1月21日 サムライ
- 1978年1月21日 IN THE CITY 西ドイツでのみリリース ドイツの旗 ドイツ
23 1978年5月21日 ダーリング
24 1978年8月1日 ヤマトより愛をこめて
25 1978年9月10日 LOVE (抱きしめたい)
26 1979年2月1日 カサブランカ・ダンディ
27 1979年5月31日 OH! ギャル
28 1979年9月21日 ロンリー・ウルフ
29 1980年1月1日 TOKIO
30 1980年4月21日 恋のバッド・チューニング
31 1980年9月21日 酒場でDABADA
32 1980年12月23日 おまえがパラダイス
33 1981年5月1日 渚のラブレター
34 1981年9月21日 ス・ト・リ・ッ・パ・ー
35 1982年1月10日 麗人
36 1982年5月1日 おまえにチェックイン
37 1982年9月10日 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
38 1983年1月1日 背中まで45分
39 1983年5月10日 晴れのちBLUE BOY
40 1983年9月21日 きめてやる今夜
41 1984年2月10日 どん底
42 1984年4月25日 渡り鳥 はぐれ鳥
43 1984年9月25日 AMAPOLA
44 1985年8月8日 灰とダイヤモンド 東芝EMI移籍第一弾
45 1986年4月23日 アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜千夜一夜物語〜
46 1986年10月22日 女神
47 1987年3月21日 きわどい季節-Summer Graffiti-
48 1987年7月22日 STEPPIN' STONES
49 1987年11月16日 CHANCE
50 1988年6月25日 TRUE BLUE
51 1988年10月26日 Stranger -Only Tonight-
52 1989年5月24日 Muda
53 1989年9月20日 ポラロイドGIRL
54 1990年2月7日 DOWN
55 1990年5月23日 世界はUp & Fall
56 1991年5月17日 SPLEEN 〜六月の風にゆれて〜
57 1992年5月1日 太陽のひとりごと
58 1993年5月20日 そのキスが欲しい
59 1994年11月16日 HELLO / YOKOHAMA BAY BLUES 両A面
60 1995年11月29日 あんじょうやりや
61 1996年9月6日 愛まで待てない
62 1997年6月10日 オリーヴ・オイル
63 1997年8月27日 サーモスタットな夏
64 1997年10月16日 恋なんて呼ばない
65 1998年6月24日 永遠に
66 1999年8月6日 鼓動
67 2000年8月9日 耒タルベキ素敵
68 2001年6月8日 あの日は雨
69 2002年9月1日 忘却の天才
70 2003年4月25日 明日は晴れる
71 2004年2月25日 オーガニック オーガスム
72 2005年5月9日 greenboy
73 2006年4月21日 俺たち最高
74 2007年6月25日 そっとくちづけを
75 2008年5月25日 ROCK'N ROLL MARCH
76 2017年3月11日 ISONOMIA
77 2019年3月11日 SHOUT!
78 2020年3月11日 Help! Help! Help! Help! 一部販売店で発売日が3月14日に延期

柴山和彦とダブルクレジット

アルバム

ソロデビュー以来、毎年必ず新作アルバムを発表し、他に例を見ない連続記録といわれた[38]。 2014年3月26日には『JULIE』〜『NON POLICY』、2015年9月16日にはEMI所属時代に発売されたアルバムのうち『架空のオペラ』〜『HELLO』がユニバーサルミュージックからSHM-CDとして再発売された(『sur←』〜『新しい想い出 2001』は個人レーベルJULIE LABELから再発売されている[39])。

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 1969年12月15日 JULIE ザ・タイガース在籍中にリリースされた作品
2 1971年12月21日 JULIE II
3 1972年9月10日 JULIE IV 今僕は倖せです
4 1973年8月21日 JULIE VI ある青春
5 1974年9月10日 JEWEL JULIE 追憶
6 1974年12月21日 THE FUGITIVE 愛の逃亡者
- 1975年1月21日 KENJI 内容は『THE FUGITIVE 愛の逃亡者』と同一 イギリスの旗 イギリスインドネシアの旗 インドネシア香港の旗 香港
7 1975年12月21日 いくつかの場面
- 1976年2月1日 KENJI SAWADA 内容は日本版と同一 フランスの旗 フランスドイツの旗 ドイツオランダの旗 オランダベルギーの旗 ベルギー
8 1976年4月21日 KENJI SAWADA
9 1976年12月1日 チャコール・グレイの肖像
10 1977年11月15日 思いきり気障な人生
- 1978年4月 rock'n'roll child 日本国外のみでのリリース フランスの旗 フランスドイツの旗 ドイツ
11 1978年8月10日 今度は、華麗な宴にどうぞ。
12 1978年12月1日 LOVE 〜愛とは不幸をおそれないこと〜
13 1979年11月25日 TOKIO
14 1980年7月21日 BAD TUNING
15 1980年12月23日 G.S.I LOVE YOU
16 1981年6月10日 S/T/R/I/P/P/E/R
17 1982年6月1日 A WONDERFUL TIME
18 1982年12月10日 MIS CAST
19 1983年3月5日 JULIE SONG CALENDAR 当初カセットテープのみで発売された
20 1983年10月1日 女たちよ
21 1984年6月5日 NON POLICY
22 1985年9月21日 架空のオペラ
23 1986年6月25日 CO-CóLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜
24 1987年5月25日 告白-CONFESSION-
25 1988年7月24日 TRUE BLUE
26 1989年10月11日 彼は眠れない
27 1990年6月20日 単純な永遠
28 1991年6月14日 PANORAMA
29 1992年6月10日 Beautiful World
30 1993年11月17日 REALLY LOVE YA!!
31 1994年12月14日 HELLO
32 1995年12月13日 sur←
33 1996年9月19日 愛まで待てない
34 1997年6月25日 サーモスタットな夏
35 1998年7月15日 第六感
36 1999年8月25日 いい風よ吹け
37 2000年9月13日 耒タルベキ素敵
38 2001年6月20日 新しい想い出 2001
39 2002年9月1日 忘却の天才 初回ブック型特殊ケース仕様。2010年より通常Pケース仕様
40 2003年4月25日 明日は晴れる 初回盾形特殊ケース仕様。2012年9月8日より通常Pケース仕様
41 2004年2月25日 CROQUEMADAME & HOTCAKES 初回クロックマダム型特殊ケース仕様。2012年9月8日より通常Pケース仕様
42 2005年5月9日 greenboy 初回6Pチーズ型特殊ケース仕様。2012年9月8日より通常Pケース仕様
43 2006年4月21日 俺たち最高 初回サイコロ型特殊ケース仕様。2012年9月8日より通常Pケース仕様
44 2007年6月25日 生きてたらシアワセ
45 2008年5月25日 ROCK'N ROLL MARCH

ミニアルバム

2008年まで毎年行ってきたアルバム制作を縮小し、2009年からは4〜6曲程度収録したミニアルバムを発表するようになった。2012年からは、前年の東日本大震災をきっかけに「祈り」をテーマにした楽曲を制作しており、作詞は全て沢田が手がけている。

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 2009年6月10日 Pleasure Pleasure
2 2010年9月1日 涙色の空
3 2012年3月11日 3月8日の雲
4 2013年3月11日 Pray
5 2014年3月11日 三年想いよ
6 2015年3月11日 こっちの水苦いぞ
7 2016年3月11日 un democratic love
8 2018年3月11日 OLD GUYS ROCK

ベストアルバム

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 1973年6月10日 沢田研二 GLORIOUS 20(LP2枚組)
2 1974年4月10日 パーフェクト(LP2枚組)
3 1975年4月25日 沢田研二 パーフェクト14
4 1976年9月10日 FOREVER 〜沢田研二ベスト・セレクション〜(LP2枚組)
5 1977年12月15日 沢田研二大全集(LP5枚組限定版)
6 1977年7月25日 Kenji Sawada Nice Songs 勝手にしやがれ カセットテープのみ
7 1977年7月25日 Rock'n Julie with Tigers カセットテープのみ
- 1978年4月 YESTERDAY TODAY 香港のみでのリリース 香港の旗 香港
8 1978年5月25日 ダーリング・Julie カセットテープのみ
9 1979年4月1日 Royal Straight Flush CD再発
10 1980年2月25日 沢田研二全曲集 カセットテープのみ
11 1980年9月25日 酒場でDABADA カセットテープのみ
12 1981年1月25日 沢田研二全曲集 カセットテープのみ
13 1981年5月25日 沢田研二作品集 カセットテープのみ
- 1981年 KENJI SAWADA Greatest Hits 香港のみでのリリース 香港の旗 香港
14 1981年12月15日 Royal Straight Flush II CD再発
15 1982年10月25日 ジュリー・CMソング・コレクション カセットテープのみ
16 1983年10月25日 沢田研二全曲集 カセットテープのみ
17 1984年3月25日 Royal Straight Flush III CD再発
18 1985年9月1日 全曲集〜灰とダイヤモンド
19 1986年6月1日 Julie Special 〜沢田研二 A面コレクション〜(CD3枚組) ポリドール所属期のソロシングルA面全曲と「灰とダイヤモンド」を収録 CD再発(SHM-CD仕様)
20 1986年8月21日 我が名は、ジュリー
(20周年記念カセット6本セット限定盤)
カセットテープのみ
21 1987年9月13日 SUPER BEST(CD2枚組)
22 1991年12月4日 A SAINT IN THE NIGHT ジャズのスタンダードをカバーした作品 2015年9月16日にSHM-CD仕様で再発売(ユニバーサルミュージック)
23 1996年11月20日 沢田研二 B面コレクション(CD3枚組) 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品)オリジナルアルバム未収録のシングルB面曲(「君をのせて」〜「Muda」まで)を収録
後にJULIE LABELからコンサート会場限定再発売
24 1996年12月11日 AFTERMATH バラード・セレクション
25 1997年12月10日 Royal Straight Flush 1971-1979(CD2枚組) 収録曲は「君をのせて」〜「ロンリーウルフ」までのシングルA面 2015年9月16日にSHM-CD仕様で再発売(ユニバーサルミュージック)
26 1997年12月10日 Royal Straight Flush 1980-1996(CD2枚組) 収録曲は「TOKIO」〜「愛まで待てない」までのシングルA面(「HELLO / YOKOHAMA BAY BLUES」は両曲収録) 2015年9月16日にSHM-CD仕様で再発売(ユニバーサルミュージック)
27 1997年12月10日 Distortion Love アルバム『彼は眠れない』〜『HELLO』からのセレクションベスト
28 2008年6月25日 Cocolo Nooto(CD5枚組) セルフプロデュース期の沢田研二作詞曲69曲を収録、アートディレクションは森本千絵
29 2012年6月6日 Royal Straight Flush 1/2/3(限定盤) 3000セット限定

ライブアルバム

- 発売日 題名 収録
1 1972年3月10日 JULIE III SAWADA KENJI RECITAL(LP2枚組) 1971年12月24日 日生劇場
2 1972年12月21日 JULIE V 沢田研二 日生リサイタル(LP2枚組) 1972年10月17日-21日 日生劇場
3 1973年12月21日 JULIE VII THE 3rd 沢田研二リサイタル(LP3枚組) 1973年10月10日 中野サンプラザ
4 1975年10月21日 沢田研二比叡山フリーコンサート(LP2枚組) 1975年7月20日 蛇ヶ池人口スキー場
5 1977年8月10日 沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー(LP2枚組) 1977年6月29日-30日 NHKホール
6 1978年10月25日 JULIE ROCK'N TOUR '78 田園コロシアムライブ 1978年8月31日 田園コロシアム(カセットテープのみ)
7 1979年8月25日 JULIE ROCK'N TOUR '79(カセットテープ2本セット) 1979年7月28-29日 渋谷公会堂(カセットテープのみ)
8 1986年12月25日 架空のオペラ '86
(20周年記念LP/CD4枚組限定盤)
正月歌劇: 1986年1月16-18日 NHKホール、1月21-28日 フェスティバルホール
SUMMER LIVE '86: 1986年10月8-9日 新宿厚生年金会館、10月10日 フェスティバルホール
9 1992年1月16日 武道館コンサート "Julie Mania"
(25周年記念コンサートCD2枚組)
1991年10月11日 日本武道館
10 1996年11月20日 沢田研二 ライブセレクション 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品)
11 2009年7月25日 人間60年・ジュリー祭り
(CD6枚組 全82曲完全収録)
2008年12月に行われた東京ドーム公演『人間60年・ジュリー祭り』の模様を収めたCD6枚組(全82曲完全収録)。

その他作品

- 発売日 題名 収録
1 1981年3月21日 サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル 1981年1月25日 日本劇場
(カセットテープのみ。1998年11月26日CD再発)
2 1989年6月21日 YOKOHAMAスーパーオペラ“海光”公演記念盤
3 1996年 DORA〜100万回生きたネコ 1996年6月21日-7月29日 東京芸術劇場。テレビでも放映
4 1999年10月 ACT大全集(CD9枚組) ACTシリーズ全10公演のうち9公演収録
5 2008年8月27日 SINGLE COLLECTION BOX Polydor Years ポリドール在籍時の全シングルのCD-BOX

ライブ・テレビ出演映像作品

ソロデビュー以降、恒例の東京・大阪を中心とした正月コンサートと、全国ツアーを行っている。以下、映像化されたものを記す。

- 発売日・放映年 題名 媒体 収録 備考
1 1980年7月21日 JULIE PRESENTS'80 BAD TUNING VHSβ 1980年5月24日 横浜スタジアム 2002年VHSのみ再発
2 1983年3月10日 JULIE CONCERT TOUR'83 MIS CAST VHS、β 2003年VHSのみ再発
3 1991年3月 KENJI SAWADA With Jazz Master VHS、DVD 1990年10月28日 一橋大学学園祭 DVDは数量限定
4 1992年1月16日 武道館コンサート ジュリーマニア VHS、DVD 1991年10月11日 日本武道館
5 1992年7月 A SAINT IN THE NIGHT VHS、DVD 1992年2月22日 NHKホール DVDは数量限定
6 1994年4月25日 REALLY LOVE YA!! VHS、DVD 1994年1月6日 渋谷公会堂
7 1995年1月5日 ZU ZU Songs VHS、DVD 1994年10月2日 渋谷公会堂
8 1996年6月 あんじょうやりや VHS、DVD 1996年3月8日 ティアラこうとう
9 1997年6月 Concert Tour 96 and 97 愛まで待てない VHS、DVD 1997年2月8日 パルテノン多摩
10 1997年10月 tour'97 サーモスタットな夏 VHS、DVD 1997年10月18日 日比谷野外音楽堂
11 1998年6月 ROYAL STRAIGHT FLUSH VHS、DVD 1998年1月6日 渋谷公会堂
12 1999年1月 1998 ROCKAN' TOUR VHS、DVD 1998年10月3日 松戸森のホール21 DVDは数量限定
13 1999年5月 1999正月コンサート VHS、DVD 1999年1月9日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
14 2000年3月 いい風よ吹け VHS、DVD 1999年11月14日 東京厚生年金会館 DVDは数量限定
15 2000年6月 祝・2000年正月大運動会 VHS、DVD 2000年1月8日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
16 2000年12月 耒タルベキ素敵 VHS、DVD 2000年9月24日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
17 2001年4月 21世紀初三大都市公演 VHS、DVD 2001年1月6日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
18 2002年 新しい想い出 VHS、DVD 2001年12月8日 大宮ソニックシティ DVDは数量限定
19 2002年9月 糸車のレチタティーボ VHS、DVD 2002年1月7日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
20 2002年11月12日 快傑ジュリーの冒険 VHS、DVD フジテレビ番組『クイズドレミファドン』出演時の映像を収録(1976年-1987年、全28話)
21 2003年7月 忘却の天才 VHS、DVD 2002年10月26日 府中の森芸術劇場 DVDは数量限定
22 2003年7月 LOVE & PEACE VHS、DVD 2003年1月7日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
23 2004年3月 明日は晴れる VHS、DVD 2003年11月3日 大宮ソニックシティ DVDは数量限定
24 2004年7月 爛漫甲申演唱会 VHS、DVD 2004年1月18日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
25 2005年5月25日 CROQUEMADAME & HOTCAKES DVD 2004年11月6日 大宮ソニックシティ
26 2005年6月1日 師走 RomantiX DVD 2004年12月25日 東京国際フォーラム ホールA
27 2006年5月15日 greenboy DVD 2005年11月19日 大宮ソニックシティ
28 2007年5月3日 ワイルドボアの平和 DVD 2006年1月14日 渋谷C.C.Lenmonホール
29 2008年2月2日 生きてたらシアワセ DVD 2007年10月13日 渋谷C.C.Lenmonホール
30 2009年6月25日 人間60年・ジュリー祭り DVD 2008年12月3日 東京ドーム 4枚組DVD
31 2011年12月21日 沢田研二 in 夜のヒットスタジオ DVD フジテレビ番組『夜のヒットスタジオ』出演時の映像を収録(1975年5月5日-1990年2月21日、全102回) 6枚組DVD
32 2012年6月29日 沢田研二 LIVE 2011〜2012 ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳 DVD 2012年1月24日 日本武道館
33 2020年12月4日 沢田研二 BEST OF NHK DVD-BOX DVD NHK出演時の映像を収録 5枚組DVD
34 2021年4月28日 沢田研二 TBS PREMIUM COLLECTION DVD ザ・ベストテン出演映像を含むTBS出演時の映像を収録 7枚組DVD

舞台映像作品

1989年から1998年まで続いた音楽劇「ACT」シリーズ(演出・加藤直)では、ほぼ1人芝居で哲学的な内容を演じている。9枚組のCD全集が発売されている。

- 公演年 題名 媒体 公演場所・収録日・その他 備考
1 1977年 ロックオペラ・ハムレット レコード 1977年6月29日-30日 NHKホール
2 1990年 ACT BORIS VIAN VHS、DVD 1990年3月7日-27日 東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場 夭折したフランスの芸術家を演じた1人芝居
3 1991年 ACT NINO ROTA VHS、DVD 1991年3月3日-24日 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 フェデリコ・フェリーニ監督の音楽を務めた作曲家がモチーフ
4 1992年 ACT SALVADOR DALI VHS、DVD 1992年3月4日-22日 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 スペインの幻影的な作風で知られる画家ダリがモチーフ。助演:篠井英介
5 1993年 ACT SHAKESPEARE VHS、DVD 1993年3月公演 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 音楽は例年のcobaに加えてドラム村上“PONTA”秀一、ベース高橋ゲタ夫が参加。
6 1994年 ACT エディット・ピアフ VHS、DVD 1994年東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場で6-7月公演 フランスのシャンソン歌手エディツト・ピアフの生涯を歌と芝居でえがく
7 1995年 ACT BUSTER KEATON VHS、DVD 1995年6月-7月 東京グローブ座、新神戸オリエンタル劇場で全22公演 喜劇役者パスター・キートンがモチーフ
8 1996年 DORA 100万回生きたねこ(共演:山瀬まみなど) CD 1996年6月に東京芸術劇場でスタートし、国内全88公演+フランス公演 演出・振付:フィリップ・ドゥクフレ
9 1996年 ACT 宮沢賢治 VHS、DVD 1996年11月14日東京グローブ座で収録、新神戸オリエンタル劇場などで 全21公演 ベートーベンの「運命」に「雨にも負けず…」と詩をのせて歌った
10 1997年 ACT ELVIS PRESLEY VHS、DVD 1997年5月15日東京グローブ座で収録。神戸オリエンタル劇場をあわせて全21公演 ロックの王様プレスリーがモチーフ
11 1998年 ブルーエンジェル(共演:鈴木砂羽 CD 1998年2月-3月 シアターコクーン全61公演 ロイヤル・シェイクスピアカンパニー初演、映画にもなった「嘆きの天使」の翻訳ミュージカル
12 1998年 ACT むちゃくちゃでごじゃりまするがな VHS、DVD 1998年11月19日収録。東京グローブ座など全21公演
13 1999年 ミュージカル ザ・近松(共演:高嶺ふぶき茂山宗彦伊藤蘭らで再演) VHS、DVD 1999年2月27日 日生劇場。全32公演 演出:大谷亮介
14 2001年 音楽劇 いつかヴァスコ・ダ・ガマのように(共演:藤山直美 VHS、DVD 2001年9月-10月 シアターコクーンなど東京・名古屋・大阪で全40公演 演出:久世光彦
15 2002年 風狂伝'02(共演:緒形拳小松政夫ら) VHS、DVD 2002年6月28日 東京ル・テアトル銀座、大阪ドラマシティで全33公演 演出:久世光彦
16 2003年 沢田・志村の「さあ、殺せ!」(共演:志村けん) VHS、DVD 2003年 シアターコクーン 演出:久世光彦
17 2004年 歌劇 人情酸漿蛍(共演:石田えり DVD 2004年7月-9月 シアターコクーンなど 演出:久世光彦
18 2005年 センセイの鞄(共演:坂井真紀 DVD 2005年8月-9月、シアターコクーンをはじめ東京・神戸・名古屋で公演。 演出:久世光彦、原作:川上弘美
19 2006年 音楽劇モダン出世双六 天国を見た男(共演:南野陽子 DVD 2006年 東京芸術劇場収録、シアタードラマシティ・名鉄ホールで全27公演 演出:マキノノゾミ
20 2008年 音楽劇ぼんち(共演:土居裕子など) DVD 2008年4月19日 東京紀伊國屋サザンシアター収録。全28公演 演出:マキノノゾミ
21 2009年 探偵〜哀しきチェイサー(共演:伊藤蘭) DVD 2009年4月 東京紀伊國屋サザンシアター収録。公演は東京・大阪で26公演 演出:マキノノゾミ
22 2010年 新・センセイの鞄(共演は富田靖子 DVD 2010年4月3日 東京紀伊國屋サザンシアターで収録 演出:マキノノゾミ。全26公演
23 2012年 お嬢さんお手上げだ(共演:朝倉みかん DVD 2012年4月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全30公演 演出:マキノノゾミ
24 2013年 探偵〜哀しきチェイサー・雨だれの挽歌(共演:南野陽子) DVD 2013年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全35公演 演出:マキノノゾミ
25 2014年 悪名〜The Badboys Return!(共演:いしのようこ DVD 2014年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全34公演 演出:マキノノゾミ
26 2015年 お嬢さんお手上げだ・明治編(共演:那海) DVD 2015年3月〜5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全44公演 演出:マキノノゾミ
27 2017年 大悪名〜The Badboys Last Stand!(共演:南野陽子、いしのようこ、土居裕子、那海) CD 2017年5月〜6月 東京芸術劇場など全22公演 演出:マキノノゾミ

提供した楽曲、カバーされた楽曲

「沢田研二が作詞、もしくは作曲して他歌手に提供した楽曲一覧」と、「他歌手による、沢田研二・カバー楽曲の一覧」について。

受賞歴

  • 1975年
    • 第4回FNS歌謡祭 下期優秀歌唱賞『時の過ぎゆくままに
    • 第1回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 年間話題賞「時の過ぎゆくままに」
    • 第6回日本歌謡大賞 放送音楽賞「時の過ぎゆくままに」
    • ゴールデンディスク賞「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE」(フランス)
  • 1977年
    • 第19回日本レコード大賞 大賞『勝手にしやがれ
    • 第8回日本歌謡大賞 大賞「勝手にしやがれ」
    • 第8回日本歌謡大賞 放送音楽賞「勝手にしやがれ」
    • 第10回日本有線大賞 大賞「勝手にしやがれ」
    • 77あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 ゴールデングランプリ「勝手にしやがれ」
    • 第6回東京音楽祭国内大会 ゴールデンカナリー賞「勝手にしやがれ」
    • 第6回東京音楽祭世界大会 銀賞「勝手にしやがれ」
  • 1983年
    • 第25回日本レコード大賞 特別金賞『きめてやる今夜
    • 第14回日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞「きめてやる今夜」
    • 第9回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 最優秀歌唱賞 「きめてやる今夜」
  • 2010年
    • 第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門録音・録画作品賞「JULIE WITH THE WILD ONES/ジュリー with ザ・ワイルドワンズ」
    • 第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門コンサート・パフォーマンス賞「JULIE with THE WILD ONES LIVE “僕達ほとんどいいんじゃない”」
  • 2011年
    • 第24回ミュージック・ペンクラブ音楽賞 ポピュラー部門コンサート・パフォーマンス賞「沢田研二Live2011−12ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳」
  • 2021年
    • 令和3年度 京都市文化功労者

出演作品・出演番組

沢田研二が出演したテレビ番組、ラジオ番組、CM、映画、テレビドラマ、舞台、NHK紅白歌合戦出場歴について記載する。

著書・関連本

  • 『ザ・スター沢田研二』(スポーツニッポン・石原信一著)- 1977年発売
  • 『沢田研二写真集 僕の中の男たち』(ワールドレジャー・稲腰功一撮影)- 1977年発売
  • 『ジョイナス=ブックス 沢田研二』(バンダイ出版事業部)- 1977年発売、表紙は「憎みきれないろくでなし」の衣装。
  • 『水の皮膚』(パルコ出版)- 1980年発売、石岡瑛子プロデュースの写真集。
  • 『我が名は、ジュリー』(中央公論社・沢田研二著、玉村豊男 編集) - 1985年6月に大型本、1986年12月に文庫本発売。
  • 『Paradis,Paradis』(リトルモア)- 2002年2月発売。クリスチャン・ディオールのポスターや、タカラのCMでシーナ・イーストンなどの衣装を担当した早川タケジの衣装・スタイリング・アートディレクションを集大成した大型本。内容は、ほぼ80%以上、沢田の衣装写真である。
  • 『JULIE by TAKEJI HAYAKAWA – 早川タケジによる沢田研二』(SLOGAN・早川タケジ著、熊谷朋哉 編集)- 発売時期未定。

脚注

  1. ^ a b Eremenko, Alexey. Kenji Sawada | Biography & History - オールミュージック. 2021年7月23日閲覧。
  2. ^ a b 沢田研二(サワダケンジ)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2021年7月23日閲覧。
  3. ^ TUNA (2020年9月30日). “桑田佳祐、 宮本浩次がカバーする沢田研二は元祖ロックシンガー – ロックシンガー沢田研二は、テレビでロックを歌い、ビジュアル系を演じ、故志村けんの代役を引き受けた”. 音楽文 powered rockin'on.com. 2021年11月14日閲覧。
  4. ^ a b 『我が名は、ジュリー』p.3
  5. ^ オリコン」調べ。1982年「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」ヒット中に歴代1位になった。
  6. ^ 「NEW YEAR GOLDEN ACE対談 五木ひろし・沢田研二」『近代映画』1974年2月号、近代映画社、93-94頁。 
  7. ^ 『我が名は、ジュリー』p.2
  8. ^ 週刊平凡1967年12月7日号34頁
  9. ^ a b 『我が名は、ジュリー』p.14
  10. ^ 『ザ・スター沢田研二』pp.65-66
  11. ^ prints21 1998年冬「JULIE!JULIE!JULIE!」ほか
  12. ^ http://www.rollingstone.com/
  13. ^ 「内田裕也対談集・音楽をどう生きるか」創樹社、1974年。[要ページ番号]
  14. ^ 「Rock Carnival・B.B.キング初来日コンサート」(ニューミュージック・マガジン1971年8月号)中村とうよう、「京都大学西部講堂で行われたロック・フェスティバル 第1回 MOJO WEST」(団塊パンチ4)木村英輝
  15. ^ 刑事マガジン V 2007年 P.94-95 辰巳出版
  16. ^ prints21 1998年冬「JULIE!JULIE!JULIE!」ほか
  17. ^ http://music-calendar.jp/2015052101
  18. ^ a b c d “伊藤エミさん死去 沢田研二と離婚 慰謝料は18億円超も沢田姓で通す”. スポーツニッポン. (2012年6月28日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/06/28/kiji/K20120628003561920.html 2012年8月18日閲覧。 
  19. ^ 週刊平凡1979年3月22日号27頁
  20. ^ 「我が名は、ジュリー」中央公論社刊、「グループサウンズ時代の証言者・加瀬邦彦」読売新聞
  21. ^ 『我が名は、ジュリー』pp.87-106「静かな私生活、華麗なる舞台」の章より。
  22. ^ 過去興行収入上位作品 一般社団法人日本映画製作者連盟”. 2014年6月30日閲覧。
  23. ^ ジュリー&ワイルドワンズが合体 毎日新聞 2009年12月10日閲覧
  24. ^ ジュリー、ワイルドワンズと合体! 新曲発売 サンケイスポーツ 2010年1月25日閲覧
  25. ^ ザ・タイガース復活!沢田絶叫「ついにこの日がやってきました」 サンスポ.com 2013年12月4日
  26. ^ 沢田研二、公演ドタキャン騒動への思いを語った公園での27分間の釈明会見”. スポーツ報知 (2018年12月21日). 2021年12月28日閲覧。
  27. ^ 沢田研二、ドタキャン理由…9000人のはずが7000人「僕にも意地がある」”. スポーツ報知 (2018年10月19日). 2021年12月28日閲覧。
  28. ^ “志村けんさん代役に沢田研二…来年公開映画「キネマの神様」”. スポーツ報知. (2020年5月16日). https://hochi.news/articles/20200516-OHT1T50011.html 2021年3月8日閲覧。 
  29. ^ 京都市:令和3年度京都市文化功労者の表彰について”. 京都市情報館. 2021年11月15日閲覧。
  30. ^ 日経エンタテインメント!2000年12月号「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」
  31. ^ 日本史上最高のトップポップスアーティスト100のNo.17(HMV公式サイト, 2003年9月2日 (火)公開)
  32. ^ STUDIO VOICE2009年2月号【沢田研二「人間60年ジュリー祭り」を観て】、朝日新聞2008年12月18日号「前人未踏・還暦アイドルジュリー祭り」、ミュージック・ペンクラブ「2011年2月号コンサートレビュー」ほか
  33. ^ 女性セブン2008年12月25日号「江國香織が観た沢田研二還暦記念コンサート」
  34. ^ 佐野 洋子 『死ぬ気まんまん』 光文社、2011年。ISBN 978-4334976484[要ページ番号]
  35. ^ ねじめ正一 『母と息子の老いじたく』 中央公論新、2011年。ISBN 978-4120042287[要ページ番号]
  36. ^ 沢田研二、岸部一徳と急接近で高まる「ザ・タイガース」再結成説を直撃!”. 週刊女性PRIME. 2021年11月4日閲覧。
  37. ^ 沢田研二 事務所閉鎖&主演映画公開延期でも貫く「美学」|日刊ゲンダイDIGITAL”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2021年12月11日閲覧。
  38. ^ BRUTUS 1996年2月1日号
  39. ^ http://www.co-colo.com/cd/julie-label.htm
  1. ^ 2022年の正月ライブ「初詣ライブ」からバンド形式での演奏を再開させる

関連項目

人物

外部リンク