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渡辺美佐 (芸能事務所社長)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わたなべ みさ

渡邊 美佐
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
生誕 (1928-09-25) 1928年9月25日(96歳)
日本の旗 日本神奈川県横浜市
国籍 日本の旗 日本
出身校 日本女子大学卒業
職業 実業家
配偶者 渡邊晋
子供 吉田ミキ長女
渡邊万由美二女
曲直瀬正雄
親戚 山鹿旗之進祖父
牧野金三郎大叔父
曲直瀬道枝
山田昌治
吉田正樹娘婿
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渡邊 美佐(わたなべ みさ、1928年昭和3年〉9月25日 - )は、日本芸能プロモーター株式会社渡辺プロダクション名誉会長株式会社イザワオフィス取締役一般社団法人日本音楽出版社協会名誉顧問文化功労者の「邊」は「辺」の旧字体のため、新字体で渡辺 美佐(わたなべ みさ)と表記される場合もある。

以下のように、数々の役職を歴任していることでも知られている。

ほか

概要

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神奈川県横浜市出身の芸能プロモーターであり、2022年7月現在、日本の芸能プロモーターの中でも最高齢の人物でもある。マナセプロダクション社長・曲直瀬道枝は妹。曲直瀬道三の子孫であり、現在は美佐の甥(弟の次男)の陽造が曲直瀬家の第16代当主である[1]。父方の祖父は山鹿旗之進で、山鹿素行の流れを引く[1]である渡邊晋渡辺プロダクションを設立すると副社長に就任し、のちに会長となった。現在名誉会長を務めている。また、イザワオフィス取締役の一人としても名を連ねた。業界団体としては、音楽出版社協会にて3代目の理事長として率いていたが、のちに役職の名称を理事長から会長に改めたうえで、会長にも複数回就任した。

来歴

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生い立ち

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1928年、マナセプロダクション創業者の曲直瀬正雄・花子夫妻の長女として神奈川県横浜市に生まれ4人の妹、2人の弟がいる。母方の祖父の牧野暎次郎は日英の混血で、祖母は日米の混血[2]。母の花子はクオーターで英語に堪能であった[2]。母方の大叔父の牧野金三郎は『ハワイ報知』創刊者である[1]

横浜市立青木小学校からミッション系捜真女学校に入学。1945年宮城県登米郡登米町疎開し、仙台市ミッションスクール宮城女学校に転入し、ここから東京都日本女子大学英文科に入学する[3]

プロモーターとして

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1946年、母花子が仙台駐留のアメリカ軍基地に通訳として採用され、両親は仙台にマナセプロダクションの前身であるオリエンタル芸能社を設立する。学生時代より、アルバイトで学生バンドの通訳マネージャーをやり、主に進駐軍の王子キャンプに出入りする。

この頃、ジャズバンド・シックスジョーズのマネージメントを引き受け、リーダーの渡邊晋と知り合う。晋と美佐は、ショービジネスの世界を合理化・近代化し、日本の音楽とミュージシャンをレベルアップさせ国際的に通用するものにしようと考え、1955年1月、「渡辺プロダクション」を設立し副社長となり、ショービジネスの世界に近代化をもたらす。同年3月に晋と結婚。テレビ創世期の「シャボン玉ホリデー」は有名。また1958年日劇ウエスタンカーニバルなどを手がけ、マダム・ロカビリーの異名をとり、戦後のショービジネスのリーダー的存在となる。また布施明沢田研二森進一らを所属歌手として育て、「ナベプロ」を日本最大の芸能プロとした[4]。1987年、晋の死後会長となった。

ザ・ピーナッツの直接のマネージャーではなかったものの、行動を共にすることが多く、ザ・ピーナッツが日本国外で公演の際には美佐もサポート役として付き添いをすることも多かった。また、安井かずみからの信頼も厚く、長きに渡って姉のように慕われていた。安井の散骨式にも立ち会っている。

2013年9月、一般財団法人産業遺産国民会議評議員となる[5]

家族・親族

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長女の渡辺ミキは、ワタナベエンターテインメント社長、渡辺プロダクション会長。次女の渡辺万由美はトップコート社長、渡辺プロダクション社長。

フジテレビジョン編成制作局バラエティ制作センター部長で、ワタナベエンターテインメント会長の吉田正樹は長女・ミキの夫。

妹の曲直瀬道枝(山田道枝)はマナセプロダクション社長。その長男の山田昌治YU-M エンターテインメント代表取締役

渡辺美佐 家系図

賞歴

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栄典

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渡辺美佐を演じた女優

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c Vol.7渡邊美佐(渡辺プロダクション会長)
  2. ^ a b 戸井十月『植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」』p.68
  3. ^ 渡邊 美佐 | 花咲く同窓生 – 捜真女学校同窓会”. soshin.org. 2020年12月8日閲覧。
  4. ^ a b 20世紀日本人名事典. “渡辺美佐”. コトバンク. 2017年12月11日閲覧。
  5. ^ 組織体制”. 産業遺産国民会議 (2013年9月10日). 2019年10月29日閲覧。
  6. ^ "19年度の文化勲章受章者・文化功労者の主な業績". 日経電子版. 日本経済新聞社. 29 October 2019. 2019年10月29日閲覧
  7. ^ 令和元年度 文化功労者”. 文部科学省 (2019年11月3日). 2020年11月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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