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同棲時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
同棲時代
ジャンル 青春
漫画
作者 上村一夫
出版社 双葉社
掲載誌 漫画アクション
発表期間 1972年3月2日 - 1973年11月8日
巻数 全6巻
ドラマ
原作 上村一夫
監督 竜至政美
脚本 山田太一
制作 TBS
放送局 TBS系
放送期間 1973年2月18日 -
話数 全1話
その他 TBSチャンネル
映画:同棲時代 今日子と次郎
監督 山根成之
制作 松竹
封切日 1973年4月14日
上映時間 87分
その他 KINENOTE
allcinema
映画:新・同棲時代 愛のくらし
監督 山根成之
制作 松竹
封切日 1973年6月30日
上映時間 86分
その他 KINENOTE
allcinema
テンプレート - ノート

同棲時代』(どうせいじだい)は、上村一夫により双葉社漫画アクション』において、1972年3月2日号から1973年11月8日号まで80回連載された漫画。それを原作としてテレビドラマ映画が製作された。また、この漫画をもとに上村一夫作詞・都倉俊一作曲による大信田礼子の曲も作られた[1]

あらすじ

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広告会社勤務の今日子とフリーのイラストレーターである次郎は、同じデザインスクールの同期であった。ある春の日、二人は一間のアパート同棲を始める。自由であり、不安定でもある二人の暮らしは愛と性の間で揺れ続け、今日子の精神状態は次第に崩れていく。そして、妊娠に気がついた今日子は、ある決断を下す[2]

背景

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この作品のきっかけは、映画『愛の狩人』の中の同棲シーンであったと述べている。また、漫画家の安部慎一が同棲していることを知ったことも理由の一つである。同棲経験のない上村は、林静一の『赤色エレジー』のパロディとして始めたといい、当初は10回程度の連載を終了する予定であった。しかし、人気が出て80回の長期連載となり、「同棲」は流行語にもなり社会現象ともなった[1][3]

書籍

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  • 同棲時代(全6巻) 双葉社、1973年
  • 同棲時代(全3巻) 双葉社、1986年
  • 同棲時代(愛蔵版 全2巻) 中央公論社、1991年
  • 同棲時代(文庫版 全4巻)[4] 双葉文庫、1994年
  • 同棲時代(全3巻) ブッキング、2005年

テレビドラマ

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サンデービックプレゼント版

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90分の単発ドラマとして1973年2月18日にTBS系の単発特別番組枠『サンデービッグプレゼント』で放送された。VTR制作。

当時の業務用ビデオテープ(2インチVTR)は非常に高価で、VTRで収録された番組の多くはテープを再利用するために放送終了後に消去された。本作も当時2回放送されたのみでTBSに映像は残っておらず、2008年末に双葉社の資料室で当時の放送を録画したUマチックテープが発見された[5]。その後このテープは当時双葉社に在籍していた中島かずきによってTBSに寄贈され[6][7]、2013年5月25日にTBSチャンネル2で放送された。

発見されたテープはカラー録画のものとモノクロ録画のものの2種類で、TBSチャンネル2の放送では、カラー録画の映像で欠落していた部分にモノクロ録画の映像を挿入する形で放送された。

キャスト

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スタッフ

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月曜ドラマランド版

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1985年11月11日 フジテレビにて放送。

キャスト

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スタッフ

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TBS系列 サンデービッグプレゼント
前番組 番組名 次番組
同棲時代(1973年版)
(1973年2月18日)
トム・ジョーンズ
イン・ジャパン
フジテレビ系列 月曜ドラマランド
時をかける少女
南野陽子版)
(1985年11月4日)
同棲時代(1985年版)
(1985年11月11日)
微熱 MY LOVE
(1985年11月18日)

映画

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同棲時代-今日子と次郎-

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同棲時代-今日子と次郎-
監督 山根成之
脚本 石森史郎
製作 樋口清
出演者
音楽 青山八郎
撮影 川又昂
編集 富宅理一
製作会社 松竹
配給 松竹
公開 日本の旗 1973年4月14日
上映時間 87分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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  • 1973年4月14日公開
  • 松竹制作

キャスト

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スタッフ

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主題歌

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同棲時代』 作詞:上村一夫、作曲:都倉俊一、編曲:高田弘、歌:大信田礼子、ナレーター:阿井喬子

  • 元々は上村漫画のイメージアルバム『同棲時代 春・夏・秋・冬 〜上村一夫の世界〜』(CBSソニー、SOLL-39)の収録曲のひとつだった。
  • 映画『同棲時代 今日子と次郎』で主題歌として使用された。映画化に合わせてシングルカットされ、EP盤が1973年2月21日にCBSソニーから発売された(SOLB-5)。B面曲は『今日子と二郎』(作詞:石坂まさを、作曲:都倉俊一、編曲:高田弘、歌:大信田礼子)。

新・同棲時代-愛のくらし-

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新・同棲時代-愛のくらし-
監督 山根成之
脚本
製作 樋口清
出演者
音楽 青山八郎
撮影 川又昂
編集 富宅理一
製作会社 松竹
配給 松竹
公開 日本の旗 1973年6月30日
上映時間 86分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

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  • 1973年6月30日公開
  • 松竹制作
  • 1973年5月17日に東京日比谷公園内の日比谷パークセンターで製作発表会見があり[13]、三嶋与四治製作本部長、樋口清プロデューサー、山根監督、高沢順子、本郷直樹らが出席[13]。三嶋製作本部長は「前作は歌とテレビと映画の三つが一体となって大いにヒットした。そのヒットに鑑み、再び『同棲時代』を作る場合、続編にすべきか、新しいものにすべきか審議会では大いに迷った。然しあそこで終わったものへ話を続けるより、一そ全然新しいものでゆこうということになり『新・同棲時代』に決定した。従って全く新しいものであるから出演者も替える必要があり、山根監督にも努力してもらって方々に交渉したがスケジュールの都合で困難が続いた。その結果、今日ご紹介する二人に決めた」[13]、山根監督は「前作は青春の在り方の典型的なものを描いて評判になったが、一方不安定なものであることについての批判もあった。今回はシリアスに描く。舞台も前作の山の手から下町に持ってゆく」等と話した[13]。樋口清プロデューサーからは「直ちに大船付近のロケからクランクインし、二日程度の地方ロケを加え(1973年)6月17日にクランクアップを予定している」等の説明があった[13]。この後、キャメラマンお待ちかねのスナップショットに入ったが、雨が酷く、宮本英宣伝部長が「今日は写真撮影に良いアイデアと思い、ここを会見場に選んだのですが残念です」と話した。公園内の花壇などで相合傘を差した高沢と本郷の写真を撮った後、野外音楽堂に移動。初対面の二人に報道陣がキスを催促し[11]、本郷が高沢のおでこほっぺたにキスしたら、宮本宣伝部長が「これは仕事だよ、真面目に。次は唇と唇を」と冷たく言い放ち、やむなく軽く唇どうしでキスさせられるという昨今では有り得ない記者会見であった[11]

キャスト

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スタッフ

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出典

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  1. ^ a b 「同棲時代」 『リリシズム』 まんだらけ、2011年
  2. ^ 『同棲時代(上)(中)(下)』 ブッキング、2005年
  3. ^ 上村一夫 「同棲時代と僕」「今日子と次郎の死」『同棲時代と僕』 広論社、1973年
  4. ^ 前半部分と最終話を合わせて編集したもの
  5. ^ テレビドラマ版『同棲時代』、幻の録画テープ発見秘話
  6. ^ 幻のドラマ版「同棲時代」放送のお知らせ(上村一夫公式サイト)
  7. ^ TBSチャンネル 同棲時代
  8. ^ 【作品データベース】同棲時代-今日子と次郎- どうせいじだい松竹・映画作品データベース
  9. ^ 【作品データベース】新・同棲時代-愛のくらし- しん・どうせいじだい-あいのくらし-松竹・映画作品データベース
  10. ^ a b 「ニューズオブニューズ "まじめポルノ"って面白いの?」『週刊読売』1973年5月26日号、読売新聞社、34頁。 
  11. ^ a b c d e f g h i 「〈ひと・目・ひと・耳・ひと・口・ひと〉 『次はこの娘をぬがせます』」『週刊朝日』1973年6月1日号、朝日新聞社、37頁。 
  12. ^ a b c d 「ビジネス・ガイド 『新・同棲時代』撮影快調 高沢順子のヌードに期待」『月刊ビデオ&ミュージック』1973年7月号、東京映音、56頁。 
  13. ^ a b c d e “松竹『同棲時代』新装して『新・同棲時代』の製作発表”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): pp. 3–4. (1973年5月26日) 

参考文献

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  • 上村一夫 『同棲時代と僕』 広論社、1973年
  • 佐々木幹郎 「上村一夫 同棲時代 パセティックな美学」『國文学 解釈と教材の研究 4月臨時増刊号 現代マンガの手帖』第26巻6号臨時増刊、學燈社、1981年

外部リンク

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