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早稲田大学 | |
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大学設置 | 1920年 |
創立 | 1882年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人早稲田大学 |
本部所在地 |
東京都新宿区戸塚町一丁目104番地(新宿区西早稲田一丁目6番1号) 北緯35度42分37秒 東経139度43分18.2秒 / 北緯35.71028度 東経139.721722度座標: 北緯35度42分37秒 東経139度43分18.2秒 / 北緯35.71028度 東経139.721722度 |
学生数 | 47,094 |
キャンパス |
早稲田(東京都新宿区) 戸山(東京都新宿区) 西早稲田(東京都新宿区) 喜久井町(東京都新宿区) 所沢(埼玉県所沢市) 本庄(埼玉県本庄市) 北九州(福岡県北九州市) 東伏見(東京都西東京市) 日本橋(東京都中央区) 上石神井(東京都練馬区) エクステンションセンター早稲田校(東京都新宿区) エクステンションセンター八丁堀校(東京都中央区) エクステンションセンター中野校(東京都中野区) |
学部 |
政治経済学部 法学部 文化構想学部 文学部 教育学部 商学部 基幹理工学部 創造理工学部 先進理工学部 社会科学部 人間科学部 スポーツ科学部 国際教養学部 |
研究科 |
政治学研究科 経済学研究科 法学研究科 文学研究科 商学研究科 経営管理研究科 基幹理工学研究科 創造理工学研究科 先進理工学研究科 教育学研究科 人間科学研究科 社会科学研究科 スポーツ科学研究科 アジア太平洋研究科 日本語教育研究科 情報生産システム研究科 法務研究科 ファイナンス研究科 会計研究科 環境・エネルギー研究科 教職研究科 国際コミュニケーション研究科 |
ウェブサイト | 早稲田大学 |
早稲田大学(わせだだいがく、英語: Waseda University)は、東京都新宿区戸塚町一丁目104番地(新宿区西早稲田一丁目6番1号)に本部を置く日本の私立大学。1882年創立、1920年大学設置。大学の略称は早大(そうだい)。
概説
大学全体
大隈重信が明治十四年の政変による下野後に設立した東京専門学校を前身とする[1]。1920年(大正9年)に日本の私立大学では慶應義塾大学などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。2019年時点で、10の学術院のもと13学部・25研究科(大学院)を設置している[2]。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。
大隈重信が明治を代表する政治家であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの逸材を輩出しているのをはじめとして、研究、法曹、文学、理工学などや、出版、新聞などの分野でも国内外を問わず多くの卒業生が活躍している。英国の教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』による2017年の日本版ランキングでは、私大1位に認定された[3]。
早稲田大学は、東京専門学校時代から、文部省「特別認可学校規則」や専門学校令の特例適用、大学令による私立大学として最初期の認可などを受けてきた。政治学、法律学、文学、商学、理工学、教育学、芸術、スポーツなど様々な分野で、近代日本国家の教育・研究分野の形成をリードしてきたモデル校であり、上述の慶大と共に「私学の雄」と並び称されている[4]。
同窓会は稲門会(とうもんかい)と称され、 早稲田大学校友会に登録している「登録稲門会」に限っても1300を超える団体が存在し、国内有数の学閥となっている。
建学の精神
1913年(大正2年)当時の総長大隈重信は、前身となる東京専門学校の創立30周年記念祝典において、早稲田大学教旨を宣言した。
「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を基本理念としている。
- 早稲田大学教旨
早稲田大学は学問の独立を全うし、学問の活用を効し、模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す。
早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以て、之が自由討究を主とし、常に独創の研鑽に力め、以て世界の学問に裨補せん事を期す。
早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て、学理を学理として研究すると共に、之を実際に応用するの道を講じ、以て時世の進運に資せん事を期す。
早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て、立憲帝国の忠良なる臣民として個性を尊重し、身家を発達し、国家社会を利済し、併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す。
早稲田大学教旨は、高田早苗、坪内逍遥、天野為之、市島謙吉、浮田和民、松平康国などが草案を作成し、大隈重信が校閲のうえ発表した。
戦後(1949年)、「立憲帝国の忠良なる臣民として」の14文字は「主権在民を謳った新憲法にふさわしくない」[5] として教旨から削除されたが、キャンパス内の「早稲田大学教旨」の碑に刻まれた語句については「思想の変遷を知る歴史的文書としてそのままに保存することがかえって記念碑の趣旨に副う」[5] として削られることはなかった。現在、石碑は正門の外側左に移設され、大学の外から誰でも自由に見られるようになっている[6]。
- 建学の祖グイド・フルベッキ
『早稲田大学百年史』に「最も直接的な建学の基礎的感化を与えたのはグイド・フルベッキである。フルベッキがなかったら、早稲田大学はなく、建っても、勿論、ひどく形式、精神の異なったものとなったであろう」という記述がある。大隈重信は長崎の佐賀藩校「致遠館」でフルベッキに英語を習った。教材は新約聖書、アメリカ独立宣言などであった。「アメリカ独立宣言を起草したジェファーソンは、合衆国に民主主義の政治を実行するためには青年を教育することが必要としてバージニア大学を創設した。ジェファーソンと同じ考えで私は早稲田大学を創設した」と述べ、「フルベッキなくして大隈なし、大隈なくして早稲田大学なし」としてフルベッキを建学の祖と称えている。
大学名の由来
早稲田大学は、1882年 (明治15年) 10月21日に創設した「東京専門学校」を前身とする。当初は、創立者・大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村に、また、校舎が同郡戸塚村にあったことから、関係者には「早稲田学校」「戸塚学校」と呼ばれていたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられた。1892年頃には、専門学校の別名として「早稲田学校」と呼ばれるようになった。以後、1902年9月2日付で、専門学校から大学への昇格を機に、大隈によって代表される早稲田の地名をとり「早稲田大学」と改称した(常用漢字の改正以前は、「稲」は、「旧」ではなく「臼」の「稻」を使い、「早稻田大学」と表記していた。卒業時の学位記を納める楯には現在も旧字体が使われている。)。
沿革
(沿革節の主要な出典は公式サイト[7])
1882年(明治15年)に大隈重信が創立した東京専門学校が前身である。その後1902年(明治35年)に早稲田大学と改称、さらに1920年(大正9年)2月5日に大学令に基づく大学設立が認可された(これは慶應義塾大学と共に私立大学として初[8])。
年表
- 1781年(天明元年)- 佐賀藩第8代藩主鍋島治茂が儒学者の古賀精里に命じ藩校「弘道館」を設立。
- 1844年(弘化元年)- 早稲田大学創立者大隈重信が弘道館入学。
- 1856年(安政3年)- 大隈重信、蘭学寮に入学。
- 1865年(慶応元年)- フルベッキ、大隈重信が、長崎に佐賀藩校「致遠館」設立。フルベッキから英語を学ぶ。
- 1881年(明治14年)10月 - 明治十四年の政変。
- 1882年(明治15年)
- 1883年(明治16年)
- 1884年(明治17年)
- 6月 - 学生団体「同攻会」を結成。
- 7月 - 第1回卒業式を挙行。
- 1885年(明治18年)
- 1886年(明治19年)
- 1887年(明治20年)
- 1888年(明治21年)
- 1890年(明治23年)
- 1891年(明治24年)
- 9月 - 政学部・法学部・文学部の3学部制を復活。
- 10月 - 『早稲田文学』創刊。
- 1893年(明治26年)
- 8月 - 各地の校友会と連携して巡回学術講演会を開催。
- 9月 - 研究科を新設(修業年限2年)。
- 1895年(明治28年)4月 - 早稲田倶楽部(体育部の前身)発会。
- 1896年(明治29年)
- 1月 - 早稲田法学会発足。
- 11月 - 早稲田文学会発足。
- 1897年(明治30年)
- 2月 - 体育部規則を制定。
- 3月 - 早稲田学会設立、機関誌『早稲田学報』発刊。七徳堂(体育館)開館。
- 1898年(明治31年)
- 9月 - 文学部に史学科新設。
- 11月 - 東京府知事、東京専門学校の社団法人化を認可。
- 1899年(明治32年)
- 3月 - 高等予科(現:早稲田大学高等学院)を開設。
- 7月 - 卒業生に中等教員免許無試験検定認可。
- 9月 - 清からの留学生を受け入れる。
- 10月 - 早稲田経済学会発足。
- 1900年(明治33年)
- 1901年(明治34年)
- 1903年(明治36年)
- 1904年(明治37年)
- 1905年(明治38年)
- 1906年(明治39年)
- 2月 - 東亜同仁会(会長大隈重信)、東京同仁医薬学校(校長岡田和一郎)を早稲田大学構内に設置。
- 11月 - 応援の過熱により早慶野球戦中止(1925年復活)。
- 1907年(明治40年)
- 1908年(明治41年)
- 1909年(明治42年)
- 7月 - 第二期拡張計画において理工科優先、医科後回しの方針を決定。
- 9月 - 大学部理工科機械学科、電気学科開講。
- 1910年(明治43年)
- 5月 - 校外教育部設置。
- 9月 - 大学部理工科採鉱学科、建築学科開講。
- 1911年(明治44年)
- 1912年(明治45年/大正元年)
- 5月 - 皇太子(のちの大正天皇)行啓。
- ハーバード大学チャールズ・W・エリオット総長が大隈重信総長を来訪(1921年にも来訪)[24]。
- 1913年(大正2年)
- 1915年(大正4年)
- 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)
- 1918年(大正7年)
- 1919年(大正8年)
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年/昭和元年)
- 5月 - 早大学生消費組合開店(東京学生消費組合の最初の支部)。
- 10月 - 理工学部実験室・研究室(13号館)竣工。
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年)
- 4月 - 早稲田高等工学校開校。
- 8月 - 在校生(当時)の織田幹雄がアムステルダムオリンピックで日本人初の金メダルを獲得。
- 10月 - 坪内博士記念演劇博物館が開館。
- 1929年(昭和4年)4月 - 雄弁会解散反対、学生自治権要求デモ発生。
- 1930年(昭和5年)10月 - 早慶野球戦切符事件起こる。
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)
- 4月 - 学則改正により選択科目を大幅に増やす。高等師範部の1年制予科を廃して3年制本科を4年制に改める。
- 5月 - 野球部、東京六大学野球連盟から脱退(9月復帰)。
- 10月 - 創立50周年式典を挙行。大隈重信像(2代目、現在のもの)および高田早苗像建立。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)4月 - 政・法校舎(旧3号館北側)竣工。
- 1935年(昭和10年)
- 4月 - 理工学部各学科に工業経営分科を新設。科外講演部設置。
- 6月 - 専門部・高等師範部校舎竣工(現・1号館)。
- 大学正面入口から門柱・門扉を撤去(無門の門となる)。
- 1936年(昭和11年)
- 7月 - 東伏見プール竣工。
- 9月 - 理工学部応用化学実験室竣工。
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)4月 - 女子学生4名が初めて学部へ入学。専門部工科開設。
- 1940年(昭和15年)
- 1月 - 文学部教授津田左右吉辞職(津田事件)。
- 夏 - 理工学部研究所(現:理工学総合研究センター)を設置。
- 秋 - 法学部に東亜法制研究所設置。
- 10月 - 学徒錬成部を設置。
- 11月 - 興亜経済研究所(現:アジア太平洋研究センター)を設置。
- 12月 - 報国碑を建立(1946年撤去)。
- 1941年(昭和16年)
- 4月 - 小平錬成道場を久留米道場、東伏見体錬道場を東伏見道場、戸塚球場を戸塚道場、第一高等学院運動場を戸山道場と改称。
- 8月 - 早稲田大学報国隊を結成。
- 10月 - 早稲田工手学校が青年学校と同等以上の学校と認定される。
- 1942年(昭和17年)
- 4月 - 理工学部電気通信学科開設。高等師範部に国民体錬科開設。
- 10月 - 体育会の学徒錬成部への統合が完了。
- 1943年(昭和18年)
- 4月 - 第一・第二高等学院の修業年限をともに2年に短縮する。
- 10月 - 理工学部に石油工学科、土木工学科、工業経営学科を開設。出陣学徒壮行早慶戦を行う。
- 1944年(昭和19年)
- 3月 - 興亜経済研究所と東亜法制研究所とを統合して興亜人文科学研究所を設立。
- 4月 - 専門部および専門学校の商科を経営科と改称(戦後旧称に戻す)。専門部工科に航空機科、電気通信科、鉱山地質科学科を開設。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)4月 - 学生自治会発足。
- 1948年(昭和23年)
- 4月 - 米国に亡命していた大山郁夫復職。専門部政治経済科に自治行政専攻を設置。
- 7月 - 新制早稲田大学の設置認可を文部大臣に申請。
- 11月 - 早稲田工手学校廃校。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 8月 - 北海道と東北地方で第1回社会教育講座を開催。
- 10月 - 早稲田大学事件起こる。
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)
- 4月 - 体育会と体育部を統合して体育局を設置[43]。
- 5月 - 「5月8日早大事件」起こる。
- 10月 - 共通教室校舎(現10号館)竣工。
- 1953年(昭和28年)
- 5月 - 大学院博士課程を設置。
- 7月 - 戦後最初の海外留学生を派遣。
- 11月 - 第1回統一早稲田祭開催。
- 1954年(昭和29年)
- 5月 - 学生会館竣工。
- 10月 - 会津記念東洋美術陳列室竣工。
- 1955年(昭和30年)
- 2月 - 外国学生特別選考制度発足。
- 4月 - 大隈記念社会科学研究所開設。
- 11月 - 校友会館竣工(大隈庭園内)。
- 1956年(昭和31年)
- 2月 - 生産研究所(現:アジア太平洋研究センター)を設置。
- 8月 - 高等学院が練馬区上石神井に移転。
- 10月 - 放射性同位元素研究室竣工(理工学研究所)。
- 1957年(昭和32年)
- 3月 - 名誉博士に関する規則を制定[45]。
- 10月 - 記念会堂が竣工。(1964年東京オリンピックのフェンシング競技会場として使用される)
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 7月 - 語学教育研究室(現:語学教育研究所)を設置。
- 10月 - 電子計算室(現:メディアネットワークセンター)を設置。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 3月 - 大学院工学研究科を理工学研究科と改称。
- 4月 - 第二理工学部の学生募集を停止。第一理工学部の鉱山学科を資源工学科と改称。
- 9月 - 第二共通教室(22号館)竣工。
- 11月 - 天野為之生誕百年記念祭を開催。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 4月 - 国際部を設置。
- 7月 - 大隈記念社会科学研究所を社会科学研究所に改組。
- 12月 - 早稲田実業学校が系属校となる。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 4月 - 第二法学部および第二商学部、学生募集を停止。理工学部に物理学科を設置。
- 6月 - 『早稲田大学史記要』発刊。
- 10月 - 早大闘争起こる。
- 1966年(昭和41年)
- 4月 - 第二政治経済学部、学生募集を停止。社会科学部を設置。第二政治経済学部、学生募集を停止。社会科学部を設置。第一文学部を2類18専攻制に、第二文学部を2類7専攻制に改める。
- 11月 - 15号館新築、4号館増築工事竣工。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)4月 - 第二理工学部を廃止、第一理工学部を理工学部と改称。学生相談センターを設置。
- 1969年(昭和44年)
- 2月 - 大学問題研究会発足。
- 8月 - 追分セミナーハウス(現:軽井沢セミナーハウス)竣工。
- 9月 - 法商研究室棟(9号館)竣工。
- 1970年(昭和45年)
- 4月 - 第二文学部、Ⅰ類・Ⅱ類の類別編成を廃止するとともに文芸専攻を増設。
- 9月 - 建物・校舎の号館表示を変更。
- 11月 - 第1回ホームカミングデーを開催。
- 1971年(昭和46年)4月 - 第一文学部、Ⅰ類・Ⅱ類の類別編成を廃止。古代エジプト調査委員会発足。
- 1972年(昭和47年)
- 4月 - 理工学部電気通信学科を電子通信学科と改称。
- 6月 - 大隈重信侯没後50年祭記念講演会および展示会を開催。
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)7月 - 産業経営研究所を設置。
- 1975年(昭和50年)4月 - 学債募集開始。
- 1976年(昭和51年)10月 - 早稲田大学国際交流基金を設定。
- 1978年(昭和53年)
- 3月 - 『早稲田大学百年史』刊行開始(1997年完結)。
- 4月 - 現代政治経済研究所を設置。早稲田大学専門学校開校。
- 1979年(昭和54年)
- 4月 - 早稲田中学校・高等学校が系属校となる。
- 12月 - 環境保全センターを設置。
- 1980年(昭和55年)
- 2月 - 商学部で不正入試が発覚。教職員から逮捕者・自殺者を出した。
- 11月 - 第二学生会館改修工事完了。
- 1981年(昭和56年)
- 4月 - エクステンションセンターを設置。
- 5月 - 評議員会、新キャンパス用地を所沢市三ヶ島地区と決定(現在の所沢キャンパス)。
- 10月 - 体育厚生施設(17号館)竣工(旧武道館跡地)。
- 1982年(昭和57年)
- 1984年(昭和59年)
- 4月 - 第一文学部に学科制が復活、史学科に考古学専修設置。
- 12月 - 芸術功労者表彰規程を制定[45]。
- 1985年(昭和60年)11月 - エクステンションセンター棟竣工。
- 1986年(昭和61年)
- 4月 - 早稲田大学教育総合研究室を開設[47]。
- 10月 - 松代セミナーハウス竣工。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 4月 - 日本語教育研究センターを設置。オープンカレッジを開設。
- 10月 - 鋳物研究所を各務記念材料技術研究所と改称[40]。
- 1989年(平成元年)11月 - 染谷記念国際会館竣工。
- 1990年(平成2年)
- 3月 - 大隈ガーデンハウス竣工。大学院教育学研究科を設置。
- 4月 - 所沢スポーツホール竣工。
- 1991年(平成3年)4月 - 理工学部に情報学科設置。総合学術情報センターが開館。大学院人間科学研究科を設置。
- 1992年(平成4年)
- 4月 - 戸山キャンパス図書棟・食堂棟・プール竣工。
- 11月 - 戸山キャンパス文学部第2研究棟竣工。
- 1993年(平成5年)
- 3月 - 理工学総合研究センター棟と研究棟竣工(大久保キャンパス)。
- 7月 - ビル・クリントンアメリカ合衆国大統領来校。現役の大統領による初の日本の大学への来校となった。
- 11月 - 菅平セミナーハウス竣工。
- 1994年(平成6年)
- 2月 - 大隈会館およびホテル棟竣工(翌月に本部各事務所が1号館から大隈会館に移転)。
- 4月 - 大学院社会科学研究科を設置。教育学部教育学科体育学専修廃止。2号館(旧図書館)内に高田早苗記念研究図書館開館[48]。
- 12月 - 西早稲田キャンパス整備計画(A,B,C棟の建て替え)に着手、A棟(14号館)の建て替え工事が始まる。
- 1996年(平成8年)6月 - メディアネットワークセンターを設置。(2014年4月、グローバルエデュケーションセンター (GEC) に移管)
- 1997年(平成9年)
- 4月 - 理工学部電子通信学科を電子・情報通信学科と改称。
- 7月 - アジア太平洋研究センターを設置。
- 12月 - ハイテク・リサーチセンターが竣工。
- 同志社大学と国内相互間留学制度・学術交流制度を提携。
- 1998年(平成10年)
- 4月 - 理工学部資源工学科を環境資源工学科、材料工学科を物質開発工学科、数学科を数理科学科と改称。大学院アジア太平洋研究科を設置。
- 5月 - 2号館に會津八一記念博物館が開設[49]。
- 6月 - 国際情報通信研究センターを設置[50]。
- 9月 - 教育総合研究室を教育総合研究所に改組[47]。
- 12月 - 総合健康教育センターを設置。
- 2000年(平成12年)4月 - 大学院国際情報通信研究科、オープン教育センター、入学センターを設置。総合研究機構を創設し、教授陣によるプロジェクト研究所を開設・運営する体制を整える[51]。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)4月 - 渋谷幕張シンガポール校が早稲田大学系属早稲田渋谷シンガポール校となる[52]。
- 2003年(平成15年)4月 - スポーツ科学部ならびに人間科学部通信教育課程、大学院アジア太平洋研究科国際技術経営専攻(専門職大学院MOT)、大学院公共経営研究科(専門職大学院)、大学院情報生産システム研究科(北九州市)を設置。体育局を競技スポーツセンターに改組[43]。川口芸術学校が開校。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2月 - 先端科学・健康医療融合研究機構が、神戸大学の医学部と大学院医学研究科との間で、先端医療の研究活動で協力する連携協定を締結。
- 3月11日に発生した東日本大震災の影響により、2010年度卒業式および2011年度入学式が中止となり、講義開始を5月6日に開始することとなった。
- 10月 - オックスフォード大学に招かれ、吉永小百合がオックスフォード大学ハートフォードカレッジのチャペルで原爆詩の朗読を行った[69]。
- 2012年(平成24年)
- 12月19日 - オックスフォード大学エクスターカレッジ学長来校。
- 2013年(平成25年)
- 4月 - 6学部でクォーター制を導入。早稲田大学大学院入学式にオックスフォード大学フォルフソンカレッジ学長来校(4月2日)。
- 10月 - オックスフォード大学サイード・ビジネス・スクールと早稲田大学ビジネススクールで双方向オンライン授業“Global Opportunities & Threats:Oxford (GOTO)”開始。
- 2014年(平成26年)
- 3月28日 - 早稲田大学高等学院が文部科学省によりスーパーグローバルハイスクール指定校に選定される。
- 4月 - 中野警察学校跡地に、中野国際コミュニティプラザ開館。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)4月 - 大学院経営管理研究科設置。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年/令和元年)
- 2020年(令和2年)
基礎データ
キャンパス
- 早稲田キャンパス(東京都新宿区西早稲田1-6-1、北緯35度42分33.6秒 東経139度43分9.9秒)
- 戸山キャンパス(東京都新宿区戸山1-24-1、北緯35度42分21.7秒 東経139度43分2.2秒)
- 西早稲田キャンパス(東京都新宿区大久保3-4-1、北緯35度42分21.8秒 東経139度42分24.5秒)
- 喜久井町キャンパス(東京都新宿区喜久井町17、北緯35度42分17.9秒 東経139度43分17.6秒)
- 所沢キャンパス(埼玉県所沢市三ケ島2-579-15、北緯35度47分8.07秒 東経139度23分58.1秒)
- 上石神井キャンパス(東京都練馬区上石神井3-31-1、北緯35度43分57.36秒 東経139度35分34.12秒)
- 早稲田大学高等学院・中学部が置かれている。大学生はほとんど利用しない。
- 最寄駅:上石神井駅(西武新宿線)
- 本庄キャンパス(埼玉県本庄市西富田1011、北緯36度13分4.2秒 東経139度10分36.9秒)
- 北九州キャンパス(福岡県北九州市若松区ひびきの2-7、北緯33度53分14.3秒 東経130度42分35.3秒)
- 東伏見キャンパス(東京都西東京市東伏見2-7-5、北緯35度43分36.5秒 東経139度33分47秒)
- 日本橋キャンパス(東京都中央区日本橋1-4-1、北緯35度40分57.4秒 東経139度46分28.1秒)
- COREDO日本橋(日本橋一丁目ビルディング)5階に設置されたサテライトキャンパス。日本で最初に金融を専門とした研究機関である専門職大学院ファイナンス研究科
- 最寄駅:日本橋駅(都営地下鉄浅草線・東京メトロ銀座線・東京メトロ東西線・駅直結)
このように、キャンパスが複数存在することから、キャンパス間の連絡バスが設定されている。早稲田キャンパス-戸山キャンパス正門-学生会館前-西早稲田キャンパス、早稲田キャンパス-先端生命医科学センター(東京女子医科大学との共同設置、同大学キャンパスに所在)-西早稲田キャンパス、早稲田キャンパス-西早稲田キャンパス-本庄キャンパス、所沢キャンパス-小手指駅の路線があり、学生及び教職員は無料で利用することできる。
象徴
スクールカラー
スクールカラーはえんじ(えび茶色)。野球部が師と仰いだシカゴ大学のユニフォームを模した際、胸文字(いわゆる早稲田文字)とともに、この色も導入したことに端を発する。ハーバード大学のスクールカラーもクリムゾンレッド(えんじ)である。校章は「大學」の文字の両脇に垂れる稲がモチーフ。学部カラーも学術院・学部ごとに存在する(政治経済学部は橙色、法学部は緑色、商学部は茄子紺色、教育学部は赤紫色等)。
大隈講堂
1927年に佐藤功一の設計で竣工した、文字どおり早稲田大学の顔として知られる建造物である。早稲田キャンパスに所在し、正式名称は「早稲田大学大隈記念講堂」。学内では「早稲田大学21号館」とも表記される。重要文化財にも指定されている建築物である。
ゴシック・リヴァイヴァル真っ只中にあったイギリス建築の影響を受けたチューダー・ゴシック様式とロマネスク様式の折衷主義建築である。
恩賜記念館という大隈講堂と並ぶ、もう一つの象徴的な建物が存在したが、空襲により焼失した。
角帽
大隈重信の宿願は、世界唯一の帽子を作ることで、どこに行ってもすぐに早稲田の学生と分かるようにすることだった。洋服店「髙島屋」主人・弥七郎に頼んだ。金モールの徽章とともに商品登録を受けた角帽の裏には姓名・学科名の他、校印を捺して、「早稲田の学生に相違無之候也」との文字が添えられ、身分証明ともなり、実質的なステータス・シンボルの役目を果たした[86][87]。
「無門の門」
早稲田大学からは1935年(昭和10年)に門柱や門扉が撤去され[88]、「無門の門」となった。大学によれば、学びたい人を拒まない、開かれた大学にするという建学の精神を象徴している。2015年には全面バリアフリー化された[89]。ただし「稲門」という早稲田大学の別称は当時も今もそのままである。
校歌
早稲田大学校歌
- 作詞は相馬御風、作曲は東儀鉄笛で、創立25周年(1907年)に制定された。三番から構成され、特に一番の歌詞の冒頭の「都の西北 早稲田の杜に」のフレーズは有名であることから、別名『都の西北』と称される。早稲田大学自身も「都の西北」と称されることが多い。また各番の最後にある「わせだ わせだ……」のフレーズも特に有名で、これは小説家でもあり、同大学で教鞭を執った坪内逍遥の発案によるものである[90]。イェール大学の学生歌『Old Yale』を参考に作られたという。『Old Yale』自体も1837年にイギリスで流行していた曲『The Brave Old Oak』がその原曲とされており、さらに18世紀の曲『Hearts of Oak』がルーツではないかとも指摘されている[91]。同志社大学のカレッジソングもイェール大学の校歌と同じメロディーであり、イェール大学との関係が強固である。伊藤博文初代内閣総理大臣もイェール大学の博士号を授与されており、また、初代日本銀行総裁の吉原重俊もイェール大学出身であり、明治時代における日本はイェール大学との結びつきが強かったと考えられている。
- 明治40年(1907年)10月21日、創立25周年式典において陸軍戸山学校軍楽隊の吹奏により初めて披露された。
- 作詞者の相馬御風は早稲田大学卒業の詩人で、三木露風や野口雨情らとともに早稲田詩社を結成し「口語自由詩」を提唱した。作曲者の東儀鉄笛は早稲田大学の前身・東京専門学校出身(中退)であり、早稲田中学校・高等学校の第一校歌も作曲している。
- 早稲田大学を象徴する存在であり、長らく日本三大校歌の一つとも言われてきた[要出典]。
- この大学校歌は附属校の早稲田大学高等学院・中学部および早稲田大学本庄高等学院の校歌でもある。系属校の早稲田佐賀中学校・高等学校では「学園歌」名義で使用されている。
- 早稲田実業学校の校歌の歌い出しも「都のいぬゐ早稲田なる」で始まるように、「都の西北」の「西北」は乾(戍亥)を表し、天・君主・太陽などを象徴している(『広辞苑』『大辞泉』など参照)[92]。
- 「都の西北」が制定される以前は、明治35年に早稲田大学開校式祝典に際して制定された記念歌『煌々五千の炬火』(作詞:坪内逍遥、曲は永井建子の『元寇』を転用)が校歌として扱われていた[93][94]。
- 3番の歌詞の冒頭は後年「あれ見よあしこの」[95] から「あれ見よかしこの」と改変されたが、あとあの頭韻(alliteration)を破る行為であって決して許されぬという批判もある[96]。
早稲田大学応援歌
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紺碧の空
- 1931年(昭和6年)6月に制定された早稲田大学の応援歌。創作当時は第六応援歌だったが、現在は第一応援歌となっている。作詞は住治男、作曲は古関裕而。当時、早慶戦で連勝していた慶應義塾の応援歌『若き血』に対抗するための応援歌として作成された。
- 応援部の歌詞募集により集まった約三十編の応募作から、西條八十教授により高等師範部3年住治男の『紺碧の空』が選出された。作曲は応援部リーダー幹部の伊藤戊(古関と親交の深かった歌手伊藤久男の従兄弟[97])の推薦により、彼の幼なじみであり日本コロムビア専属の古関に一任された。
- 出だしの曲調がシューベルトの交響曲『ザ・グレート』に似ているとクラシック音楽愛好家の間で評判である。
コンバットマーチ
- 1965年(昭和40年)秋の早慶戦で出現した応援歌。当時応援部4年で後に香川県土庄町長を務めた三木佑二郎による作曲。一般学生を応援に巻き込む形を取るために考案された、日本における最初のチャンステーマであり、『コンバットマーチ』はチャンステーマの代名詞的存在となっており、多くの学校のチャンステーマに転用されている。
大進撃
コンバットマーチ、タイムリーマーチ以外に攻撃中に使用できる曲として考案された曲。小島健昭作曲。慶應の『突撃のテーマ』に対抗する曲として野球応援で欠かせない曲となっている。
マスコット・キャラクター
大学の公式マスコット・キャラクターとして創立125周年を記念して、本学出身の漫画家弘兼憲史による「ワセダベア」が制定されている。創立者大隈重信の「隈」を「熊」に捩ったクマのキャラクターであり、各種グッズも販売されている。2032年の創立150周年に向けた学生コンペの際に、女子大学生グループによりワセダベアの女性版「早稲女ベア」を策定するアイデアが出された。コンペでの優勝は逃したものの、大学側の目に止まり、弘兼に女性版の策定を依頼、2014年3月に完成し、広報誌『早稲田ウィークリー』7月21日号に名称を公募したところ、約300件の応募があったが、性差別を助長すると主張するフェミニストの教員らの反発があり、「お蔵入り」となっている[98]。この他、戸山キャンパスには、文学科創設120周年を記念して作られた「ブンコアラ」や坪内逍遥と知恵の象徴フクロウを組み合わせた「ショウホー」といったキャラクターが存在する[99]。また、早稲田大学応援部の応援歌『吼えろ早稲田の獅子』に因んだライオンのキャラクター「わーおくん」も存在する[100]。
かつて漫画アニメの主人公「フクちゃん」(横山隆一作)は大学野球の早慶戦などでの使用が典型であるが、早稲田大学の応援マスコットとしてさかんに使用されていた。これは、フクちゃんが角帽をかぶっていたことによるが、1950年頃に使用を横山が承諾したことで実現したとされる。しかしながら今日の著作権遵法精神の下、過去のものとなっている。
ちなみに慶応のマスコットはミッキーマウスだったが、同様の理由で過去のものとなっている。
教育、研究および国際化
外国人留学生の受け入れ体制
全学部で海外からの留学生を受け入れている。2015年5月1日時点、90以上の国と地域から、4921人が学ぶ[101]。留学生受け入れ数は2014年5月1日時点、国内で1位である[102]。
現在、留学生8000人の受け入れ目標を掲げる。これまでの積極的な留学生受け入れ体制が評価され、文科省の「国際化拠点整備事業(グローバル30)」の対象に、政治経済学術院(政治経済学部)、理工学術院(3学部3研究科)、社会科学総合学術院(社会科学部)が、選定された[103]。
国籍別に見ると、中国をはじめとするアジア地域からの留学生が多い。「アジアにおける教育・学問研究の結節機関」を目指し、学問研究においては「現代アジア学の創生[104]」を、教育面では「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点(概念図)」を掲げ、意欲的な取り組みが進む。こうしたアジア重視の姿勢は、建学の精神「東西文明の調和と融合」により、既に戦前の一時期、在学生の25%がアジアからの留学生が占めていたほどである。
1996年(平成8年)、社会科学部が、早稲田大学初の中国人専任教授となる劉傑を招くなど、語学教員以外での外国籍研究者の招聘を積極的に行い、教授陣のグローバル化も進めた。今後、外国人教員の比率を、20%にまで高めることを目標としている。2004年(平成16年)には、ほぼ全ての教員が英語で授業を行う「国際教養学部」を設置、東京六大学初、英語による授業だけで学位取得が可能な学部となった。2010年(平成22年)9月からは、理工学術院の3学部・3研究科に、英語による授業だけで学位取得が可能な「国際コース」が設置される(「国際化拠点整備事業(グローバル30)」の一環で、政治経済学術院、社会科学総合学術院にも設置)[103]。2014年に東京都中野区中野の警察大学校跡地に「中野国際コミュニティプラザ」が開設され、留学生と日本人学生が共同生活を行い交流できる施設のひとつとなった。
組織
学術院
2004年(平成16年)9月から、全ての学部・研究科は、10の学術院という独自の組織に統合され、学部・研究科の全教員も、いずれかの学術院の所属となった。学内の意思決定など、大学行政も学術院教授会単位で行われる。よって、本項では学部および研究科を学術院単位で掲載している。『早稲田大学大学院入学案内2017』には、以下の順序で、研究科が紹介されている。
研究科:政治学研究科、経済学研究科、法学研究科、文学研究科、商学研究科、基幹理工研究科、創造理工研究科、先進理工研究科、教育学研究科、人間科学研究科、社会科学研究科、スポーツ科学研究科、国際コミュニケーション研究科、アジア太平洋研究科、日本語教育研究科、情報生産システム研究科、法務研究科、会計研究科、環境・エネルギー研究科、経営管理研究科。
- 政治経済学部→「早稲田大学政治経済学部」を参照
- 政治学研究科
- 政治学専攻(修士課程・博士後期課程)
- 公共経営専攻(専門職学位課程、公共経営大学院)
- 経済学研究科
- 理論経済学・経済史専攻(学生募集停止、経済学コースに改組)
- 応用経済学専攻(学生募集停止、経済学コースに改組)
- 経済学コース
- 国際政治経済学コース
- 経済ジャーナリズムコース
- 公共経営研究科(専門職学位課程・博士後期課程)
- 公共経営専攻(2012年度学生募集停止、政治学研究科公共経営専攻専門職学位課程に改組)
- 法学部
- 法学研究科
- 民事法学専攻(以下、修士課程・博士後期課程)
- 公法学専攻
- 基礎法学専攻(修士課程)
- 法務研究科(法科大学院)→「早稲田大学大学院法務研究科」を参照
- 法務専攻
- 文化構想学部→「早稲田大学文化構想学部」を参照
- 文化構想学科
- 文学部→「早稲田大学文学部」を参照
- 文学科
- 文学研究科
- 人文科学専攻
教育・総合科学学術院
- 教育学部→「早稲田大学教育学部」を参照
- 教育学研究科
- 学校教育専攻(以下、修士課程)
- 国語教育専攻
- 英語教育専攻
- 社会科教育専攻
- 数学教育専攻
- 教育基礎学専攻(以下、博士後期課程)
- 教科教育学専攻
- 教職研究科(教職大学院)※2008年度新設
- 高度教職実践専攻
- 商学部
- 商学研究科
- 商学専攻
- 経営管理研究科[105] →「早稲田大学ビジネススクール」を参照
(ビジネス専攻 専門職大学院、アジア太平洋研究科国際経営学専攻と早稲田大学大学院ファイナンス研究科 専門職大学院、夜間大学院の統合により新設)
- 会計研究科(専門職大学院)
- 会計専攻
- 基幹理工学部
- 創造理工学部
- 先進理工学部
- 基幹理工学研究科
- 創造理工学研究科
- 先進理工学研究科
- 国際情報通信研究科 (GITS)
- 環境・エネルギー研究科
- 情報生産システム研究科
- (旧)理工学部[106]
- (旧)理工学研究科[106]
社会科学総合学術院
- 社会科学部→「早稲田大学社会科学部」を参照
- 社会科学研究科(昼夜開講制)
- 地球社会論専攻
- 政策科学論専攻
人間科学学術院
- 人間科学部→「早稲田大学人間科学部」を参照
- 人間環境科学科
- 健康福祉科学科
- 人間情報科学科
- eスクール(通信教育課程)
- 人間環境科学科
- 健康福祉科学科
- 人間情報科学科
- 人間科学研究科
- 人間科学専攻
スポーツ科学学術院
- スポーツ科学部→「早稲田大学スポーツ科学部」を参照
- スポーツ文化学科
- スポーツ医科学科
- スポーツ科学研究科
- スポーツ科学専攻
国際学術院
- 国際教養学部→「早稲田大学国際教養学部」を参照
- 国際教養学科
- 国際コミュニケーション研究科
- 国際コミュニケーション研究専攻(修士課程・博士後期課程)
- アジア太平洋研究科
- 国際関係学専攻
- 国際経営学専攻(商学研究科専門職学位課程ビジネス専攻に移管)※2007年度より募集停止
- 日本語教育研究科
- 日本語教育学専攻
学術院所属附属機関
- 政治経済学術院
- 現代政治経済研究所
- 法学学術院
- 比較法研究所
- 法務教育研究センター
- 教育・総合科学学術院
- 教育総合研究所
- 商学学術院
- 商学学術院総合研究所
- 産業経営研究所
- WBS(早稲田ビジネス・ファイナンス)研究センター
- ファイナンス研究センター
- 商学学術院総合研究所
- 理工学術院
- 理工学術院総合研究所
- 各務記念材料技術研究所
- 理工学研究所
- 国際情報通信研究センター
- 環境総合研究センター
- 情報生産システム研究センター
- 理工学術院総合研究所
- 社会科学総合学術院
- 先端社会科学研究所
- 人間科学学術院
- 人間総合研究センター
- スポーツ科学学術院
- スポーツ科学研究センター
- 国際学術院
- アジア太平洋研究センター
- 日本語教育研究センター
別科
- 日本語専修課程
博物館・資料館
- 坪内博士記念演劇博物館
- 早稲田大学會津八一記念博物館
- 早稲田大学内藤多仲博士記念館
- 大学史資料センター
- 小野梓記念館(小野記念講堂・ワセダギャラリー)
- 早稲田大学歴史館
- 早稲田スポーツミュージアム
- 国際文学館(村上春樹ライブラリー)- 2021年4月オープン予定
セミナーハウス
生活を共にしながら集中・課外授業を行い、学生・教員間の信頼関係を醸成し、人間関係形成に寄与することを目的として、セミナーハウスを設置している。
- 軽井沢セミナーハウス
- 松代セミナーハウス
- 菅平セミナーハウス
- 伊豆川奈セミナーハウス
- 鴨川セミナーハウス
附属機関
- 早稲田大学図書館 -2012年は私立大学トップの約536万冊、2017年は私立大学中日本大学に次ぐ2位の約558万冊を所蔵[107]。
- 中央図書館 - 蔵書約240万冊、学術雑誌1万6千種を所蔵。国際会議場も併設。
- 高田早苗記念研究図書館
- 戸山図書館
- 理工学図書館
- 所沢図書館
- 早稲田大学高等研究所
- 独立センター
- メディアネットワークセンター
- オープン教育センター
- 遠隔教育センター
- エクステンションセンター
- 環境保全センター
- 大学史資料センター
- 保健センター
- 平山郁夫記念ボランティアセンター
- 競技スポーツセンター
- 留学センター
- 研究戦略センター(旧早稲田実業跡地)
- 研究機構等
- エクステンションセンター
関連機関
早稲田大学出版部
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒169-0051 東京都新宿区西早稲田1-9-12 大隈スクエアビル 402 |
法人番号 | 6011101022315 |
代表者 | 代表取締役社長 須賀 晃一 |
資本金 | 1000万円 |
純利益 | 1806万6000円(2019年12月31日時点)[110] |
純資産 | ▲1億3742万2000円(2019年12月31日時点)[110] |
総資産 | 7429万9000円(2019年12月31日時点)[110] |
外部リンク | http://waseda-up.co.jp/ |
株式会社早稲田大学出版部(わせだだいがくしゅっぱんぶ)は、学校法人早稲田大学の出版部門で、早稲田大学教員の著書をはじめ、幅広い出版活動を行っている。
1886年(明治19年)に『講義録』を発行し通信教育を開始したことがその起源である。当時の印刷部門は独立し、その後秀英舎と合併、大日本印刷となった。1935年(昭和10年)東京専門学校卒で実業之日本社を創立・社長となった増田義一が初代社長となった[111]。なお、1986年(昭和61年)10月に『早稲田大学出版部100年小史』 (ISBN 4-657-86027-5) が刊行されている。大学出版部協会の設立時から2008年(平成20年)まで会員であったが、現在は所属していない。2009年(平成21年)に刊行を開始した「早稲田大学学術叢書」シリーズを含む年間50点余りの書籍を出版している。また、2011年(平成23年)11月には『早稲田大学ブックレット <震災後>に考える』シリーズの刊行を開始した。
その他
- 早稲田大学生活協同組合
- 株式会社早稲田大学事業部[要出典]
- 株式会社キャンパス
研究
21世紀COEプログラム
各分野から2002年度に5件、2003年度に4件が採択された。
- 2002年度
- 化学、材料科学
- 実践的ナノ化学教育研究拠点
- 情報、電気、電子
- プロダクティブICTアカデミアプログラム
- 人文科学
- 演劇の総合的研究と演劇学の確立
- アジア地域文化エンハンシング研究センター
- 学際、複合、新領域
- 現代アジア学の創生
- 2003年度
- 数学、物理学、地球科学
- 多元要素からなる自己組織系の物理
- 機械、土木、建築、その他工学
- 超高齢社会における人とロボット技術の共生
- 社会科学
- 開かれた政治経済制度の構築
- 企業社会の変容と法システムの創造
グローバルCOEプログラム
各分野から2007年度に4件、2008年度に3件、2009年度に1件が採択されている。
- 2007年度
- 化学、材料科学
- 「実践的化学知」教育研究拠点
- 情報、電気、電子
- アンビエントSoC教育研究の国際拠点
- 人文科学
- 演劇・映像の国際的教育研究拠点
- 学際、複合、新領域
- アジア地域統合のための世界的人材育成拠点
- 2008年度
- 機械、土木、建築、その他工学
- グローバルロボットアカデミア
- 社会科学
- 制度構築の政治経済学
- 成熟市民社会型企業法制の創造
- 2009年度
- 学際、複合、新領域
- アクティヴ・ライフを創出するスポーツ科学
私立大学学術研究高度化推進事業
2007年度、理工学術院にて新規に2件の事業が採択された。
- 先進理工学研究科 生命理工学専攻
- システム生命科学による医・理・工学の先端研究、病態解明・診断・治療に向けた医・理・工学の融合研究
- 基幹理工学研究科
- 数値シミュレーションに関する数理的研究、高信頼超並列ソフトウェア基盤研究、環境志向型材料創製研究、高機能材料デバイスとシステム開発研究
学生生活
サークル活動
早稲田大学では、2014年時点、大学公認のサークル団体は約560ある[112]。また、最低限の届出を済ませているが公認サークルの設立要件を満たしていない未公認サークルや、「早稲田大学のサークル」を自称し活動するサークル(早稲田大学では「無届団体」と名付けている)が多数存在する[113]。
大学の公認を得た団体は、学生会館に部室が与えられる、活動補助金を受け取れる、新歓期に出店を設けるスペースが優先的に割り振られる、サークル名義で大学の各種施設を使用できる、といった待遇を受けられる。会長となる教職員を確保した上で構成員が21人以上、詳細な会計報告を行うといった条件を毎年満たす必要がある[114]。
なお、これら全てを含めた学生による課外活動への参加率は7割以上と高い[115]。
また、数多くあるサークルから目的のサークルを探す手段として、『マイルストーンエクスプレス』といった学生が発行する情報誌が存在する。
主なサークル・学生自治組織
- 文化団体連合会
- マル学同革マル派が実権を握る学生団体連合体。当局の公認団体ではあるが、現在では加盟サークルはほとんどない。
- 早稲田精神昂揚会
- 半世紀以上続く早稲田の伝統イベント「本庄〜早稲田100キロハイク」を主催するサークル。埼玉県本庄市から早稲田大学までの約100kmを二日間かけて歩き切るというイベント。学生や卒業生を中心に約1500人の参加がある。毎年5月に行われ、春の早慶野球戦、早稲田祭と並んで「早稲田大学三大行事」に数えられている。大学関係者からは「100ハイ」などと呼ばれる。
- 早稲田大学政友会
- 50余年の歴史と100人を超える会員を持つ早稲田大学最大のアカデミックサークルである。政治、経済、ジャーナリズム、国際関係に関する勉強会と年に二度の講演会を中心に活動を行っている。
- 早稲田大学鵬志会
- 政友会、雄弁会と並ぶ早稲田三大政治サークルの一つ。政治家のインターンシップを中心に活動を行っている。
- 早稲田大学雄弁会
- 早稲田大学の弁論クラブである。内閣総理大臣をはじめ多くの政治家が卒業生に存在する。1884年(明治17年)に前身の同政会が発足し、1902年(明治35年)に早稲田大学雄弁会となった。
- 早稲田祭運営スタッフ
- 学園祭である早稲田祭を主催する。正式名称は西暦を含めた「早稲田祭2xxx運営スタッフ」となる。通称「運スタ」。
- 早稲田大学広告研究会
- 1913年創立。通称「広研」。早稲田祭運営スタッフ、早稲田大学放送研究会とともに早稲田3大サークルの一角を占める。
- 早稲田大学放送研究会
- 通称「放研」。日本の各大学の放送関係のサークルで最古参。同大学の理工学部で戦後期に行われていた「早稲田式ブラウン管」のテレビ開発研究のチームを母体とする。当初は大学入試より難しいといわれた入会試験があった。その後、アナウンサー養成、アマチュア番組制作など活動の幅を広げ、多くのOBが全国各地の放送局やメディアに就職している。早稲田大学アナウンス研究会(WAK)は、同会から分離したサークルであり、多くのアナウンサーを輩出している。
- 早稲田大学宇宙航空研究会
- 早稲田大学理工学部公認サークルであり、日本女子大学からの公認も受けているインターカレッジサークル。鳥人間コンテスト出場を目的として人力飛行機を制作する「鳥人間プロジェクト」、NHK大学ロボコン等のロボット大会出場を目的として各種ロボットを製作する「メカトロプロジェクト」、液体ロケットエンジンの開発やそれらを利用したモデルロケットを制作する「ロケットプロジェクト」、天体観測・天体撮影や宇宙物理学の学習等を行う「天文プロジェクト」の4プロジェクトが存在する。略称の「WASA (Waseda university Aeronautics & Space Association)」での呼称が一般的。
- 早稲田大学グリークラブ
- 1907年に創立した男声合唱サークル。通称「ワセグリ」。ボニージャックス等の有名人を多く輩出している。
- 早稲田大学交響楽団
- 1913年に創立したオーケストラサークル。通称「ワセオケ」。入学式や卒業式を始めとする早稲田大学の公式行事でも演奏をしている。
- 早稲田大学英語部 (WESA)
- 1948年に早稲田大学教育学部英語会として創立した、教育学部英語英文学科公認サークル。英語名はWaseda English Speaking Assosiation (WESA)。ディベート、ディスカッション、スピーチ、レッスンの4つの英語を使った活動を含む全体活動制(全活制)を採用。1つの活動に偏ることなく総合的な英語力の養成を目指す方針で、学内随一の英語サークルとなった。顧問は中尾清秋教授が長く務めた後、松坂ヒロシ教授に引き継がれた。
- WESAが主催する早稲田杯争奪全日本学生英語弁論大会 (All Japan Intercollegeate English Oratorical Contest for the WASEDA Trophy) は、50回(2017年現在)の伝統を持つ日本有数の英語弁論大会である。スピーチの水準の高さもさることながら、運営面でも他大学の模範とされる大会として知られる。
- 早稲田大学モダンジャズ研究会
- 1960年創立。ジャズをはじめ、音楽界に数多くのプロを輩出し続けているサークル。通称「ダンモ」。タモリもこのサークル出身である。
- 早大マイルストーン編集会
- 早大生向け総合情報誌『マイルストーンエクスプレス』(Milestone Express)など5種類の雑誌を出版するサークル。1978年にミニコミ誌を発行するサークルとして発足し、年間計8万部以上を発行する日本最大規模の出版サークルとなっている。
- 早稲田スポーツ新聞会
- 学生スポーツ新聞の先駆け的存在である『早稲田スポーツ』を発行するサークル。2014年7月に紙齢500号、創刊55周年を迎えた。マスコミには同会出身者も少なくない。
- 早稲田大学名所古蹟研究会
- 50余年の歴史を持つ旅と歴史のサークル。国内旅行専門のサークルである。
- 早大童話会
- 1925年創立。現在はいくつかの団体に派生。
- SUPER FREE(スーパーフリー)
- 2003年にスーパーフリー事件を起こしたイベントサークル。2000年(平成12年)に同好会として早稲田大学公認となっていたが、2002年(平成14年)に大学当局の公認を取り消された。現在は消滅している。
- 早稲田大学新聞会
- 革マル派団体であったが、1999年に公認を取り消された。
- 法学部学生会
- 早稲田大学で唯一の日本民主青年同盟系執行部を持つ自治会であったが、民青から自治会活動を行うものがいなくなったため、無党派の学生が執行部を受け持つこととなった。法学部当局による自治会費の代理徴収がなくなった。かつては「法学部学生自治会」の名称であったが近年変更された。現在では唯一の大学に公認された学生による自治組織。
- 第一文学部自治会、第二文学部自治会
- ともに革マル派の拠点であったが、川口大三郎事件に関連して大学当局の公認を取り消された。
- 商学部自治会
- 革マル派の拠点であったが、1995年(平成7年)に大学当局の公認を取り消された。
- 社会科学部自治会
- 革マル派の拠点であったが、2005年(平成17年)に大学当局の公認を取り消された。
学園祭
早稲田大学の学園祭は「早稲田祭」と呼ばれ、通例11月上旬に2日間にわたり実施される。過去に革マル派に乗っ取られた早稲田祭実行委員会などが会計面等で問題を起こしたことにより中断されていたが、2002年(平成14年)より早稲田祭運営スタッフが発足し再開された。これは、かつての早稲田祭実行委員会とは完全に独立した、形式的には単年度ごとに組織される"「早稲田祭2xxx」運営スタッフ"が、早稲田祭復活を求める学生によりに組織されたことを受けてものである。大学当局は学生の主催であり大学の公式行事ではないという立場を(形式的には)とり、大学からの出資などは一切行っていない(授業の休講や、学部・研究科日程に掲載する等の措置はとられる)。したがって、3000万円を超える早稲田祭予算は、早稲田祭運営スタッフの渉外活動や参加団体の参加費などで賄われている。同スタッフの発表によると、2日間で約18万人[116] が来場し参加団体数は約400団体、企画数は約450企画となる。これは大学の学園祭としては日本で最大の規模(来場者数で18万人以上を発表しているのは4日間開催される慶應義塾大学の三田祭と3日間開催であり地域の祭と同時開催である一橋祭のみ)であり、1日あたりの来場者では最多となる。理工学部の存在する西早稲田キャンパスで行われる「理工展」も「早稲田祭」とは別に同日程で行われる。また、所沢キャンパスで行われる「所沢キャンパス祭」は例年、10月下旬の日曜日に実施される。
スポーツ
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早慶戦
-
早明戦
早稲田ウィークリー
大学が発行する大学広報誌。1966年3月、『早稲田』として創刊、同年9月、『WASEDA WEEKLY』、1973年10月、『早稲田ウィークリー』に改称。2016年4月よりウェブマガジンに移行。教員によるリレーコラム「えび茶ゾーン」、大学付近のグルメ(通称・ワセ飯)を紹介する「私のワセメシ」、笹倉和幸教授考案の「学生応援宣言」、活躍する現役早大生を特集する「ぴーぷる」などのコーナーからなる。
MyWaseda
学生、教職員、卒業者、校友向けの総合ポータルサイト。各種申請やオンライン授業の受講、成績照会、連絡等を行うことができるサイトとして、『Waseda-net ポータル』が運用されてきたが[117]、2016年2月に『MyWaseda』にリニューアルされた。
グローバル・リーダーシップ・フェローズ・プログラム
早稲田大学は、国際的に活躍するリーダーを育成する米国留学プログラムとして「グローバル・リーダーシップ・フェローズ・プログラム」を提供しており、趣旨に賛同したデルタ航空より、選抜された学生に航空券が提供されている。デルタ航空が日本の大学の留学プログラムを支援するのはこれが初めてである[118]。
学生運動
戦前は「早稲田大学潮の会」という右翼団体が存在していたが、戦後からは左翼系の活動が活発になった。革マル派は、長年にわたってお家芸の「恐怖政治」で早大生達の怒りを封じ込め、早稲田大学自治会を支配していた。その中で、早大闘争と呼ばれる学生運動も何度か起こった。
- 1965年末第1次早大闘争
- 1960年代後半第2次早大闘争
- 1970年代前半第3次早大闘争
大学関係者と組織
大学関係者組織
早稲田大学の同窓・親睦会組織である校友会は稲門会(とうもんかい)と呼ばれる。大学を本部として「早稲田大学校友会」が組織され、各界において様々な稲門会・校友会が形成されている。なお、早稲田大学校友会を早稲田大学稲門会と紹介している書籍があるがこれは誤りである。本大学は医学部を持たないが、本学卒業後に医師免許を取得した者や医学部出身者で本学に再入学あるいは大学院に入学した者も多数おり、2016年1月31日には本学初となる医師会「稲門医師会」が発足している[119]。
早稲田大学校友会は1885年(明治18年)12月13日に設立された。正会員は早稲田大学卒業生・教職員校友・推薦校友で、準会員は早稲田大学各学部在籍者である。早稲田大学の卒業生は「校友」と呼ばれ、卒業と同時に自動的に校友会の正会員となる。会員数は約50万人。
- 登録稲門会(1308団体、2015年3月時点)
- 地域稲門会(400団体):都道府県別や主な市区町村別(例:北海道稲門会、新宿稲門会)
- 海外稲門会(68団体):海外にも稲門会がある。(例:台北稲門会、ロサンゼルス稲門会、リマ稲門会)
- 職域稲門会(302団体):企業別、業種別(例:東証稲門会、特許庁稲門会、国会稲門会、情報産業経営者稲門会、ファイナンシャル稲門会)
- 年次稲門会(275団体):入学・卒業年次別(例:19○○年次稲門会)
- ゼミ稲門会(55団体):ゼミナール別
- 体育各部稲門会(42団体):体育会別(例:稲門体操会、稲泳会)
- サークル稲門会(48団体):サークル別(例:早稲田大学スポーツ新聞会OB会、早稲田大学モダンジャズ研究会OB会稲門会)
- 有志稲門会(75団体)
上記以外にも、サークル、大学院研究科、大学学部、ゼミごとなど、早稲田大学校友会に登録していない独自の同窓会組織も多い。また、出身地域別の現役学生親睦組織として全国早稲田学生会連盟(全早連)の下に各都道府県別の稲門会がある。
大学関係者一覧
早稲田大学校賓
- 校賓とは、大学の発展に多大な貢献をした者に贈られる早稲田大学の名誉称号である。1908年(明治41年)11月に、早稲田大学創設期の財政難に対して積極的に支援をした伊藤博文、安田善次郎、鍋島直大等が同校最初の校賓となった。『早稲田大学校賓録』には最初期の校賓として財政界の75名が掲載されている。
- 主な校賓には、伊藤博文、松方正義、安田善次郎、前島密、渋沢栄一、鍋島直大、鍋島直映、岩崎久弥、大倉喜八郎、森村市左衛門、竹内綱、田中光顕、久原房之助、浅野総一郎、竹内明太郎、根津嘉一郎、各務幸一郎、住友吉左衛門、鴻池善右衛門、安川敬一郎、原田次郎、西園寺公望、三井高保、原富太郎、横山大観、新井章治、朝倉文夫、堤康次郎、大隈信幸、清水正博、大川功、井深大、王貞治等がいる。他にも、高橋是清や青山胤通、清水満之助(名誉賛助員)、八木與三郎(八木商店創業者)等が大学に多額の寄付をしている[120]。
- 校賓の他、大学への支援者に対し金額に応じて維持員、栄誉賛助員、光輝賛助員、名誉賛助員などの名誉称号を贈っている。
早稲田大学学徒錬成部
早稲田大学は、日中戦争中の1940年(昭和15年)秋、他の大学に率先して、田中穂積総長自ら部長となり、久留米道場を中心に「早稲田大学学徒錬成部」を設置した。東伏見、戸塚、戸山、甘泉園にも道場を設けていた。戦後、早稲田大学久留米道場の建物は解体され、第一高等学校に移管した[121]。1943年(昭和18年)9月上野恩賜公園の西郷隆盛像の前で早稲田大学の学生による出陣壮行会が行われた[122]。10月21日、東京の明治神宮外苑競技場と台湾台北[123] で文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれた(東京と台北同時開催)。東京では、東京帝国大学の江橋慎四郎が答辞を読み上げた。江橋は後に、早稲田大学教授に就任した原田宗彦と『レクレーション・ハンドブック』(国土社 1990年12月)で共同研究を行っている。
早稲田大学配属将校
早稲田大学戸山キャンパスや戸山公園、早稲田大学西早稲田キャンパス、学習院女子大学など早稲田の戸山周辺一帯は、陸軍戸山学校や陸軍軍医学校、陸軍射撃場、陸軍技術本部、東京陸軍第一病院などの跡地で、戦前は陸軍施設に囲まれていた。 早稲田大学の学科教練配属将校に、宮地久衛(大佐)、石井虎雄(少将)、藤井洋治(中将)、堀井富太郎(中将)、本郷義夫(中将)等がいる。
学生会館
戸山キャンパスに所在し、東棟に公認サークル・部活等が入居するほか、学生生活課、奨学課、キャリアセンター、直営寮を運営するレジデンスセンター等、学生生活全般の大学事務がある。セブン-イレブンが入居している。
寮
大学直営寮として、中野国際コミュニティプラザにある「国際学生寮WISH」、東伏見キャンパス至近に位置し、体育会系の学生が多く入居する「東伏見学生寮」、大学図書館設置に尽力した市島謙吉の縁戚で市島宗家の市嶋信が大学に寄贈した「市嶋記念千駄木学生寮」の3つがあるほか、大学が共立メンテナンスに運営を委託している「早稲田大学国際学生寮」、「早稲田大学推薦学生寮」、大学関連会社運営の女子学生寮「エスポワール目白」が用意されている。2015年には大学至近大隈通り沿いに建設された本学関連会社なども入居する「大隈スクエアビル」に早大女子学生専用 「市嶋記念早稲田ドミトリー」が完成した。このほか、和敬塾が早稲田キャンパスに近いことから伝統的に多数の学生が入居しており、本学出身の作家村上春樹の小説『ノルウェイの森』に登場する寮のモデルとなっている。
早稲田大学大隈塾
エクステンションセンターが主宰する公開講座の一つで、塾頭田原総一朗、高野孟ら各界の第一線で活躍する人物が講師となり、次世代のリーダーを育成することを目的に設置されている。募集対象は社会人が優先されているが1、2年生を中心とした学生向けの講座も用意されている。
附属、系列校
附属学校
早稲田大学には、学校法人早稲田大学が設置する以下の附属学校が存在している。学内での地位は学部と同様の扱いとなっている。このほかに附属学校ではないが、系列となっている学校が存在している。これらは別学校法人による設置であり、早稲田大学の中で扱いが異なっている。
- 専修学校
- 早稲田大学芸術学校
- 早稲田大学川口芸術学校(2015年3月閉校)
- 高等学校
- 中学校
系列校
早稲田大学には別学校法人が設置する「系属校」が存在している。別法人のため附属校とは異なるが、早稲田大学への推薦入学枠を持っている。
対外関係
海外拠点
アジア
- 北京オフィス
- 上海オフィス
- 南京 連絡オフィス(廃止)
- 台湾オフィス
- シンガポールオフィス
- 57 West coast Road, Singapore 127366
- 早稲田大学バイオサイエンスシンガポール研究所
- 11 Biopolis Way,#05-02 Helios, Singapore 138667
- 早稲田大学・オリンパス バイオサイエンス研究所(2009年閉鎖)
- オリンパスと共同で設置。
- バンコク事務所/早稲田エデュケーション
ヨーロッパ
- ブリュッセルオフィス
- Université libre de Bruxelles
- Av. A. Depage, 1, 1050, Brussels, Belgium
アメリカ合衆国
- サンフランシスコオフィス
- 44 Montgomery Street, Suite 2440, San Francisco, CA 94104
- ニューヨークオフィス
- c/o Sumitomo Real Estate Sales (N.Y.) Inc.
800 Second Avenue, Suite 300, New York, NY 10017
- オレゴンオフィス(2012年閉鎖)
地方自治体との協定
早稲田大学社会連携推進室によると、以下の地方自治体と協定を締結している。
- 岐阜県 - 研究開発協定(2001年)
- 山口県宇部市 - 「宇部市と早稲田大学との協働連携に関する基本協定」(2002年)
- 東京都墨田区 - 「産学官連携に関する協定」(2003年締結)
- 文化の育成・発展、人材育成、まちづくり、学術、環境問題等、幅広い分野での包括的な協定。「すみだ産学連携プラザ」内に「早稲田大学すみだサテライトラボ」が設置されている。
- 東京都杉並区 - 産学官連携に関する協定(2003年)
- 埼玉県川口市 - 産学官連携に関する協定(2003年)
- 東京都台東区 - 産学官連携に関する協定(2004年)
- 東京都新宿区 - 「早稲田大学と新宿区との協働連携に関する基本協定」(2003年)、図書館協定(2008年)、「帰宅困難者一時滞在施設の提供に関する協定」(2012年)
- 茨城県牛久市 - 「早稲田大学と牛久市との協働連携に関する基本協定」(2004年)
- 埼玉県所沢市 - 「官学連携に関する基本協定」(2004年)、「連携協力に関するパートナーシップ協定」(2016年)
- 所沢市議会の議会改革のため、政策立案能力向上に関する協力が行われている[130]。
- 中国蘇州市 - 包括協定(2004年)
- 静岡県 - 事業連携に関する協定(2004年)
- 埼玉県本庄市 - 「早稲田大学と本庄市との協働連携に関する基本協定」(2005年)
- 佐賀県 - 協働連携に関する基本協定(2006年)
- 美濃加茂市 - 文化交流協定(2007年)
- 坪内逍遙大賞を共催している。
- 奈良県 - 協働連携に関する基本協定(2008年)
この他、熱海市観光協会連合会と観光などの産業振興支援協力で協定を結ぶ[131] などしている。
他大学との協定
卒業単位の一部を他の教育機関で取得することができる。利用可能な他の教育機関としては、F-Campus(5大学単位互換制度:他に学習院大学、学習院女子大学、日本女子大学、立教大学が加盟)、武蔵野美術大学、東京家政大学、東京女子医科大学、国立中山大学、京都地域48大学・短期大学(大学コンソーシアム京都)などがある。また同志社大学への国内留学プログラム、100を超える海外協力大学への1年間の海外留学プログラムなどがある。さらに慶應義塾大学、一橋大学、同志社大学および関西大学とは、図書館の相互利用協定を結んでいる。
2008年(平成20年)には、関西大学との間で学術交流協定を締結し、アメリカンフットボール部の交流試合(奇数年度は早稲田大学で、偶数年度は関西大学で開催)や、双方の大学のオープンキャンパスにて、互いの大学がブースを設けての相互参加を、毎年行っている。
2010年(平成22年)には、大学院・先進理工学研究科に、日本初となる他大学との共同専攻(共同先端生命医科学専攻(東京女子医科大学)、共同先進健康科学専攻(東京農工大学)、共同原子力専攻(東京都市大学))が設置された。また、国際教養大学、国際基督教大学、立命館アジア太平洋大学の3大学との間でも、連携協定が締結された。
2011年(平成23年)には、先端科学・健康医療融合研究機構が、神戸大学の医学部と大学院医学研究科との間で、先端医療の研究活動で協力する連携協定を締結した。
他に学術院単位として政治経済学術院の経済学研究科と慶應義塾大学大学院経済学研究科、東京工業大学大学院社会理工学研究科との提携があり、両研究科の講義を履修し修了単位とすることができる。
この他、早稲田大学は84か国の477大学と大学間協定を結んでいる他、40か国の大学・機関と381の箇所間協定を締結しており[136]、人材や研究の交流を推進している。
社会との関わり
産学連携と大学発ベンチャー企業
大学での研究をシーズとして起業された会社が複数あり、「早稲田大学発ベンチャー」として認定している。インキュベーション推進室などを設けて支援し[137]、学外のベンチャーキャピタルと連携したファンドを立ち上げている[138]。
次世代電動バスの開発
早稲田大学は理工学術院教授紙屋雄史が中心となり、東芝などとともにワイヤレス充電が可能となる次世代型電動バス「WEB-3 Advanced(Waseda Electric Bus-3 Advanced)」を開発。2016年2月1日より東京国際空港周辺や川崎市川崎区の「殿町国際戦略拠点 キングスカイフロント地区」において全日本航空(スターアライアンス所属)や川崎市の協力のもと、公道実証試験を開始した[139][140]。
ネガワット取引市場創設への取組み
早稲田大学は、アドソル日進、日本電気、オムロン、京セラ、住友電気工業、ダイキン工業、東光高岳、東芝、パナソニック、日立製作所、富士通、富士電機、三菱電機、明電舎など約40社と共同で、政府が2017年までの設立を目指す家庭で発電した電気を売買する「ネガワット取引市場」創設に向けて2016年1月、「エネルギー・リソース・アグリゲーション・ビジネス・フォーラム(ERABF)」を設立した[141]。
SAPユニバーシティ・アライアンスへの加盟
早稲田大学はグローバル人材育成の一環として、2019年12月に欧州のソフトウェア大手SAPの教育支援プログラム「SAPユニバーシティ・アライアンス」に加盟した。これにより学生らはSAPの製品やクラウドサービスを学習に利用できるようになる。[142]
博士学位論文関連
2015年11月、早稲田大学は記者会見を開き、刺激惹起性多能性獲得細胞論文関連で調査した2006年以降の博士論文2,789本について、うち89本に引用の仕方などに不備が見つかったことを明らかにした[143]。
公認サークル内で行われていた組織的な輪姦事件
2003年に発覚した、早稲田大学の元公認のサークル「スーパーフリー」内に於いて行われていた、組織的な輪姦事件。早大生だけでなく東京大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、学習院大学、日本大学といった大学の学生ら合わせて14人が準強姦罪で実刑判決を受け、重大な社会的波紋を呼び、2004年の集団強姦罪・集団強姦致死傷罪の創設につながった。
芸術・文化活動
- 早稲田文学
- 文芸協会(ヨーロッパ流の近代的な演劇を目指す起点となる)
- 早稲田文学新人賞
- 石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞
- 早稲田大学坪内逍遙大賞
- 早稲田松竹
- 早稲田小劇場
- 早稲田銅鑼魔館
施設名の由来となった人物・企業
- 大隈重信 - ハーバード大学ケネディスクールに倣い、2003年早稲田大学大隈記念大学院公共経営研究科を開設(2013年閉鎖)。現在は、早稲田大学大学院政治学研究科公共経営専攻専門職学位課程に再編されている。
- 李健煕 - サムスン電子会長。政治経済学術院(3号館)に名前に冠された「李健熙記念図書室」がある。
- 井深大 - ソニー創業者。中央図書館に付属して、名前に冠された「井深大記念ホール」がある。
- 平山郁夫 - 日本画家。名前が冠された「平山郁夫記念ボランティアセンター」がある。
- 坪内逍遥 - 近代日本文学に影響を与えた小説家・劇作家。名前を冠した「坪内博士記念演劇博物館」がある。
- 會津八一 - 歌人・書家。名前を冠した「會津八一記念博物館」がある。
- 小野梓 - 本学開校を実質的に主導。名前を冠した「小野記念講堂」がある。
- 高田早苗 - 政治家・政治学者、本学総長。名前を冠した「高田早苗記念研究図書館」がある。
- 大和証券 - 11号館に名前を冠した「大和証券グループ記念エントランスホール」がある。大和証券は、1943年に藤本証券と日本信託銀行が合併して設立。
- 頂新国際グループ - 台湾の食品メーカー。14号館に名前を冠した「頂新国際グループ記念学生読書室」がある。
- 岡田卓也 - イオン名誉会長。11号館に業績を讃えて名前を冠した「岡田卓也記念アトリウム」がある。
- 織田幹雄 - 日本人初のオリンピック金メダリスト。織田幹雄記念国際陸上競技大会や代々木公園陸上競技場(「織田フィールド」)、「織田ポール」がある。
- ハワード・ハギヤ(萩谷博) - 大学のグローバル・リーダー養成ファンド等を支援。3号館に「ハワード・ハギヤ記念国際交流学生ラウンジ」がある。
- 青井忠雄 - 丸井グループ名誉会長。ケンブリッジ大学青井パビリオンがある。
- 大川功 - 日本のベンチャー企業の父。マサチューセッツ工科大学(MIT)に「Okawa Center for Future Children」がある。
- 朝河貫一 - 日本人初のイェール大学教授。2007年にイェール大学内に「the Asakawa.Garden」が造られた。1929年春、薩摩国入来院に伝来した文書を翻訳し、英文「The Documents of Iriki」が完成。日英両文(合冊)の形でイェール大学出版会とオックスフォード大学出版会から発行され、世界中から注目された。
- 奥克彦 - 日本の外交官。早大対オックスフォード大学のラグビーの試合が2005年から「奥記念杯」として行われている。奥を記念したセミナー「日本の外交政策」が2004年4月21日、オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジで開かれた[144]。
- 川石酒造之助 - イギリス・フランスで柔道を指導。フランス柔道の父。オックスフォード大学のモリス・オーウェン氏に黒帯を伝授。1947年、イギリス・フランス間で「kawaishi cup」が行われた。
- 夏目漱石 - 東京専門学校英語講師。漱石の代表的小説『三四郎』に因んで東京大学本郷キャンパスに三四郎池(心字の池)がある[145]。
- 福武總一郎 - 福武書店創業者長男。東京大学本郷キャンパスの東京大学大学院情報学環・学際情報学府に「情報学環・福武ホール」がある[146]。
- 柳井正 - 京都大学に100億円寄付。京大基金:柳井基金「PD-1 阻害がん免疫療法に対する研究助成」設置。他に京都大学iPS細胞研究財団へ寄付[147]。
部活動
- 早稲田大学野球部
- 早稲田大学ア式蹴球部
- 早稲田大学ア式蹴球部女子
- 早稲田大学ラグビー蹴球部
- 早稲田大学ビッグベアーズ
- 早稲田大学競走部
- 早稲田大学男子ハンドボール部
- 早稲田大学庭球部 - 全日本大学対抗テニス王座決定試合において、男子は全国大学最多となる計25回、女子は園田学園女子大学に次いで史上第2位となる計14回の優勝を誇る強豪である。
- 早稲田大学合気道部 - 本クラブが発祥。乱取稽古を行う珍しい流派。[要出典]
地名・駅名
早稲田大学を舞台とする作品
- ノルウェイの森 - 「東京の私立大学」のモデル。原作者村上春樹の母校でもある。
- ハナミズキ (映画)
- 早稲田大学 (映画)
- 僕って何 - 三田誠広の小説
- 桃尻娘
- りんご物語 - 田渕由美子の漫画
- 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日
- 就職戦線異状なし
- 学生島耕作
- ワセダ三畳青春期 - 高野秀行の小説。
- けんかえれじい
- 人生劇場
- 青春の門
- 日本一のホラ吹き男
その他
- スーパーフリー事件
- 文部科学省における再就職等規制違反
- 早稲田大学清韓協会
- 早稲田おけさ
- 早稲田大学万歳
- 中華民国獅子像 - 台湾校友会から早稲田大学創立百周年を記念して寄贈された。
- 孔子像 - 2008年6月、中華人民共和国政府から日本の大学に初めて孔子像を寄贈された。
- 柳井正 - ユニクロなどを展開するファーストリテイリング創業者。寄付講座である「柳井正イニシアティブ」が開講されているのを始め、本学に寄付を行っている[148][149]。
- 人生125歳説 - 大隈講堂の高さ(125尺)や併設されているカフェの名前 (「Uni.Shop & Cafe 125」)、中長期計画「Waseda Next 125」など125に因んだ名称が数多く存在する。
- リーガロイヤルホテル - リーガロイヤルホテル東京を敷地内に併設。
- 高田牧舎 主に教職員が利用するレストラン。
- 森の風(レストラン) - 早稲田大学26号館大隈記念タワー15階のレストラン。
- 甘泉園公園 - 一時、早稲田大学が所有していた。
- 水稲荷神社 - かつて早稲田大学の旧地。本学拡張工事の際に富士塚「高田富士」を移築。大隈重信が日々参詣していた。
- 早稲田寶泉寺 - かつて早稲田大学の敷地の大部分が寺領であった。水稲荷神社の別当。
- COREDO日本橋 - 日本橋キャンパスを設置。
- 北九州学術研究都市 - 北九州キャンパスを設置。
- 横須賀リサーチパーク - 国際情報通信研究科が研究拠点を設置。
- 早稲田大学那須パルサー観測所(栃木県那須塩原市)
- 早稲田奉仕園
- 和敬塾
- 早稲田大学事件
- 早大闘争
- 早稲田大学学生部長宅盗聴事件
- 北昤吉 - 多摩美術大学創設
脚注
- ^ “早稲田の歴史”. 早稲田大学. 2019年10月15日閲覧。
- ^ “学部・大学院・図書館”. 早稲田大学. 2019年10月15日閲覧。
- ^ “2017年のTHE世界大学ランキング日本版をおさらい”. ㈱ベネッセコーポレーション. 2018年11月30日閲覧。
- ^ 早稲田 九州“発祥”私学の雄 慶應、佐賀でライバル初の交流展 産経ニュース、2015年10月18日
- ^ a b 早稲田大学百年史 第四巻/第九編 第三章
- ^ a b ワセ歴 第5回 創立30周年 建学の理念「教旨」と校旗 ―式服式帽の制定・深紅のガウン姿の大隈総長―
- ^ a b “早稲田の歴史”. 早稲田大学. 2019年1月23日閲覧。
- ^ 『官報』1920年2月6日、文部省告示第36号。
- ^ 「当時の大隈さんは、今の若い人達が知つて居る処の七十八十といふ大隈老侯とは、大分様子が異つて居た。一見した処一寸近よりがたい一大人物と見えたと同時に、何処となしに親みがたい峻烈の感じがした。」(高田早苗 『半峰昔ばなし』 早稲田大学出版部、1927年、96頁)
- ^ 高田早苗 『半峰昔ばなし』 早稲田大学出版部、1927年、95-99頁
- ^ 中村尚美 『大隈重信』 吉川弘文館、1961年、170頁
- ^ 『早稲田大学百年史』 第一巻、429-441頁
- ^ 中村尚美 『大隈重信』 吉川弘文館、1961年、174-179頁
- ^ 「早稲田スポーツ」以前【第1回】 – 早稲田ウィークリー
- ^ 歴史・沿革|早稲田大学 校友会
- ^ 同討論会は1890年7月まで13回開催された(専修大学出版局 『専修大学百年史』 上巻、1981年、607-621頁)。
- ^ 創部直後は中学チームにも連敗するほどの弱体ぶりだったが(飛田穂洲 『早稲田大学野球部史』 3-4頁)、初の本格的な対外試合として学習院と対戦し、7対6で勝利。
- ^ 試合は、早軍(根拠論文の通り早軍、慶軍と表記する)は三段前田光世を除き早稲田大学の佐竹信四郎を慶軍の主将に置く混合試合であった。早軍の主将松代林太郎二段(早稲田大学)が5連勝し順当に勝ち進むも慶軍の副将藤崎初段(慶應義塾)に敗れる(「早稲田大学柔道部百年史」、「我塾柔道百年の歩みと共に」 小川虎之助 P19)。
- ^ 明治35年9月2日『官報』第5750号
- ^ ただしこれは翌1903年に発令された専門学校令の発令に先立ち、その特例として大学と称することが私立学校中初めて認められたものであり、大学令による大学となるのは1920年からである。なお、1902年9月1日発効の早稲田大学改称について、専門学校令に特例が存在しない事から精選版日本国語大辞典では1899年に公布された私立学校令に基づくものとしている。
- ^ 明治35年12月13日『官報』第5835号
- ^ a b 沿革 – 早稲田大学図書館
- ^ 早稲田の学生街① 戦前の鶴巻町界隈 –早稲田ウィークリー
- ^ a b 世界の道は早稲田に通ず 大隈重信の民間外交 2015年度秋季企画展「大隈重信展──早稲田から世界へ──」より – 早稲田大学 大学史資料センター
- ^ 『早稲田大学校賓名鑑』p143
- ^ 恩賜記念館に研究室を与えられた若手教職員グループのこと。主なメンバーは大山郁夫、寺尾元彦、宮島綱男、村岡典嗣、遊佐慶夫、服部嘉香、橘静二など。(服部嘉香 『随筆 早稲田の半世紀』 中和出版、23-24頁)
- ^ 「早大内訌る 学長問題にて」(『東京朝日新聞』 1917年6月22日)
- ^ 東京都公文書「早稲田大学設立認可申請」(早稲田大学の物のみ存在。東京都公文書館に「慶應義塾大学設立認可申請」は存在しない。) 2019年3月11日閲覧.
- ^ 大正8年9月19日『官報』第2139号廣告
- ^ 国立公文書館デジタルアーカイヴ**
- ^ 新設された早稲田大学歴史館では、上奏裁可書に後日決裁の付箋が付いていない事から、面て面上の「1920年の1月の裁可を経て、翌2月に大学に昇格した」(早稲田大学歴史館資料より抜粋)としている。
- ^ 『官報』1920年2月6日、文部省告示第36号。
- ^ 東京都公文書「早稲田大学設立認可申請」 2019年3月11日閲覧.
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