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早稲田大学競走部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

早稲田大学競走部(わせだだいがくきょうそうぶ)は、早稲田大学陸上競技チームである。関東学生陸上競技連盟に所属している。

概要

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織田幹雄

1914年(大正3年)4月に創部され、アジア初のオリンピック金メダリストとなる織田幹雄を輩出した。南部忠平が織田に続いて金メダルを獲得したほか、卒業生からも世界記録樹立者をはじめとする名選手が誕生している。

関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)、日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)で数多くの優勝を飾っている。

短距離走、特に4継の強豪として知られ、日本陸上競技選手権リレー競技大会(日本選手権リレー競技)男子4×100mリレーでは10連覇を含む計19回の優勝を遂げている。 男子学生三大駅伝(出雲・全日本・箱根)の優勝回数は計20回となる。

歴史

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1914年(大正3年)4月創部。

1919年の第1回関東学生陸上競技対校選手権大会で優勝を飾る。関東インカレの優勝は通算18回、日本インカレの男子総合優勝は10回を数える。1920年のアントワープオリンピックマラソンに三浦弥平が出場した。以降、オリンピック金メダリストに輝いた織田幹雄、南部忠平、小掛照二ら男子三段跳世界記録樹立者を筆頭に、円盤投およびハンマー投で15回日本記録を更新した沖田芳夫、男子100m日本記録樹立者の飯島秀雄マラソン10勝を挙げた瀬古利彦ら名選手を輩出した[1]

卒部生では、後に政治家へと進んだ河野一郎河野謙三ら河野一族が知られている。後の衆議院議長・日本陸上競技連盟会長河野洋平はマネジメントを司る主務の出身である[2]。さらに、日本陸上競技連盟の重鎮となった織田幹雄・青木半治・小掛照二をはじめ、映画監督となった篠田正浩など、芸能・文化あるいはマスコミに進む者など各界にわたる。

2024年現在、部長は藤本浩志、監督は大前祐介、駅伝監督は花田勝彦である。短距離走・中距離走・長距離走・競歩・跳躍・投擲・混成と各種目の選手とマネージャー、トレーナーにより部員を構成する。

1987年、所沢市三ヶ島に早稲田大学所沢キャンパスが開かれ、保谷市(現・西東京市)東伏見から拠点を移した。所沢キャンパス内にある練習グラウンド(3種公認)は織田幹雄に因み、2005年10月1日に「織田幹雄記念陸上競技場」と名づけられた。男子所属部員が授業と練習に備えて共同生活を送る合宿所を有する。2011年の第90回関東インカレと第80回日本インカレで男子総合優勝を飾った[3]

駅伝

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2010年箱根駅伝5区山上り

たすきの色は臙脂。「早稲田大学」の文字が白糸で施され、東郷神社の勝守が縫い付けられる[4]箱根駅伝には1920年(大正9年)の第1回大会からの98回中91回出場し、13回の総合優勝を飾っている。第1回箱根駅伝の出場選手には三浦弥平河野一郎麻生武治らが名を連ねる。

戦後、中村清が指導し日本大学中央大学と優勝争いを展開した。また戦後の一時期、選手の故障や選手寿命が尽きることを懸念して慶應大学と協調する形で駅伝有害論を唱えたことがある[5]。1976年(昭和51年)、瀬古利彦の入学と同時期に中村が指導者へ復帰。瀬古は福岡国際マラソンで優勝を重ねながら箱根駅伝を走った[6]。瀬古の卒業後となる1984年・1985年に2年連続優勝を飾った。

1993年(平成5年)、武井隆次櫛部静二花田勝彦渡辺康幸らの活躍で第69回大会で優勝した。その後優勝から遠ざかるが、2011年の第87回大会で優勝し、この年、出雲全日本と合わせた3校目となる男子学生三大駅伝三冠を達成した。

2017年、2018年には2年連続総合3位になるなど三冠達成後もシードの常連校となっていたが、2019年の第95回大会では総合12位となり、2006年以来13年振りのシード落ちを喫した。翌2007年の第96回大会ではシード権を獲得したものの、第98回大会では3年ぶりのシード落ちとなる総合13位に終わっている。

全日本大学駅伝では1992-1995年の4連覇と2010年のを含め計5勝を挙げている。4連覇は大東文化大学駒澤大学と並ぶ大会連勝記録である。出雲駅伝では1996年と2010年の計2勝を挙げている。箱根駅伝とを合わせた男子学生三大駅伝の優勝回数は総計20回となる。

主な出身者

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男性
女性

関連書籍

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脚注

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  1. ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会 『日本陸上競技連盟七十年史』 日本陸上競技連盟、1995年、703-868、1061-1078ページ
  2. ^ 「私の履歴書 衆院議長河野洋平氏(6)早稲田――競走部、マネジャーに」 『日本経済新聞』2004年12月6日朝刊、40ページ
  3. ^ 陸上:男子二百で中大の川面優勝、百と2冠 関東学生対校 毎日新聞 (2011-05-22). 2011年5月22日閲覧
  4. ^ 「箱根駅伝、マネジャー奔走」 『朝日新聞』 2011年1月5日朝刊東京都区内版、2地方面、36ページ
  5. ^ 慶應はこれにより51年の27回大会を辞退。これにより選手が集まらなくなり駅伝低迷のきっかけとなった。早稲田は出場辞退等は行わず継続して参加している。
  6. ^ 武田薫 (2007). 箱根駅伝物語『(7)世界の瀬古利彦が歩んだ箱根路』 読売新聞. 2011年2月10日閲覧

外部リンク

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