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鈴木重晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 重晴 Portal:陸上競技
選手情報
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 800m1600mリレー
大学 早稲田大学
生年月日 (1934-04-05) 1934年4月5日
生誕地 秋田県
没年月日 (2012-02-27) 2012年2月27日(77歳没)
死没地 東京都府中市
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鈴木 重晴(すずき しげはる、1934年4月5日2012年2月27日[1])は、日本の陸上競技選手指導者

経歴

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1946年、学制改革期の旧制秋田中学校[注釈 1](在学中の1948年に秋田南高等学校と改称[3]。現在の秋田県立秋田高等学校)に入学[2]楢山歯医者であった叔父宅から通学しており、鈴木自身も歯医者を目指していたという[2]。1年生より陸上競技を始め、3年生の折に400m800mで全県大会・東北大会に優勝して駒を進め、インターハイで両種目3位[2]東西対抗400mで全国優勝を果たした[2]

早稲田大学に進学し競走部に入部[2]。大学在学中に中距離4種目(400m、800m、1000m1600mリレー)で日本新記録を立てた[2]。また、箱根駅伝にも4年連続で出場、区間賞2回[2]。中距離から長距離までこなすランナーとして知られた[2]

1952年、第7回国民体育大会の1500mで優勝[4]。1954年にはアジア大会(マニラ)に派遣された[4]

1956年メルボルンオリンピックで、男子800メートル競走と男子1600メートルリレー走に出場した[5]

1956年早稲田大学商学部[6]。社会人となった後も、中村清監督の下で長年コーチを務めた[2]。中村の勇退後[6]1984年から2003年までの19年間、早稲田大学競走部の監督を務めた[1][7]

脚注

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注釈

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  1. ^ 長野佳司によれば「秋田南高校併設中学」に入学したとある[2]

出典

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  1. ^ a b (おくやみ)鈴木重晴氏が死去 メルボルン五輪陸上代表”. 日本経済新聞 電子版. Nikkei. 8 September 2017閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 長野佳司 (2014年9月1日). “初の母校五輪代表選手 鈴木重晴先輩の足”. 文武両道…若かりし日々 (1). 秋田県立秋田高等学校同窓会. 2020年2月7日閲覧。
  3. ^ 学校沿革概要”. 秋田県立秋田高等学校. 2020年2月10日閲覧。
  4. ^ a b 秋田県のスポーツ史”. あきた(通巻41号). 秋田県 (1965年10月1日). 2020年2月7日閲覧。
  5. ^ Shigeharu Suzuki Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月30日閲覧。
  6. ^ a b 金哲彦 (2014年8月20日). “【連載】『エンジの記憶』 第3回 金哲彦”. 早稲田スポーツ. 早稲田スポーツ新聞界. 2020年2月7日閲覧。
  7. ^ 歴代部長・監督”. 早稲田大学競争部. 2020年2月12日閲覧。