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明治大学体育会競走部

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明治大学体育会競走部
正式名称 明治大学体育会競走部
競技種目 陸上競技
創設 1907年明治40年
本拠地 日本の旗 日本東京都世田谷区
ウェブサイト 公式サイト

明治大学体育会競走部(めいじだいがくたいいくかいきょうそうぶ、: Meiji University Track and Field Club)は、明治大学体育会所属の陸上競技クラブである。1907年創部。

東京高等師範学校と共に、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)を企画し、創設に際し中心的な役割を果たしたルーツ校である[1]。後に参加した2校を交え、1920年に箱根駅伝の原点であり事実上の第一回大会となる「四大校駅伝競走」を開催し、以降箱根駅伝として定着し毎年開催される同大会に参加を続けている。第一回参加メンバーとして「箱根駅伝オリジナル4」と呼称されることがある。

練習拠点を東京都世田谷区八幡山に設置している。

概要

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1907年創部。関東学生陸上競技連盟所属。

競走部としては日本の大学の中でも最古の歴史を有する。東京箱根間往復大学駅伝競走は、1919年に当時の部員らが唱えた「アメリカ大陸横断駅伝」創設のアイデアが転じて発足したものであり、東京高等師範学校などと共に同大会ルーツ校であり[1]第1回大会以来、予選あるいは本選に参加し続けている。

練習は主に東京都世田谷区八幡山グラウンドの全天候型400mトラックで行われる他、近隣の駒沢公園砧公園多摩川河川敷などでも行われる。また、八幡山グランドは東京近郊の実業団チームが練習で訪れることも多い。

2022年、大学スポーツの新しいかたちの模索を掲げ、「一般社団法人明大アスレチックマネジメント」を設立。 2023年には、レジデンシャル・エデュケーション等が考慮され、トレーニング施設等も充実した新たな寮が八幡山グランド隣接地に新設され、サッカー部と共用での利用が開始された。

一般社団法人明大アスレチックマネジメント

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2022年、大学スポーツに対する新しいアプローチの一環として設立。

陸上競技・スポーツ界、地域社会、大学、社会で、豊かな生活の実現に向けた貢献を行うと共に、スタッフの生活基盤の保証、学生の金銭的負担の軽減等を図り、法人化することにより多くのパートナーとの相互支援を行う体制を構築する。会員向けのメニューとしては、ユニフォーム・練習着スポンサー、広告出稿、呼称使用権などがある他、ファンクラブなども運営されている。

運営メンバーには、学内関係者の他、谷川真理など外部有識者等も名を連ねる。

箱根駅伝

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明治大学競走部の第2回箱根駅伝優勝メンバー

箱根駅伝は、1919年10月、明大競走部在籍中の山口六郎次(後の衆議院議員全日本陸上競技連盟常務理事)が母校である埼玉県鴻巣市の小学校の運動会に、明大後輩の沢田英一東京高等師範学校金栗四三野口源三郎の3名を審判として招き講演などを行った際、知己を得た3人が上野駅鴻巣駅間の汽車の車中で交わした会話から誕生したものであり[2][3]、また、同年に沢田が明大競走部同期の出口林次郎と「体育思想の普及」のために札幌・東京間の長距離走破を行っていたことが、創設の契機の1つになったとされる。

ルーツ校として[1]、箱根駅伝は2023年まで64回出場しており、優勝回数は7回。戦後初開催の第23回大会、その2年後の第25回大会でそれぞれ総合優勝を果たしたものの、以後、総合優勝からは遠ざかっている。

箱根駅伝第三区の国道134号

戦前から1960年代にかけては本選の常連であったが、1980年代に数回出場した後、1991年第67回大会を最後に本戦出場を逃し続け、低迷期に入る。しかし2001年日本大学OBの西弘美をコーチとして招聘すると、着実にチーム力も意識面も高まり、2005年第81回大会で14年ぶりの本選出場を果たした。

石川卓哉、松本昂大、鎧坂哲哉らが活躍を見せた第85回大会では8位となり、43年ぶりにシード権を獲得した。2010年第86回大会往路では4区小田原中継所までトップでタスキをつなぐ健闘を見せた。2012年第88回大会では総合3位に入り、49年ぶりに総合3位以内に入った。2014年の第46回全日本大学駅伝で大学最高の2位に入ると、2015年第91回大会では大六野秀畝有村優樹文元慧らを擁して64年ぶりの往路2位に入るなど黄金時代を築く。

待機する箱根登山鉄道車両の前を通過する明大走者

しかし翌年の第92回大会では横手健木村慎らを擁しながらも総合14位に終わり、8年ぶりにシード権を失う。続く、第93回大会では第65回大会以来28年ぶりに復路・鶴見中継所で繰り上げスタートを喫し、総合成績も過去最低タイの18位に終わる。そして、第94回大会予選会では10位東京国際大学と2分31秒差の13位に終わり、10年ぶりに予選会で敗退した。

2018年4月に、前年度からコーチとしてチームに携わっていた山本佑樹が駅伝監督に就任。第95回大会の予選会を5位で通過し2年ぶりの本選出場[4]。節目の60回目の出場となった本選激しいシード権争いを展開するも、10区のブレーキで総合17位に終わった[5]2020年第96回大会では阿部弘輝が7区で区間新記録を樹立するなど、総合6位で5年ぶりのシード権を獲得した。

主な出身者

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長距離部門

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1932年ロサンゼルスオリンピックパーヴォ・ヌルミと握手を交わす権泰夏
1936年ベルリンオリンピックで銅メダルを獲得した南昇竜
安田寛一1964年東京オリンピック
岡本直己2019MGC

競歩部門

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中距離部門

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短距離部門

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跳躍部門

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投擲部門

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関連人物

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「青銅兜」(国立中央博物館展示)

メディア

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エピソード等

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道頓堀グリコサイン
  • 道頓堀グリコサイン
    江崎グリコの菓子「グリコ」のパッケージデザインのランナーのモデルとして、谷三三五の「にこやかなゴールイン姿」が金栗四三らと共に参考にされ、2代目のロゴマークが描かれた。グリコのロゴマークのランナーは大阪の道頓堀グリコサインに描かれていることでも知られ、2023年時点で用いられているロゴは7代目のデザインである(グリコ (菓子)#マーク参照)。

脚注

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  1. ^ a b c 箱根駅伝誕生秘話
  2. ^ 箱根駅伝の計画と開催(岡尾恵一著(立命館大学名誉教授・東京高師陸上競技部OB)
  3. ^ [「日本列島駅伝史」P.22(島田輝男 著)]
  4. ^ 明治大学体育会競走部、箱根駅伝予選会を5位で突破—2年ぶり60回目の本戦出場を決める—
  5. ^ 第95回箱根駅伝、明治大学体育会競走部は総合17位でゴール
  6. ^ 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 第四巻 通史編Ⅱ、学校法人明治大学、1994年、231頁
  7. ^ 孫基禎とスポーツ・平和 寺島善一(明治大学教授) 2020年8月3日閲覧。
  8. ^ 国立中央博物館・青銅兜
  9. ^ 国立中央博物館・キュレーターおすすめ収蔵品

外部リンク

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